入佐明美さん、お手紙とご本、ありがとうございます。8月5日に落手しました。
「入院中のんでいた薬を少しずつ減らし、いまはゼロになりました。体がとても楽になり、食事もおいしく、よくねるようになりました」とあり、すべてうれしく読みました。
ひとつの時代が終わり、もうひとつの時代、まっさらな新しい時代が訪れたのだと思いますね。
大阪の釜ケ崎のケースワーカーとしてのお仕事に区切りを与えるのが、この『ねえちゃん、大事にしいや——生きる喜びを分かち合うために(以下、本書とする)』(いのちのことば社)なのですね。
入佐さんは、釜ケ崎へ流れてきたおっちゃんたちひとりひとりに向きあい、生活・暮らし・医療の相談にのってきました。
それを36年間もやってきたんです。
釜ケ崎のおっちゃんたちは政府・行政や警察からバカにされ、一般市民からも差別されています。日雇い労働者として必要なときは使われ、不要となれば、ゴミのように捨てられています。小さく低くさせられています。
その釜ケ崎からドヤ(なぜか宿を反対に言うんだな)が減り、生活保護受給者が住む福祉マンション、海外からのバックパッカー向けのホテルがけっこう建って、表面上は様変わりしています。
内実の差別感はそのままなのに。
「生活保護の街になりよって」、と。
ひとの世の冷たさは釜ケ崎、あるいは長島愛生園において、実感されるものなんでしょう。
同時に、だからこそ、ひとの世の熱さも釜ケ崎、あるいは愛生園においてこそ、実感されるものです。
入佐さんの36年の実践がそうです。
「でもな、ねえちゃんがこないして道を歩きながら、『おじちゃん、こんにちは』とか『おじちゃん、元気ですか』と声をかけてくれるやろう。それが一番うれしいんやで、それでええんや。」(本書P.73)
「人間ってな、本音でしゃべれる相手がおったら、何とか生きていけるもんなあ。」(同P.46)
入佐さんが「本音でしゃべれる相手」になっていったことが何よりも大切なことだったと思います。
私は忘れもしません。2000年2月、ある友人の紹介で入佐さんに最初に会った日のこと。
釜ケ崎の街を案内してもらったとき、どれほどの数のおっちゃんから入佐さんがあいさつを受けていたことか。
私まで、どこかうれしくなってきましたよ。
入佐さん、本書のタイトルはおもしろい。意義深い。
入佐さんが世話をした多くのおっちゃんたち——すでに亡くなっているひとも多くいる——から声をかけてもらっているのではないですか。
「ねえちゃん、ご苦労さまでした」「ねえちゃん、大事にしいや」と。
私もおっちゃんたちと同じ思いで、いま手紙を読んでいます。
「ほんとに、よくやりましたね」と声をかけたいです。
「人生の総括期」(同P.96)の私たち。1955年8月生まれの2人。互いにもうすぐ64歳。
「残り少ない時間を大切にしたい」と私も願っています。一日いちにちを大切にしていきましょう。
もういちど、退院そして誕生日、おめでとうございます。
(8月8日)