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連載コラム「いまここを味わう」(第7回)道が平和

 心に湧き水をいったん呼び込んだ本は忘れられない。
 たとえどんな小さな本だとしても。
 渡辺一夫(1901〜75)の『ヒューマニズム考――人間であること』(講談社現代新書、以下本書とする)だ。
 ふといま見ると、定価が250円とある。値段で歴史を感じるね。
 10代の終わり、つまり45年も前に、岐阜の書店で買い求め、いままでに4回読み返している。
 64歳になって、ふと思い、5回目の読み直しをしてみた。
 考えてみれば、何かが自分自身の人生で起きたとき、本書の中の問いかけがいつも心に浮かんで支えてくれていた。
 その問いかけは、「それがイエスと何の関係があるのか」である。後に、「それが人間であることと何の関係があるのか」と変容していったテーマだ。
 本書の渡辺一夫さんにとっても、その問いかけが、本質に触れたものだった。
 答えはない。ただ、その問いかけが戦前戦中を生きのびさせる実感を伴っていた。敗戦後をも生きのびさせていった。
 ささやかな私の人生においても同じだった。
 「それはブッダと何の関係があるのか」にも变化(げ)し、「法然+親鸞に何の関係があるのか」にもなっていった。
 ひとが3人いれば、2つの派閥が生まれ、対立。2人の派閥が勝利したとしても、こんどは2人で再び対立が生まれていく。
 これが人間というものである。ひとの世の業(ごう)だ。
 その対立が宗教戦争までになり、イエスの名のもとに殺し合いが生じていったのである。
 両者とも正義。両者とも正しい平和のために誠実に戦うのである。
 つまり、「平和への道はない」ということがわかる。「この道を歩いてゆけば、平和へつながっていく。そんな道はない」のである。
 あるのは「平和が道」であるということだけ。
 イエスを思う。ブッダを思う。いまここを感じる。念仏する。そうして、本書の問いかけを思い起こしていく。
 それが道。平和が道――。
 道ならば、湧き水も生まれくるのである。
 いまの日韓の対立にしても「日韓基本条約ですら、個人の賠償請求権を否定していない」という一点を日本側が表現してゆかなければ、実相が見えてこない。
 個人と国家は別ものであることから、出発しなければならない。それが原点。根っこ。道なんだ。
 そういうひとの原点に立たせてくれるのが、本書の問いかけ。「それが人間であるということとどう関係しているのか?」――。
 10代のある時間、私はしきりに大江健三郎を読んでいた。その大江の仏文学の先生ということで、渡辺一夫を何気なく手にしたのだ。
 渡辺によって、掘られた小さな穴。その小さな穴から、水がこんこんと湧く。
(8月15日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 14:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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