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連載コラム「いまここを味わう」(第8回)こんな日常のこと

 日常のことを書く。
 月例会や講座のこと、それを囲む、準備や後片付けなどのことを記す。
 たとえば、とりいしん平さんの8月例会をめぐったこと、書いてみる。
 内容はすでに書いた(「生きていくことが抵抗」ほっとニュース8月21日号)。
 それ以外のことを書く。
 まず6月にしん平さんに手紙を書く。8月に来ていただけることになる。
 しん平さん、日曜日が教会であるため、いつも土曜日となる。何気なく、電話で8月3日に決定。
 「8月3日が体温より気温が高い日」とは6月の時点ではわからなかったね。
 そもそも「何のために」開くのか。
 その現場の風を味わうことを怠ると、ミスが起きるからだ。判断ミスが私にも起きた(旧カンボジア難民救援会事件、同会は名を変え、いまも生きのびている)。新聞をよく読んでいて、起きたのである。新聞は考えるための材料を提供しているだけなのに。
 新聞やTV、インターネットだけを頼りにしていては、判断を誤る率が高くなる。
 巧妙なペテン、プロパガンダ、捏造改ざんが多いから、現場のひと(現場に近づこうとしているひと)の声を聞いて、臭いを味わったり、色あいを見たりしないと、判断のしようがないではないか。
 自らの生き方を聖なるものに引かれて判断するとき、右の道へ行くか、左の道へ行くかで、自らのいのちさえ左右する。宗教の世界でもやっぱり捏造改ざんが歴史的にあるので、体の感覚を研ぎ澄ましていかんと、騙されてしまうのではないか。
 以上が月例会や講座を開く基本的な理由である。
 しだいに互いに自らを生きて問うこと、いまここを味わうことに、重心を移しているけどね。33年かけて。ゆっくりと。
 しん平さん、自らの言葉を握っていて、しかも存在が立っているひとなので、あるがままにいて、あるがままに歌ってもらい、語ってもらいたい――とお願いしているけどね。
 そう思って、1か月かけ、71通の手紙を書く。
 ともに立ちあい、ともに味わい、ともに感じてほしいと思うので、友人たちに手紙をていねいに届ける。
 いつも「25通くらい出そうか」と机に向かう。ところが、手書きのカードを繰っていって、芋蔓(いもずる)のように次々と増えていく。
 「参加者がたとえばゼロだったら、どうするか」と思う。「ゼロでもやる」と思うと同時に「もう、やめよう、潮時を感じ、論楽社を閉じていく」とも思う。「(参加者)数ではない」と思うと同時に、「どれくらいのニーズがあるテーマなのか」が示現されているとも思う。人生は両者のバランスの中にある。
 しん平さんのとき、幸いなことに参加者15人。
 ところが、問題になったのは、暑さだ。40度の暑さ。クーラーはない。
 手紙以外にFAXがある。そうじがある。いろんな準備をしなきゃいけない。
 暑さが老いを迎えている私の体力を少しずつ奪っていく。
 前日(8月2日)、左京区高野のパン・ド・ラディに田舎(カンパーニュ)パンを買いに自転車で行き、体温より高い気温と日光によって、軽いヤケドのようになって、往復1時間半で帰ってきた。
 妙に疲れた。
 そうしていろんな疲れが出てきて、夜9時に寝てしまった。
 当日(8月3日)になっても、だるい。禁酒節酒しているのに、だるい。
 座敷でヨコになったりしていて、午後2時になり、本番突入していったんだけど、交流会では結局、酔っぱらってしまった。夜9時まで2人残っていたけど、私はついに寝てしまった。
 玄関のカギをかけるまでは責任者としてちゃんと起きていなきゃ。
 こんなこと、今後あったら、たいへん。
 交流会は7時半には閉じよう。
 体の中の疲れ具合をセンサーにし、休むことにしよう。
 体を第一に考えていこう。
 お侘びするとともに、いまここを見つめ、自らの老いも認め、かろうじて、立っている。人生、想定外のこと、いっぱい起きる。いっそう知恵を出し、対応していきたい。
 いちど、こんな日常のこと、書きたかった。
(8月22日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 09:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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