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連載コラム「いまここを味わう」(第21回)母が残した料理ノート

 韓国映画『お料理帖——息子に遺す記憶のレシピ』(キム・ホンソ監督、2018年)。を見た。
 ひとりの母エランは女手ひとつで、30年も続く小さな総菜店を営んで、2人の子どもを育て上げてきた。
 その総菜店がいいんだ。おいしそうなんだ。毎日のおかず、各種キムチに韓国の伝統的な薬膳料理をエランはつくって、提供している。
 がん患者、アトピー患者もわざわざ買いに出てくるほどだ。
 いままでなかったことが起きる。エランは調味料の分量を忘れたり、野菜の仕入れ業者と支払いについて揉めたりするようになる。
 どうも記憶がしだいに薄れてゆくのだ。
 これは怖い。認知症が始まる。
 息子のギュヒョンは万年大学非常勤講師。収入はあまりない。
 この息子にエランは「チュンチョン(春川)へ行きたい」と急に言い出す。
 どうもエランには息子にも他の誰にも言っていない秘密がある。
 何十年もの前に息子の兄をチュンチョンの池で水死させてしまったのである。
 昔の記憶が蘇ってくるのに、いまの「しょうゆ甕がどこにあるのか」の記憶が消えていく。
 もう店の運営ができないほどになり、畳むことに——。
 片付けをしていると、息子が一冊のノートを見つけ出す。
 そのノートが実にいい。
 エランの人生そのものなんだ。
 たとえば、「ギュヒョン(息子)が飛び起きる粥」。サンシュユの実をひとつかみ入れ、粥をつくり、最後に砂糖を入れる。
 サンシュユの酸っぱさも苦みも米の甘みに包まれ、うまいだろう。きっと——。
 たとえば、「ソユル(孫)のおにぎり」。煮干し、ツナをしょうゆで炒める(ソユルは魚がキライ)。飯に痛めたツナなどや野菜をのせ、丸める。海苔を巻く。
 胡麻、胡麻油、きざみにんにくで味をつけた海苔の香ばしさ。うまいだろう。きっと——。
 たとえば、「憎い夫のサバのキムチ煮」。きれいに洗ったサバに、キムチや玉ねぎ、長ネギ。赤唐辛子をたっぷり入れる。煮干しスープとキムチの汁を加え、ぐつぐつ煮る。
 相当に、メチャ辛いと思うけど、うまいだろう。きっと——。
 他に「ヘウォン(娘)が笑う餅」「二日酔いに効く冷製トンチミ(水キムチ)ククス(冷麺)」「ご飯を作るのが面倒くさい時のチャンチグクス(冷麺)」「皮が固くないきゅうりを使ったキュウリキムチ」。
 以上、もちろんフィクションなんだけど、実際に食べることもできないんだけど、私自身のことを思い起こしていったりして、だんだん実話(ノンフィクション)に思えてくるんだ。「虚と実の間の膜は在る」と感じさせるところが、この映画の良さだ。
 私は「岐阜の実家の味噌煮込みうどん」をしきりに思い出していた。自家製の味噌仕立てに、庭を歩いている鶏をつぶし、手打ちうどん、庭の畑の青い太いネギを入れる——というシンプルなもの。父母祖母もまだ若く、家族総出で合作してつくるソウルフードだ。
 話を映画に戻すと、エランの認知症は進むんだけど、グループホームに入り、ふつうの生活を営みながら、認知症を生きていく。ギュヒョンがエランのレシピノートを出版していく——で、終わっていく。
 「古老がひとり死ぬということはひとつの図書館が地上から消えるということだ」と誰かが言っていた。
 エランが綴っていく、家族への愛情が溶け込んだノート。
 大地の恵み、天の乳に、ひとの愛情が加わって、食は初めて生まれる。記憶の集積の結果、「うまい」の声が生まれる。
 いい映画を見た。
(11月21日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 11:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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