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連載コラム「いまここを味わう」(第22回)ある失敗

 宮沢賢治(1896〜1933)の作品に『ツェねずみ』がある。
 地味すぎる小作品なのか。あまり批評論評されていない。
 でも、妙にリアリティのある作品だ。
 「まどってください(弁償してください)」。
 「ツェ」という名のねずみが何かあると、必ず口にする言葉である。
 小心者で、エゴイストのねずみ。何かあると親切にしてくれた相手に向かって「わたしのような弱いものをだますなんて」と言って、責める。そうして挙げ句のはて、「まどってくれ」という決めゼリフを繰り返す。
 ラストはねずみとりに向かって、「まどってくれ」と叫んで、ねずみとりの入口が閉じてしまう――。
 ツェの奇妙で歪(いびつ)な自我感情。心が耕されたことはなく、原始脳だけが存在し、「オレだけ、いまだけ」が空虚に浮遊。他者に文句を言うことによってしか存在できないツェである。
 論楽社のホームスクール(家庭学校)では、たびたび宮沢賢治を読んでいる。いまでも読み合っている。
 35年前のときもやはり読んでいた。創業の思いに満ち満ちていたころの話である。
 当時通ってきてくれていた子どもたちに、あるとき『ツェねずみ』を読んでいた。
 すると、子どもたちに凄く受けるんだ。
 「ツェはひどい、アホや」と思いながら、自らを振り返ると、「私も『もうひとりのツェだ」と思ってしまうところがある。ツェも私も極めつけの凡夫なんだ。
 学校は当時もいまも「目に見えない格闘技場」。競争競技原理を意識して、戦わせつづかせる。イスの数を十二分に確保すればいいのに、イスの数を限定させ、子どもを競わせ、戦わせる。イスに座れない子どもを傷つけるんだ。
 傷ついた子たちが当時集まっていた。
 「遊んでみないか」と私から提案してみた。「ひとつのゲームをやって、(学校のシステムを)遊んじゃわないか」と。
 まず『ツェねずみ』を劇にする(いま、そのシナリオが出てきて読んでいるけど、さまざまなセリフを足し、柱が出てくるところでは自らに「柱」と書いて登場させるなど、おもしろい工夫があって、おもしろい)。
 公演主体を「ねずみ株式会社」とする。8人の小学生が400円ずつ出して、脚本演出からチケット売りまでやる。「資本金」を何倍かに増やし、どこかに寄付する。「そんな遊びをやっちゃおう」。「会社づくりごっこ」をするんだ。
 子たちは提案に乗った。いや、乗りに乗った。
 みんながみんな、「こんなにも、ちからがあるんだ」という発見に次ぐ発見。子どもはスゴイ。
 成功裏(り)に終わり、ある団体に収益金すべてを送って、「ねずみ株式会社」を解散。
 ところが、8人の子たちが1か月して、8人のうち6人が辞めていくのである。理由はわからない。私の知らないところで、何かが起きていたのだろう。ひとりの親は「もうすぐ中学生なので、(ワンランク上の)別の塾に行かせる」と言っていた。
 そうして、その収益金を送った団体(カンボジア難民救援会)がポル・ポト派に繋がっていることが判明。
 現場のこと、わかっていないし、また知らされてもいないことが明瞭になり、「講座・言葉を紡ぐ」「月例会」の活動を始めることになる。いまでも騙されつづけているんだけど、たとえばGM(遺伝子組み換え)食品ひとつわからないんだけども、少しでも現場の匂いをかいでいないといけないと思いつづけている。
 失敗がいまをつくっている。
(11月28日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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