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連載コラム「いまここを味わう」(第23回)バトンを地に置く

 悲しむことは、失っていない存在を強く感じることである。
 ことしの5月16日に亡くなった加藤典洋さんから、2冊の本が届けられた。
 もちろん「加藤典洋(代)」と表記されているけど。
 その2冊とは『大きな字で書くこと』(岩波書店、2019年11月、以下Aとする)と『僕の1000と1つの夜』(私家版、2019年11月、以下Bとする)。
 Bは詩集。「満点の星」「走る猫」「星座のかたち」と万物の生物の生死の変化を無尽に繰り返している自然の働きに心を寄せている。
 いのちの風が加藤さんの根底を吹き抜けている。
 とっても静かな受容の世界。心がすい寄せられる。
 「ねえ/たんぽぽ/私たちはみな/死んでいた/生きているのが間違いだったよ/私たちは/みな/あの人の/夢」(「たんぽぽ」BのP.43)
 Aはエッセイ集。タイトルの『大きな字で書くこと』は岩波のPR誌『図書』連載のエッセイ。中野好夫さん、鶴見俊輔さんと綴ってきたエッセイのコーナーを新たに加藤さんが担当したね。
 おもしろかったな。
 Aにも穏やかな詩が載ってる。「僕の本質は/いま/表と裏を見せながら夜に落ちる/一枚の朴の葉」
 「僕はいま/風の中/誰か遠く人の声を聞く/どこかわからない/でもここが僕の場所/風が吹いても/動かない/かすかな窪地」(「僕の本質」、Aの冒頭に載る)。
 加藤さんは誠実に振り返っている。「だんだん、鍋の材料が煮詰まってくるように、意味が濃くなってきたのである。/それが字が小さいことと、関係があった気がする。/簡単に一つのことだけ書く文章とはどういうものだったのか。(略)大きな字で書いてみると、何が書けるか」(AのP.8)。
 Aにもいのちの風が加藤さんの根底を吹き抜けている。
 こういう「バトンを地面に置くような仕事」はいい。拾えるひとがわがこととして拾い上げることができるから。
 加藤さんに会ったころ、私は岡村昭彦展をやっていた(1989年2月23日〜28日、京都高島屋ホール)。
 タイトルは「俺のバトンを君よ受け取れ――生と死の織物(テクスト)・ヴェトナム戦争からホスピスまで」としていた。
 加藤さんは「誰かにバトンを手渡す仕事」ではダメだと言っていた。「縮小再生産にしかならないから」だ。その批判はあたっている。
 いまはよくわかる。自我感情の表出では叫んでいるだけ。
 私も「バトンを地面に置くような仕事」を小さくしたいと思っている。
 加藤さん、深くて軽い――軽さを表出できたらスゴイ――仕事をやり始めて、「これから」というところで71歳で亡くなった。
 加藤さんの置かれたバトンを見つめ、拾っていきたい。
(12月5日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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