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連載コラム「いまここを味わう」(第24回)覚悟――哲さん(その1)

 中村哲さんに突然の死が12月4日に来てしまった。
 73歳だった。
 誰が狙撃したのか、いまのところ、不明。
 伊藤和也さんのときも狙撃者のひとりがパキスタン難民キャンプ育ちだった。彼らには居場所がない。物乞(ご)いか、(イスラム原理主義)兵士になるか。最も小さくさせられている彼らなのかもしれない。
 私は思い出す。哲さんに最初に出会ったときのことを。そうして、哲さんの覚悟のことを。
 島田等さん(詩集『次の冬』論楽社ブックレット)が哲さんの『ダラエ・ヌールへの道』(石風社)を手渡してくれたことがすべての始まり。「こんなひとがいる」「読んでみたら、ええよ」。長島愛生園での夕食会の後だった。
 島田さんは一年後の1995年に人生を終えた。コツコツとためてきた200万円を哲さんのペシャワール会へ死後贈られた。こういうハンセン病回復者って、希有。
 ハンセン病って、拒否を生む。差別を生む。いまだって、遠ざけ侮蔑するひとは、いる。でも、同時にいのちを深めあい、結びつけあうことがある。
 哲さんは遠くアフガニスタンのハンセン病者の治療に往き、それを知るハンセン病者だった島田さんが繋げていってくれたのである。
 拒絶を生むけど、出会いも生むのである。
 哲さんにさっそく連絡をとり、京都市国際交流会館で「帰国講演会」に参加した。わずか4人の参加者。1996年のことだ。哲さん、淡々とスライド上映し、話していた。
 会の最後になって、あるアフガニスタン人の留学生(といっても私には40、50歳の風貌に見えた)が発言。
 「あなたは誰の、何の許可を得て、アフガニスタンに入り、治療活動をしているのか」と聞く。
 哲さんがていねいに答えるのに、10回、11回と全く同じ質問を繰り返す。何に腹を立てているのか不明やけど、まるで尋問である。偏執的な取り調べである。
 哲さん、腹を立てる様子もなく、「あなたに納得していただけなければ、(アフガニスタンへ)入りません」。そうして(コレをありありと想起しているんだけど)「私は殺されてもかまいません」と言うのである。
 納得していないアフガニスタン人から「殺されてもかまわない」と言い切るんだ。
 なんという愛情。なんという覚悟。
 アフガニスタンで赤痢が発生し、薬が不足し、「オレには回ってこない」と立腹したひとが発砲。診療所の職員が死亡した事件があった。
 そのときも哲さんは「撃ち返すな」と即座に明言。そのとき、「(復讐法を知らない)阿呆を見るようだった」と哲さん、言っている。そうして「(復讐法に基づいて)撃ち返すなら、私を撃ってからにしなさい」と覚悟を示し、職員たちを治療活動に復帰させていった。「右の頬を打たれたら左の頬を出せ、と言ったイエスはいのちがけだったんだ」と後で実感したとも語っていた(論楽社の講座における発言)。
 哲さん、放下(ほうげ)した古武士のよう。武骨な遊牧民たち農民たちに信頼されるのもよくよくわかるのである。私も「このひと!」と思った。
(つづく、12月12日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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