哲さんが亡くなって、2週間は気合が入っていた。「よし!」「行くぞ」と心の中で言っていた。その点いまだに私は体育会系である。
ところが、2週間たったあたりから、ふうっと涙が出たりしている。さまざまな思いがいっそう湧き上がっている。
哲ちゃんのこと、思いつづけている。
3回目は「ある視座について」。
哲さんと対話していて、あるとき、ある直観が走った。そのことを書いてみたい。以下、仮説のような直観――。
哲さん、6歳のとき、大病をし、意識をしばらく失っていたことがあった、と聞く。
何病なのか、わからない。
何らかの重病にかかり、ショック状態に陥っていたと考えられる。
退院したとき、大切な祖父(玉井金五郎さん)がなんと亡くなっていた。
「あの世に行った」と聞かされ、子ども心に「合点が行かなかった」と言う。
そうして、哲さん、子ども心に「この世とは何か」「ひとはどこへ逝くのか」と考えるようになったのである。
小さい時の、大好きで慈悲深い肉親との死別体験はきわめて大きい影響をそのひとに与える。法然も親鸞も道元も、そうだ。全身全霊で「この世とは何か」とどうしようもなく考えぬいてしまうのである。親問題になるのだ。
その後、古老の姿(これが超自我の像)が哲さんの心にしきりに浮かんでくる。
哲さんがよいことをすれば、古老が笑い、そうではなければ、古老が諭(さと)すんだ。
これは理屈ではなく、生死の際で示現された事実なのである。
ところで、内山興正(1912〜98)という禅者、いるよね。知っているだろうか。
『進みと安らい――自己の世界』(サンガ、新装版が2018年に刊行された)の中に、マンガのような絵がある。この絵がいい。
「アタマの展開する世界の根本には『わが生命』があったのだ」という絵なんだ(注、第5回、味わって見てみて、この絵がどうしても必要だから)。
私やあなたが生息している「勝った、負けた」「追ったり、逃げたり」「金持ちか貧乏か」「幸福か不幸か」と原始脳全開の世界全体をまるごとひとつの世界とし、支え、持ち上げている「わが生命」があったんだ、というマンガ絵である。
この世の世界をまるごと相対化している。その支えている「わが生命」を、アミーダ(阿弥陀仏)と言おうが、神と言おうが、名前は何でもいい。この透徹した視座の絵はスゴイ。
哲さんはその存在をあるがままに相対化せしめる視座を、早くして保持し、きっと殺されるときまで生涯保持しつづけたんだ。これが私の仮説。
精神科医になった哲さん、ひとりの患者から問いつめられる。「先生、なぜ生きているのですか」と池に入ってそのひとは問うたという。
「自分でもわからない。でも、きょうのところは私の顔をたてていただいて池から出てはくれないか」と哲さん。そのひとは「しかたない」と出てきた、という。
そのとき哲さん、「自分」や「個人」なんて実態があやふや。「私」なんてない。自分さがししたって、何もそもそもないんだ。
あるのは「人間とは関係である」(講座で最も心に残る言葉)。関係、つまり相互依存的連係生起だ。これらのことも、この視座が生み出している。
関係の風に吹かれて、アフガニスタンに行くのも自然なこと。「意識を無意識の豊かな世界に戻す」(フランクル)という視座があったのだ。哲さんには。(つづく)
(注)内山興正さんの絵。
(12月26日)