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連載コラム「いまここを味わう」(第27回)応答――哲さん(その4)

 2020年、明けまして、おめでとうございます。
 懐かしい友よ、お元気ですか。
 新しい年の、新しい朝の、新しい時を、今年も森の湧き水を明子とともにいただき、歩き始めました。
 いまここの時を、縁生まれてあるひととともに、味わっていきたいな、と思っています。
 2020年もよろしくお願いします。


虫賀宗博

 

 哲さんのこと、引きつづき書く。思いは溢れている。
 年を越えて、4回目。
 悲の水を汲んでいきたい。
 哲さん、チョウが好き。昆虫観察が大好き。登山も大好き。
 日本で専門医として腕を磨いたりし、休日にチョウを追っかけしていても、それはそれで十分に深い人生であったはず。
 しかし、深い縁あって、アフガニスタンへ行くことに。
 福岡において、アフガニスタンのヒンズークシ遠征登行隊が企画結成された。
 その随行医師の募集があり、参加したのが、すべてのきっかけ。1978年のことである。
 「ティリチ・ミール(ヒンズークシ山脈の最高峰)あたり、珍しいチョウの宝庫なんです」と哲さん。
 現地のとてつもなく雄大なカラコルムの山岳の風景の中に、まるで心の故郷へ帰ってきたような感動を覚えるとともに、心をえぐる現実の風景に出会う。何か。
 無医村地区の現地のひとびとが結核、ハンセン病、トラコーマ(眼病)、マラリア、腸チフスを病み、困窮し、「助けてくれ」と群がってくるのである。
 手元の薬をどんどん与えたり、処方箋を渡したりしたけど、「処方箋だけ持って、どうしたらいいのか」と逆に問い返される始末。薬だって、すぐに底をつく。
 そうか、医療と金とは全く縁のない暮らしのひとたちなんだ。
 どうするか。
 「じゃあ、このへんで」と現地のひとたちと分かれることが哲さんはできなかった。
 多くの日本のひとのように「じゃあ、忙しいので」と別れたって、何も問題はないのに。
 哲さん、そのひとたたちのことを忘れることができないのである。
 「されたようにする」(2回目、昨年12月19日付コラム)を思い出して。ひとは扱われたように扱うのである。
 哲さんの人格の土台部分(家屋ならば一階部分)が動く。
 「また、来るから」といったん別れ、ほんとうに1年後に、今度は私的旅行者として薬をもってくるのである。
 もう1年後にも、さらにもう1年後にも来て、ついに1984年にパキスタンのペシャワールの病院に赴任していくことになるのである。
 生涯を通じて哲さんは「なんでアフガンなんですか、その原動力って何ですか」と質問を受けつづける。日本人のみんなには、わからないから。全くのところ、「何で、また」と聞きつづけることになる。
 哲さん本人にとってみれば、「道に倒れているひとがいたら、手を差し伸べる、それは普通のことです」となるのだけど。
 「自分の強さではなく、気弱さによってこそ」歩んできたんだけれども。
 『セロ弾きのゴーシュ』のように、次々と動物たちが現れ、仕方なく相手をしているうちに、なぜか結果としてチェロが上達してしまうゴーシュのようなものだけれども。
 でもでも、考えてみれば、思い通りに運ぶ人生なんて、ない。「まさか」の坂の登りの連続だ。
 人生そのものが天(哲さんにとって「天」、仏、神、すべてのいのちと言いかえても可)からの問いかけ。
 その問いへの応答が私たちそれぞれの人生。
 その人生において、「守るべきものは何か」を哲さんの人生は示現している(つづく)。
(1月2日)

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