論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
<< 水源の中村哲さん――2020年1月例会レポート | main | 受容の服――行司千絵さんの2月例会へ、ようこそ、ようこそ(その1) >>
連載コラム「いまここを味わう」(第31回)普遍、神聖な何か――哲さん(その8、最終回)

 宮沢賢治の童話『注文の多い料理店」をめぐって、中村哲さんは「いまの日本のようだ」と何度も論楽社において言っていた。それは何か。
 東京からやってきた紳士たちが幻影を見ていくところだ。実在していない西洋料理屋が野原の中に実在しているかのように彼らの目に映っていく点である。「よっぽど高級店なんだ」と自我感情によって幻覚をますます大きくしてゆき、ついに食べられる寸前までに自らを追い込んでいく姿を、哲さんは言っているのである。
 ワシらはいつ幻覚の夢から覚めるのであろうか。
 平和であることと、戦争経済の継続発展とは矛盾し、両立しえないこと――これも哲さんが何度も何度も言っていたこと――に、一体いつ気づくのであろうか。
 どうすればよいのだろうか。
 賢治が紡いだ童話を哲さんは「わがこと」として読み込む。あるときは自らをゴーシュの中に見、天からの問いかけに応答していく。あるときはどんぐりの裁判のように「馬鹿で、なってなくて、頭のつぶれたような奴が一番偉いんだ」という言葉に自らが慰められていく。
 賢治は哲さんにとって同行二人のひとであり、哲さんの血肉になり、自らを律していくことになっていく。
 異国の地にあっても「ひとはひとである」という普遍を賢治作品は哲さんにもたらす。
 普遍って何か。真下へ真下へ降りていくときに湧き上がる「善悪を超える神聖な何か」(『天、共に在り』P.187)。
 「神聖」という言葉を哲さんは大切なポイントで出す。
 現世に在るのに、そうではない世界へも至る「何か」なんだ。宗教、文化風習の下に流れる川のようなものを示す「何か」。
 ソレに触れれば、感じれば、味わえば、幻想の夢から覚めるんだ。きっとね。それはきわめて大切な、普遍なんだ。
 哲さんは後半生をまるでアフガニスタン人のように生きて、そうして動いた。でも、その暖かい目線はアフガニスタン人のではない。違う。ある普遍の視線なんだ。その視座は生きてあるアフガニスタンのひとたちの心を打つものだったのだ。
 相つぐ戦乱対立の表層にこだわることはない。深層の水、農に気づき、平和で緑ゆたかな村を再生復元させることによって、その表層の争いを相対化させていく。無化していき、脱相対していき、争いの無意味さを米軍にも痛感させ、帰らせていく可能性すら生み出す。そんな他の誰もが見い出せなかった道を哲さんは開いていったのだと思っている。とてつもない思想の実践だった。
 哲さんは日本のありようを心配していた。アフガニスタンも大変。地獄のよう。でも、日本のほうがもっと、もっと大変。多層的危機の地獄だ。
 日本の場合、水も農も村もすべてを捨ててしまっている。食料ですら輸入に頼っている。しかも、ヒロシマ、ナガサキにフクシマまで加わった状況を見通す視座も持たない。みんな、スルーして、ラグビーW杯、オリンピック、万博と空騒ぎしている。打ち込まれた杭をどう抜くのか。誰もわからないし、責任なんて誰もとらない。米国の植民地とすら気づいていない。日本の資産も未来も知らぬ間に売られ、気づいてもいない。
 そういうわが粗国(祖国と書きたいけど)の日本に哲さんは、ある普遍の目を持って、『注文の多い料理店』というわかりやすい例示をし、「目覚めよ」「気づけよ」と言いつづけた。
(1月30日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 11:20 | comments(0) | - | - | -









      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< August 2020 >>

このページの先頭へ