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連載コラム「いまここを味わう」(第33回)心の障害にさようなら

 ひょんなことで、あるひとからカレンダーをいただいた。
 そのカレンダーは日めくりカレンダー。
 タイトルは『苦しみを超えて』。
 書き手(語り手)は、タイのカンポン・トーングンヌムさん(以下はカンポンさんとする)。
 「悟りとはただの言葉、真実は苦しみがない」というカンポンさんの言葉に、写真が添えてある。
 そのカンポンさん、亡くなって、タイの国葬になったというではないか。国葬そのものはどうでもいいけど、いかに慕われつづけたかがわかるね。
 具体的にはそれ以上(以外)のことはわからない。
 実は私、カンポンさんを知っている。会ったことはないけど。
 13年前にカンポンさんの本を読んでいるからである。
 『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』(佼成出版社、浦崎雅代・訳、2007年、以下本書とする)である。
 カンポンさん、1955年生まれ(私と同じ年)。舟の民(水上生活者)の子としてナコンサワン県で生まれる。苦学して、体育教師になる。
 ところが、24歳のとき、「これから」というときに、思いがけない事故によって、全身麻痺(まひ)。
 首から下の部位が動かなくなる。立つことも、歩くことも、排便することもできなくなる。
 ちょうど日本の星野富弘さんと同じような症状である。
 星野さんがイエスの愛によって闇を光に変えていったように、カンポンさんはタイ仏教の気づきの確立(サティパターナ)によって、闇を光へ变化(げ)させていった。
 いま、カンポンさんの本書を再読し、13年前には素通りしていったところが次々にページに現われ、心に沁みていった。何を私は読んでいたのか。何も気づいていなかったのである。でも、いまここに再会できて、「よかったあ」と思う。13年前はタイ仏教書と思った。いまは「タイ仏教」が私の中で消えた。宗教以前の、苦に立ち向かうひとの物語として、せまってきた。
 苦痛絶望の日々、カンポンさん、父ゆずりの仏法に救いを求め、すがる。横たえた身体で、必死に瞑想する。でも、うまくいかない。
 縁によって、ルアンポー・カムキエンさん(ごぞんじスカトー森林寺の「気づきの瞑想」の師。11年前に同寺へ行ったとき、いちどあいさつしている)に出会うのである。
 「苦しみが起こってきても苦しんでしまう人とならずに苦しみを観る人になるようにしましょう」(本書P.81)。
 カムキエンさんはこういう手紙をカンポンさんに出し、自らの後姿でカンポンさんを導く。
 精進努力していると、「私の状態を見守るもう一人の自分(すなわち「観る人」)が生まれたのです!」(同P.92)。
 「観る人」によって、自らの苦痛を見つめる。同一化から相対化が生まれ始める。相対化が無尽蔵に生まれつづき、ついに無化していくのである。
 「障害をもった体を観る人となり、障害者ではなくなりました」(同P.112)。
 解放されたのである。すごい心のドラマ。
 「いまいっそう手放していこう」と改めて思うカンポンさんとの再会。
 「苦しみの生ずるところに、不苦の状態がある」(同P.119、カムキエンさんの言葉)。
(2月13日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 13:54 | comments(0) | - | - | -









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