論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
<< 連載コラム「いまここを味わう」(第46回)自分自身の魂の救い | main | 連載コラム「いまここを味わう」(第48回)獄中での気づき――自らのいのちの井戸を掘っていくこと >>
連載コラム「いまここを味わう」(第47回)クリンソウの咲く山――ウラヤマ(その9)

 私の登山はヒマラヤ逍遥ではない。あえて普通に言えば、ウラヤマ徘徊。これは、自虐のオヤジギャグでは決してない。ただ事実なのである。
 そのウラヤマへの小さな、半日の旅。9回目である。
 5月のとある休みに、京都の北山の魚谷山(いおだにやま、うおだにやま、816メートル)に登った。
 大昔に今西錦司さん、西堀栄三郎さん、桑原武夫さんたちが盛んに登り、山小屋を建て、「雪山讃歌」が生まれていった山岳である。
 今は昔、静かな山岳に戻っている。
 樋ノ水峠から貴船山へ登ったとき(連載コラム「いまここを生きる」(第300回)ウラヤマ(その3))、北西方向にスッキリとした山塊が望めた。魚谷山である。
 その山へ初めて登ってみる。
 登山の朝はいつも、いつも緊張。どんな低い山岳であろうが、山への敬意を持ち、用具をチェックし、気合いを入れ直し、出発する。
 しかも、玄関先から、今回はなんと自転車で出発。バスが廃止になっているため。
 朝6時にキックオフ。全き青空の日である。
 下弦の月がうっすらと朝日に浮かんでいる。
 雲ヶ畑の出合橋を北上し、8時に自転車(ママチャリだ)を杉の木のヨコに置く。
 いよいよ山域。頭を下げ、入山。
 直谷沿いに登り上っていく。谷に朝日が入り、汗をかき始める。
 瑠璃色のカワセミが中津川の中央部を美しく飛ぶ。
 カジカ(ガエル)が鳴く。カジカの声はなつかしい。はるかかなたの昔のときを呼び起こすかのよう。
 ヒトリシズカの白い小花が連続的に咲いている。
 クリンソウも峠道沿いに、これまた連続的に咲きつづけている。
 紅紫色の花だ。40センチから60センチの丈(たけ)。それぞれがしっかり座して、70〜80個も連らなって、咲いているのである。朝の光を集めて、仏花のように座している。
 吉野弘さんの「石仏」という詩が昔から好きだ。
 クリンソウの紅紫の花たちがまるで「石仏」の詩のように、見えてくるのだ。光の森で「クリンソウ」たちの話し声が聞こえたかのように。なごみながら、思わず手を合わせる。詩は晩秋だけどね。

うしろで
優雅な、低い話し声がする。
ふりかえると
人はいなくて
温顔の石仏が三体
ふっと
口をつぐんでしまわれた。
秋が余りに静かなので
石仏であることを
お忘れになって
お話などなさったらしい。
其所(そこ)だけ不思議なほど明るく
枯草が、こまかく揺れている。

 私ははっきり気づく。この2か月間、コロナが生んだ、ぼんやりとした、言葉にもできないような不安があることを。
 そうして、クリンソウに自らの不安を、内的対話しながら、吸い取ってもらっていることに気づく。安心が湧く。
 この安心感は9年前の原発事故のときに、琵琶湖の北の赤坂山(824メートル)に登って、頂上から若狭の原発を見つめたときの気持ちに似ている(連載コラム「いまここを紡ぐ」(第303回)初めての山・赤坂山へ――原発と残雪と温泉と)。
 山の気を受ける。ただそれだけで、安らいでいくのである。
 私の登山は何かあると(格別のことはなくともただ疲れているだけでも可)、山岳をウロウロ徘徊し、汗をかいて、山へ気をもらって元気にさせてもらって、帰ってくるのである。
 その日も10時に柳谷峠に上がり、魚谷山に登頂。11時には早くも魚谷峠へ下っていった。
(5月21日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:59 | comments(0) | - | - | -









   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< July 2020 >>

このページの先頭へ