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連載コラム「いまここを味わう」(第50回)いまなお限界がある自力の救いを

 本田哲郎さん(神父)が、ある寺の法要で2011年7月に話した記録がある。
 A4版でわずか15ページ。タイトルは「愛することより大切にすることを求めたい――平和を実現するために」とある。
 本田さんの他の大切な書類、レジュメ記事とともにファイルしておいて、スッカリ忘れていた。
 誰かから送っていただいているのだろうけど、申し訳ないけども、失念している。そのひとに心から「ごめんね」「ありがとー」といま言いたい。
 この記録、おもしろい。
 実におもしろいのである。
 本田さん、こんなこと、言っている。
 修士論文が「親鸞聖人とアシジのフランシスコ」とまで言っているではないか。
 びっくり。全く知らなかった。
 大切なところ、少し長くなるが、引用してみる。
 「従来の仏教が『これはだめ』『これは我慢しなさい』と言ってきたことであっても、親鸞聖人は『仏様はそんなことを要求されていなかったでしょ。もっと大事なことを伝えようとされてたでしょ』と、そんなところで動かれた方のように私には見えるんですよ。人を宗教で型にはめることを戒め、人としての尊厳を何よりも大切にされた方だと思いました」。
 「仏さまがいちばん望んでいらっしゃることを、社会で小さくされ、『悪人』呼ばわりされがちな彼ら、彼女ら(引用者注、「痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りの中にある人々」のこと)がいちばん知っていて、いちばん求めていることではないでしょうか(同注、「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」のこと)。仏さまが、キリスト教的な言い方をすれば、父である神が望んでおられることは、実は痛みを知っている仲間たちが訴えているそのことだったんだ、ということですね。おそらく、仏教の教えもキリスト教の教えも、行き着くところはそういうところにあるんじゃないでしょうか」。
 どうだろうか。
 私は「はっ!」となった。「ドキッ!」とした。
 私が探し求めていたのはコノコトだったんだ。うすうす気づいていたけど、コレだったんだ。
 実にシンプルな、私にとって「ほんとうのコト」。
 親鸞の人生で最も重要だと思うのは、東国(上野から常陸にかけての関東各地)の25年間である。越後流罪が終わっても、京都には戻らない。縁あって、坂東武士の地へ行った。
 裸一貫、非僧非俗のひととして、何を語ったのか。「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら」という実感を紡いで歩いたことだけは確かだけど、記録が具体的にない。
 宗教は行(ぎょう)。実践である。
 還暦過ぎて京都に帰り、90歳までは書き残すことに集中していくんだけども、書き残されたものだけで解釈分析をやりすぎると学問のための学問になってしまっているのではないか。自我感情だけが巨大化した教団になってしまっているのではないか。
 坂東での親鸞の日々は教団以前の、茅ぶき小屋の道場の香りに満ち満ちていて、ちょうど本田さんが現在(9年前だけど)語っているような語りをしていたのではないか。
 1214年親鸞は読経しようとした。読経を否定し、ひたすら念仏を説いていたのに、自らの体が読経しようとした(これだけが記録されている)。あまりの干ばつ。初夏にも雪が降り、あまりの冷害。米の生育はゼロ。餓死者、相次ぐ。飢饉疫病の蔓延の前に、きっと親鸞は泣いた。泣きくずれたはず。そうして読経(それは中断された。理由は『歎異抄』第4条を見て)。
 弾圧に屈しなかった親鸞も、飢餓に命を落としているひとびとの前に崩れそうになった。この揺れる心。これこそが慈悲心。
 親鸞は中村哲さんのように水路を開かなかったけど、心の水路を開いた。自力に限界はたしかにある。しかし、他力にも「間に合わない」という限界があると思ってる。低く小さくさせられているひとびとが求めているのは、食べもの。メシ。極楽ではない。他力信心は絶対として在る。いのちに包摂されながらも自力を否定してどうするのか。「ボランティアは自力ですから」と否定して、どうするのか。慈悲心こそが仏教。他力に支えながらの、自力共力協力の方法は無尽蔵。その示唆を本田さんはしている。
(6月11日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:05 | comments(0) | - | - | -









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