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連載コラム「いまここを味わう」(第61回)畦地梅太郎の山男――自分と大地と風とともに歩く

 畦地(あぜち)梅太郎さん(1902〜99)という絵かきがいる。版画家でもある。
 半世紀以上前に『アルプ』(創文社)という山の雑誌があった。編集長は串田孫一さん。
 その『アルプ』に「山男」の絵と文をずっと畦地さん、描いていた。
 私はその「山男」の絵が好きだ。
 顔に黒長のタテ筋があり、灰色の顔で手を挙げて叫んだり、寝ころんだりしている野の男だ。
 その『アルプ』の1961年1月号(新年特価でなんと100円と印字してある)を17年前に松本市内の古本屋で、求めたことがあり、大切にいまここにおいても眺めている。
 その60年前の「山男」の絵がある。
 まるで猫を呼ぶように山中の雷鳥に「おいで、おいで」と両手を出し、声をかけ、迎え出ている山男だ。顔はいつものように灰色の顔に、黒のタテ筋があるから、白髪と白の目立つ髭か。左手にはザイルを巻き込んでいる。
 その絵に添えた畦地さんの文。全文、引用する。
 「こんな山男が、あるもんじゃないと思うのだけど、ときには、うそも絵にかきたい。うその絵だけれど、それが、絵の上では、ほんとうになるのだと思う。/わたしは、大地の一角を歩くのに、自分というものと、大地とを、いっしょくたにした山歩きをしたい。こんな風の山男のように。」
 私も風と大地と「いっしょくたにした山歩きをしたい」と願ってきたから。だから、心引かれたんだ。
 山は生きものである。すべて海も川も湖も大地も、全体として有機的に支えあっている生命体である。畦地さんははっきりそう認識していると思う。
 畦地さんの『山の眼玉』(平凡社ライブラリー、1999年)しか読んでないけど、山岳を登山の対象物、つまり物体物質として見る眼ん玉は持っていない。登攀し、登頂し、征服するだけのアルピニストではない。信仰登山や生業としての山登りの価値を低く考えない。しかも、著名な山、高い山岳が目的ではないんだ。絵を描くために登るんでもない。
 ひたすら思索し、愉快にもなり、淋しくもなり、感動する。生きてあることを生きるための登山と言えばよいのか。
 そんな山登り、山歩きだ。
 そういう気持ちを自然に出して、「山男」は描かれていった。畦地さん自身から抜け出し、山をたゆたゆと楽しむ「山男」だ。ふつうの自画像とは違う、もうひとつの姿の自画像。
 畦地さんは山岳によってきっと救済された。でないと、こんなおだやかでのびやかな絵は生まれなかった。
 そう思っている。
(8月27日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:06 | comments(0) | - | - | -









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