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連載コラム「いまここを味わう」(第62回)劫火の中の母語の日本

 現首相が辞任する――という記者会見をTVで見てしまった日の夜に、夢を見た。8月28日(金)の夜半のことである。
その会見の終盤、イヤなものを見てしまった。
 ペラペラと辞任の理由説明をしていた首相。あるジャーナリストの質問の中に「権力の私物化」という言葉があり、それがどうも気に入らなかったようで、つくり笑いの表情とは違い、両目が左右にグビグビと3回大きく動いていたのを、見た。
 「このひと、やっぱり、ほんとに気色悪いひとや」と思って、眠りにつく。
 TVって、ウソも平気でつけるし、ウソも平気であばく。おもしろいメディアである。
 その夜の夢である。
 《暑いから、体の中から紙を取り出して乾かしている(「なぜ紙を体から取り出さなきゃいけないんだ」と思うけど、夢はいつもヘンでオモシロイ)。しだいにもっと暑くなっていく》。
 そうして、以下の後半部はしばらく前に読んだ絵本の世界だ。
 《ああ、火事だ。山火事である。森から火が上がっている。みんな、焼け出され、湖に腰まで、胸まで水につかって、難を逃れている。友人もそうでないひとも、みんな、水へ、水の中へ。森からなんとウサギもキツネもシカもリスも避難し、人間も動物もいっしょに朱色に燃え上がる山火事を見つめている》。
 なんともおもしろい夢。気持ちがいいのが残っている。どんな意味があるんだろうか。
 実はその絵本はレベッカ・ボンドさんの『森のおくから――むかし、カナダであったほんとうのはなし』(ゴブリン書房、2017年)という。作者の祖父が5歳のときに実際に体験した「ほんとうのはなし」。
 山火事で逃げ場を失ったヤマネコ、ヘラジカ、オオカミ、クマまでもがみんな湖に入ってきた、という。
 どのいのちも攻撃性のスイッチを解除し、それぞれにそれぞれの場所を与えて、等しく生きのびる道をつくっていくのである。
 なんという深い知恵か。
 こういう話は、実際、私たちが生きている社会の危機を乗り越えさせていくと思う。
 眼前の現実としての危機。すさまじい多層多重の危機。
 その危機のど真ん中の日本。山火事が起きているかのような日本。
 知恵者はいず、隣りに友国のひとつもない。
 私の父母なる「くに」は死んでしまい、殺されてしまったという実感である。もちろん現首相も彼に連なる日本の国家制度も、支持できない。
 勝ち目の一切ない戦いに自らの判断で突入した日本、しかも落とす必要のない原爆を落とす米国にひたすら盲従してしまっている日本である。いずれ日本語も存在理由も、すべて劫火(ごうか)の中に消えていくのかもしれない。イヤだけど。
 現首相は「日本を取り戻す」と言っていたね。「いいこと、言うやん」と思っていた。ただし、方向が全く違うけど。私の取り戻す「日本」は、言葉の中にしかないのかもしれない。しかし、私の生きる場所は、その言葉の中にしかない。だから、いまも、書く。書くしかない。
 あえていま母語としての日本の風景を記してみる。夢の母語の世界。父母なる「くに」の原風景。
 「民芸、妙好人、梅干しや糠漬け、純米酒、銭湯や畳障子を生んでいった無名のひとたち。『かさじぞう』の民話や落語の笑いを育てていったひとたち。原爆を2つ落とされても、水俣病に侵されても、復讐しようとせず、生きぬいていったひとたち。田中正造、宮沢賢治、松下竜一、森崎和江、中村哲、阿波根昌鴻、河野義行、緒方正人、近藤宏一のようなセンパイたち」。
 山火事の劫火の前に湖の中に佇む私の母語の日本。
 守り、取り戻したい日本。
 私は生きたい。
(9月3日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 09:22 | comments(0) | - | - | -









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