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連載コラム「いまここを味わう」(第63回)井戸を掘って、水があるんだから

 論楽社のホームスクール(家庭学校)において、日常的に行っているブックレポートについて、書く。
 まずはその本の著者筆者が「何を伝えたいのか」を受けとめ、キャッチしたことを、200字ならば200字、400字ならば400字、あらかじめ定めておいた字数で書き現すことをやってみる。
 写真集や絵本だったら、それを言葉にどうするのか。
 詩集や物語だったら、どうするのか。
 新聞や雑誌のコラム記事だったら、どうか。
 チャレンジになるかもしれない。
 小さくて低いチャレンジだと思って――。
 問題はその後だ。その次に、その子(生徒さん)自身が「どう感じたか、どう思い、味わったか」である。200字ならば200字で、書き出すんだ。
 案外に難しい。
 なかなか「私の思い」が形にならない。
 私の思いがないひとはいない。なのに出てこない。
 「出してはいけないんだ」という抑圧がきっとあるんだと思う。「好きなことは何?」と聞いても出てこないひとが多い。同じ理由からじゃないか。
 だから、練習しないと、出てこないと思うのである。
 私は「井戸を掘ってごらん」と言っている。「水があるんだから、ちゃんと」と。
 小さくても細い井戸を掘ることができたら、水がこんこん湧き上がってくる。
 その水が「正しい」とか「違うんじゃないか」ということは一切ない。
 それぞれのひとの滋味で、それぞれが旨いんだと思う。
 細い井戸を1本掘ることができれば、その井戸は一生もん。なんとか生きてゆける――。
 私は夢見ている(以下のリーダーは代表者ぐらいの意)。
 いまのリーダーというのは征服民族型の極(きわ)みのようなひとばかり。
 感受性が鈍いので、ひとの痛みを「わが体の足の小指の痛み」のように全く感じられない。けれど、逞しい。いまの政治経済のリーダー、体力自慢だらけ。
 そうして同じようなタイプの感受性の鋭くはない、従順な働き手たちをコントロールし、働きアリ(ハチ)にしている。
 そうではないひと、征服民族型ではないひと、あえて言えば先住民族型のリーダーがこれからどんどん輩出してほしい。M・ガンジー、ダライ・ラマ、阿波根昌鴻というひとたちのことを、心に浮かべてもらえば、うれしい。
 感受性共感能力が豊かなままに逞しさを身につけていること。競争原理の優生主義の嵐の現在(いま)においても、自分たちが幸せに生きていくための力を失わない「やさしい逞しさ」があってほしいという願いだ。そういうひとがゼロではないことに希望を持つ。
 生きのびるための技術のひとつが、心の井戸を掘ることだ。掘りつづければ、枝葉は決して枯れないし、実だって生(な)る。
 女性の中から、学校に行っていないひとの中から、沖縄の中からこそ、困難に立ち向かうことができるリーダーは育つ。
 たとえば、こんな夢だって。ふつうの通り(たとえば三条橋の河原)から、「武器で戦う」なんていうアホらしいことと武器を軍人たちに放棄させる音楽が生まれることを。心の井戸水さえ汲み上げれば、きっと可能だ。
 そんな音楽、いちど聞きたい。
 そうして次の衆議院選に10年後のリーダーたち、立ち上がってほしい。
 以上のこと、ひそかに思いながら、ブックレポートの作文を見ている。
(9月10日)

 

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 11:23 | comments(0) | - | - | -









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