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連載コラム「いまここを味わう」(第71回)一瞬一生――2冊の画集から

 2冊の画集をいま眺めている。
 神田日勝(かんだにっしょう)さんと常田健(つねだけん)さんの2人の画集である。
 神田さんは北海道、常田さんは青森の農業の現場に生きた農民である。
 2人とも農民画家と呼ばれるのは嫌ったであろう。画家は画家でしかないんだから。島田等さんをハンセン病詩人と呼ぶ必要はないのと同じだ。詩人は詩人でしかないんだから。だから2人の肩書きは農民。そうして画家。
 まず神田さん(1937〜70)。50年前に32歳8ヶ月で亡くなっている。
 10月18日のTV「日曜美術館」を何気なく見て、ベニヤ板に刻んでいった自画像を目にして心を奪われた。
 なんていう孤独か。なんという自閉か。いまここの一瞬を一生と感じる孤独感とあえて呼べばよいのか。
 その自らの姿を、自らの手で表出しているのだ。
 周りは新聞紙。カローラ(トヨタの車名)、トクホンチール(薬名)といった半世紀前の新聞紙面を再現し、マッチややかん、時計、タオル、紙袋を置き、裸足で両手を組んで佇む「私」である。青色のタートルネックのセーター、茶色のスボンの「私」。
 タイトルは「堂内風景」(1970年)。
 地域の図書館で頼んだら、『神田日勝画集』(北海道新聞社、1978年)の1冊のみが京都市内にあるようで、借りることができた。出会えて、感謝する。
 私の両親は農民(ちなみに祖父は耕しながらの大工、曽祖父は耕しながら家で寺子屋を開いていた)。いま私は耕してはいないけど、耕すことがひととしての基本だ、立派な仕事だと思っている。農業や農民をバカにするひとを見ることが、とっても悲しい。本体は百の生(いのち)を育てていく仕事である。絵を書くことも、家を建てることも、子どもを育てることも、その百の生のひとつなんだと思っている。ついでに言うと、「農民や農業をバカにしている社会は崩壊する」とさえ思っている。
 神田さんに喚起され、常田さんの『土から生まれた』(平凡社、2002年)を本棚から出してきて、眺めている。
 本屋でふとしたことで出会った。タイトルに魅かれた。以来18年、ずっと眺めている。
 たとえば、「稲刈り」(1950年)。
 6人の男が足を開き、広げ、腰に力を入れ、稲を刈っている。刈られた稲の根が放つ匂いが漂ってくる。赤ちゃんが布に包まれて寝ている。その赤ん坊の姿がいい。
 「母子」(1970年)という絵もあって、母ちゃんがただ高々(たかたか)をしているだけ。これもただそれだけでなんといい気分。
 常田さん(1910〜2000)は包摂された、のびやかな画家。23歳のとき、軍事教練に反対反発した農民青年の争議に関連し、検挙抑留されることもあった。でも淡々としずかに89歳まで生きぬいたひとだ。
 神田さんといい、常田さんといい、野良のひと。体を張った労働の後の1時間、2時間に絵筆を持った。描かざるをえなかったから。
 言いわけをせず、ごまかしもせず、開き直りもせず、一瞬一生に生きた。2人とも原人生(人生以前の人生と言えばようか)を生ききった。
(11月5日)

| 虫賀宗博 | - | 19:34 | comments(0) | - | - | -









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