雲
空が青いから白をえらんだのです
その少年。薬物中毒の後遺症がある。父親から金属バットで殴られた傷跡が頭部にある。
「ぼくのおかあさんは、今年で七回忌です」「おかあさんは体が弱かった。けれども、おとうさんはいつも、おかあさんを殴っていました。ぼくはまだ小さかったから、おかあさんを守ってあげることができませんでした。おかあさんは亡くなる前に、病院でぼくにこう言ってくれました。『つらくなったら、空を見てね。わたしはきっと、そこにいるから』。ぼくは、おかあさんのことを思って、おかあさんの気持ちになって、この詩を書きました」(本書P.114)。
見者の母が残した空の雲の白。はっきりと気づく少年。
少年は生きていける。もっとも大切な場所を発見できたのだから。宝の場所を再獲得できたのだから。
(3月7日)
私は鳥が好き。好きなもののひとつだ。
何気なく、岩倉川を歩く。そのときカワセミが飛んだら、心に光が灯る。
セグロセキレイでもカワウ(最近多い)でもカモでもうれしい。
間違いなく、うれしい。
でも、そのカワセミは格別。
超低空飛行。停飛(飛行をピタッと停める)。瑠璃(るり)色と朱茜色の色彩。私はドキドキする。ほおを紅潮させ、現実を異空間に変化(げ)させるかのような感じだ。
庭にはシジュウカラ、メジロ、ジョウビタキ、ヒヨドリが来る。その姿を見て、心がいつも耕される。その結果、「日常が生まれていっている」とさえ思っている。
年に2、3回庭にコゲラが来てくれる。すると、コゲラのドラミング(キツツキなんで、くち先を木にたたき入れて、虫を食す)を耳にすると、庭がまさしく森に変化(げ)するんだ。
昨年末におもしろい鳥の本に出会った。
piro piro piccolo(イラストレーター、すごい名前だな、以下ピッコロさんとする)の『なつのやまのとり』(山と渓谷社、2022年6月、以下本書とする)である。
ピッコロさん、鳥の絵がとってもいい。余白を上手に使って、うまいんだ。
何よりも、観察力があるんだな。
たとえば、鳴き声。ホトトギス。雄は「東京特許許可局」や「テッペンカケタカ」と鳴くと言われている。
ピッコロさんの観察耳は「トッキョキョカキョク、ホットトギス」と聞こえるとズバリ書く(本書p.81)。
ホットトギスとはなるほどと思う。たしかにと思う。
恐竜の時代から何億年間も生きのびてきた鳥類。
なわばりの主張。異性への求愛。危険の到来。それらのことを伝えあって、生きのびてきた。でも、個体差、地域差もいっぱいある。方言もなまりもものまねもある。「その他の例外」があるのも、趣きがあって、鳥らしいのである。
私は登山中にいちど樹上のホトトギスから「テッペンハゲタカ、ハゲタカ、キョッキョキョッ、ザマミロ」と鳴かれた(と思い込んでいる)ことがあった。
笑ったけど。
(2024年1月4日)
]]>
]]>
さて、本題へ。
きょうは鮫島(さめじま)浩さん(ジャーナリスト)の『朝日新聞政治部』(講談社、2022年5月、以下本書とするね)。
「地域の図書館を私なりに盛り上げたい」と思い、「パッ!」と閃いた本はなるべくリクエストするようにしている。
ところが本書、何がどう閃いたのか、思い出せない。うーん、だって、リクエストして1年以上もたっているのであるから。
ブツブツと呟きながらも、本書の芳香剤か香水の匂い(図書館の本にはときどきそういう匂いの付いたのがある、こういう?マーキング?、止めていただきたい)をガマンしながらも、読んだ。ツルツルと読了した。
本書の大半は、朝日新聞社の社内権力闘争の話だ。政治部と経済部それに社会部との確執、派閥の争いのことだ。
AとBに分かれる。最初は単に縁起だと思うけど、そのうちにAとBの間に格別の違いがあるように思え、敵―味方の争いのように感じるのだろう。
私は寒々しく思うけど、本書の筆者は滔々と述べ立てている。自民党の内部権力闘争と全く同じである。猿山のオス猿たちの戦いと同じといってもよい。
筆者の妻が権力闘争に負けた夫に「あなたはそれに気づかず威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」(本書P.16)と言い放つところがある。
でも、筆者はきっとわかっていない。「傲慢」の意味を知れば、妻を登場させ、「わかっているんだけど」というポーズはとらないと思うから。
福島原発事故の「吉田(昌郎第一原発の当時の所長)調書」をめぐって、筆者は追いつめられていくんだけど、なんでその「調書」を入手したときに、なぜ単純にウラどりをしてなかったのか、と思った。
事故当時現場の所員の9割(650人)が第二原発に退避していた――という事実をせっかくスクープ入手したんだから、「この650人に退避だったのか、現場離脱だったのか」とウラどりをすれば、まだまだよかったのに。なんでその基本をやらなかったのか。やっていれば、持ちこたえられたのではなかったか。
私にはそう思えた。
政府東電が想定しなかった原発事故が現実に起きたのである。政府東電は事実真実を徹底的に隠蔽しようとする。
原発なんて、この世になくてよいもの。電気はずっと足りている。
その原発へ立ち向かうんである。朝日新聞社の社内の事情にエネルギーを使いすぎ、結局失敗し、権力に「誤報」キャンペーンを仕掛けられ、筆者は退社していくのである。
ニュースヴァリュー(ニュースの価値)って何だろうか。
たとえば殺人事件が起きる。どこの誰がやったのはニュースヴァリューなのか。なぜやったのかの理由の考究がニュースヴァリュー(価値)ではないのか。「その殺人の意味は何なのか」「人間とは何なのか」というさまざまな論考がニュースヴァリューではないのか。
原発事故が起きたのである。なのにこんな程度である。きわめて残念無念。ジャーナリズムが不在だ。
半世紀前の毎日の西山事件だってそう。米軍のありようがニュースヴァリューなのに、取材方法の問題に権力にすりかえられてしまい、崩れた。
今回の朝日だって、基本のキを怠ったために、「原発事故って何か」というニュースヴァリューに迫れなかった。問題はそのまま残っている、なぜ追加報道しないのか。なんということか。
(7月6日)
生きつくし
生きつくしても
私を許さない私であり
私を貪りつづける私である
「好景気とバブルのなかで、日本の国民の理想はふやけてるでしょう。そのことについて、はっきり標準を定めて、この詩は書かれています。/ですから、私個人がした仕事(『共同研究 転向』)に対して、非常に強い刺激を、まったく違うところから与えられている。私も、研究者としての領域において叱咤鼓舞する仕事(詩)なんです」(BのP.41)。
最後に堂崎しげるさんという「玉」(AのP.173〜174)という言葉を綴る。このひとも「罠」から抜け出そうとし、在日日本人のあなたや私を励ます。
このまま
石のように
風雨や季節にも耐えることができたら
私はやがて化石化し
鉱石のように地底に眠るのだ
発掘されたら
いつでも
ピカピカ光りたい
そう思って懸命に
私は何物かを磨いている
(5月18日)
]]>
凡夫の歩み
願っても 願っても 届かない
祈っても 祈っても 咲かない
生きても 生きても 光が見えない
その限りのないことが
そのままが
願いとなって
祈りとなって
光となって
木洩れの日のように
雨の滴のように
落ちてくる
落ちている
以下、凡夫日記。3月のいち日いち日。
ほんの少し書き記す――。
3月14日
大江健三郎さん(1935〜2023)の死去の報道。
60年前に初期短編を集中的に読んだ。
『芽むしり仔撃ち』が心に深く残っている。
当時私は何かをゼロからつくりあげ、築きあげることに、心燃していた。大江さんの小説とはそういうちからがあった。
たとえつくりあげることができないとしても、ちからの感触がいまも残っている。
3月―日
中学校の同級生のI 君が愛知から訪ねて来てくれた。I 君は中学校を出て、表具店の職人へ。いまその店の親方店長に。「いま新築のどの家にも床の間がない。畳部屋すらない。商売としては、あかんわ」。でも、I 君、元気そう。
I 君は中学の当時から、地(じ)頭が強いひと。道理(自利と利他とが出会うこと)がわかるひと。そういう資質のまま、太くなっている。うれしい。
3月―日
静岡の0君が紀行文集『ああ、また熱帯雨林へ行きたくなってきた』(自立刊行、全160ページ)を送ってくれた。インドネシアの熱帯雨林を訪ねた記録である。
O君は縁あってホームスクール(家庭学校)へ9年間通ってくれ、山と森が好きになってくれた。槍・穂高、笠ヶ岳へ連れていった。
でも、私がかかわったのはそこまでで、後はO君自身の努力で植物を深く学び、スマトラのキナバ山へ登ったりして、凡夫の私を乗り越えていってくれた。その記録が刊行され、私はうれしい。
3月―日
八幡の背割堤(せわりてい)へ明子と花見へ行く。木津川、宇治川、桂川に三川が合流するところ。そこを分流させる堤をつくり、桜を植えた。
30年、40年たって、桜も大木になった。
私の故郷の、木曽三川の合流ポイントに似ていて、川砂を砂漠に見たてて遊んだ場所にソックリで、私は好きだ。
まだちらほらの、いち分(ぶ)咲き。でも、桜並木を吹き抜ける風は透明。春が落ちている。
(3月30日)
]]>