論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここを生きる」(第258回)油断

 以下、文章以前のことを書きたいと思う。
 他のひとならば、文章にはしないのかもしれないし、文章にならないのかもしれない。
 文章にするならば、誰かの参考にならなければならない。けれども、フラフラとしてることを書いてもよいのかもしれない。ひょっとして他のひとにも同じようなモヤモヤがあるかもしれない。
 文章以前のことのすべて、心に浮かんで流れて消えていくことなのだ。
 それがなかなか消えないことがある。なぜか?
 私の心が手放さないからだ。心がキャッチしなければ、もともと何もないものなのだから、いまここでふと思い巡らすことはない。
ないものはないんだ。
 そうなんだけれど、そのことが発生した当時に、私は油断していた。
 油断のスキをねらって、無意識の海に種をまかれたかもしれないのである。
 だから、少し書いて、手放してゆきたい。
 以下、もちろんのこと、すべて匿名。繰り返すけど、そのひとがどうのこうのということではないから。100パーセント私の内部の出来ごとなんだから。私のどこにショックの要因があるのかを考えたい。気づくことによって、知恵と慈悲がより生まれるからだ。
 思いつくままに、箇条書きする。以下の2つだ。

 

 1. あるとき、Aさんから怒られた。どなられた。理由は、私がAさんに「行く」と連絡しなかったから、だ。私のミスだけど、なんで「こんなにどなられるのか」とそのとき思った。
 そのとき、あるイベント作業があったので、遠来の家族が来ていたこともあったので、「その作業をその家族の子たちに体験してほしい」と願い、その作業を担うBさんには「行っていいか」とTELはしていたのだ。しかし、AさんへのTELがその時点では「まだ」だった。
 それもAさんには気に入らなかったのだろう。「いまBさんから連絡が入ったけど、そんなこと、聞いてないし、私(たち)は準備でヘトヘト……」とコッテリ怒られたこと――。
 ――Aさんの怒りかたがスゴくて、先代(故人、共同創業者)の怒りかたを想起してしまったことである。私のなかで、「先代スウィッチ」が入ってしまったんだ。Aさんの存在は無関係なんだけど、「先代スウィッチ」が入り、私の中で悲苦怒がどんどん湧き上がっていくのである。まだまだ解決していないところが残っていたのである。先代とケンカしていた当時、私は青空(遠くに見える人家の明かりのような青空)が見えていなかった(神秘主義ではない。月の光が誰をも照らすような、みんなにある青空だ)。
 私は私自身の荷物を背負って生きねばならない。それが私の人生だ。その荷が軽くなるわけではないのに、「あの青空の光の所まで」と歩くことがいまはできる。当時はできなかった。たたずんでしまった。私の中で悲苦が最大限に膨らんでしまった。
そのときの私自身にフラッシュバックしてしまうのだ。Aさんには無関係に。Aさん、ごめん。ゴメン。
 2. あるとき、CさんがDさんからカンパをもらっていると聞いたとき、こんどは私の中で怒りが湧き上がった。Dさんは先代と親しかった――。
 ――これも、先代が絡んでいるね。そのときも、「先代スウィッチ」が入ってしまった。いかに当時の私が光のない、闇の中にいたことか。当時私と同じように先代もいいときはいいんだけど、たいへんなときはたいへん。私も先代も「生きた人間になりたい」ともがいていたんだと思う。過去の過去のことを凡夫の私は引き受けてしまったのだ。Cさん、ごめんね。私は油断していたのだ。私自身が未解決だったんだ。

 

 先代は9年も前に亡くなった。いまの論楽社を加護してくれていることだろう。日常の私は先代のことで何も感じず、思わず、すこやかに過ごすことができている。
 だからといって、油断してはいけない。「大丈夫や」と思っていても、先代に絡むことがいま発生すると、「カチン!」と来るかもしれない。ないとは思うけど、あるかもしれない。一生かけて、手放していくことだ。もともと「先代スウィッチ」なんて存在していないんだ。
 現実の私はいまここを新しく生きている。
 生きることはたいへん。一回気づいたからといって、すべてがうまくいくわけではない。自分自身の煩悩を甘く見ちゃいかん。
 出会いの人生にもっともっと積極的に参加し、生きぬいて、70歳まで論楽社をやっていこう。
(6月1日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
生きるための歌――豊田勇造さんコンサート・レポート(その1)

 (連載コラム「いまここを生きる」257回「ザイル・パートナー」を受けて)いま、快い疲れとともに、とてもよい「講座・言葉を紡ぐ」(第118回)を終えた充足感でいっぱい。
 来ていただいたひとも手伝っていただいたひとも、カンパしていただいたひとにも、思っていてくださったひとにも、それらのすべての加護によって、いいコンサートになった。
 改めてありがとう。ありがとう。ありがとー。
 大切なことは、何度でも、言おう。
 ひとびとの心よ凍てつくな。
 生きるための息をすい、息をはいていこう。
 生きるための食をはんでいこう。
 生きるための歌をうたっていこう。
 どんなに雨が降っていても、雲の上には青空がある。
 その青空、生きるための青空をみつめて、いまここを生きていこう。
 植民地日本で日本全体がますますドレイになっていく。ドレイの主人顔をしたひとたちがワシらを「二重のドレイ」にしようとしている。
 忍辱(にんにく)の日々が続く。
 けれども、心よ凍てつくな。
 心がドレイになるな。歌(詩)をうたっていこう。青空を見失うな。
 生きていこう。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第257回)ザイル・パートナー

 ホームとは何か。何であるのか。
 その問いかけは、私自身の方向感覚、方位感覚をもって、どんな時代を求めているのか、ということ。
 いろいろと動く中で見えてくるのがホーム。
 ホームを求める、ある週の日録だ――。

 

  5月15日(月)
 ホームスクール(家庭学校)の活動を朝、夕方の2回やる。
 5月21日(日)の法然院コンサートへめざし、手紙20通書く。
 網戸を入れ替え始める。晴天。気温25度だ。

 

  5月18日(木)
 ホームスクール卒業生の奥田裕介さんが訪ねて来てくれる。
 9年間もホームスクールに通ってくれ、私と妙に気が合い、登山とラグビーをやりはじめていったひとだ。
 いま、44歳になり、森林公園の指導員をしている。
 ザイル・パートナーという言葉がある。ザイル(綱)で互いのいのちを託しあう山の仲間という意味だ。
 奥田さんと久しぶりに話していると、「槍ヶ岳、奥穂高、北岳、大台ケ原、雨飾、恵那山へいっしょに登ったザイル・パートナー」という思いが湧き上がる。ありがたいな。

 

  5月19日(金)
 大阪産業大学の人間環境学部へ行く。
 長島愛生園の伊奈教勝さん、近藤宏一さん、島田等さんのことを130人の学生さんに語りかける。
 ひとりだけ目に涙を浮かべ、聞いてくれる学生さんがいた。
 病みすてられた3人がどうやって自らの人間というものを回復していったのか。それについて話す。
 では、病みすてた側の私たちは、どうやって自らの人間を回復していくのか。「あの3人は格別に立派でしたね」と片付ける話では決してない。「ワシらは生きているのか。死んでいるのではないのか」という話なんだ、と――。

 

  5月20日(土)
 手紙を総計180通出した(「今後送付不要」の確認をとっていく手紙も含めて)。
 つり銭、コピーなどを用意する。リュックに入れる。
 竹村千佳子さんが書を持ってきてくれる。「豊田勇造コンサート ひとの心よ凍てつくなよ」だ。
 いい字だ。あしたのコンサートの広がりを確信する。
 竹村さんの書が私は好きだ。書が開いて、広がっていくのである。

 

  5月21日(日)
 いよいよ、当日。「ひとの心よ凍てつくなよ」と改めて、祈る。私たちの心の慈悲を祈る。
 竹村さんが2時半に車に乗っけてくださる。ありがたい。
 3時に法然院に着き、さっそく明子と会場の設営を始める。毛せんを敷き始め、パイプイスを並べる。汗が出る。
 助っ人(ヘルパー)が続々と早めに来てくれる。遠く鎌倉から本堂明さん、吉川文一さん、田中武さん、斉村康広さん、鳥井新平さん、杉本泉さん……と助けてくれる。ありがとう(後片付けに塩田敏夫さん、松本剛一さん、野村靖さん、ありがとう)。
 ベトナムの僧も来てくれる。東京、長野、福岡からも来てくれ、総計60人の参加者だ。ちょうどいい人数。濃くて、かつ、さっぱりと暖かいひとたち。
 夕刻6時。法然院の庭の湧き水の池から妙なる風が吹く。鹿(しし)おどしの音(ね)が鼓のように鳴り響く。モリアオガエルの鳴き声も重なる。
 論楽社もあと9年。残りの日々の営みに向け、キックオフ。豊田勇造さんの歌が始まる。

 

月の光に照らされて 心開こう
受け止めて欲しい育てて欲しい 今夜一夜の俺を
ひとの心よ凍てつくなよ 歌いながら夜をゆけ
        ――歌いながら夜をゆけ

 

(5月25日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ひとの心よ凍てつくな――豊田勇造コンサートへ、ようこそ、ようこそ(その3)

 5月21日(日)、法然院の奥の間がコンサートの場所。
 阿弥陀佛の北隣の部屋だ。
 当日は戸を開け広げる。半野外コンサートの感じになる。
 初夏の風にのって、湧き水の池のカエルたちの鳴き声の合唱がバックコーラス――なんてことは大いにあると思う。
 「いつものコンサートよりも10パーセント、トーク(スピーチ)を多くしてくれ」と豊田さんに頼んでいる。だって、118回目の「講座・言葉を紡ぐ」を兼ねたコンサートなんだから。どんな話が聞けるかな。
 楽しみにしながら、どうか来てほしいな。
 心から、ようこそ、ようこそ。

 

 豊田さんに『道しるべ』という曲がある。鶴見俊輔さんへの追悼歌だ。
 そこで、鶴見さんのこと、「ぶれない人だった」「まっすぐな人だった」「正直な人だった」と歌っている。
 でも、これって、そのまま豊田さん自身のことでもあるだろう。
 45年間、いろんな会場でコンサートをコツコツとやりつづけてきたんだ。とんでもないこともあったろう。それでも、まっすぐ、ぶれずに、正直に誠実に歌いつづけたひとだ。
 その姿は古風なものである。
 その古風さ、豊田さんのお兄さん(長兄)にそっくり。お父さんから受け継いだ「豊田食料品店」。下京区四条通千本通を下ったところにあった(残念ながらも、長兄80歳にてことしの3月末に閉店)。

 

冬は手足や耳にしもやけが出来る
夏は汗だくになる
ほんの少しの暇を見つけて
腰を下ろして食べる
そんな暮しを何十年も
夫婦でやってきた
親を送り 孫と遊ぶ
今は安らぎの時
町内の世話 商店街の集まり
いやな顔をせず
いつどこで憶えたんだろう
手話も話す
真赤な炎の前に立ち
魚を焼きながら
満足に食べられない子供を思い
涙ぐんだりする
       ――『一番上の兄』

 

 これ、いい歌だ。
 もっとも大切にしたいひとびとの風景だ。
 豊田さんもこのお兄さんと同じように、しかも歌をうたって、ひとびとを励ましてきた。
 私も励まされた。ありがとう。
 さあ、論楽社、あと9年。
 このコンサートから再び出発だあ――。

    豊田勇造コンサート(118回目の「講座・言葉を紡ぐ」)
2017年5月21日(日)の午後6時〜8時。
法然院(左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30、市バス(5)(17)「浄土寺」下車、東山に向かって徒歩10分)。
豊田勇造さん(歌手)の「ひとの心よ凍てつくな」。
参加費2500円(要・電話申し込み)。チケットはありません。人数確認のためにも、前もって必ず連絡を論楽社までお願いします。
主催・論楽社(左京区岩倉中在地町148 、TEL075-711-0334、会場がいつもと違いますので、よろしくお願いします)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ひとの心よ凍てつくな――豊田勇造コンサートへ、ようこそ、ようこそ(その2)

 5月21日(日)の豊田勇造さんの法然院コンサートへ向けて、いま、手紙を出している。準備している。「ようこそ、ようこそ」である。
 この2週間で110通出している。そうして、「手書きカード」(氏名住所電話など書き記している)を整理してゆきたい。出会ったひとにはしっかりとお別れしていきたい。もちろん、いただいたご縁に感謝しながら。
 岩倉に来て、30年。いろんなことがあり、すべてのことが巡回し、いま再び出発点に戻った気がしている。
 いつまで論楽社を続けることができるかわからないけど、あと9年やって(70歳になる)、ノーサイドにしたいと、勝手に思っている。
 これからの9年が、私にとって、山道で言えば、7合目8合目9合目……になる。汗を出し、前へ前へと急登していきたいと願う。
 登山の例を出したついでにラグビーの話でいえば(登山やラグビーはいまでも好きなんやな)、「これから9年が勝負、集中集中だ」と思っている――。
 35年前に豊田勇造さんに手紙を書いた。
 「『凍てついた河に熱風よ、吹け。戒厳令の夜に歌は生まれる。歌いながら、夜をゆけ』といういまの思いである。私の心も凍てついている。熱い歌をお願いしたい」と。
 35年前の私、いろんなこと、思いつめていた。
 当時韓国は軍事政権で徐勝(ソ・スン)さんも徐俊植(ソ・ジュンシク)さんもまだ獄にいた。ラテンアメリカ各国も軍事政権がひどく、旧ソ連も中国もすさまじい姿だった。
 「なんとかしたい」と抗議ハガキを必死に出していた。
 そのときに生まれたのが、コレ。豊田さんがつくってくれた。

 

旅の途中でもらった種を
夜の窓から蒔いて行こう
ひとの心よ凍てつくな
歌いながら夜をゆけ
――歌いながら夜をゆけ

 

 この歌が私の小さな原点。キックオフのとき。
 「ひとの心よ 凍てつくなよ」と大きな声で歌え。政権からどんなに侮辱されようが差別されようが決して負けるな。熱い慈悲心を持って、状況へ立ち向かえ。
 そんな声がいまも響く。いま再び出発のときだ。
 5月21日(日)、聞いてほしい。ようこそ、ようこそ。

   豊田勇造コンサート(118回目の「講座・言葉を紡ぐ」)
2017年5月21日(日)の午後6時〜8時。
法然院(左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30、市バス(5)(17)「浄土寺」下車、東山に向かって徒歩10分)。
豊田勇造さん(歌手)の「ひとの心よ凍てつくな」。
参加費2500円(要・電話申し込み)。チケットはありません。人数確認のためにも、前もって必ず連絡を論楽社までお願いします。
主催・論楽社(左京区岩倉中在地町148 、TEL075-711-0334、会場がいつもと違いますので、よろしくお願いします)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 16:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
とびっきりの青空を――里さんの授業レポート

 3週間が過ぎ去ってしまった。水洗工事に派生したいろんな片付け、庭のせん定、垣根や屋根の修理をずうっとやっていて、アッという間に、3週間が過ぎ去ってしまった。
 4月23日(日)の里みちこさん(詩人)のワークショップ(授業)の中の言葉を、せん定しながらでも忘れているわけでなかった。
 里さん、こんなことを話した。
 「言葉をごまかすと、気持ちが悪い」(A)。
 「言葉って勇気、内から湧いてきた勇気」(B)。
 「詩、言葉が生きる力となる、ハッピーポエム、福詩(ふくし)だ」(C)。
 この3つの文。A、B、Cはそれぞれ同じことを言っているね。
 この3つの文、心にしみている。
 Cについては少し説明が必要。
 里さん、縁あって、大学の福祉学部へ40代後半で入学。その福祉が、言葉による福祉、つまり福詩であるとの心の変容に気づいていったのである。
 神戸大震災のとき、ひとびとの呻き、嘆きに思わず、背中を摩(さす)る体験を通じ、実感していったことであった。
 ダジャレにもなっていっているところが里さん。
 これらA、B、C、慈悲を再発見した、気づいたということかもしれない。そう思う。
 どんなひとにも素(す)の慈悲心はある。自我のエゴが自らの慈悲心を曇らせるだけである。
 A、B、Cの言葉を慈悲と置き換えると、私は納得できた気がする。
 慈悲って、いのち。青空。業熟(ごうじゅく)体。どんな言い換えでもいい。井戸に子どもが現前で落ちたときに、どのひとにも必ず湧き上がる心だ。誰にもある。
 それが自我のエゴのブツブツ、ネチネチのおしゃべりが消し去ってしまっているのだ。
 雲だ。エゴは雲なんだ。青空を見えなくさせてしまっている。
 私自身に慈悲を。大好きなひとに慈悲を。道に出会った知らないひとにも慈悲を。私を傷つけようとしたイヤなひとにも慈悲を。
 そう思いつづけている。
 「慈悲をごまかすと、気持ちが悪い」(A')。
 「慈悲って勇気、内から湧いてきた勇気」(B')。
 「慈悲が生きる力となる」(C')――。
 里さんの「学ぶ喜びを取り戻す」をこのように受けとめた。
 里さん、ありがとうございました。ありがとー。
 遠く石川の輪島、島根の隠岐の島、岡山の倉敷、和気からも4月23日(日)は参加者があったね。ありがたい。うれしい。
 ありがとう、ありがと――。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 16:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第256回)「あの世」

 何年も前から、次のように思うようになった。
 「あの世」について、である。
 もちろん、「あの世」のことなんて、誰にもわからない。わからないけど、みんながみんな、考えたこと。
 私の体が腑に落ちた、という程度のことだ。
 《あの世はたしかにある、でも、あの世はこの世の中にある、いまここの、手の平の中にある》。
 こう直観すると、長年の宿願だった法然や親鸞が言っていた浄土についてのイメージも深まった気がする。そう思う。
 西方浄土って、地理的な空間的な表現ではない。きっと、そうとしか言いようがなかったのだ。西方と言っても、西へ西へと海山を越え進んでいったところで、地球を回って、いまここに戻ってくるだけの話。
 何度も書いている通り、風にも水にも土にも、いままでのあらゆる生命体の生命活動の結果のすべてが込められている。風は生まれ死んでいったすべての植物、動物、人間が吸って吐いたものの総体である。生きている化石だ。水も土もいっしょ。
 何かの縁が深まり(神を想定するひとには神の加護と意思によって)、この世に生まれて、いまここをワシらは生きる。縁の重なりが消えれば、風となり、水となり、土になって、「もうひとつの」いまここに、ワシらは戻るのである。「あの世」という「いまここ」である。
 そう思うようになったということ。
 そう、決定(けつじょう)したということ。
 以上のことなんだけども、いちど書き残しておきたかった。
 私の中の何かが変わった訳でもない。いつもの凡夫である。
 相変わらずの無教会派の仏教徒でしかない。
 次に何を言いたいか。
 宗教のことだ。宗教について、だ。このことだ。
 「宗教でひとを救うことができない」(本田哲郎さんの発言;2015年11月の「講座・言葉を紡ぐ」において)。
 私もそう思っている。
 最近、五木寛之さんと本田哲郎さんの対談『聖書と歎異抄』(東京書籍、2017年4月)においても、本田さんはこう言っている。
 「宗教は人間に絶対に必要だと言っているわけではなくて、キリスト教を含め、個々の宗教というものは、卒業したほうがいい、と。宗教の枠を越えて人間の救済を伝えるものはないか、と」(同P.55)。
 わが意を得たり、と思う。
 「宗教の枠を越え」ることが大切。何十年かかってもいい。ひとびとの慈悲心が育つように、素の慈悲に自らが気づいていくように、祈りの姿が変っていってほしい。
 いま「宗教の枠」はジャマだ。不要だ。いまの宗教の信者獲得風景は、品がない。ひとびとの不安を利用し、マインドコントロールして、ドレイにしてようとしている(マインドコントロールがオウムだけでないことは明らか)。
 800年前の日本の宗教界だって、ひとびとの死後をも支配し、恐怖のどん底へ追い込んでいた。ひとびとは生の地獄のあとの死の地獄にも苛まれていた。そのとき法然が救済した。
 いまも同じように不安、心配にひとびとは苦しんでいる。主因は特定できない。よくわからないまま、何かに苦しんでいる。
 新興宗教もますます盛んになるであろう。心の闇を利用して、ますます苦しめるであろう。
 私は宗教は人間存在の本質的な契機だと思っている。人生をひとまとめにし、決定的な態度を决定(けつじょう)させることが宗教だと考えている。
 「あの世」は宗教の独占的な世界ではない。いまここの手の平に取り戻したかっただけ。以上。
(5月18日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 13:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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