論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
力の矢を抜く――友人が教えてくれた本(その2)

 前回のコラムで、わかりにくいところがある、との指摘を受けた。
 追加の説明を試みてみる。
 「近代日本は宗教国家」「しかも国民がスピリチュアル・アビュース(霊的な虐待)されている」というところである——。
 まず、戦前の日本の75年間。
 天皇は「神の子孫」とされ、国民は「天皇の赤子(せきし)とされた」。この定義がそもそもおかしい。ウソ、ニセの宗教ではないか。
 普通宗教にはなりえない。日本という地域限定の国家神道教だ。しかも虚偽。
 教会に相当するのが学校と軍隊。そこで広告宣伝。そのウソ、ニセ宗教の教義を何十億回唱えあわせ(これがスピリチュアル・アビュースだ)、信じ込ませ、ワシらの先輩先祖の頭と心を壊した。スピリチュアル・アビュースの結果である。
 次には戦後の75年。天皇制の呪縛は温存されているけど、その天皇の上に米国がどかーんと座しているから、相対的に天皇の呪縛が小さくなっており、構造の全体が見えにくくなっている。けど、呪縛の総体はダブル。ぶ厚くなっている。
 米軍に対して「思いやり予算」と言ってみたり、原発事故に対して「ともだち作戦」って言ってみたりして、奇妙な用語が使われていること、変だと思わないか。
 人間の情の言葉じゃないか。軍に愛の言語なんておかしくないか。
 もういちど言う。天皇制って、「日本全体が家族だ」という妄想に基づいた宗教だったよね(これ、一君万民思想のこと)。この妄想を米軍にまで及ぼしているんだ。そうして、これを変だとは思わないんだ。
 米国は国家利益のために米国のために米軍を日本列島に置いているだけ。山のような密約が一切知らされないゆえに、天皇制宗教のもと、あたかも「米国は日本のために、日本を守るためにいてくださっている」かのように思い込んでいるのではないか。おかしくないか。
 米軍のために日本の領土を差し上げて軍事基地をつくり上げることが唯一の解決法だ——なんて。そんな「唯一」なんて言いかたも変だ。そうして反対運動へのスピリチュアル・アビュースを行う。無権利状態に置いてしまう。
 以上のさまざまな事象から天皇教信心ははっきりと残存している。生き残っている。そう、私は考えている。
 天皇教の教会は、いまだに学校と(戦後は軍隊ではなく)テレビを中心としたマスコミ。お上の言うことに盲進する信者をつくっている。
 以上である——。

 

 さてさて、前回から続き、本との出会いだ。
 きょうは、楢木祐司さん。Cを送ってもらい、Dを教えてくれた。
 C.『2011年のあの時・いま・未来を知る 図説17都県 放射能測定マップ+読み解き集』(みんなのデータサイト出版、2500円、福島県飯坂町一本松11–7 ふくしま30年プロジェクト気付 https://minnanods.net/ —–地域の図書館にリクエストし、かつ購入をすすめてほしいね)。
 市民の手によって集められた放射能のデータの記録である。3年半をかけ、17都県の3400か所のポイントで測定された。
 まずページをどこでもいいから自在に繰ってみよう。何人かの友人・家族とともに読むのがいい。
 たとえば、東京。プルーム(放射能が濃厚な雲)が2011年3月15日に2回、3月21日に1回来ている。通過している。東京の東部は福島の会津と同じレベルの汚染が観測されている。
 たとえば、千葉。同じくプルームが3月14日夜〜15日未明に、3月21日夜〜22日未明に流れて来ている。千葉の北西部も会津と同じ汚染レベルだ。
 知っていた。でも、ここまでとは、驚く。東京オリンピック、やめたほうがいい。
 群馬、栃木、茨城、神奈川も同じように大変なことが本書から伝わってくる。
 それぞれに私は驚く。
 食べ物について、具体的にキノコ、山菜、海水・淡水魚、米、牛乳、野菜と各都県で表記してある。「食べてはいけない」「食べないほうがいい」が明記されている。
 これ以上のヒバクを避け、なんとか生きて、生きのびてください——という思いが満ちている。
 本書がアフター・フクシマの姿だ。実相だ。
 現在もなお毎時9万ベクレルもの放射性物質が壊れたままの原子炉から空に向かって放出され、海にもぼう大に流れ出ている。
 こういう現実を前に、ほんの少しでも前へ、前へ歩み出す意思を本書から感じる。
 D.ドリアン助川『線量計と奥の細道』(幻戯書房、2018年)。図書館にリクエストして、読んだ。
 3.11の半年後にドリアン助川さんは自転車(鉄道も車も途中あり)で芭蕉の旅を追体験している。「日光東照宮 杉のそば 0.33マイクロシーベルト」と線量計で計測しながら、旅をしていく。
 本書もCと同じように、「原発事故を忘却させない」「厳しい現実を1ミリ1センチでもほんの少しでも前へ前へ立ち向かって進めるんだ」と精神の運動がある。この本も知ってよかった。
 原子力(であろうが米軍であろうが)は「国民すべてのイーブンな関係の上に成り立っているわけでない。誘致。反対運動。人々を飲みこむ補償額。二分される住民。一人一人の不安。自治体と電力会社の軋轢。政府からの圧力。そのひとつひとつが絡み合うとてつもない渾沌を、強き者から弱き者への力の矢が突き刺している」(本書P.235)。
 そのとおりだ。だからこそ、「このままで殺されてたまるか」「黙らされてたまるか」という声がC、Dから聞こえる。
 楢木さん、ありがとう。力の矢を抜く作業本だね。
(12月13日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
仏教以前のことから――中嶌哲演さんの「講座」へ、ようこそ、ようこそ(その2)

 弥光(みこう)庵という寺があった。寺だけど、食堂(工藤美弥子さんがつくる諸行無常カレー、うまかった)+飲み屋でもあった(いまはない)。
 そこに行っていた松岡由香子さんが「弥光庵から聞いた」と言って、論楽社へ突然来た。その松岡さんは牧師。キリスト者として座禅もしていた。「地の人・宗教対話センター」も自宅でやっていた(いまは休み)。
 その「地の人」で、私は中嶌哲演さんに出会った。15、6年前のことだ。「地の人」で合宿して、哲演さんと語りあったりもしていた。
 ひととの出会いが人生においては圧倒的な力を得る。
 だからこそ、その出会い以前のひとたちのことを決して忘れないようにしたいと思っている。縁に感謝している。
 哲演さんにときどき手紙を出している。いろんなプリントを同封するんだけど、ふと思って、2018年6月例会(宗教以前)のチラシを、同封した。
 もういちど書いてみると、「宗教として言葉にされる以前の世界に触れ、味わって、交感していくことが何よりも大切。言語以前の風、星、土、木、水、草、鳥……を感じることが大切」。
 中嶌さんが反応してくださり、対話しながら、12月16日(日)の「講座」が実現することになった。うれしい。
 いま、東日本の各地は「アフター・フクシマ」を生きざるを得ない。一方、京阪神以西の西日本はどこか、何の考えもなく「ビフォア—・フクシマ」をまだまだ生きているところがある。
 ワシらの無関心がフクシマを生んでいるにもかかわらず。
 福井・若狭にかくも多くの原発を抱えているにもかかわらず。
 12月16日(日)、いちど、哲演さんの話、聞いてほしい。
 心から、ようこそ、ようこそ。
 次は来年、1月27日(日)、ごぞんじの鈴木君代さん(僧侶+歌手)——。そういえば、君代さんも最初に弥光庵で出会った。ありがたい。

  講座・言葉を紡ぐ(第121回)
2018年12月16日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区中在地町148、TEL 075-711-0334)。
中嶌哲演さん(小浜の明通寺住職、福井から原発を止める裁判の会代表)の「仏教以前のことから」。
参加費1500円。要申し込み(私宅なので)。
交流会5時〜6時半(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
スピリチュアル・アビュース――友人が教えてくれた本(その1)

 できることならば深い直観に満ちて、生きたい。
 できることならば一日いちにちを深い呼吸に恵まれて、ていねいに大切に生きてゆきたい。
 そう思っている。
 それぞれのひとに小さな神々が宿っている。じゃあ、友人とは何か。互いに無明(むみょう)が湧くことなく、その友人の言葉や記憶にその神々のありようが感じられ、心の生産力が高まり、私も自然と安らぐのである。
 その友人がふとしたことでことばにし、私の直観が「これだ」と思った本を紹介したい。
 計6冊になる。3回になる。その1、その2、その3だ。
 友人には先輩や先生も入る。
 名を出して、ごめん。匿名も考えたけど、「かえって変か」と思ったので。
 では、始める——。
 A. 藤田庄市『カルト宗教事件の深層——「スピリチュアル・アビュース」の論理』(春秋社、2017年)。
 塩田敏夫さんが「(この本の)書評を書いたので」と連絡してくれた。さっそく岩倉図書館へ直行。その場でリクエストした。
 スピリチュアル・アビュース。霊性(スピリチュアリティ)への虐待。カルト教の教祖が自らが勝手につくりあげた宗教システムによって、宗教的な絶対地位を濫用し、もともと魂の救済を願って入信している信者のスピリチュアリティに働きかけ、精神をムチャクチャに利用操作すること。オウム真理教は殺人まで犯している。
 信者は教祖の言葉をカンタンに内面化してしまう。「努力不足」「修業不足」と自分自身を責め、ますます呪縛から離脱できなくなる。いいひとすぎる。でも決して弱いわけではない。どんな強いひとでも引っかかるのが、スピリチュアル・アビュース。
 「宗教では救われない」と思うのは、こういう地平のことである。
 本書を読んで思ったことなので、書く。
 150年間の天皇制支配国家の日本がスピリチュアル・アビュース国家なのではないのか、という直観だ。
 前半の明治日本が特にそんなんだけど、理念として家族国家。宗教国家。
 天皇が大親(おおおや)さま。臣民のひとりひとりが赤子(せきし)。天皇は赤子を可愛がっているんだから、その天皇が命令したら、いのちを投げうつ——。そんな論理だよね。
 全部ウソだ。別の言いかたをすれば、ファンタジー。ありえない空想。奇妙な夢。
 権力を権力と思えない。支配を支配とも思えない。ふしぎな霊的支配。「なんでみんな信じているんだろうか」と思う宗教国家。
 現実には軍隊では「上司の命令は陛下の命令」として、すさまじい支配暴力が相次いでいるのに、なぜか、ふんわりとして家族国家論が流れていって、信仰されていったんだ。「みんな、同じ日本人だから、仲よくしてあたりまえだ」と現実の支配権力構造を否定してしまう。ウソなのに、みんな、信じてしまう。対立抗争ケンカがあっての人間社会。ひとって、そういう存在。論楽社内部だって、そうだった。少数者や反対者、文句言いのひとたちへ、スピリチュアル・アビュース。凄い差別侮蔑。排除、いじめ。
 とってもつらいマインド・コントロールがいまも続く。
 B. 保阪正康『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書、2018年)。
 これも塩田さんが教えてくれた。11月例会のとき、ふと東條英機のことで次の引用のところを言ったので、おもしろいと思った。
 「敵機を何で撃ち落とすのか、と問い、高射砲で撃墜するとの答えに、『違う。精神で撃墜するのだ』と訓示している」(本書P.37)。
 アハハハ。でも、首相という地位にいた東條だから、笑えない。カラッポの宗教家のような発言だ。
 東條は文学書なんて読まない。政治書も全く知らない。演説草稿にルビをふっていたよう。「政治家ではない」(同P.37)とも言っていた。首相していたのに。
 「精神論が好き」「妥協は敗北」「事実誤認は当たり前」(同P.13)というひと。「安倍晋三首相と似てい」(同P.14)て、「『自省がない』という点に尽きる」。
 「日本には決して選んではならない首相」(同P.14)ということ。この東條によって、勝てるわけがない対米戦争に突入していった。
 ファンタジー宗教国家ということは、要するに「無責任の大系」国家ということ。70年前の戦争だって、7年前の原発だって、誰ひとり責任を取らない。
 国家設計の最初からが失敗ではなかったのか。土台から造り直さないと。それぞれのひとがわがままでいいんだ、ということから始めないと。
 塩田さん、ありがとう(この項、終わり、その2へつづく)。
(12月6日)

 

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
仏教以前のことから――中嶌哲演さんの「講座」へ、ようこそ、ようこそ(その1)

 12月16日(日)は中嶌(なかじま)哲演さん。
 福井県小浜市の明通(みょうつう)寺の住職。空海の真言宗。1200年前に創建されている寺。
 「福井から原発を止める裁判の会」や「原発反対福井県民会議」の代表でもある。運動の中心に、哲演さんの姿がいつもある。
運動以前の哲演さんは「自閉的な灰色のニヒリズム」に取りつかれていた(いままで2回、論楽社に来ていただいているので)。ひょんなことかで、近所に原爆の被害者がいたことで、いろんなことに気づきはじめた(内部ヒバクのことなど)。55年前のことだ。
 そこから哲演さん、ヒバクシャ援護の托鉢を1968年から始める。26年間も続ける。
 そのころ関西電力は若狭(一帯)を狙い打ちにしはじめていた。さっそく「原発設置反対小浜市民の会」を哲演さんは立ち上げる。1971年のこと。
 「反原発」の声は出すけど、小浜以外に次々と原発が発生していった。
 哲演さん、反対運動に集中していく――。
 以上が、ここ2回の講座だ。
 3回目の講座だ。視点を少し変える。
 あえて「仏教以前」に光を当ててみよう。そう思って、哲演さんにお願いした。
 何かが形成されると、その何かの形にどうしてもこだわってしまう。執着してしまう。その何かの以前の姿にゆたかに気づくことで、その何かそのものに新しいエネルギーが加わっていく。
 運動以前に気づくことによって、運動そのものがより輝く。宗教以前に気づくことによって、宗教そのものがより光る。
 そういうことだ。
 みんながみんな知っているように、ブッダになる以前のゴータマ・シッダールタはシャカ族の王家の息子だった。人間存在の生老病死に苦悩した果てに出家した――と、言われている。
 それは間違いない。
 「王よ、あちらの雪山(ヒマーラヤ)の側に一つの正直な民族がいます。昔からコーサラ国の住民であり、富と勇気を具(そな)えています。」(422)
 「(略)《サーキャ族》(釈迦族)といいます。王よ、わたくしはその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。」(423)
 「諸々の欲望には患(うれ)いのあることを見て、また出離こそ安穏(あんのん)であると見て、つとめはげむために進みましょう。わたくしの心はこれを楽しんでいるのです」(424――『ブッダのことば(スッタニパータ)』岩波文庫のP.74)。
たとえば、原テキストのこの部分だ。読んでほしい(もっともっと社会的・歴史的な内実を見きわめてゆきたいと願う)。
 何があったのか。
 戦(いくさ)だ。戦争だ。
 史実から言えば、シャカ族は滅亡するんだ。絶滅するんだ。
 これはスゴイ事実。
 戦争という、いまもなお私たちを苦しめているものに、ブッダは何を思い、何を考え、何を苦しみ、立ち向かっていったのか。それを、ともに考えたい。
 でなければ、次の言葉をどう読むのか。
 「生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人をして)殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ」(394、同書のP.69)。
 原発はすべてのいのちへ全体主義戦争をしかけているのではないか。いまを見つめよう。
 12月16日(日)、哲演さんの講座へ、ようこそ、ようこそ。
 心から、ようこそ、ようこそ。

  講座・言葉を紡ぐ(第121回)
2018年12月16日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区中在地町148、TEL 075-711-0334)。
中嶌哲演さん(小浜の明通寺住職、福井から原発を止める裁判の会代表)の「仏教以前のことから」。
参加費1500円。要申し込み(私宅なので)。
交流会5時〜6時半(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
戦争をやれば、ひとが壊れる――三室勇さんの11月例会レポート

 10日もたった。11月18日の11月例会の三室勇さんの心に残るスピーチから、10日も過ぎた。三室さんや塩田敏夫さんから教えてもらった本をずっと4冊読んでいた(これらについてはいずれ書くね)。
 戦争のリアルさを改めて見つめ直そう、と思った。けれども、見つめ直せば直すほどに、凄惨さ陰惨さが極まっていく。そんな気がする。
 歴史は私たち生者のものだけではなく、死者たちのものでもある。
 その死の立ち位置を生者が身勝手に変えてはいけない。改竄(ざん)してはいけない。
 たとえどんなに無明(むみょう)が湧いたひとであろうとも、そのひとの死はひとつの図書館が消えたと言える。
 いま、戦争体験者が亡くなりつつあるけど、書き記されたモノを読むことが、戦死の現場にただ立って匂いをかいでみるとか、間接的ながらも、その立ち位置をよく見つめることだ、自分の全身で味わって考えぬくことだと思う。
 どのいのちにとっても、生きることはそれだけで希望だ。生が希望を湧き上げる。その生を戦死で断たれたひとたちに、「死んでも希望を紡いでいってください。見守っていってください。こんな平和な世をつくっていきますから」と言えるような社会をつくっていきたいと願う。
 そういう意味において、「なぜ戦死者を生んでいったのか」に、殺させたひとたちの責任を問うことが、たいへん大切なことと思う。根が残っていては、再び枝葉が生えてくるから。三室さんが「戦争責任をいまからでも問うべき」と言ったこと、首肯できる。三室さんや私のような人間が極少数としても——。
 結論をまず書いちゃったね(具体的には、別の所で書くので、待っていてね)。
 11月例会のポイントをメモしておく。次の5点だ。
 a. 日本人戦死者の90パーセントがアジア太平洋戦争の末期(1944年7月のサイパン島玉砕以降)。勝算が全くなくなっているのに(ゼロなのに)、なぜその後1年間も戦争を続けたのか。きわめて重要な、戦後のありようもふくめた大切な問いだ。どうしてなんだ。
 b. 戦死者の半分50パーセントが戦病死者(日中戦争において、アジア太平洋戦争では記録がない、これもなぜなんだ)。その戦病死者の61パーセントがなんと餓死者。
 c. 私的制裁(リンチというすさまじい暴行)が相次ぎ、自殺者が多い(実数は例のごとく記録がない)。硫黄島では43パーセントが自殺(戦闘死は30パーセントなので、それより多い)。
d. 傷病兵(動けない兵)は残置せず、「処置」された。つまり、殺害された(これも実数がわからない)。ガダルカナル島では撤収にあたって、動けない兵は猛毒で殺された。日本兵に。
 e. 戦争神経症のこと(これも実態がわからない、文書が焼却されているから、公文書を徹底的に廃棄している)。心の病を日本軍は侮蔑警戒し、臓躁(ぞうそう)病なんて呼んでいた。戦後も家には帰れず(ハンセン病といっしょ)、「未復員兵」と呼ばれ、入院生活が続いた。集団社会全体で戦(いくさ)をしておいて、心の病を発症すると、個人個人のせいにする。アイツの資質のためと言う。おかしくないか。「弱い」なんて言ったら、ダメだ。個人のせいではないのだ、と言いきりたいね——。
 以上だ。
 三室さん、ありがとう。きっと三室さんにとって、戦争は生涯のテーマのひとつ(私にとってもそう)。力のこもったスピーチ、ほんとうにありがとう。
 次は12月16日(日)、中嶌哲演さんの「仏教以前のことから」。

 

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第336回)沈黙を聞く

 あんなにもおしゃべりだったのに。
 最近はしゃべらないことも好きになってきている。
 ちょっと考えればあたりまえのことだけど、沈黙を母体にして、詩や音楽……という子どもが生まれているんだと思うようになってきている。
 沈黙に耳をすましていると、「子ども」の声が聞こえてくる。
 そんな1か月の、小さな日録――。

 

  11月5日(月)
 松本剛一さんの招待によって、金徳洙(キム・ドクス)の韓国の打楽器ライブを楽しむ。明子もいっしょ(京都のライブハウスの磔磔にて)。
 チャンゴ。ケンガリ。チン。プク。これら4つの伝統打楽器が醸す音の波、波、波。それらが音の河になって、音の滝となっている。
 音の波は、ひととひととを結びつけている。死んでいったひととも、これから生まれてくるひととも、結びつけようとしている。自らの沈黙につながっていく。体や心が躍動しながらも、妙に静かに落ち着いていく。

 

  11月19日(金)
 レオ・レオニの『フレデリック』(好学社、訳・谷川俊太郎)を読む。
 とりいしん平さんから教えてもらった絵本。
 他のネズミが冬に備えて、せっせと働いているのに、フレデリックだけは「おひさまのひかりをあつめてるんだ」「いろをあつめてるのさ」「ことばをあつめてるんだ」。
 冬が来た。蓄えた木の実が減っていって、藁(わら)もなくなったとき、他のネズミはフレデリックを見つめる。
 フレデリックは冬の夜に春の光を、色を、言葉を奏でて見せる。光、色、言葉によって、他のネズミたちの心を養う。フレデリックは詩人。役者、芸者、易者。そうしてもっと向こうへ続く道があることを示す。

 

  11月18日(日)
 深夜0時からラグビーを見る。日本対イングランドのテストマッチ(対等な国どうしの試合)。ロンドンのトゥイッケナム競技場に8万人が見つめる。その8万人を前半は沈黙させてしまう日本のプレー。FW(フォワード)にリーチマイケル、BK(バックス)の福岡堅樹がよかった。
 何がよかったのか。勇気だ。本番の試合でなかなか湧かないのが勇気。頼るべきものがなにもないフィールドに防具ひとつ付けずに、フェファプレーに徹しながら、ぶつかりあう。自らの内部に紡ぐ勇気という気を唯一の頼みとして戦う。それがラグビー。代表チームであろうが、私が体験したクラブチーム(草ラグビー)であろうが、それがラグビー。
 日本代表、よくやったと思う。

 

  11月22日(木)
 岩倉川沿いのクヌギ、ケヤキが葉を紅(あか)く染ながら、風に散っている。冬の雲がやっと来た。
 急に時雨始めたと思ったら、こんどは急に晴れている。日が差してくる。めまぐるしく変わる空。
 あっ、虹だ。
 虹が空に大きくかかっている。
 以前から響いていた音。そう、人類がこの世界にやってくる以前に響かせていた音を虹が鳴らしている。そんな気がする天空。

 

  11月23日(金)
 木枯らしが吹き始める。
 昨年より23日も遅い。高温(温暖)化の日本列島にも、やっと木枯らしが吹き、私はあわててセーターを着る。
 中村哲さんから、「アフガニスタンのかんばつがますますの悪化」の週報(2018年10月15日受信報)が入る。「最後まで実質を重んじて力を尽くし、一人でも多くの村民が生きながらえるよう祈ります。終末の時こそ、いっそうの力を尽くしたいと思います」とある。
 哲さんの「終末の時こそ」の決意。耳をすませれば、決意の声が聞こえる。
(11月29日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第335回)明日が見える

 ふだんは夜10時半には寝入るのに、「今晩はラグビーをリアルタイムで見るのだ」と張り切って、起きていた。自分自身が試合に出るわけでないのに、なんかソワソワしていたのである。
 その試合、夜中の12時からキックオフとなった日本代表対イングランド代表の戦いのもようは、またいつか書く。
 今書きたいのはことはラグビーではない。
 その30分前に何気なく、TVを点け、「長すぎた入院」(2018年11月17日のETV特集選の再放送)を途中から見た。
 偶然なことで途中から見ただけなんだけど、日本社会が「背負いつづけた課題」(島田等さんの「らい詩人集団宣言」)の示現の映像に、心が奪われた。
 30年、40年。いちばん長いケースが59年。
 こんなにも長い期間、家族の受け入れがないとかの理由で精神病院に入院させられているのである。
 すっかり治っているのに、だらだらと入院させているのである。ハンセン病と全くのところ同じ。
 その国家の人権状況のチェックは、その国の刑務所や精神病院、収容所に行ってみれば、すぐにわかる。日本の人権レベルがどんなんか、言う必要もないだろう。
 その59年も入院生活していた男性(おじいちゃんだ)、虚空の一点を見つめ、無表情だった。それがやっとこさ、退院して、グループホームで暮らし始める。
 退院1か月後の映像にびっくりぎょうてん。
 なんと柔らかいことか。生々としている。無表情は長期拘禁が生成していたのだ。
 そうして発せられる言葉に、再びびっくりぎょうてん。
 「自由がいい」(金在述さんといっしょ)って。
 「(ここホームにいると)明日が見える」って。
 なんていう美しい言葉だ。
 いまここが充足していて生きてあるからこそ、きっと心豊かな明日(おじいちゃんは「あした」と言った)があるのである。明日が楽しみだ、なんだ。
 その番組では他に興味深い映像があった。「入院治療する必要の全くない知的障害のひとびとを30パーセント精神病院に収容している」とか、「3・11の原発事故で閉鎖せざるをえない精神病院から追い出されたひとが『なんでオレは30年間も入院しなきゃならなかったんだ」と思い、元看護婦さん、元院長のもとを訪ねていく」とか。それぞれ心をひきつけられた。
 人間存在をその社会の都合で役に立つヤツと、役に立たないヤツ(ゼニのかかりすぎて、付き合うのに大変、おまけにゼニをつくることができそうにないヤツ)に分別。そうして後者を切り捨てる。これを優生思想と言う(何度も言っているけどね)。
 ナチスドイツにおいて、ユダヤ人、障害者、同性愛者、ロマ(ジプシー)、共産主義者らがガス室へ入れられた。
 日本において、ハンセン病や精神病者が「病みすて」(島田等さん)にあった。遺棄されたのである。
 戦後日本社会でも優生思想は能力主義とラベルを変えただけで、生々として生きのびている。
 障害者らへの強制不妊手術のことも生きのびの一例。
 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」目的のためには必要な手術であって、「憲法の精神に背くものではない」(1949年10月、当時の厚生省公衆衛生局長通達)のである。
 「不良な子孫」って、なんと冷酷さに満ちるか。
 「明日(あした)が見える」「立てよ歩めよ、わが子よ」といういのちの向日性が全くない。
 戦場に立って、見知らぬ異国のひとを撃てず、気が触れていった男たちの自然さ、純真さ、気高さがない(きのう11月18日の三室勇さんの11月例会においては戦争神経症と言われていた。このレポートはまた)。
 学校教育の点数主義だって、優生主義。これに疑問をもたず、放置させたままで社会を運営し、いまに至っている。
 気づいてほしいな。
 「長すぎた入院」。いい番組。
 気づいていこうよ。
(11月22日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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