論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここを生きる」(第347回)乗り越える課題――続・地頭(じあたま)の思考力

 もういちど、ホームスクール(家庭学校)のことを書く。前回(「地頭の思考力」2月7日)の続編である。
 ひとりの参加者Aさんについて書いたら、次々と思い出されてきた。大学生や社会人のホームスクール参加者のことである。
 少し忘れていたようだ。数えてみたら、次の7人になる。Aさんを入れて、8人になるんだ。
 Bさん。小学校教師を定年退職した直後にある読書会で知りあった。論楽社にたいへん興味を持ってくれ、ホームスクールにも参加。ホームスクールの高校生や中学生たちと対等に話し、登山にも来てくれた。私にスキーをマン・ツー・マンで教えてくれもした。33歳年上のBさん、もう、亡くなってしまった。
 Cさん。神戸の主婦なんだけど、京都にしばらく“遊学”。しばしのアパート暮らし。Bさんと同じく論楽社に急にたいへん興味を持って来てくれた。けれども、何か月かしたら、“遊学”が突然中止に。神戸へ帰る。よくわからんかったな。Cさん、いま、元気かなあ。
 Dさん。近所で社会人やっていて、「看護婦(師)になりたい」。試験問題を演習した。半年後に合格してくれて、よかった。いま、三重県にいる。
 Eさん。看護婦(師)さん。鳥取から大阪のホスピスへ来た。友人から教えられ、論楽社へ。「いちから教えてください」と言われ、月に1回、マン・ツー・マンで戦後政治史をともに学んだな。いま、名古屋にいる。
 Fさん。大阪の大学生。Fさんもマン・ツー・マンで週1回、同じく戦後政治史をともに学んだ。Fさん、深い苦悩のひとだったな。いま、どうしているんだろうか。Fさん、元気ですか。
 Gさん。1年間ホームスクールに嵐山の近くから通ってくれて、大学生へ。無口なひと。「継続して来たい」と通ってくれたんだけど、忙しくなって、3か月でやめた。いまは京都で保育園の園長をしている。
 最後にHさん。フランス人。大学教師。「日本語で授業することになったので、日本語そのものを見てくれ」と言われ、週に1回、半年間、濃密にマン・ツー・マンでやった。おもしろい体験——。
 以上、ざっくりと書いたけど、いま改めて思う。
 「社会人・大学生の受皿がホームスクールになかったかもしれない。『人生の意味』を問いつづけるひとは、20代でも30代でも50代、60代でもいる。(私も60代になってよくわかるんだけど)その問いが弱くなるわけでもない。もしもそういう思いを持って、ホームスクールを訪ねてくるひとがいたら、ちゃんと受け入れていこう、例外じゃなく、正式にまっすぐ受け入れるんだ」と。
 じゃあ、受け入れて何をやるのか。そもそも教育って、何か。いったいなんだろうか。
もうちょっと、ふだん言わないことも、思い切って言ってしまおう。私のいのちの願いを言ってみる。
 「原発事故も、いまの独裁政権も、あるいは難病でも、どんなトラブルも、すべてが課題だ。そのすべてが、ブッダが与えた課題だ(神を信じるひとは神の宿題だ)。ひとつひとつ乗り越え、ブッダの恵み(神を信じるひとは神の恵み)が70億人のすべてのひとびとに、最後の最後のひとりに至るまで、課題を乗り越える動きを止めてはならん」。
 あと何年かかるか。何十年かかるのか。何百年かかるか。何千年かかるか。何万年かかるか。全くわからない。わからないけど、立ち向かわなければならない。
 子どもが私にはいないけど、そんなことは無関係であろう。対話が可能となって交流できたひとが語りつづける以外に方法がない。ブッダの願いはまだまだ実現していないのだから、続けなければならない。書き残していかねばならない。
 そう思う。
 ホームスクールを小学生、中学生、高校生に限定することはない。そう思ったとたん、何かがとてつもなく、弾(はじ)けた。弾けすぎたとは思うけど。でも、正直な思いだ。
 「社会人・大学生のひと、ブラリと来てください。いつか、待っています」。
(2月14日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第346回)地頭(じあたま)の思考力――ある授業

 ホームスクール(家庭学校)のことを少しだけ書いてみたい。
 あるひとりの参加者について、である。
 仮にAさんとする。いまは大学生だ。
 Aさん、学校に長くいかなかった。
 小、中学と行かなかった。
 Aさんの母が「高速道路を走らなくていい、野の道を草花を眺めながら、ゆっくり歩けばいい」とAさんに語りかけた。
 なんという賢者か。
 Aさん、どれほどに救われたことか。
 縁あって、Aさん、高校1年の春から論楽社ホームスクールに来た。週に1回、数学(とその他古文、日本史などを少し)を手助けすることになった。
 Aさんの歩みについて私は何も知らずに、学びを始めた。ただ単純な割り算ひとつをおもしろい、オリジナルな方法でするので、「独学してきたの?」と聞いてみた。
 自然と少しずつ対話をするようになっていった。
 「学校へ行かないとこの世、不便なこと、不利益なことが生じるけど、その分、自分の頭で考えるようになるから、いいんだ」と私は即座にAさんへ言った。
 「地(じ)頭が強くなる」という言葉を伝えたと思う。「大地、いのちの思考力——が育つから、いいよ。それが育てば、一生もんだよ」と言ったと思う。
 私はおしゃべりだから、いろんなことを週1回の授業でしゃべった。生きていくためのヒントになればいいと思って。
 AさんはAさんで、「なんで再稼働するの? どうして原発を止められないんだろうか」と言い始めていた。
 そうして、Aさん、大学1年生になる。
 そのとき、「大学に入っても引き続き、週1回授業してほしい」「テーマは、私、妖怪や精霊が好きなので、そういうこと、学びたい」と言われた。
 相談した結果、「小さな神たちの死」とあいなった。
 シナリオもなく、直観のままに、授業を始め、アッという間に3年が過ぎた。
 取り上げた本を列記してみる。本を中心に置いて、学びあうのだが、話は自在に飛んでいき、90分はすぐに過ぎてしまう。
 私自身がAさんの発案によって。育っていった授業だった。
 A. 金関寿夫『アメリカ・インディアンの詩』中公新書
 B. 町田宗鳳『「グレート・スピリットの」教え——先住民族に伝わる賢者たちの言葉』佼成出版社
 C. 渡辺京二『逝(ゆ)きし世の面影(おもかげ)」平凡社ライブラリー
 D. ナンシー・ウッド『今日は死ぬにはもってこいの日 Many Winters』金関寿夫(訳)、めるくまーる
 E. 秋野亥左牟(文・絵)『イサム・オン・ザ・ロード』梨の木舎
 F. 星川淳『魂の民主主義——北米先住民・アメリカ建国・日本国憲法』築地書館
 G. ジョエル・アンドレアス『戦争中毒 アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由』合同出版(マンガ)
 H. 緒方正人『常世の舟を漕ぎて 水俣病私史』世織書房
 H'. 親鸞+唯円『歎異抄』岩波文庫
 I. 松下竜一『いのちき してます』三一書房
 I'. ウィリアム・モリス『民衆の芸術』岩波文庫
 J. 阿波根(あわごん)昌鴻『命こそ宝 沖縄反戦の心』岩波新書
 K. 『神々の母に捧げる詩——アメリカ・インディアンの詩』秋野亥左牟(絵)、福音館書店(絵本)
 L. 松井友(文)ボン・ペレス(絵)『サンパギータのくびかざり』今人舎(絵本)
 M. 近藤宏一『闇を光に——ハンセン病を生きて』みすず書房
 N. 島田等『次の冬』論楽社ブックレット
 O. 宇沢弘文・内橋克人『始まっている未来 新しい経済は可能か』岩波書店
 O'. スーザン・ジョージ『金持ちが確実に世界を支配する方法 1%による1%のための勝利戦略』岩波書店
 P. 高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』朝日新書
 Q. ヨハン・ガルトゥング『日本人のための平和論』ダイヤモンド社
 R. 鶴見俊輔『教育 再定義の試み』岩波書店
 R'. 鶴見俊輔『竹内好 ある方法の伝記』リブロポート
 S. ヨーラン・スバネリッド『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』新評論
 T. 井上ひさし『ボローニャ紀行』文春文庫
 U. ジーン・シャープ『独裁体制から民主主義へ』ちくま学芸文庫
 V. 中島岳志『ガンディーからの〈問い〉』NHK出版
 W. ダグラス・ラミス『ガンジーの危険な平和憲法案』集英社新書
 現在VとWのガンジーをともに呼んでおり、まとめに入っている。
 小さい神々はずいぶん殺された。けれども、死にきっていない。地頭(じあたま)の思考がまだいっぱい残っている。そう思って、授業している。
(2月7日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 12:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
空の青さが音楽だ――中村徳子さんの2月例会へ、ようこそ、ようこそ(その1)

 2月例会は2月17日(日)。2か月連続のホームコンサート。
 欧米の音楽とはちょっと違った考え方を持つインド音楽。
 楽譜はない。
 いまここの即興によって、至高なものを調和に満ちながら、示現する音楽である。
 その音楽を奏でるひと、中村徳子さん。
 1年ぶりである。
 インドに魅せられ、インドへ通い、インド音楽の花輪に入り、タンブーラ(楽器名)奏者になっていった徳子さん。
 縁あって出会った徳子さんによって、「音の中に神がいる」ということを、1年前の例会において、伝えられた。
 ただ私自身は神を設定していない。ブッダの言う相互依存的連係生起(dependent co-arisng)の無尽の重なりが、神に近い。でも神とは違う。
 富という形で在り、間違いという形で在り、信頼という形で在り、眠りという形で在るならば、何度も何度も何度でも挨拶したくなる気持ち、よくわかる。
 「感謝感謝感謝」を奏でたくなり、音楽になっていったのも、よくよくわかる。
 おもしろいインド音楽。音楽そのものとしてが、ゆかいで、楽しい。
 世界全体が楽しい響きで、できているんだ。きっと。
 梅が咲くころの2月例会へ、ようこそ。ようこそ、ようこそ。

   2019年2月例会
2月17日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
中村徳子さん(音楽家、タンブーラ奏者)の「空の青さが音楽——続・インド音楽入門」。
・対談おしゃべり
・ワークショップ「インド音階を体感」(希望者のみ)
・即興の祈りの音楽の演奏(あえて名づければ)「いまここを生きる」
参加費1000円。要・申し込み(私宅なので)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制)。なお、駐車場はない。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
大きな蕪――鈴木君代さんの1月例会レポート

 1月27日(日)、鈴木君代さんは心をいっそう開いた。心を開くと、いろんな話が自然と広がっていった。
 君代さんの心の師の和田稠(しげし)さんについて、まずは話してほしい。そう、君代さんに手紙を出していた。
 「ナムアミダブムがいのちにとってすべてだ」「戦争は人間が人間でなくなってしまう」の2点。この2点が和田さんの生涯で繰り返し語っていたこと。君代さんはそうまとめた。
 前者について、ナムアミダブムと縁のないひとに、少しわかりにくいね。
 次のように考えればいいかも。「生老病死の苦にあわないと、ワシらは人間になれない。苦をいのちに落とし、受けとめていく。つらいけど、少しずつ、少しずつ。このままの姿で、悩んだ姿のまま、いのちの流れに沿って歩いていく」。このことを和田さんも、君代さんも言っているんだと思う。
 それが、親鸞の仏教の知恵の光。「その光を当てて、自我の暴走をなんとか押え、生きぬくんだ」という励ましが光。
 そうこう話してくるうちに、君代さん、心をもっと開く。
 そうして昨年7月に死刑になった井上嘉浩(よしひろ)さんについて語り始める。
 君代さんは10年間面会を続け、結局のところ、井上さんの葬儀の手配をし、勤めることになった。
 井上さんはオウム真理教の元信者。元幹部。
 君代さんとは互いに高校まで住んでいたところが京都市右京区の全くの近所ということもあって、「同時代同場所にいた」という直観が走った。君代さんと井上さんは、同じように苦悩の中、ひとを求め、法を求めて、歩いた。君代さんは親鸞に出会ったけど、井上さんはなんとオウムの教祖に出会ってしまった。
 「事件を知ったとき、他人ごとには思えませんでした」と君代さん。
 「わがこころよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄)。
 「真実を求めながらも流転しつづける人間の業について、語り部になってもらう使命がある」と君代さんは思い、井上さんも同感だった、と言う。
 井上さんの最後の手紙、「いのちの大空の下、いつも一緒です。ありがとう、ありがとう。大丈夫大丈夫」。いい言葉。
 井上さんのいのちは、君代さんの中に生きつづけることとなっていく。2人は心の友だ。
私の思いは君代さんとは違う。申し訳ないけど。短く言えば、「宗教の目的は、慈悲と知恵。この2つがないような宗教だったら、無いほうがいい」。
 空中浮遊に対しては「無記」で十分(「あの世があるか」という質問にブッダは「無記」、答えなかった)。笑えば十分。そんなことが「慈悲と知恵を醸すかどうかを見極めればいい」である。
 善良な個人が集まっても善良な集団がうまれるとは限らない。論楽社の小さな歩みひとつ見ても明白。だから、最低限の公開性をふくめた戒律が必要。シンプルなルールで参加者みんな、例外なく束縛されないといけない。日本はどこかアノミー(無規範が支配的になった社会)。仏教界もほとんどが妻帯肉食者、戒律がない。なのに「悟り」への希求だけがあり、理想化、神秘化がある。ふしぎ。オウムは天皇制宗教もふくめた日本社会全体の問題。
 カルト教の実行犯を処刑したって、根っこが残る。土台が残る。第二、第三の同様な殺害事件が起きるんだ——。
 君代さん、3年前にとんでもないことがあって、海の底へ落ちてしまっていた。私も明子も心配していた。祈っていた。
 井上さんという「心の友」の死もあり、大変だけれども、どこか覚悟が決まった感じ。君代さん、やるね。これからだ。覚悟が井上さんからのプレゼント。
 1月例会の全体がまるで絵本『おおきなかぶ』のようだ。
 君代さんも私も、うんとこしょどっこいしょ。和田稠さんも井上嘉浩さんも、うんとこしょどっこいしょ。「子ども2人も難病で死なせ、その2人の分まで生きる」という参加者もいっしょに、うんとこしょどっこいしょ。13人の参加者みんなで、うんとこしょどっこいしょ。大きな蕪を引っぱって、抜く。
 蕪って、何か。私は、「人生の意味」だと思った。
 あったかーいものを感じる。君代さんの人生で感じとったあったかいものだ。
 歌は4曲だけだったけど、心満たされた思いだった。ありがとう。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
2019年分の会費

 2019年分の会費を募ります。ひとくち1000円です。エールを送ってください。
   論楽社 郵便振込口座 01060-0-33737
 「講座・言葉を紡ぐ」の99回目が中村哲さん、100回目が森崎和江さん、117回目が本田哲郎さん、そうして昨年12月の121回目の中嶌哲演さん。
 月例会やワークショップが315回。
 毎月毎月運営できています。
 参加者が減っていますけど、長きに渡ってひきつづき、参加していたただいているひともいて、ありがたいです。感謝しています。
 これらの「講座」や月例会・ワークショップの運営は、参加費といまここの会費によって、為されています。どこからかの補助金があるわけでありません。内発的な支えが頼りです。
 楢木祐司さんによって13年半も制作されている「ほっとニュース」を見ていただければ、論楽社の動きは摑めます。
 十分なんですけど、会費によって、直接に支援することも考えてみてくださいませんか。
 特典や割引があるわけではありません。
 ただ直接に手紙が、不定期にたまに届くだけです。
 いまどき(いまだに)手書きの、読みにくい丸字でつづられたプリント、チラシが入った通信が送られるだけです。
 「生(なま)の現場の話を直接に聞きたい」という願いのみで運営されています。インターネット、本、TVではない、生きてる人間全身が醸す力、生の情報、現場の判断も得られるかと思っています。
 よろしかったら、2019年分も引きつづき、支えてください——。
 論楽社も仕上げのときを迎えています。
 論楽社もいよいよ終盤ですね。
 もちろん希望を掟として。前へ前へ、新しい時を求め、歩いてゆきます。
 会費というエネルギー。その願いです。恥ずかしながら。

| 虫賀宗博 | 会費の呼びかけ | 22:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第345回)むのたけじ――あちこちで発芽

 むのたけじ(1915〜2016、以下、敬意をもって、むのさんとする)というジャーナリストがいた。
 むのさんに1通だけ、手紙をもらったことがある。
 探していたその手紙がこの前、やっと出てきた。
 日付は1989年5月9日、便せんに1行おきに大きな字で書かれている。
 「あなた方のご努力が実を結んで、本当によかったです。結ばれた実は、きっとあちこちで発芽します。(略)あなた方の一層のご活動を祈ります。小生もむろん我が道を歩み続けます。」
 1989年2月に「岡村昭彦展——俺のバトンを君よ受けとれ」を京都高島屋で岡部伊都子さんたちとともに開いた。
 その事務局を私が担っていて、むのさんに手紙を書き、前夜祭として講演会を企画。むのさんは岡村昭彦さんと共著『1968年——歩み出すための素材』(三省堂新書、どこからか復刊してもらえないかな)を出しているから。
 むのさん、当時74歳。すこぶる元気。声も太い。大きい。岡村さんとは「1分1秒を惜しんで語りつづけた」とむのさん、語っていたかな。「1分1秒を惜しんで語りあう」って、スゴイと思ったのを、忘れられない。
 その岡村展が終わって、事務局を解散。まとめの通信を出し、むのさんに送った。その返事がさきほどの手紙であった。「あちこちで発芽します」は忘れられない。
 むのさんは生涯ジャーナリストであった。
 しかも、野生の、大地に根を張った、独立したジャーナリストだった。
 むのさんは朝日新聞記者であった。アジア太平洋戦争中、中国や東南アジアの特派員として「負け戦を勝ち戦とだまして報道してきた」と1945年8月15日に退社。日本中に何万人もいた新聞記者たちの中で、戦争責任をとって8月15日に退社したのは、むのさんだけ。
 「1人だけはいた」ということ、覚えておこう。
 「『神風』も『万世一系』も『無敵皇軍』も一切ご利益を失った無条件降伏の廃虚に、日本の民衆は蜂起するかもしれない。そしたら、その中にとびこもう。もしそれがおこらなければ(そういう感じもした)連合軍の日本占領は急速できびしく、当然のこと中国政府は『日本人が中国でこわしたものは日本人がなおせ』と要求するだろう。そうしたら、進んでクーリー(苦力)になって中国へ行こう。日本が再び生命をふき返す道は、ひとりひとりの国民がそういう道をくぐりぬけていくかなたにしか考えられなかった」(『雪と足と』文芸春秋新社、1964年刊、45年前に古本屋で買った、大切な本だ)。
 クーリーになって、中国へ行こうと考えたひとも、あるいはむのさんだけかもしれない。
 民衆は現実には蜂起せず、米軍に靡(なび)いて、マッカーサーを「救い主」と思って、手紙を出していた。軍や政治の最高責任者の昭和天皇が真っ先に靡いて、頭を下げ、保身。結局のところ、誰も戦争責任をとらなかった。7人が絞首刑になったが、そのほとんどが自らに「戦争責任はない」と明言していた。天皇制の上位に米国・米軍を冠する現体制が動き出していったのである。当時は朝鮮も中国も戦争や植民地支配によって疲弊していたので、米軍の威光をバックに日本は戦争責任をとらずに、やりすごしたのである。
 「ぼくは、むしろ、戦争のあんなやめ方に強く反発した。あれじゃ戦争の原因となったものは少しも解決されないから、死んだ人たちは浮かばれないし、また戦争がはじまるだろう。いや、第二次大戦の終わった日が第三次大戦のはじまりだ」(『たいまつ十六年』理論社、後に現代教養文庫になり、現在は岩波現代文庫、これは名著だ)。
 むのさん、1948年から78年までの30年間、秋田県横手市の故郷で週刊新聞『たいまつ』を出しつづけた。
 「ウソをウソと言い、ホントをホントに言えるコトバの真実を求めて」、創刊。「大衆の声・たいまつ」「ボスの敵・たいまつ」「新時代の羅針盤・たいまつ」と手製のポスターを街の電柱に貼り、一軒一軒を回り、一部一部を売っていった。30年間もつづけたんだ。
 そのむのさんの歩いた後姿に戦後民主主義は実在している。
 私の心を深く耕してくれた。論楽社をつくりつづけていこうという思いは、むのさんによって与えられていたかもしれない。
 「希望を希望するなら、絶望に絶望せよ」「寒かったら、自分でマキを割ろう。二重にあたたかくなる」「烈火は消えやすく、埋火(うずみび)は冷えにくい」。
 『たいまつ』の巻頭のコトバだ。
 むのさんが点けた炎はまだ消えない。発芽している。
(1月31日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第344回)歌いながらの革命

 何気なく、TVのスウイッチを入れた。
 ちょうど一週間前の1月15日(火)の夜9時、「ラトビア 100年物語(再)」である(NHK BS1)。
 ——ひとびとが何かを歌っている。13000人(1万3千人)のひとびとがともに広場に集まり、ひとつの歌をうたっているのである。何千人もの男と女が幾重の輪になり、(表現が凡庸だけど)フォークダンスを踊っている——。
 歌がひとつになる時の、なんという音の重なり。その深さ。ぶ厚さ。
 少し体が震え、ちょっと涙がウルウルにじむ。
 何か世界のどこかに在る聖なるものにつながっていき、ラトビアのひとびとが歌う体、踊る身体が聖なるものの受信器になっている——と言えばいいのか。
 バルト3国が(旧)ソ連からの独立を「歌いながらの革命」として行った——という事実は知ってはいた。
 それを映像で見ると、とてつもない感銘が湧く。
 もっとバルト3国について学びたいのだけど、まだできてていないので、以下、漠然とした感想を綴りたい。
 祖国はなくても、音楽でつながりあっていく民族って、ほんとうに実在するんだ。
 チェコがオーストリア=ハンガリー帝国に対してそうだったように、バルト3国もソ連やナチス・ドイツに対して、まさしくそうだったのだ。音楽そのものが祖国だったんだ。
 「何かあったな」と思って、本棚の中から30年前の小冊子(ブックレット)『歌いながらの革命』(気功家の津村喬、JICC出版局、1989年7月刊行)を見つけ出してきた。ふと思い出し、「どこかにあったはず」と探し出してきた。3日前のこと。
 このブックレット、エストニアのことだった。ラトビアじゃなかったけど、ほぼ同じと考えたい。1989年のゴルバチョフのペレストロイカが始まり、進化していく状況における緊張レポートだ。当時パラパラと見ただけで、読んでいなかった。
読んでみた。やっとこさ。
 「自分のものをひとつでも取り返すことがどんなに呼吸を楽にするものか」(同書P.6)。
 「スターリン主義にもっと反対しよう、どこにいったい民主主義があるのか(略)、エストニアの経済的自立を展望していこうじゃないか」(同P.8〜9)。
 「タリンでの三十万人集会の記録ビデオを(略)見せてもらった、話してはまた歌うというなごやかな雰囲気の集会」(同P.14)——30万人って、エストニア全人口の2割。いかに、これがすごいか、がわかる。
「バルト地方の人々は実によく歌う。国を愛し、自然をたたえる民謡は膨大な数にのぼる。ラトビアとリトアニアだけでも50万曲、エストニアのタルーツ大学の民族音楽資料館には25万ページにのぼる民謡が集成」(同P.48)。
 人生の中心に音楽があるんだ。
 音楽が自然と改革革命をリードしていった。
 スゴイ革命をやっているのに、みんなとてもリラックスし、何をするにしても、まずいちばん好きなことから始める。歌だ。歌いながらソ連の抑圧弾圧を吹き飛ばしてしまう力になっていったんだ。
 TVでひとりの女性が13000人の真ん中に立って、歌の指揮をしている。30年前の大学生の時に当時持っているだけで逮捕されたラトビア国旗を大集会で掲げ、大拍手喝采を受けた女性。当時バルト3国南北300キロを民衆たちが手をつなぎあわせて、いっぽんの草の根ラインをつないだ。ソ連の軍事力に歌う民衆力を示す、その女性ももちろんそのひとりとして手をつなぎ、歌っていた、
 手をつなぐ。歌をうたう。抗議する。ああ、人間が在る。
(1月24日)

 

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 11:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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