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人生の意味――鈴木君代さんのホームコンサートへ、ようこそ、ようこそ(その2)

 鈴木君代さんのオリジナル曲のひとつに、「Papa, don't cry(パパ、ドォント クライ)——私に遇うために」がある。君代さん、あんまり歌わないんだけど。
 いい曲だと思う。
 私は、この曲の続編を、いつかつくってほしいと思ってる。
 君代さんが6歳のとき、両親が別れた。
 その深い悲苦を「父は死んだ」ことにして、封印してしまった。

〽ちゃんとさよならが出来なかったから
心と身体のバランスがくずれた

 

〽なかったことには出来ない いのちの要求
いま曖昧にしてたら 私は
本当に生きたことにはならない
                ——Papa, don't cry

 Papaといういのちへの呼びかけ。私といういのちへの呼びかけ。この2つがひとつにつながっている曲。
 おもしろくて、深い曲だ。
 君代さん、正直に歌っている。
 そう、君代さんは正直に「生きていく意味」を問いながら歌っている。
 「なぜ好きなひとと別れなければならないの?」「なんでイヤな人と会わねばならないの?」。「なんで生まれたの?」。「なぜ死んでいくの?」。
 これらの問いかけへの返答はない。どこからもない。さみしいけど。
 わが体に返して、感じ、腑(ふ)に落とすこと以外に方法はない。感じとる手立て(方法手段)のひとつとして宗教があるけど、宗教じゃなくても感じとって納得できればいい。
 そういう問いかけ自体がひとをつくり、君代さんのいまをつくっているのではないか。そのまま、深めてほしい。
 歌いながら、2019年を生きていこう。
 ようこそ、ようこそ。

    2019年1月例会
1月27日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
  鈴木君代さん(浄土真宗僧侶+歌手)のホームコンサート「人生の意味——希望を掟として」。
参加費1000円。
要・申し込み(私宅なので、ご連絡を)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制、新年会だね)。

 2月例会もホームコンサート。2月17日(日)に中村徳子さん(音楽家)のインド音楽。1年ぶりだね。日本や欧米とは違う、音楽空間が広がる。では、また。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
人生の意味――鈴木君代さんのホームコンサートへ、ようこそ、ようこそ(その1)

 新しい年の、新しい1月例会は、1月27日(日)、鈴木君代さん(僧侶+歌手)。
 何回目の論楽社か。友人の君代さんに、もういちど来ていただける。うれしい。
 何回も書いたけど、書くたびにふしぎさが改めて感じられるんだけども、ちょうど10年前にタイのスカトー寺へミニ修行(という生きるためのあそび)に行ったとき、なんと同じ飛行機に君代さんと乗り合わせたのだった。事前にTELしたわけでも全くないのに。大阪へ行く電車に乗り合わせということでもないのに。同道していた塩田敏夫さんともども、びっくりした。君代さん、おもしろいねえ。ゆかいだ——。
 2年ぶりに君代さんに来て歌っていただき、話していただき、交流し、語りあいたいと思う。それが友達だよね——。
 突然、話が変わる。
 三帰依文(さんきえもん)というブッディストが自らに呼びかける短文がある。こぞんじだろうか。クリスチャンのひとだって、読んでみて。

 

 《人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身(み)は今生(こんじょう)において度(ど)せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん》。——「度す」は、「済度される、救済される、悟る」の意。

 

 以下、自由訳をして、1月例会のお知らせとする。
 「どこか向こうの世界から、この世へどかーんと放り投げられて、私はやって来た。気がつけば、この世、思い通りにならないこと(苦という)だらけ。生老病死に、『ほしいものが手に入らん』『好きなひととは別れねばならない』『イヤなひとには会わねばならん』。四苦八苦の峠道はきつい。いま生きているこの私は一体なぜ生まれてきたのだ。なんでここにいるのか。どうしてこんなきつい峠道を登らないといけないのか。その人生の意味をいまここで明らかにできなかったら、では、いつなのか。いまが大切。急げ」。
 「急げ!」と言われても、あせってはいけない。酒をのみすぎてもいけない。ごはんをしっかり食べて生きつづけなければならない。
 人生の意味は、この世へ放り込まれたときから、すでに在る。必要があるから、この世に来たのだ。
 わが心の底に焦点を定め、わが心のほんとうの声を聞くしかない。
 見つかる。必ずね。
 待つこと。
 問いに向かって、「言い訳もせず、ごまかしもせず、正当化もせず、開き直りもせず、あきらめもせず」(和田稠、君代さんの心の先生)、立つこと。
 ただ生きて往(い)きていこう。
 人生は思いのほか短い。いまここを故郷とし、希望を掟として、さあ、歌をうたおう。

  2019年1月例会
1月27日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
  鈴木君代さん(浄土真宗僧侶+歌手)のホームコンサート「人生の意味——希望を掟として」。
参加費1000円。
要・申し込み(私宅なので、ご連絡を)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制、新年会だね)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
光と闇――中嶌哲演さんの「講座」レポート

 いま、初雪が降っている。
 その後、お元気ですか。
 中嶌哲演さんの「講座」から10日もたってしまった。レポートするね。
 闇深ければ、光もまた強し。
 闇の暝さが深ければ深いほど、ほんの少しの光ですら強いもの。
 現代日本のすさまじい闇。闇ゆえの自灯明、法灯明の光はいまあるのか。ないのか。
 光はある。
 仏教が生まれる以前だって、すさまじい弱肉強食の闇。憲法9条が生まれる以前だって、全く同じ闇。
 どうにもならない夜の闇。とてつもない深い闇。
 だからこそ、光が見えてくるのである。
 では、どんな精神の場所から光は生まれているのか——。

 「どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出せなかった。そのように、他人にとってもそれぞれの自己がいとしいのである。それ故に、自分のために他人を害してはならない。」(ブッダ『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』岩波文庫)
 「一切の生きものに対して暴力を加えることなく、一切の生きもののいずれをも悩ますことなく、また子女を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。」(ブッダ『ブッダのことば(スッタニパータ)』)

 こんな地平から光は生まれ、光は見出されていった。
 超越的な何かによって与えられた規範じゃない。一人生まれ、一人死んでいく自己に立脚している。しかも、生は刻々と変化(へんげ)していく。不確実そのもの。その生を真正面から見据える。そんな自己をますます再生産させる「渇望」「執着」の衝動を問題にしていった(でないと、地獄が生まれてしまう)。
 そんな自分でも、自分がいちばん大切。自分でまっすぐ受忍してあげなきゃ。それがすべての出発。
 隣人も、好きなひとも、嫌いなひとでも、すべて同じように、みんな自分が大切。
 だからこそ、「生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人として)殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ」(ブッダ『ブッダのことば(スッタニパータ)』)の、9条のような絶対非暴力主義が自然に導かれる。
 初期仏教が生まれた当時のインドの森には、一角犀が多くいた、群れることなく、単独で生息。角はブヨブヨで、柔らかく、非攻撃的。ブッダの瞑想中も、ヨコを静かに歩いていたのではないか。
 個人であること。個であること。犀のように。
 個が自律的であること。犀のように。
 そこからすべてが始まる。そこからすべての光が生まれる。
 弱肉強食に闇から光が放たれていったのである。
 その後、何度も闇を体験し、そのたびごとになんとか光を生んできた。
 ヒロシマ、ナガサキ、オキナワの後には9条を生んだ。
 じゃあ、フクシマの後は?
 哲演さんは直接言及しなかったけど、「原発と核兵器のすべてを永久に廃棄」という文言を、9条第3項に新たに追加する——という光を生んでいかなかったら、ウソではないか。救われないのではないか。
 進歩なんて全くウソ、魂の力・霊位は2500年前から進化していない。ひょっとして退歩しているかもしれない。各国の政治家の表情からして、明らかに退歩している。だからこその、よりいっそうの光——。
 以上、レポート。哲演さん、感謝。ありがとうございます。
 来年は1月27日(日)、鈴木君代さんから始める。よいお年を。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
仏教以前のことから――中嶌哲演さんの「講座」へ、ようこそ、ようこそ(その2)

 弥光(みこう)庵という寺があった。寺だけど、食堂(工藤美弥子さんがつくる諸行無常カレー、うまかった)+飲み屋でもあった(いまはない)。
 そこに行っていた松岡由香子さんが「弥光庵から聞いた」と言って、論楽社へ突然来た。その松岡さんは牧師。キリスト者として座禅もしていた。「地の人・宗教対話センター」も自宅でやっていた(いまは休み)。
 その「地の人」で、私は中嶌哲演さんに出会った。15、6年前のことだ。「地の人」で合宿して、哲演さんと語りあったりもしていた。
 ひととの出会いが人生においては圧倒的な力を得る。
 だからこそ、その出会い以前のひとたちのことを決して忘れないようにしたいと思っている。縁に感謝している。
 哲演さんにときどき手紙を出している。いろんなプリントを同封するんだけど、ふと思って、2018年6月例会(宗教以前)のチラシを、同封した。
 もういちど書いてみると、「宗教として言葉にされる以前の世界に触れ、味わって、交感していくことが何よりも大切。言語以前の風、星、土、木、水、草、鳥……を感じることが大切」。
 中嶌さんが反応してくださり、対話しながら、12月16日(日)の「講座」が実現することになった。うれしい。
 いま、東日本の各地は「アフター・フクシマ」を生きざるを得ない。一方、京阪神以西の西日本はどこか、何の考えもなく「ビフォア—・フクシマ」をまだまだ生きているところがある。
 ワシらの無関心がフクシマを生んでいるにもかかわらず。
 福井・若狭にかくも多くの原発を抱えているにもかかわらず。
 12月16日(日)、いちど、哲演さんの話、聞いてほしい。
 心から、ようこそ、ようこそ。
 次は来年、1月27日(日)、ごぞんじの鈴木君代さん(僧侶+歌手)——。そういえば、君代さんも最初に弥光庵で出会った。ありがたい。

  講座・言葉を紡ぐ(第121回)
2018年12月16日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区中在地町148、TEL 075-711-0334)。
中嶌哲演さん(小浜の明通寺住職、福井から原発を止める裁判の会代表)の「仏教以前のことから」。
参加費1500円。要申し込み(私宅なので)。
交流会5時〜6時半(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
仏教以前のことから――中嶌哲演さんの「講座」へ、ようこそ、ようこそ(その1)

 12月16日(日)は中嶌(なかじま)哲演さん。
 福井県小浜市の明通(みょうつう)寺の住職。空海の真言宗。1200年前に創建されている寺。
 「福井から原発を止める裁判の会」や「原発反対福井県民会議」の代表でもある。運動の中心に、哲演さんの姿がいつもある。
運動以前の哲演さんは「自閉的な灰色のニヒリズム」に取りつかれていた(いままで2回、論楽社に来ていただいているので)。ひょんなことかで、近所に原爆の被害者がいたことで、いろんなことに気づきはじめた(内部ヒバクのことなど)。55年前のことだ。
 そこから哲演さん、ヒバクシャ援護の托鉢を1968年から始める。26年間も続ける。
 そのころ関西電力は若狭(一帯)を狙い打ちにしはじめていた。さっそく「原発設置反対小浜市民の会」を哲演さんは立ち上げる。1971年のこと。
 「反原発」の声は出すけど、小浜以外に次々と原発が発生していった。
 哲演さん、反対運動に集中していく――。
 以上が、ここ2回の講座だ。
 3回目の講座だ。視点を少し変える。
 あえて「仏教以前」に光を当ててみよう。そう思って、哲演さんにお願いした。
 何かが形成されると、その何かの形にどうしてもこだわってしまう。執着してしまう。その何かの以前の姿にゆたかに気づくことで、その何かそのものに新しいエネルギーが加わっていく。
 運動以前に気づくことによって、運動そのものがより輝く。宗教以前に気づくことによって、宗教そのものがより光る。
 そういうことだ。
 みんながみんな知っているように、ブッダになる以前のゴータマ・シッダールタはシャカ族の王家の息子だった。人間存在の生老病死に苦悩した果てに出家した――と、言われている。
 それは間違いない。
 「王よ、あちらの雪山(ヒマーラヤ)の側に一つの正直な民族がいます。昔からコーサラ国の住民であり、富と勇気を具(そな)えています。」(422)
 「(略)《サーキャ族》(釈迦族)といいます。王よ、わたくしはその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。」(423)
 「諸々の欲望には患(うれ)いのあることを見て、また出離こそ安穏(あんのん)であると見て、つとめはげむために進みましょう。わたくしの心はこれを楽しんでいるのです」(424――『ブッダのことば(スッタニパータ)』岩波文庫のP.74)。
たとえば、原テキストのこの部分だ。読んでほしい(もっともっと社会的・歴史的な内実を見きわめてゆきたいと願う)。
 何があったのか。
 戦(いくさ)だ。戦争だ。
 史実から言えば、シャカ族は滅亡するんだ。絶滅するんだ。
 これはスゴイ事実。
 戦争という、いまもなお私たちを苦しめているものに、ブッダは何を思い、何を考え、何を苦しみ、立ち向かっていったのか。それを、ともに考えたい。
 でなければ、次の言葉をどう読むのか。
 「生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人をして)殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ」(394、同書のP.69)。
 原発はすべてのいのちへ全体主義戦争をしかけているのではないか。いまを見つめよう。
 12月16日(日)、哲演さんの講座へ、ようこそ、ようこそ。
 心から、ようこそ、ようこそ。

  講座・言葉を紡ぐ(第121回)
2018年12月16日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区中在地町148、TEL 075-711-0334)。
中嶌哲演さん(小浜の明通寺住職、福井から原発を止める裁判の会代表)の「仏教以前のことから」。
参加費1500円。要申し込み(私宅なので)。
交流会5時〜6時半(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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