論楽社ほっとニュース

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連載コラム「いまここを生きる」(第343回)夕映えの山

 小寒の夕刻だ。ほんの少しの雪を戴く比叡山が夕映えに染まっている。
 いまここの一瞬、まっ赤になる。
 時間にしたら、わずか30秒とか40秒だ。
 茜色の濃い輝きが何かを語っている気がする。
 以下、何かのメモ書きのような言葉が浮かぶ。
 もちろん私の心に湧き上がってきた言葉なんだけど、私自身だけの言葉でもない気がするんだ。
 私自身へ、私につながる友人たちへ——。

 

待つこと
いのちの問いかけに
ただ待つこと
私から問い返してみたって
いのちの問いかけが湧く場所には
届かない
ただただ待って生きて往(い)きていこう
思いのほか人生は短い
いまここを故郷にし
希望を掟として
歩いていこう
歌っていこう
もともと私という存在は
向こうのいのちの世界から
必要があって
この世に放り込まれてやって来た
その必要、どのひとにとっても沈黙されている
ただ好きなことによって辿りゆく以外にない
好きな食べものは何?
好きはひとは誰?
好きな木は何?
それらによって手(た)繰り寄せる以外にない
自我で味わってしまえば
地上の欲望の炎にまみれてしまえば
その必要を見失い
思い通りにならないことに
満ちてしまう
ただ待つこと
自らの弱さの真下を意を決して耕していくと
もうひとつの道を辿って
その必要へ至ることもできる
ただ待ちながら
自らの生を太くしていくんだ
そうして太くなっていくんだ
たとえこの私が死んだとしても
ただ待つこと
待つこと

 

 以上だ。
 私の内的変革(心の、内側の世界の変革)と外的な変革(社会の、外側の世界の変革)とは別個のものではない。ひとつのつながりがあり、同時進行で働きかけなければならない。
 内的変革のほう、日常にいっぱい考えているのに、最近あまり書かなかったので、久しぶりに短く書いた。
 心が重いカゼをひいいてしまったとする。そういう病いの回復とは、どこか右肩上がりの高いところへ行くことではない(ひょっとして通常人のほうが病いかもしれない)。回復は自分自身の低いところ、小さいところ、真下にあることに気づく。回復がいのち世界へ戻ること。
 そうするとき、社会への働きかけ、かかわりかたが劇的に違ってくる。同時とは、変革されていくのだ。
 たとえ時間がかかっても、同時に変革する以外に未来は生まれない。
 夕映えの山から、そんな声が届いていた気がした。
(1月17日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第342回)合せ写し鏡

 拉致(らち)について、少し書く。
 正月休みに以下の2冊の本を読んでみたので。
 青木理の『ルポ 拉致と人々——救う会・公安警察・朝鮮総連』(岩波書店、2011年)。そうして太田昌国『「拉致」異論——日朝関係をどう考えるか』(河出文庫、2008年)。
 両書とも、いろんな在日(朝鮮人)のひとの顔を思い浮かべながら、読んだ。日本人の友人先生のひとびとも同じように思いながら、読み進めた。
 その感想をひとことで言えば、「自由なら自由を原則に求めて、ひとは必死に警察国家をつくってしまっている」——。
 Aを求めるのにBをつくる。Bを求めるのにCが現れる。ズレていく。ズレが広がっていく。ついに飛んでもないモノをつくりあげてしまう——。
 そんな感想だ。
 たとえば、日本。幕末の黒船来航の危機に、坂本竜馬の願いのように能力に応じた自由で対等な社会をつくることを求めたのに、明治国家のような警察軍事国家(開発独裁)をつくってしまった。そうしてすぐ隣国朝鮮を武力侵略していった。侵略に大義はない。ないのに進攻した。すさまじいエネルギーを必要とした。何の悪いところない朝鮮へシラフでは行けない。そのエネルギーが差別蔑視感(これが現在も克服消化できていない)。もともと朝鮮との関係によって、侮蔑偏見があったわけでない。ないところにマイナス感情をつくりあげた。意味なく西洋を崇拝し、意味なくアジアを蔑視。そういう天皇制支配をつくりあげ、学校の体制・同化教育によって、差別偏見を生み出していった。天皇制支配の実体・内実は全くのカラッポ。差別によって維持するしか他に方法・手段がなかった。竜馬が持っていた夢とは異なったモノ(警察国家)が生まれていった。そんなモノ、さみしく、つらい。
 アジア太平洋戦争の敗戦後も天皇制の上に、米国・米軍を冠しただけで継続。植民地支配が終わっても天皇制臣民の意識は変わらない。
 朝鮮人は日本臣民の写し鏡、合せ鏡だ。日本臣民のいやらしさのすべてを、写し照らしている。植民地支配し、いじめぬいたことのすべてを朝鮮人は知っている。
 日本軍がいたから、米ソ両軍は朝鮮半島の南へ、北へ入った。そして、冷戦から熱戦へ。そのすべてが日本によって生じていることも、写し鏡で朝鮮人は知っている。
 以上のことすべてが2002年9月の史上初の日朝首脳会談へつながっていく。
 北朝鮮の最高指導者が拉致を認定。謝罪。「近くて遠い」日朝の国交が回復する(国交がないということはいまだに臨戦状態にある)、チャンスがほんの少しだけ芽生えた——はずだった。
 ところが、そうならなかったし、なりえなかった。「13歳の少女を拉致するなんて」と声高に、徹底的に悪口を日本側が言いはじめたのである。「良くないことを朝鮮に対して行っている」と内心思っていた日本人はけっこういた。その日本人たちが「堂々と」文句を言いはじめた。
 「救う会」のひとびとも、日本共産党を離れた連中に牛耳られていった(なんで共産党に失望したとたん、すさまじい反共主義者になるのか、わからないねえ)。彼らが北朝鮮バッシングを、扇動していった。
日本の多くの民衆やメディアが呼応し、バッシングが深まっていく。当時官房副長官だった現首相(たち)が動き、バッシングの嵐を利用し、政権に登っていく。まるでクーデタのよう。
 2回目の政権を奪ってからの現首相は北朝鮮の核実験やロケット打ち上げを利用して、まるでほんとにクーデタのように、安保法(集団的自衛権)、共謀罪、武器輸出を次々と決定。北朝鮮の動向がまるで現政権の支援基盤。
 2002年から17年。いったい何をしたのか。
 「『他者に要求することは自らにも突きつける』という水準」(『「拉致」異論』のP.138)に達して、初めて糸口がほぐれはじめていく。謝罪するということは、自らの内部に正義を回復していくことだ。
その回復が決定的に先延ばしになってしまった。それどころか、ヘイトスピーチすら生み出し、日本の社会の戦後民主主義のうすっぺらな成果すら壊し、社会の底が抜け落ちてしまった。
 どうやって克服していくのか——。
 社会主義・共産主義の幻影について。
 青木理さんが北朝鮮に取材に行って出会ったある人物との対話が心に沁みる。「『私たちの事情もご理解ください。ただ、一つだけ、私から申し上げたいことがあります。青木さんがいま、肩にかけているのは何ですか』(略)『ええ、カバンです。(略)青木さんがカバンに見えるものは、やっぱり私にもカバンに見えるのです。私にいま、申し上げられるのはそれだけです」(『ルポ 拉致と人々』のP.12)。
 カバンはカバンでしかないのである。幻影は幻影でしかない。それ以上でもそれ以下でもない。
 社会主義でないモノを社会主義と言い張ったひとたち、社会主義へのシンパシー(共感)を持ったひとたちの進退もきわめて大切であることを、北朝鮮という合わせ写し鏡は示現している。
(1月10日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第341回)ワタナベさん

 2019年明けまして、おめでとうございます。
 新しい年の、新しい日の朝の、光の湧き水を汲んで味わっておられると思います。
 私も明子も同じように、いまここの水をいただいています。うれしく、ありがたいことに思います。
 「あとどれだけ続けられるか」。そう思いながらも、前へ歩み出してます。本年も本コラムもよろしゅうお願いいたします。

虫賀宗博

 

 さて、1冊の絵本から2019年を始める。
 北村直子さんの『ワタナベさん』(偕成社、2018年)である。おもしろい絵本なのだ。
 主人公はワタナベさん。といっても渡辺さんというようなひとじゃない。
 なんとナベ(鍋)なんである。
 「さむいひ えいぎょう」とひら仮名で書いた看板を出すだけの下町の家庭料理屋。
 毛糸のマフラーしたお母ちゃんが「やってるー?」と訪ねてくる。
 「いらっしゃいませ、きょうもさむいですね」とナベちゃんが答える。
 引き戸を開けると、土間が広がる。セメントで固めた叩(たた)きが奥へ伸びる。大根、白菜、にんじんがきちんと置かれている。ゲタも揃えてある。清潔に満ちている。どうもナベちゃんは几帳面な鍋らしい。
 「もつなべ」「ゆどうふ」「キムチなべ」「みずたき」とメニューが(きっと)白墨で書かれ、真ん中に「わたなべ」とある。「えっ!?」と思うけど、スペシャルな手作りぎょうざを入れたような、あったかいオリジナルな鍋なんだろう。きっとね。
 「なににしようかね」とお母ちゃん。
 「きょうはおでんがおすすめですよ」とナベちゃん。
 「じゃあ、おでん4にんまえ もらう」とお母ちゃん。
 「しょうしょうおまちください」と言って、おでんの食材を次々に入れ、火が付き、顔を真っ赤にし、煮込み始める。まんまるの目をし、ヘの字の口で、顔を真っ赤にしている。いい顔(図書館で見てね)。
 「すぐにいいにおいがしてきました」。
 「『おまたせしました!』とあたまのふたが パッとひらいて おいしそうな おでんのできあがり」。
 下町の人気店。「ワタナベさんは なべひとつで りょうりをつくる めいじんです」。
 お客さんの長い列ができている。
 ある少年が来る。「ナポリタン 3にんまえ ください」と注文。
 やったことがないので「うーん」とナベちゃん。
 困って、悩む。とにかく、えいっと始める。
 ソーセージ、ピーマン、たまねぎ、マッシュルーム、ケチャップ、にんにく、コンソメに水を入れ、途中でスパゲッティを半分に折って入れる。「ほんとうにできるかな」と少年は呟く。
 グツグツ煮込んで、ハイ。
 「『おまたせしました!』あたまのふたがパッとひらきました」。
 おいしそう。パスタがトマト味のスープの中にゆらゆら。
 「くらいから きをつけてくださいね」と少年を送り出す。ネコもしずかに見送る——。
 以上だ。
 シンプル(素のまま)で、アットウォーミング(あったかーい)。
 日本の伝統食以外に、カレー、シチュー、ポトフ、ボルシチ、ロールキャベツに、中華鍋。そうしてナポリタン。食は開かれている。食は天。自閉的でない。
 平凡な恵みをすぐれて活用して、知恵深く、あたたかく手料理。いまここを活かし切っての、うまいもん。
 2019年も1日いちにちを煮込んでいこう。ワタナベ君のように。
(1月3日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第340回)ずりだしうどん

 うどんのことを書く。
 こんなうどん料理が好きである。
 まず乾麺を10分かけ、ゆがく。ゆであがったうどんを釜のまま、テーブルに置く(明子はあったかい土鍋にうどんを入れ直す、冬にはいい、いいアイディアだ)。
 次に薬味。しそ、しょうが、みょうが(あったら、適宜入れる)。ごまは欠かせない(多めに煎って、すり鉢でする。私は大好きだ)。
 大根おろし、(七味)唐辛子、ゆずの皮。こちらもあれば、適宜に入れてもよい。
 ねぎ、にら。精進料理では使わないけど、疲れ気味のときは、よく刻んで、入れたほうがよいかも。
 ごぼう、にんじん。小松菜、白菜、ほうれん草などの葉っぱ。少しでいい。軽くゆがいて、刻む。ぎゅうと固く絞って、入れるのがいい。うまい。
 油あげ(軽く焼く)。きざみ海苔。わかめ。ゆば。これもあれば、適宜に少し入れると、味の風景が変わる。
 以上を、こんぶ出しでとったつけ汁に入れて、ズルズル、ツルツルとダイナミックな音を響かせ、ただただ食うのである。
 禅寺の典座(台所)で雲水たちが好んで食べる「ずりだしうどん」の改訂版。釜から「引きずり出し」て、食うから、ずりだしうどんと言われている。
 ズルズルと音を出して食うから、ズルだしうどんでもいいかも。
 禅寺のふだんの食は、話し声、箸、茶碗の音を立てることはできない。食べるメディテーションをするのが修行。
 ところが、ずり出しうどんのときだけは、典座で遠慮容赦なく、ズルズルの音を響かせることが許されている。
 どこか解放され、箸が進んでいく。
 海や山の恵みをそれぞれ少量を薬味にし、畑の幸(さち)のうどんをメインにし。ワシワシと食べるのである。
 感謝しながら、供養しながら、過ぎ去っていく1年を見つめながら、次の年への糧にしていくのである。
 祈ろう。
 黙想しよう。
 瞑想しよう。
 私が幸せでありますように(私の歩みを認め、受け入れ、幸いであることをまずは言祝ぐ、これがすべての出発点である)——。
 私が好きなひとが幸せでありますように(ありがとうね、ことしもお世話になりましたね)——。
 私がきょう見かけた見ず知らずのひとが幸せでありますように(ココから慈悲の瞑想のひとつのヤマ、ムリせず、ゆっくりとゆっくりと、いま食っているずり出しうどんだって、何百人何千人のひとたちの手を経てやってきているのか? その相互依存連係生起の営みによって生かされている)——。
 私が長い間ネガティヴな感情を抱きつづけていたあのひとが幸せでありますように(ふたつのヤマ、自戒をちょっと崩す、ちょっと君、互いに無明を湧き立たせてしまったね、無明は黒い雲でしかなかった、光の力で消えていったよ、お元気でね)——。
 そうして、生きとし生けるものが幸せでありますように(みっつめのヤマ、全生物——それも死んでしまったいのちも含めて——の幸を言葉にする、そっちの方向に行くんだ、と言葉にしてみるんだ)——。
 以上、テーラワーダ(上座部)仏教の慈悲の瞑想をやってみる。2000年をかけ、この順序でこの言葉で(さまざまな言語)、行われてきた。その祈りの時の重なりに生かされてきたんだ。きっと。
 こんなにも厳しい時代。でも、地獄にすっぽり落ちきってはいない。まだ。まだ。
 さあ、自分のいちにちを生きていこう。ことしもありがとー。
(12月27日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第339回)器量――友人が教えてくれた本(その3、完結)

 前回、前々回から続く。友人が教えてくれた本との出会い。その3回目である。本はA〜Dと書いた。Eから始める。
 E. 吉田裕『日本軍兵士——アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書、2017年)。
 三室勇さんが教えてくれた(2018年11月例会レポート「ほっとニュース」12月2日号を参照。繰り返しを避けたいので、次のことを書く)。
 国家建設の目的は人権を守ることに尽きる。そう思わないか。けれども明治という国家の目的は富国。欧米諸国に打ち勝つための富国。ひとはその材料。道具。
 その目的の実現に、明らかに失敗した。対外暴力を積み重ね、本書のようにアジア太平洋戦争によって、決定的な敗北を喫した。
 具体的にはひとりひとりの日本兵の身体に決定的な敗北として立ち現れていた。それが太平洋戦争——。
 異様に高い餓死率(戦死の半分が餓死。でも具体的な飢え死にした兵の数が軍によって焼却されたりしていること、哀れだ)。現在も食料自給率は4割。米国の食料支配下。こんな危険なこと、他にない。
 戦場でのおびただしい自殺者(世界で一番の高率)。戦場で心を病んで壊す兵士たち。
 30万人も超えた海没死(兵士でもない船員たちが空爆を受け、死んでいった。兵士でないので、何の補償もない)。
 もう、繰り返しになる。
 でも、きわめて大切なことだ。
 なんでこんなアビュース(虐待)が可能だったのか。
 明治体制の国家神道、学校教育、民法の家システムというマインドコントロールがいまも解かれることなく、なんで残り続けているのか。国家の土台や太い柱をなんでつくり変えなかったのか。いまの日本社会に深い影を投げかけている。
 戦死者たちは沈黙していない。声を聞くことだ。靖国思想から離れ、数少ない、でも、残っている遺品や資料に耳を傾けることだ思う。
 F. 吉永春子『さすらいの〈未復員〉』(筑摩書房、1987年)。
 Eに喚起され、思い出し、書庫から出して来た32年前の本。久しぶりに再読。
 歩いて5分の所に鶴見俊輔さんがいた。そこに「引越して来ました」とあいさつに行った、32年前の春のこと。そのとき、精神病と岩倉の地の深い縁の話を鶴見さんから聞く。その対話中に、ふと耳にした本である。
 未復員兵。戦場で発病。心を壊す。入院治療している間に敗戦。日本が負けたことはその後に知っている。いまは平和でいいけど、天皇陛下の命令があれば、もう一度戦争に行く、と彼らはみんな言う。
 みんな、誠実でマジメ。何十年前には日本の各地に普通にいたひとたち。戦争に行かなければ、農民や職人としてすこやかに生きていったにちがいないひとびと。
 そのひとたちみんな、戦場に連行され、上官からの執拗なリンチ、すさまじい戦場での攻撃の爆音に接し、自殺するがごとく発病していったのである。
 未復員のひとたちは当然復員したい。故郷へ帰りたい。家へ戻りたい。でも、できない。
 ゆえに「未復員」。
 理由は経済的なことでない。
 「家」や「村」の器量が小さくなってしまったことを私は思う。引きとることを拒絶するのだ。その後「村」という共同体は死んだ。
 ある元兵士が帰郷したいと申し出た。弟の嫁からの返事。「親不孝者のごくつぶし。クシャ、クシャ言ってくるな。お前みたいな気狂いは、末代の恥。家庭が乱れてしまう」(本書P.244〜245)。
 戦争でアビュース。精神障害でアビュース。老人になってからまたこんなアビュース。それでもひとは生きねばならない。
 三室勇さん、ありがとう。鶴見俊輔さんもありがとうね。
(12月20日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 18:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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