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京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここを生きる」(第273回)愛する世界が壊される――ある夏の日録(その3、完)

 きょう(9月9日)も、朝から晴れ。いま朝9時、気温22度。
 秋の白い光に満ちている。
 風はない。
 大切な恵みの一日いちにちが、いまここで生まれている。
 いくら短い一時間だって、大切にいまここを生ききっていけば、きっと、永遠よりも長いかもしれない。アハハ。
 3回連続し、この夏の日録の断片を残す――。

 

  8月―日
 43、4年前のことだ。古寺巡礼をひとりでコツコツやっていた。孤独で反時代的な小さな巡礼。
 この3年、40年ぶりに再開している。
 奈良の秋篠(あきしの)寺へ、きょう、明子と来た。
 伎芸(ぎげい)天を見る。思いのほかにぽってりと分厚い腹部を発見し、おもしろい。
 ほとんど誰もひとがいない。とくに夏や冬がそう。
 メディテーションの空間が古寺である。
 そう気づいて、ブラリとときどき、足をはこんでいる。

 

  8月―日
 冊子『キタコブシ』177号が届けられる。
 『キタコブシ』は「大道寺将司くんと社会をつなぐ交流誌」。
 その大道寺さんが2017年5月24日に死去した。次号の『キタコブシ』が最終刊となる。
 20年前ある死刑廃止の集いでスピーチして以来、郵送されてきていた冊子。
 松下竜一さんの『狼煙(のろし)を見よ』(現代教養文庫)を読んだひとならば、みんなわかるはず。「くそまじめで気のやさしい青年たちが思いつめ、ある大企業ビルの前に小さな爆弾を置き、『気づいてほしい』という願いで炸裂させたら、予想以上の大きな爆発となって死傷を出してしまった」というアホな話。「傷つけたくなかった」のに「傷つけてしまった」という辛い話。
 爆弾以外の他のコミュニケーションの方法、表現のしかたは何かなかったのか。「思うだけでいいじゃないか、やめろ」と伝えてくれる友人はいなかったのか(私も20歳のころはひとりぼっちだったけど)。
 大道寺さん、死刑が確定。獄に40年以上いた。
 多発性骨髄腫を得て、死去。
 『キタコブシ』が生まれ、友人たちが生まれ、良い俳句もつくった。
 ずうっと獄中の生活だったけど、ひとつの人生を終える。

 

  8月―日
 季刊『魂うつれ』70号(本願の会)を読む。
 水俣の御所浦島の土砂が沖縄の辺野古基地の埋め立てに使われている――とのこと。なんていうことだ。
 「私たちの愛する世界が壊されようとしている」と緒方正人さん。
 「他の命と繋がってやっと赦されて生きているわけですので、そういう意味では山肌が削られるというのは、身体が削られるような痛みを覚えて来ました」とも、緒方さん。

 

  9月―日
 岐阜の八幡(郡上市八幡町)へ来る。
 吉田川(長良川の支流)の橋の上に明子と立つ。
 川風がふわっと吹き上がる。
 なんという気持ちのよさ。生きてる――という感慨。
 小さな町の、小さな湧き水に心洗われる。宗祇(そうぎ)水、延命地蔵水……が湧き出しており、それぞれがうまい。
 気(エネルギー)を小さくいただく。
 一日いちにち、生きていこう。
(9月14日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第272回)言葉を打つ――ある夏の日録(その2)

 きょう(9月1日)も、なんていう青空。
 湿度計がどんどん下がり、なんと40パーセントへ。
 猛暑が終わった。
 恵みのいのちがきょうも生まれている。
 引き続き、日録の断片を残す。
 断片というのが、私の体質にあっているかもしれないと思っているから――。

 

  8月―日
 6月24日のFI(フレンズ・インターナショナル)のハンセン病のフォーラムについて(コラム「いまここを生きる」2017年6月29日を少し読んでみて)。
 そのフォーラム中の樹木希林さんの「差別はなくならないわよ」という発言について。
 批判や反発があるという。
 たとえば、「樹木さんも(『あん』で)患者の役を演じたからって、全然ハンセン病の過去や歴史って全然頭にないんよ。差別はなくならないって言うけど、でもなくならないから、やるんじゃない」(ハンセン病回復者・社会復帰者の山本恵美子さんへのインタヴュー、『むすび便り』38号)。
 当事者からの批判は聞かねばならない。まず、頭を下げたほうがいい。その原則は忘れてはいけないと思う。
 その上であえて感想を付加してみる。
 樹木さんのアナーキーなところをまっすぐ受けとりたいと思う。「差別はなくならないからこそ、声をかけあっていこう」と共感展開していくことを願う。
 「差別がなくならない」は始まりの言葉だ。
 差別の切り捨ての、終わりの言葉であるわけがないじゃないか。私はそう思う。

 

  8月29日
 映画『チャルカ――未来を紡ぐ糸車』(島田恵監督、2016年、90分)を見る。
 主題は核のゴミ。核廃棄物。
 ゴミとか灰とか表現するけど、たき火や炭という日常生活レベルの話ではない。核はいったん分裂しはじめると、ずうっと分裂しつづける。つまり、死なない(「死の灰」とたとえるけど、灰にも炭にもならずに)。生きつづけるのである。
 ヨウ素129は、半減期が1570万年(ヨウ素131は8日だけど)。プルトニウム239は同じく2億4000万年。ウラン238は同じく45億年。
 何度も言っているように、人間にとって100000年(10万年)後、1000000年(100万年)後、10000000(1000万年)後……なんて想像もできないことなんだ。
 保管しつづけるなんて不可能。
 出口がないのに、どうして入口の門を開けたのか。
 これはもう、狂信カルト。
 カルト宗教のような核産業マフィア(原発村の「村」は、ほのぼのしすぎている)。
 寄生獣(岩明均)たちの集団。

 

  8月30日
 きのう(8月29日)の夕刊と同時に朝刊を読む。北朝鮮のミサイルのことを、知る。
 日本には特使を派遣する、あるいはスイスとか他国での秘密外交交渉する用意はないのか。北朝鮮がいいと言ってんじゃない。問題は日本の外交力だ。
 外交の基本はいかに敵を減らし、いかに味方を増やすか、だ。
 けれども日本の外交は冷戦後の仮想敵国を北朝鮮に固定してきた。戦後外交は宗主国の米国との一国関係だけ。これまた固定された外交の貧困さのツケがいまに来ている。固定は硬直硬化につながる。少なくとも「日本は平和を求める。東アジア隣国との平和を心から求めるものである」との声明でも出すべき。日本は真剣に言葉を打つんだ。ミサイルではなく。
(9月7日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第271回)解散規定――ある夏の日録(その1)

 きょう(8月27日)、なんていう青空か。まるで3000メートルの山小屋の天上に広がる青だ。
 やっと、小さな秋が風の匂いに入りはじめている。酷暑がついに終わったか(と思う)。
 「自分でよかったと言えるひとになっていきたい」「湧き上がる苦を逃さないように背負っていこう」。
 そう思いつつ、今夏も一日いちにち、生きてきた、か。日録でその断片を少しでも残していく――。

 

  8月―日
 好きなこと、60を過ぎても好きなものは変わらない。それどころか、ますます好きになる。
 山、ラグビー、湧き水、そば、純米酒、なつかしい町並み、モーツァルト。
 湧き水を訪ねる「小さな旅」、続けたいね。湧き水の地には必ずうまいそば、うまい酒があるから。
 明子と岐阜へ帰った帰路、滋賀の醒ヶ井(さめがい)に途中下車。伊吹山、雲仙山の間の断層から湧く泉。旧中仙道の古い町並みを通って、湧き水に辿り着く。
 こんこんと湧く。冷たく、甘く、さっぱりした水だ。3杯、飲んだ。ごっくん、ごっくん。うまい。

 

  8月13日
 大津に片岡輝美さん(会津放射能情報センター)の話を聞きに行く。
 4年前に片岡さんの会津の若松栄町教会へ行った(2013年5月30日のコラム「いまここを生きる」(第48回))。
 厳しい。たいへん厳しい核事故。(暴力的に片岡さんの話をまとめるならば)原発事故は起きない「安全神話」をずっと垂れ流し、福島原発事故後は「原発事故は起きたけど、たいしたことなく、大丈夫だ」という「安全神話」を垂れ流しつづけているんだ――ということ。
 核事故直後の最初から「危険でない」というキャンペーンをやりつづけている。「放射能もれは大した量ではなく、外部被曝も内部被曝も大したことがなく、健康被害もない」という宣伝をやりつづけている。甲状腺のエコー検査以外の健康診断をかたくななまでに拒絶している態度は、すべての実相が明るみに出ることを恐れているからだ。
 70年前のヒロシマ・ナガサキのときから洗脳が始まっている。あのすさまじい生体実験の原爆投下を「戦争を終結させるための正当な行為である」との洗脳キャンペーンを張られ、なんと投下された日本までが協力協賛していったのである。いまや米核帝国に完全支配されている。
 「平和利用」キャンペーンも、チェルノブイリ事故も、フクシマ事故でさえも、すべて安全安心キャンペーンの材料ネタにされている。
 イヤだともっともっと声を出そう。
 声を出さないと、受け入れたことにされるから。
 北朝鮮のおかげ(?)で日本や韓国には核兵器がどんどん配備され、軍事費増強もきっと進む。原爆搭載の、あるいは暗殺目的の無人機も日本海を北上して飛ぶ。
 イヤだ、と声を出していこう。それ以外に何ができるのか。

 

  8月―日
 岩倉盆地の奥の棚田の稲は穂を垂れ始める。
 赤トンボが数少ないけど、空を舞っている。
 先祖先輩たちは、玄米、みそ、しょうゆ、梅干し……とうまい好物を残していってくれた。ありがたい。
なのに、この日本国家の粗国ぶりはどうだ。
 「民意に依れば国建ち、民意に逆えば国亡ぶ」(孫文)。
 民に依らなければ、国は亡びるのである。
 「日本国家にも解散規定を設けることを提唱したい」(竹内好、1961年)。
 昭和天皇に戦争責任ひとつ取らせずに、米核帝国の指示のままに、ある意味でいえば、やられるままに受身に無為に過ごす戦後。それを解散させるなんて。おもしろい。ドキッとする。竹内好は妙におもしろい。もっと読みたい。
(8月13日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第270回)ぬくもりの光

 8月5日(土)、8月例会が始まる前に、少し時間があった。
 思い切って、とりいしん平さんに、ある質問をしてみた。
 以下はある意味で8月例会の追補の記録でもある(ほっとニュース「心の床間に音楽」2017年8月15日の補録だ)。
 「左折の改憲論」について、だ。
 加藤典洋さんは『戦後入門』(ちくま新書)において論じ、9条の創造的な改革を提案している(「いまここを生きる」の第267回のブログ、2017年8月3日)。
 「外国軍を駐留させない」「核兵器使用禁止」を9条に追加改正していく――というもの。
 そうできればいいんだけども、さあ、できるんだろうか。
 矢部宏治さんの『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないか』(集英社インターナショナル)にも、同じ提案がされている。
 先例としてフィリピンにおいて、米軍を追い出すことに成功していることを紹介している。フィリピンでやれたこと、日本だって、できると思うけど、具体的によいしょと担うひと(政治家)がいない。
 とりいさんも明言。
 「うーん、受け皿がない。沖縄のひとびとの声を体現している政治家がいても、その意を汲む政治家がヤマトにいないので、受け皿がない、うーん」。
 その通りである。
 全く、その通りだ。
 現在、「右折の改憲(9条の殲滅)」を押しとどめるだけでもせいいっぱい。
 しかし、スキがあったら、一気に「米軍、出ていけ」という条件を付加する――という攻勢に出てもよい。「攻撃は最大の防御」なんだ(これ、ラグビーやけど)。
 そうしないと、永久に米軍米国の属国だ。
 政府や企業からの攻撃に晒され、私たちは当事者意識がとことん希薄。当事者なのに観客になっている。
 ところが、9条に関してのみ、当事者意識が残っている。戦後70年の各世論調査のすべてで、まだ半分以上のひとびとが「守れ」と言っている。
 その「守れ」をもっと深める以外にない。
 沖縄のひとびとの声をもっともっと聞くこと以外に、方法はないと思う。
 沖縄の声がヤマトにとって、ぬくい光だ。もっと光が差してほしい――。
 とりいしん平さんと話してよかった。こういう対話が可能なのが友人だな。
 8月5日(土)、「雨戸」をとりいさん、歌ってくれた。
 私の詩より、よくなっている(「雨戸」の詩、ほっとニュース「いのちにエネルギーを注ぐ――10月例会レポート(その1)」2016年11月7日)。
 凄いことだ。ぬくもりの友人だ。

 

   雨 戸
       詩・虫賀宗博
       曲・とりいしん平
 いまはもうすでに朝なのに
 なんで雨戸が閉められたままなの
 思い切って 雨戸を引き開いてごらん
  いちまいずつ いちまいずつ
  ちょっとずつ
 朝の光が差し込んでくるだろう
 ぬくもりの光が縁側のほうへ 座敷へ台所へ 入ってくるだろう
 ぬくもりの光が

 失うものがない心には
 喜びしか流れ込まない
 新しい私を見つけ出すことによって
 私は 私自身を越えていく
 失うものがない心には
 喜びしか流れ込まない
 新しい私を見つけ出すことによって
 私は 夜を越えていく
 ラ ラ ラ ラ ラ ラ
 ラ ラ ラ ラ ラ ラ
 雨戸

 

 曲はどう表現してよういのか、わからない。いつの日か、映像の記録も残しておきたい。
 バンジョーの柔らかい音色の前奏がいい。
 「新しい私」が内部で発見していく喜びに満ちている気がする。
 朝日は毎朝美しい。ぬくい。
 私たちが雨戸さえ引けば。夜を越えたいと思えば。ぬくもりの光が心に差す。
(8月24日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第269回)よいしょと背負う

 短く書いてみる。
 腑(ふ)に落ちたのである。
 得心したことを書いてみよう。
 主題は、「私自身でしか味わえない人生の悲苦」である。悲苦って(自我の)思い通りにならないこと。
 その悲苦煩悩の多くは空騒ぎに終わる。深呼吸による気づきによって相対化無化され消えていく。
 ところが、ときになぜか本騒ぎの洪水になることがある。
 「どうして洪水なのか?」「なぜ人生の中心の堤防が決壊するのか」いくら考察しても不明。きっと業縁(ごうえん)と呼ぶ以外にない大きな力によって喚起されているにちがいない。
 その洪水が機。
 これからの話のすべての機。
 理性知性を全開して洪水の原因を究明しても全く救済にならない。洪水の責任を誰か、他のひとに追求しても虚しい。「私ほど不幸なひとはいない」と自己絶対化し、いくら叫んでみても同じく虚しい。
 悩みながらもなお私はいま生きている。
 腹も減る。夕陽も美しい。
 じゃあ、「虚しい」私を突き動かす底の力はいったい何なのか。「悩める」私を生きぬいているいのちの底力はどこから来るのか。
 私を超えた底力を明知する。それを機とし、私自身を振り返る。私を見つめながら、大いなる風(これをアミーダの本願と言おうが、神の聖霊の働きと言おうが、何でもよい)に守られることを実感しはじめる。
 これが相対化だ。自己絶対化が崩れはじめ、相対化としか言いようがないものが生まれるのである。
 「相対化なんだ」を最初に実感したのが、10年前。2007年11月。上島(聖好)さんの死直後にソウルへ行き、その帰路の車中であった。仁川空港へ向かう夕焼けの中だったと記憶している。――2007年11月22日のブログ「連載コラム「いまここを紡ぐ」(第125回)ソウルへの旅(その1)――まことの自己を生きんがためにこそ自己相対化する」。
 洪水があってこそ、洪水以前の、あるいは洪水復興後の風景が見えはじめる。現前の洪水風景が相対化され、わかるのである。
 天地人のすべてを支え、手とり足とりして助けてくれる“親様”(私の父母のような大地の念仏衆は“親の親の親……、根源の親”をこう呼ぶ)の願いが体でわかりはじめていくんだ。
 わかることで、悲苦が消えるわけでない。全くない。
 そんな麻薬のような効果があるわけじゃない。
 そうじゃない。
 自らの悲苦を見つめて、よいしょと背負ってみる――。
 そういう活力元気が“親様”から与えられていく――。
 背負ってみれば、「これだけか」「なんとかなるやろ」「もう一歩上へ登ってみるか」と思えるかもしれない。この背負うという身体感覚に、得心納得したのである。
 悲苦は軽くはならない。しかしこれ以上重くはならない。「よし、行くぞ」と見極め、見切りができるようになるのである。これが私の信心、决定(じょう)。
 私は以上のように生きてゆきたい。残りの人生を静かに(と言いながら実はやかましい)生きていきたい。
 どこから来たのか。どこへ往(ゆ)くのか。なぜ生老病死があるのか。なぜイヤなひとに出会うのか。すべてはわからない。わからなくて、いい。わからないけど、生きれるんだ。生ききるんである。腑に落ちたんだ。
 わからないからこそ、遠くからの、彼方(かなた)からの声を聞くことができる。その声はぬくい。金在述(キム・ジェースル)さんが繰り返し言っていた。「人生、つらいけど、どこかぬくい」って。
 その声のままに。
(8月17日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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