論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第47回)親と子
 心に残る小冊子がある。パラパラと眺めてみる。
 『ちぎられた心を抱いて』(国立ハンセン病資料館、非売品、2008年)。
 「隔離の中で生きた子どもたち」というサブタイトルが添えてある。
 ハンセン病を得た子どもたち。
 「らい予防法」によって、親から引き裂かれた子どもたち。
 「1、2年で治ったら、故郷親元に帰ることができる」と言われたけど、親は来ない。
 「柳の青い芽がでたら、島へ面接に行きますと、桃の蕾がふくらんで白くなったら行きますと(略)。ああ母さまはなぜこない」(田島康子さん)。
 裂かれて、ちぎれる心。
 ひとりの女の子の写真がある。
 勝ち気そうな目に、どこかに「捨てられたんだ」という深い淋しさが同居している表情。着物に、おかっぱ髪。「1930年、多磨全生園」とある。
その後、彼女はどんな成長をしたんだろうか。いまも生きてあるのだろうか。
 親子の相互自己肯定。
 それがあって、子どもはこの世界に生まれさせられたという根源的な受動性、無実性を自ら解除して、このムチャクチャな世界を受け入れていくのである。
 それがあるのか。彼女に。
 こんな証言もある。心がなごむ、少しだけ。
 「ネムにさわるとすーっとこう葉が閉じる、それを見てもう親恋しくて。ええ。こう、ああ、お父さんお母さんにこうされたいなあ(葉が閉じるように抱かれたいなあ)、って気持ちでね。」(工藤昌敏さん)。
 ネムの木のうすい紅が東の空に飛んで砕けて、みんなの朝焼けになる気分。
(8月29日)
| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 17:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第46回)目には見えない「気」
 映画『あん』を見た。監督は河鹹照さん。
 原作については、貸本してくれたYさんのおかげで、2年前にすでに読んでいる(2013年9月8日付のコラム「いのち――その断章」)。
 映画の中心に、目には見えない「気」が在った。それが風になり、太陽になり、月になって、世界を彩っている。
 この監督は、その「気」の存在にちゃんと気づいている。世界の「気」が風や桜、紅葉、満月に変化(へんげ)し、穏やかに、無音のままに、人間たちを励ましていることに、気づいている。
 人間たちは、この世界の点景。水墨画の点景のよう。
 主人公の徳江(樹木希林)はハンセン病回復者。多磨全生園(ぜんしょう)園で生活。徳江は園内で結婚。妊娠したけど、強制堕胎の手術を受けた(子どもを持たせないことが園の規則)。パートナーとは死別。76歳。
 もうひとりの主人公は千太郎(永瀬正敏)。年40くらいか。独身。あることで背負った自らの借金返済のために、小さなどら焼屋を営んでいる。どら焼、千太郎は好きでもなく、やる気は湧かない。あんは、業務用を購入。手抜きの店主。
 散歩中に徳江がふと千太郎の店に出会う。千太郎の暗い、自分を卑下した目に出会ってしまう――。
 徳江は自分自身の目に出会ったかのように思う。全生園へ強制隔離され、完治しても一切の外出ができなかったときの自分自身の目にそっくり。
 「もし、あのときに男の子が生まれていたら、こんな年に育っているか」とも思って、千太郎を見る。
 徳江は「雇ってくれないか」「時給200円でもいいから」と声をかけてしまう。「えっ!?」と千太郎。
 押し問答があって、結局、見本に置いていった徳江の手作りの、あんのあまりもの旨さゆえに、雇うことに。そして、行列が出来るほどの繁盛店へ。
 毎朝、徳江はあんをつくる。小豆が育つのに受けた風や雨を思いながら、ゆっくりゆっくり5時間もかけて、つくる。つくりながら、徳江と千太郎との間に、まるで母子のような情愛がしっとりと育っていく。
 「あのオバチャン、ハンセン病や」とのウワサが立ち、広がり、店は潰れる。徳江とも死別。
 けれども、別れは出会い直し。千太郎は徳江の生涯も知り、「徳江さん、守ってやれなくて、ゴメン」という思いが、溢れている。千太郎の魂の年輪がぐーんと太くなり、新しい店づくりを始めるところで、終わる。
 世界が造化(ぞうげ)の気に、情の気に満ちていることに気づく。(6月23日)
| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第45回)選挙
 京都市の市議会選挙が4月12日(日)に投開票があった。
 広海(ひろみ)緑朗(ろくろう)さん、2282票。
 最下位当選者と1500票の差。敗北である。
 選挙ハガキ(公費で郵送できる)を4000枚出すことができたと聞く。私もそのハガキを七十枚出した(考えに考え、5時間もかけて、左京区の友人を選び、2行のコメントを書き添えた)。
 そのハガキをもらったひとの4割が広海さんには投票しなかったことになる。
 投票率も左京区で45パーセント(市全体の投票率41パーセントで過去最低)。
 以上の事実をどう考えたら、よいのか。
 まずはとにかく、ロクローさん、苦しまないで。敗北を内面化しないことだ。主張していたことのすべてを有権者が否定したわけでないから。
 ロクローさん、「北米インディアンとの出会い」「パンクのバンドでドラムをたたく」「マグロ漁船に乗る」と自らが生きぬいてきた思いをよくぞ公開し、チラシにしたと思う。前掛けをして、登場したころから、「選挙で戦うぞ」という感じがあってよかった。ロクローさんらしさが表出されていたから。
 ただただ時間が足らなかった。1年間の準備時間では絶対に不足していた。いくら水をやってもいくら肥料をあげても、選挙という樹木が生育するのには一定の時間がいる。
 落選したのは、有権者が悪いからだけでない。社会が悪いからではない。伝えかたに、その伝えかたの重なりの不足に原因があると考えよう。
 4年後を考えても考えなくとも、いまから歩み出してほしい。
 自民のひとだって、公明のひとだって、維新のひとだって、共産のひとだって、敵ではない。その中に、ロクローさんの仲間はいる。すべて縁起である。
 その縁をロクローさんのほうへ、ほうへ、と生かしていくために、出町柳駅前に立って、晒すことなんである。その時間が足らなかったのである。くちにするのは、「広海ロクロー、50歳、いのちを守る」だけでいいのだ。選挙はそういうものなんだ。市民運動をやっちゃあ、いけんのだ。
 ロクローさんだけが磔にされることはない。といって、「よくやったんだから、よかった」という総括だけに終わらせてもいけない。ものすごい壁があるのである。どうやったら、その壁を乗り越えられるのか。そのことを真剣に話していこう。
 365日がゆるやかな選挙期間なんだ。「どの大根を買うか」「どの砂糖を求めるのか」も含めて、すべてが政治、経済の話なんだ。すべてが戦争、原発につながる話なんだ。
 ロクローさん、いまから「ゆるやかな選挙期間」を生きようか。私も仲間だ。
(4月19日)
| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 10:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第44回)暗かったね――中村哲さんとの個人的対話
 中村哲さん(医師)の話を聞いた(8月31日、京大、ピースウォーク京都の主催)。
 3年ぶりの哲さん。
 主催者じゃないと、楽に聞けるな。本売りを少し手伝っただけで、ゆっくりと聞けた。ありがたかったな。
 哲さんと2人だけでの対話、ほんの少し。再現してみる。
 「哲さん、腰は大丈夫ですか?」
 「ええ、もう、すっかり。」
 「実は、私、結婚しました……。」
 「ええ、風の便りで耳にしました。よかったですね。いや、ほんとによかったと思います。よかった――。」
 「そうですか? いやあ……。」
 「虫賀さん、暗かったですもん(笑)。……そして、何というか、(上島+興野のことは)触れていけない、触れさせない――という感じでしたからね。」
 「え!? そうでしたか?」
 「ハイ、そうでした。」
 そうだったんだ。
 20年の付き合いの中で哲さんはそう思って見ていたんだ。
 私は私で、必死に私自身を守っていたんだな。
 「暗かったね」と言われて、妙に納得したんだ。「そうか」「なるほど」と思った。
 やっと、私に新しい時が生まれているのである。
 「哲さん、また。お大切にね。長生きしてくださいよ――。」
 「ハイ。もう少し生きて、(水路のことも世の動きも)見届けたいと思っています。また、行きますから。あの藪蚊の多い論楽社へ(笑)。もう何年行ってませんかね……?」
 「はい、待ってます。お願いしますね。じゃあ、ほんとに、お元気で。」
 哲ちゃん、ほんとうに、ありがとう。
(9月9日)
| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 19:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第43回)想像力の旅――アイラ島へ
 風のない、おだやかな午後の、いまここのひととき。
 まるで本のページをめくるように。まるでトンネルから列車が抜け出るように。目の前の風景が新しい風景へガラリと変容してしまう。そんなことは、ないか?
 あるとき、私はガンジスの流れで沐浴している――。
 あるとき、ネパールの雪山を「おお」と見上げている――。
 あるとき、チベットの寺にこもって修行している――。
 妄想を見るっていうのじゃないんだな。
 「行ってみたいな」と私が欲望していることをきっと強く想像してしまうんだな。
 いままでに本を読んだり、雑誌を見てきた記憶が堆積し集積し、突然にリアルな映像になって結晶し、立ち現れて来るんじゃないかな。
 秋の白い光が輝き始めたあるとき、突然に私はイギリスのアイラ島の白い家の並ぶ道を歩いていた――。
 アイラ島。小さな島。イギリスというよりも、正確にはスコットランドのちっちゃい島。
 その島は、スコッチ・ウイスキーの聖地。
 大麦。おいしい水。そして、ピート(泥炭)。これだけでつくるウイスキー。他に何も加えない。
 生前にミリアム・シルヴァーバーグ(1951〜2008)が日本によく来ていたとき、論楽社へも足をはこんでくれた。そのときに毎回持参してきてくれたのが、アイラ島のスコッチ・ウイスキー。
 ボウモア。ラフロイグ。ラガヴリン。ブナハーブン。
 ミリアムのおかげで、これらを生まれて初めて口にすることができた。ありがとう。ミリアム。
 ひとくち飲む。ガツーン。ある臭いが体中に広がる。
 ピートの香り。泥炭の土臭さ。
 氷河時代の寒さの記憶。どこかなつかしい記憶が蘇ってくる。
 北の海、潮風が樽に吹きつけ、染み込んでいる。そんな磯臭さもある。
 暖炉の香りもするね――。
 想像力の旅。アイラ島へ。北の白い壁の醸造所が連なる、ウイスキーの島へ。
(9月8日)
| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>

このページの先頭へ