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    <title>論楽社ほっとニュース</title>
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    <description>京都・岩倉の論楽社からお届けします</description>
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    <title>『水と風の物語』――初めて作詞した歌</title>
    <description>　その日の岩倉は雪が15センチも積もっていた。１年半前の2008年２月24日のことだ。
　インドからＦＡＸが入った。インドを旅行中のグレゴリー・ヴァンダービルト君からだ。「昨日の日の出のとき、上島聖好さん（1955〜2007）の遺灰を、花とロウソクとともに、ガンジス川に...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　その日の岩倉は雪が15センチも積もっていた。１年半前の2008年２月24日のことだ。<br />
　インドからＦＡＸが入った。インドを旅行中のグレゴリー・ヴァンダービルト君からだ。「昨日の日の出のとき、上島聖好さん（1955〜2007）の遺灰を、花とロウソクとともに、ガンジス川に流した」とのＦＡＸであった。<br />
　「そうかあ」と思い、庭の雪の白さをながめていた。すると、私としては珍しく、詩がコンコンと湧きあがってきた。<br />
　その詩の一部を「川の物語」としてまとめた。手書きのプリントにして、縁あるひとたちに送った。<br />
　鈴木君代さん（歌手＋僧侶）にも送った。<br />
　すると、あるとき鈴木さんが「曲をつけてもいい？」と言った。「えっ！？」と思っている間に、ほんとうに曲がつき、歌になったのだ。<br />
　７月１日の雨の夜、西本願寺の聞法（もんぽう）会館において鈴木さんのコンサートがあり、その歌を聞いた。初めて聞いた。<br />
　「いまが開く」。そんな身体感覚を味わった。「いまここ」が伸びやかに開かれてゆくんだ。ふしぎな、やわらかな初体験であった。<br />
　ありがとう、鈴木さん。君代さん、ほんとうにありがとう！<br />
　なお、私にはチンプンカンプンなのだが、「YouTubeで鈴木君代（すずき　きみよ）と検索し、『水と風の物語』を見つけ出せば、聞くことができる」とか。やってみてね。<br />
<br />
　　　　水と風の物語<br />
　　　　　　　　　　　　詞・虫賀宗博<br />
　　　　　　　　　　　　曲・鈴木君代<br />
　　　　　　序<br />
<br />
　川があった<br />
　川のほとりに、樹があった<br />
　樹の下に、汗するものたちが集まった<br />
　汗するものたちは、息をした<br />
　息するものたちには、心が育った<br />
　心あるものは、息とだえることを知り、涙した<br />
　その涙から、ことばが生まれ、物語が紡がれた<br />
<br />
　　　　　一<br />
<br />
　水は水と出会い、泉となる<br />
　泉は泉と出会い、川となる<br />
　そのように<br />
　川は川と出会い、川の中を流れる<br />
　川は海と出会い、海の中を流れる<br />
　そのように<br />
　生は死に出会い、死の中を流れる<br />
　死は生に出会い、生の中を流れる<br />
<br />
　　　　　二<br />
<br />
　風は風と出会い、息となる<br />
　息は息と出会い、生きものとなる<br />
　そのように<br />
　僕は君に出会い、ああ、いのち湧きあがる<br />
　風が吹き君の息が、風に帰ったとしても<br />
　そのように<br />
　風は僕に出会い、君のいのちが流れる<br />
　僕は君に出会い、風のいのちが流れる<br />
<br />
　そのように<br />
　そのように<br />
　そのように<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2009-07-02T18:07:14+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=765901</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第209回）北九州への旅――会いたいひとに会う（その１）</title>
    <description>　生きてあることのいとおしさを感じる旅であった。
　「新幹線と特急が乗り放題、３日間で16000円」というポスターをＪＲ京都駅で見つけた。定額給付金をあてこんだＪＲ西日本の商品で、「西日本パス」というトクトク切符だ。
　うーん。博多への新幹線代が往復で12000円も...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　生きてあることのいとおしさを感じる旅であった。<br />
　「新幹線と特急が乗り放題、３日間で16000円」というポスターをＪＲ京都駅で見つけた。定額給付金をあてこんだＪＲ西日本の商品で、「西日本パス」というトクトク切符だ。<br />
　うーん。博多への新幹線代が往復で12000円も安くなるではないか。<br />
とたん北九州に住む、なつかしいひとたちの顔が次々にくっきりと浮かんできた。「道祖神のまねきにあ」ったのか。「西日本パス」の安さに引かれたのか。とにかく「会いたいひとに会う旅」に出ることにした。<br />
　同道は塩田敏夫さん（毎日新聞記者、あるいは、「いとこの敏夫くん」）。男２人旅である。<br />
　６月６日（土）、朝一番の新幹線に乗って、博多へ。午前11時にペシャワール会の総会の会場に着く。<br />
　いちど総会に行きたかったのだ。16年来の会員として。<br />
　会いたかった中村哲さんには残念ながら会えなかった。<br />
　急きょ、帰国がとりやめになったからだ。アフガニスタン現地の集中豪雨への対処と米軍対策のためであった。<br />
　でも、真赤っかに日焼けした哲さんのビデオレターの上映があり、“再会”することができた。「24キロメートルの用水路がついに完成！」というトップ・ニュースを祝い、総会で喜びを仲間と分かち合うことができ、私はとってもしあわせであった。<br />
　着工は2003年３月19日。米軍によるイラク侵攻のちょうど前日であった。<br />
　あれから７年。着工直後に植えられた岸辺の柳のなんと太いことか。ＤＶＤ映像の伝える取水口あたりの柳はすでに大木である。勢いよく流れゆく水の両岸に、まるで古本のように堂々と立っている。深い緑の蔭をつくっており、小魚の群れを集めている。トンボが飛んでいる。女が水を汲み、子どもが笑っている。<br />
　あたりまえの風景だ。でも、哲さんが始めなければ、何ひとつなかった。あたりまえでなかった風景だ。<br />
　あたりまえでなかった水が、あたりまえのように流れる。とうとうと水が流れてゆく。<br />
　その水の映像をながめていると、私の内部のいのち水までが湧きあがってくる。気がつくと、私は泣いていた。あったかーい涙であった。<br />
　総会後、才津原哲弘さん（滋賀の能登川図書館の創設館長）の住む二丈（にじょう）町へ。<br />
　博多から西へＪＲで40分。西へひと山越えたら、佐賀県だ。<br />
　北には玄界灘が広がり、南には脊振（せぶり）山地がそびえる、はずだ。でも、梅雨の入りの小雨で、海は見えず、脊振の山脈も雲の中である。<br />
　二丈町はなんとも言えずに、どことなくなつかしい土地だ。ひとびとの営みがさかんに香ってくる土地で、古墳もやたら多い。そういえば、ここは魏志倭人伝が記す「伊都」の国であったのだった。<br />
　その古墳のひとつの近くに、才津原さんは６反（6000平方メートル）の田畑を借りていた。なんと１か所に４〜５枚の田んぼ、畑と雑木林（ビワが実っていた）をまとめて借りることができていたのだった。畑の一区画には、これから家を建てるそうだ。<br />
　農業従事者として申請登録しているのだから、才津原さんはもう立派な農民、本百姓だ。<br />
　帰農して２年。手や指、爪が、そしてなによりも表情がすっかり百姓だ。<br />
　ああ、百姓。山形の真壁仁（まかべじん、農民詩人、1907〜84）が言った“百の生（いのち）を育てるひと”としての百姓。<br />
　才津原さんは縁を深め、帰る場所を見つけたのだった。<br />
（７月２日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2009-07-02T10:48:01+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=765101">
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    <title>再び沖縄茶会――ひとつの発芽がありますように</title>
    <description>　仕切り直しの沖縄茶会が、７月12日（日）にある。
　沖縄茶会が目指すことについてはすでに書いた（注）。繰り返さない。

　１人の死者を想えばよいのだ。私ならば、岡部伊都子さん（1923〜2008）。１人の死者を想うことによって、すべてが始まる。
　沖縄という総体、沖縄...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　仕切り直しの沖縄茶会が、７月12日（日）にある。<br />
　沖縄茶会が目指すことについてはすでに書いた（注）。繰り返さない。<br />
<br />
　１人の死者を想えばよいのだ。私ならば、岡部伊都子さん（1923〜2008）。１人の死者を想うことによって、すべてが始まる。<br />
　沖縄という総体、沖縄戦の全体を具体的に想うことは不可能である。たとえ誰かが想うことに成功したとしても、それが単なる観念の産物でしかなかったら、つまらない。<br />
　ひとは観念では動かない。ひとが動くのははっきりとしたヴィジョンによってである。<br />
　１人のひととの出会い。そのひとが体から醸し出したヴィジョン。それによって、心が耕され、心が魅せられ、自らのヴィジョンの芽も育ってゆくのである。その芽が成熟してゆけば、気がつくと宇宙が宿り、世界がつかめるようになるのである。<br />
　沖縄茶会において、ひとつのヴィジョンの発芽があることを私は望む。<br />
　世界は美しい。その美しさを「茶」によって気づき、発芽させたい。「茶」によって、心の縛りを解き放ちたい。<br />
　「茶に政治を持ち込むな」という政治的言説も、解き放ちたい。「沖縄の現実を知らずして一切の発言をするな」という教条主義も、解き放ちたい。――私たちはいかに多くの「思い込みのガムテープ」によって身体がベタベタに縛られていることか？<br />
　それらの縛りの「刀」の２本差しをいったん置き、「ガムテープ」をはがし、武装解除して、茶室に入ろうじゃないか。「いちゃりばちょーでぇー」（出会えば兄弟）ではないか。<br />
　「一服いかが　茶も忘れて」（柳宗悦）。<br />
<br />
　　　沖縄茶会――2009年７月例会をかねて<br />
　2009年７月12日（日）の午前10時〜、正午〜、午後２時〜の３回。<br />
　論楽社（TEL 075-711-0334）。<br />
　山猫軒茶の湯研究会の社中のみなさんと参加者による新しい試み「沖縄茶会」。<br />
　参加費900円。要・申し込み（午前10時〜か、正午〜か、午後２時〜かを選ぶ）。<br />
　後片付け終了後に交流会（参加実費）。<br />
<br />
　参加者への伝言板だ。<br />
　「７月８月の論楽社の庭は、樹々の生命力が盛んです。緑のエロスに包まれます。そんなときこそ、小動物の動きも活発です。ハチ、チョウ、ガ、ムカデ、クモ、カ（蚊）、セミがいっぱいです。汲み取り便所には蚊取り線香をたきますが、くれぐれもご留意くださいね。<br />
しかも、クーラーがありませんので、汗ふきタオルや扇子、着がえをご持参していただき、なるべく涼しい服装でお越しください。着物だと帯あたりがきっと那智の滝なのではないでしょうか。ただし、90歳の古民家には風の道がつくられておりますので、一陣の風がさあっと吹きぬければ、乗鞍高原にいる気分です。」<br />
<br />
　なお、次の「講座」は７月26日（日）に池田久代さん（英文学者）。ティク・ナット・ハンさんの『小説ブッダ』『生けるブッダ、生けるキリスト』の訳者である。<br />
　（注）ほっとニュースの「<a href="http://blog.rongakusha.com/?day=20090516" target="_blank">沖縄茶会――あなたがいて、私がいる</a>」（2009年５月16日）などを参照してね。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2009-06-30T12:29:54+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

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    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=763317</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第208回）全力疾走――ある孤独なラガーマンの生涯（その２）</title>
    <description>　ちょうど20年前だ。1989年５月28日にラグビーの日本代表チームが、スコットランド代表チームに勝った。28対24であった。
　ラグビーの歴史でＩＲＢ（国際ラグビー連盟）の宗主国に勝ったのは、この１回だけ。
　なぜあのときだけ勝てたのか。当時38歳の宿沢広朗（以下、宿...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　ちょうど20年前だ。1989年５月28日にラグビーの日本代表チームが、スコットランド代表チームに勝った。28対24であった。<br />
　ラグビーの歴史でＩＲＢ（国際ラグビー連盟）の宗主国に勝ったのは、この１回だけ。<br />
　なぜあのときだけ勝てたのか。当時38歳の宿沢広朗（以下、宿沢とする）の卓越した情報収集分析力と明晰な伝達力の２つゆえである。<br />
　試合の前日５月27日の土曜日の午後、伊藤忠商事ビルの12階に、宿沢の姿があった。ビルの眼下に秩父宮ラグビー場があり、スコットランド代表チームが翌日のテストマッチ（国対抗戦）に備え、非公開練習をしており、双眼鏡でそれを偵察するのが宿沢の目的であった。宿沢はそこまでやった！　その結果、明快に「明日は絶対に勝つ」と言い放った。<br />
　なぜならば、スコットランドがＦＷ（フォワード）でガツンガツンとぶち当たってくることが100％わかったからだ。<br />
　ラグビー通のひとですら、誤解していることが多い。いちばんこわいのは180センチ、100キロのＦＷ突進攻撃ではない。190センチ、90キロのＢＫ（バックス）にトップスピードで走り込まれることだ。あれほどの恐怖はないのだ。日本はフランスやフィジーのようなＢＫ攻撃に決定的に弱い。<br />
　スコットランドは実のところ１.５軍（１軍半）チーム。主力選手を同時期のオーストラリア遠征のブリティッシュ・ライオンズ（ホームユニオン連合チーム）に出している。にわか仕立てチームとしてＦＷで無難にゲームを組み立てることが判明したのだ。<br />
　宿沢はタックルが強い梶原、中島という無名選手をＦＷのフランカーに抜擢。ナンバー８のラトゥとともに、ＦＷ第３列に走り込みを徹底的に行わせ、タックル戦を準備。「失点を20点以内に抑えることができれば、必ず勝てる」と宿沢は言いつづけ、選手たちを納得させ、一体感と現実感を醸し出していった。<br />
　「スコットランドはカバーディフェンスが遅い。必ず25点を日本は取れる」とも明快に話しつづけた。つまり、第二線防御がスコットランドは甘いのだ。ゆえに、平尾、朽木、吉田の日本のＢＫでスピーディに外へ、外へパスを回せば、抜けるのだ。必ず。<br />
　そして、なんと５月28日、ほんとうに発言どおりに、作戦どおりに勝ってしまったのだった。当日の東京は梅雨直前。蒸し暑い晴天がスコットランドの選手の体力を奪ったという運もあった。でも、15人が前半後半と休むことなく低く鋭いタックルを繰り返しながら、機をとらえ走り抜け、５トライもあげるという快挙を生みださないかぎり、運もやってこなかったであろう。すべてが指揮者の指揮プランどおりの展開、勝利であった。<br />
　その指揮者ぶりは銀行内部でも、十二分に発揮され、部下の才能を引き出し、的確な指示のもと、自在に腕をふるわせていった。実際、55歳で三井住友銀行専務取締役へ。「次期頭取は彼をおいて他にない」と言われていた男だった。<br />
　ところが、宿沢はきわめて孤独だった。ずっと孤独だった。姉の由美子さんによると、「弟に親しい友人がいたかどうか、思いうかばないのですよ」（加藤仁『宿澤広朗』講談社）。<br />
　身長が160センチであったことに対するコンプレックスや初恋の娘（こ）にふられたことも「かなり重い傷」（同書）で、「なにくそ！」という思いであったようだった。<br />
　宿沢は「戦場としての世界」という世界観を持っていたのかもしれない。<br />
　でも、ラグビーにとって、戦いは入口でしかない。出口はカマラデリィー（camaraderie同志愛）である。そのことを宿沢はよく知っていたはずだ。ノーサイドのあとにアフターマッチ・ファンクションがある。敵味方なくビールをのみかわし、裸踊りをし（笑）、カマラデリィーを深めるのである。<br />
　宿沢は人生を全力疾走した。そして、人生のアフターマッチ・ファンクションをする前に倒れてしまった。すべてがこれからだったのに。<br />
　世界は戦場でない。世界は友人であり、恋人だ。そうだろう、宿沢センパイ？<br />
（６月25日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2009-06-25T14:13:24+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>二度生きる――そして、すでに生きている</title>
    <description>　６月19日のきょう、丸坊主になることにした。
　いまから、床屋へ行く。
　丸坊主なんて、中学校の野球部時代以来だ。40年ぶりだ。
　１か月前の５月23日に「二度生きる」という手書きプリントを書いた。
　「いまから二度目の人生を生きる。そう意志したい。そう願うのだ。...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　６月19日のきょう、丸坊主になることにした。<br />
　いまから、床屋へ行く。<br />
　丸坊主なんて、中学校の野球部時代以来だ。40年ぶりだ。<br />
　１か月前の５月23日に「二度生きる」という手書きプリントを書いた。<br />
　「いまから二度目の人生を生きる。そう意志したい。そう願うのだ。」そんな思いが湧きあがったのだった。<br />
　１日１日を重ね、１か月がたった。<br />
　ますます思いは深まっているのに気づく。<br />
　けさ、庭でセミが初鳴きした。５年も土に潜っていたアブラゼミが柿の木に登り、「ジ、ジ、ジ」と三回鳴いた。しばらくして、「ジジジ、ジ」と四回鳴いた。<br />
　「オレはいまここで生きている」と鳴いている。<br />
　新しい夏がやって来た。<br />
　私も、新しく生まれ出てゆきたい。<br />
　第一の人生から、脱皮したい（脱毛ではないよ）。<br />
　そう思う自分自身のいのちを、丸坊主という明示性のある表出によって、祝ってみたいと思ったのだった。それだけである。在家で在野で生きることに、変わりはない。ずっと丸坊主かどうかもわからない。<br />
　二度目の人生の持ち時間はあとどれほどか。それはわからない。<br />
　でも、「こころの世界に入り、ほんとうの“遊び”をやる」と思えば、残りの人生は、すべて丸儲（もう）けではないか。きっと丸坊主の丸儲けなのだ（笑）。<br />
　私は二度人生を生きる。<br />
　そして、いまここですでに生きている。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2009-06-19T15:49:29+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=757994">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=757994</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第207回）全力疾走――ある孤独なラガーマンの生涯（その１）</title>
    <description>　とんことり。６月５日に、ある文庫本が郵便箱に届いた。
　永田洋光さん（スポーツジャーナリスト、元『ラグビーマガジン』編集長）の『宿澤広朗――勝つことが善である』（文春文庫、2009年６月；これを以下Ａとする）だ。
　びっくりするようなサブタイトルで多くのひと...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　とんことり。６月５日に、ある文庫本が郵便箱に届いた。<br />
　永田洋光さん（スポーツジャーナリスト、元『ラグビーマガジン』編集長）の『宿澤広朗――勝つことが善である』（文春文庫、2009年６月；これを以下Ａとする）だ。<br />
　びっくりするようなサブタイトルで多くのひとは驚くと思うが、ラグビーの専門書には、恥ずかしいタイトルの本がけっこうあるんだ（たとえば、松尾雄治『人はなぜ強くなければならないか』講談社文庫）。<br />
　送ってくれたのは、Ｓさん。古い友人のエディターで、ありがたいことにラグビーの記事を送りつづけてくれる。月刊誌『現代』に加藤仁さん（ノンフィクションライター）が「宿澤広朗」を連載したときも、そのコピーを送ってくれた（この連載に加筆し、2007年６月に『宿澤広朗――運を支配した男』講談社刊；これを以下Ｂとする）。<br />
　Ａを手にすると、私は急にそわそわしはじめる。Ｂをすでに読んでいるのだし、「やらなきゃいけんことが山積み」なのに、読みたくてしかたない。「５分間だけ読もう」「もう５分だけ」「ラストの５分」を重ね、仕事を片付けながら、読んでいったのだった（笑）。<br />
　ひとことで言うと、宿澤広朗（しゅくざわひろあき；以下、宿沢とする）という男が私はメチャ好きなんだな。つくづくそう思う。<br />
　宿沢は1950年生まれ。私より５つ上だ。顔が次兄そっくり。どこかなつかしいんだな。<br />
　私は高校時代にＴＶで宿沢のプレーを見ている。宿沢は早稲田大学のラグビー部のキャプテンで、９番のＳＨ（スクラムハーフ）。<br />
　それまでのＳＨはパスの専門職だった。でも、宿沢が変容させた。早くて速いパス以外に、ランとキックを多用した。ランとは、スクラムのサイド攻撃。スクラムの横をすばやく走り抜け、ゲイン（ラグビーでは攻撃起点ラインをゲインラインといい、まずそれを突破することに全力死力をかたむける）。わざと相手にタックルに入らせ、相手の背中越しにパス（これは、オフロード・パスというきわめて高度なプレー）を宿沢は通していた。私はびっくりぎょうてん。身長160センチ、体重60キロのチビの宿沢がまるで９人目のＦＷ（フォワード）のように自在に攻撃を組み立てているではないか。私は目を見はった。<br />
　そのプレーを心に焼きつけた10年後に、縁を得て私もラグビーを始め、試合にも出たのだった。その起源は宿沢へのあこがれであったといまは思う。<br />
　ちなみに私が最初に試合に出たときは14番の右ウィング。亀岡のるり渓のグランド。観客はゼロのクラブチーム対抗戦。12月末の山あいのるり渓の赤土のグランドには霜柱がまだ立ち（試合中やたらすりむいた！）、冬の北風が音をたて吹きぬけていた。<br />
　なにせ初体験だ。怖い。おまけに寒い。<br />
　緊張のせいで、目にうっすら涙がにじんできたのを覚えている。「オレはいまひとりで人生のグランドに立っている。戦うぞ、行くぞお」と興奮し、やたら叫んでいたのも忘れられない（笑）。<br />
　ラグビーは、人生の修羅場という実存のヴィジョンをどこか示してくれる、得がたいスポーツである（詳しくは、当時編集委員をしていた月刊教育誌『ひと』1990年２月号の「はびこらせよう、草の根（グラスルーツ）スポーツ」という論文を）。<br />
　宿沢はラグビーの日本代表監督として、ちょうど20年前の1989年５月28日にスコットランドから歴史的勝利を収めた。イングランドなどの８か国（ＩＲＢの古豪８か国）に日本が勝ったのは、その１回のみである。とてつもない快挙であった。<br />
　宿沢は銀行マンとしても三井住友銀行の専務取締役執行役員に就任し、次は頭取……というさなかの2006年６月17日に――そう、いまペンを持つきょうだ、ちょうど３年前だ――鈴ヶ岳（赤城山の外輪山）への登山中に急死。心筋梗塞であった。まだ55歳だった。<br />
　「いつも全力疾走をしていなければ、失速しそうな気がする」（ＢのP.13）と語る宿沢であったのだった。<br />
（６月18日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2009-06-18T10:21:37+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>やまない雨はない――７回目のプラ・ユキさんの「講座」へ、ようこそ、ようこそ</title>
    <description>　ヒューミント（humint：human intelligence）という言葉がある。
　人間を介した情報収集活動のことである。ビジネスやスパイ（笑）の用語だ。
　新聞雑誌やインターネットで得られるのは、二次情報でしかない。ヘタすると、三次情報だ。最悪の場合、ガセネタだ。
　もっと...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　ヒューミント（humint：human intelligence）という言葉がある。<br />
　人間を介した情報収集活動のことである。ビジネスやスパイ（笑）の用語だ。<br />
　新聞雑誌やインターネットで得られるのは、二次情報でしかない。ヘタすると、三次情報だ。最悪の場合、ガセネタだ。<br />
　もっとも高い価値のある情報は、キーパーソンに接近し、直接的に獲得する以外には得られないものである。やっぱり自分の目で相手の目の力を見て、耳で聞いて舌で味わい、五感六感で確かめないと、ひとつの判断はできっこない。生きのびるための情報――情報の原義は、情愛のある報（しら）せだ――は、コストをかけないと得ることはできない。<br />
 幕末、坂本竜馬にしても吉田松陰にしても、自らの足を使って旅をし、ヒューミントな情報の集積と分析にいのちをかけていた。<br />
　「講座・言葉を紡ぐ」は、生きてある人間に真近に接し、交流し、生きてある言葉を自らが紡ぐことを目指す。その人間の気を全体として感じ、判断する。そういうヒューミントな情報を得るための小さな小さな集いである。<blockquote>　　　講座・言葉を紡（つむ）ぐ（第92回）<br />
2009年６月21日（日）、午後２時〜５時。<br />
論楽社（京都市左京区岩倉中在地町148）。<br />
　プラ・ユキ・ナラテボーさん（タイのスカトー寺副住職）の「雨上がり――世界はなんて美しいんだ」と題した対話とメディテーションのひととき。<br />
　参加費2000円（大学生以下1500円）。<br />
　要・申し込み（「講座」は申し込みを）。<br />
　問い合せ・申し込み先は論楽社（075-711-0334）。</blockquote>　プラ・ユキ・ナラテボーさん（以下、プラ・ユキさん）は、タイで出家した日本人僧である。<br />
　1962年埼玉県に生まれている。出家前の名前は坂本秀幸さん。高校では陸上部、大学では南北問題に集中。タイの大学に留学中の1987年に「ほんの３か月のつもりで出家したら、気がつくと22年！」というひとである。いまもブッダにならい、己を律し、227の戒律を守っている。<br />
 ことしの８月に、ちょっと早い自叙伝が佼成出版社から刊行される。<br />
　2004年12月に、縁あって、プラ・ユキさんに出会い、私はずいぶん助けられた。ありのままの自分を認め、受け入れ、好きになるための手助けをしていただいた。<br />
　６月21日（日）で７回目の「講座」である。今回は私がいくつかの質問をプラ・ユキさんにし、ヒューミントな情報を得ようと思っている。<br />
　たとえば、「私の内部に“痴”がゆたかに存在している。無尽蔵だ（笑）。その“痴”を抑圧否定するのではなく、逆に大切にし、エロス（生への衝動）に変換できないだろうか」といった質問などをぶつけてみようかと考えている。<br />
　参加者のみなさんも、自在に発言してください。<br />
　さまざまな対話（論楽）したあと、気がつくと、雨が上がり、夕陽が差し、「ああ、世界はなんて美しいんだ」と思わずつぶやいている……。なんてという６月21日だったら、サイコーだね。<br />
　最後にメディテーションをして、「講座」を終えようと思っている（そのあと、交流会・夕食会があり、参加費は実費）。<br />
　「心がつらいひと、心がカゼをひいたひと、苦しいひと。プラ・ユキさんという“もうひとりの中村哲”に出会ってください。やまない雨はありません。」（虫賀・談）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2009-06-12T10:41:20+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第206回）サンゴのような共同体――ある海洋学者との出会いによって</title>
    <description>　23年前のことである。ひょんなことで、キャサリン・ミュージックさん（Katharine Muzik、以下キャサリンとする）という海洋学者と出会った。
　初対面のとき、“水木桂子”と彼女は名のった。「えっ？」と思って、その訳を聞くと、「ミズノキ（八放サンゴ）の研究が専門...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　23年前のことである。ひょんなことで、キャサリン・ミュージックさん（Katharine Muzik、以下キャサリンとする）という海洋学者と出会った。<br />
　初対面のとき、“水木桂子”と彼女は名のった。「えっ？」と思って、その訳を聞くと、「ミズノキ（八放サンゴ）の研究が専門、しかも小さいときからケイトと呼ばれているので、ケイコなの」と笑う。しかも、その日本名の名刺は、芭蕉紙（沖縄の特産品）であった。<br />
　キャサリンはアメリカのミシガン州の生まれだが、プエルトリコで育つ。サンゴの研究を始め、フィジー、ハワイ、カリブの海に潜り、教授から日本行きをすすめられ、一週間後の1981年に来日。知っていた日本語は「キモノとサシミだけ」。「友人もいないし、サンゴもない。さびしかった。」でも、沖縄へ渡り、本部町の海岸で、漁師から借りた一軒家に住み、沖縄全域273地点のサンゴの生息状況を調べぬいたときには、沖縄語（方言）すら話せるようになっていた。<br />
　キャサリンの当時の調査によると、「３分の２の170地点で、生きているサンゴは10％以下。半分以上のサンゴが生きているのは、わずか８％の23地点のみ」。農薬、汚水、赤土が流れ込み、オニヒトデにやられ、美しいサンゴは死んでしまった。<br />
　23年前ですらこうである。現在、破壊がもっと深化しているにちがいない。温暖化（高温化）もすすみ、危機的な状況なのではないか。<br />
　実のところ、私はキャサリンと出会うまで、「サンゴが動物である」ことを知らなかった。恥ずかしいが、そうだった。<br />
　サンゴはひとつひとつが小さな小さなポリプ（ポツポツとした突起体）。それらが集合し共同体を形成して生息している。樹木の年輪のように骨格を築き、１年で１ミリずつ幅を広げ、高さを１センチずつ伸ばす。だから、たとえば、オーストラリアのグレート・バリア・リーフは3000キロメートルもあるのだから、１匹１匹が１ミリずつ、何千万年もの時間をかけ、ゆっくりゆっくりと協力して広げてきたことになるよね。<br />
　サンゴは光合成をすると同時に、触手を使って、小さなプランクトンをつかまえて食べる。おもしろいのは、サンゴの消化器は皮膚の中で小さな通路として、つながっていて、えさを分かちあうのだ。Ａというポリプが食べたえさは、Ｂ、Ｃ、Ｄ……のポリプのえさにもなる。しっかりとサンゴは共同体を形成しているのだ。<br />
　ということは、たとえば、安藤さんが食べたトマトが菅原さん、山根さん、柴原さん……の胃にも入り、おいしさが共有されるということだ。<br />
　これって、すごいことだろう？　なんという未来性に満ちる動物か。<br />
　キャサリンは背が高く、身長は185センチはあった。目が大きく、ひとなつっこい笑顔のひとだった。<br />
　私は意気投合し（あるいは、好きになって？）、1986年11月に「サンゴの森の物語」という講演会を開いた（当時はまだ論楽社が北白川にあり、「講座」は開いていなかったので、いまから思えば、その準備期であった）。<br />
　安江良介さんにお願いし、『世界』87年１月号に「サンゴの海とわたしたち」というインタヴュー記事や『世界』87年11月号に「山の樹々、海の樹々」という対談記事を書かせていただいた。<br />
　23年たったいまも、突如として、ときどき、ふとしたことで、サンゴを思い出す。きっとサンゴのような共同体を私は求めているのだ。そのことに私は気づく。<br />
　たとえ人間には不可能やとわかっていても（笑）。<br />
（６月11日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2009-06-11T12:17:19+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第205回）「私には戦争責任がある」――ある日本人帰還兵が求めた生きる意味</title>
    <description>　1983年、私は箕面（みのお）忠魂碑違憲訴訟について取材していた（『世界』1983年６月号に「『戦後』をつくる手仕事――箕面忠魂碑違憲訴訟の人々」として発表）。
　忠魂碑は、市町村レベルの靖国神社である（ちなみに都道府県レベルの靖国は、護国神社だ）。天皇と皇后...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　1983年、私は箕面（みのお）忠魂碑違憲訴訟について取材していた（『世界』1983年６月号に「『戦後』をつくる手仕事――箕面忠魂碑違憲訴訟の人々」として発表）。<br />
　忠魂碑は、市町村レベルの靖国神社である（ちなみに都道府県レベルの靖国は、護国神社だ）。天皇と皇后の写真の御真影。教育勅語を納めた奉安殿。そして、戦死者を祀った忠魂碑。この三点セットに対して、小学生（少国民）たちは日々の礼拝を強制させられていたのだった。<br />
　その取材の過程で「いちど本山の靖国神社へ行ってみよう」と思った。実際に初めて行ってみて、びっくりした。「これが神社か」と思った。森がないのだ。鎮守の森が全くないのだ。生い茂る木々のかわりに、人間魚雷「回天」が境内にあり、当時の宝物遺品館には、特攻機、血のついた兵服やゲートル、千人針や名前をいっぱい寄せ書きした日の丸があった。まるで兵器神社だった。<br />
　戦争って、要するに「別れと殺しあい」である。この２つのみだ。兵器神社の運営者の意図に反し、遺品そのものを見つめていると、「別れと殺しあいでしかないんだよ」という戦死者たちの意思が伝わってくる気がした。<br />
　その旅の帰りの新幹線の中で、『戦艦武蔵の最期』（朝日選書、1981年）を読んだ。<br />
　1944年、日本海軍は敗北に敗北、後退に後退を重ねる。死中に活を求めようとしたのが、武蔵や大和の特攻攻撃作戦。ただし、一隻の空母を持たずしての出陣。勝敗を運にまかせた、「意地を見せてやれ」程度の末期的軍事作戦であった。<br />
　制空権はアメリカ軍の手中にすでにある。したがって、すぐ米軍に発見される。<br />
　時代は変容し、空母から出撃する戦闘機が戦場のリーダーシップをとっていた。大和や武蔵の巨砲は時代おくれ。“うどの大木”でしかなかった。スピーディなグラマン機の動きの前に、何の役にも立たない。魚雷を撃たれ放なし。「海に浮ぶ無用の鉄クズ」でしかないのだ。<br />
　「総員退去！」の号令が下る。生存者は次々に海へ飛び込む。むごいことに負傷者は見捨てる。<br />
　作者の渡辺清さんは19歳の少年機銃兵。沈んでゆく武蔵の甲板の傾斜が49度にもなり、四つん這いになって、必死に登る。スクリューが宙に浮き、恐怖で甲板にしがみ、夢中で前歯で噛（か）んでまでして、すがる。だが、ついに転覆。かつ、爆発がおきる。<br />
　渡辺さんも武蔵も海の底へ……。<br />
　でも、全く幸運なことに奇跡的に駆逐艦に救助される。<br />
　渡辺さんは全身で直接に具体的に見たのだった。国家の沈没、崩壊を。多くの当時の国民にとっては、部分的で間接的で抽象的だった敗北を渡辺さんはありありと味わったのだ。<br />
　こんな事態に至った以上、敗北の責任を天皇はとるだろう。大元帥陛下なんだから――と復員した渡辺さんは思って、心配していた。<br />
　そうではなかった。渡辺さんは裏切られたのだった。<br />
　「僕は戦闘に参加したのである。そこに自分の一切を賭けたのである。／僕はここではっきり言いたい。僕にはその責任がある、と。（略）僕は天皇に裏切られた。しかし、裏切られたのは正に天皇をそのように信じていた自分自身に対してである。」（『私の天皇観』辺境社、1981年）<br />
　「私には戦争責任がある」と明言した、数少ない帰還兵が渡辺さんである。靖国神社思想のマインドコントロールを自力で解いていった、サバイバーの渡辺さんだった。<br />
　「天皇よりは先に死ぬわけには行かぬ。生き残りの意地にかけても……」と言っていた渡辺さん。1981年、胆管ガンで死去。56歳であった。<br />
（６月４日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2009-06-04T00:17:42+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第204回）戦争が自分に残した問題――鶴見俊輔さんにとっての親問題（その２）</title>
    <description>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第204回）戦争が自分に残した問題――鶴見俊輔さんにとっての親問題（その２）
虫賀宗博
　鶴見俊輔さんは哲学の問いを＜親問題＞と＜子問題＞に分けている。
　「なぜ私はこの世界に生まれてきたのか？」や「私の存在理由はいったい何なのか...</description>
<content:encoded><![CDATA[
連載コラム「いまここを紡ぐ」（第204回）戦争が自分に残した問題――鶴見俊輔さんにとっての親問題（その２）<br />
虫賀宗博<br />
　鶴見俊輔さんは哲学の問いを＜親問題＞と＜子問題＞に分けている。<br />
　「なぜ私はこの世界に生まれてきたのか？」や「私の存在理由はいったい何なのか？」といった問いが、＜親問題＞である。根源的な問いかけであり、誰しもが考えるが、しかし、なかなか決まった答えが得られない＜問題＞である。答えを見つけなければ、私が生きたことにならない、解かないことは死ぬにも死にきれない＜問題＞と言ってもよい。<br />
　この＜親問題＞の答えを求め探しつづけるチャレンジが哲学である。鶴見さんは哲学をそのようにとらえている。<br />
　「学校へ行かなくてもよいのか？」「どういう就職をするか？」「誰と結婚するのか？」という人生の大切な問いかけは、＜親問題＞から派生する＜子問題＞である。「ニーチェの“力への意志”とは何か？」といった大学の哲学科で語られているような＜問題＞は、すべて＜孫問題＞と把握すればいいかも。<br />
　よく知られているように、鶴見さんの＜親問題＞のひとつは、母の鶴見愛子さんとの関係である。虐待に近いような躾（しつけ）を受け、「ひとは“正義”だけで生きることができるのか？」という＜親問題＞が生成された。<br />
　愛子さんは後藤新平さんの長女で、鶴見祐輔さんの妻。有名で有能な政治家ファミリーの中での子育てに、危機感を愛子さんは持っていた。「権勢と結びつくと人間は必ず堕落する」と思っていたからだ。まっとうな精神のひとだ。<br />
　愛子さんは自らの倫理観（＜親問題＞）を大好きな長男・俊輔さんと共有しようとした。ひたすらたたきこもうとした。押しつけた。言うことを聞かないときは、説教に体罰をくりかえした。<br />
　俊輔さんはつらかった。母のことを愛していたからこそ、「私は悪人である」という自覚が深まっていく。かつ、自由を求めて、万引きや自殺未遂をせざるをえなかったのだった。<br />
　つらいけど、自分の原点としての＜親問題＞から離れず、保っていると、ふしぎなことが人生、起きるものだ。<br />
　俊輔さんは15歳でアメリカ合州国へ渡る。母の重圧から解き放たれると、とたん能力がぐんぐんと開花。ハーバード大学哲学科をなんと２年半で優等卒業。この２年半は、珍しく“１番病”に染っていたのだった（笑）。<br />
　しかし、ここでもまた試練が待ちかまえる。<br />
　1942年に帰国。海軍へ。<br />
戦争は殺しあいだ。刑法の殺人罪の適用を戦争において除外するし、あたかも正義があるかのように、国家は言う。ウソだ。殺しあいに、正義が存在するわけがない。ひとを殺すように強制する権力への憎しみは、俊輔さんは深かったと思う。<br />
　「殺せ！」と命令されたら、トイレに入って自殺する覚悟を、実際俊輔さんは持っていた。たまたまそういう命令は受けなかったが。<br />
　戦後生きのびた俊輔さんはあるときこう思う。もし敵兵を殺してしまったとしても、血でよごれた手をはっきり前にひろげて、「自分は人を殺した。しかし戦争は悪い」と言い得る人になろうと――。<br />
　思想は態度である。＜親問題＞から逃げずに取り組みあってきたひとの中に形成されるいのちへの姿勢である。<br />
　「ひとは“正義”に、自由に加わって初めて生きることができるのではないか」。これが、俊輔さんの＜親問題＞への答えかもしれない。私はそう思う。<br />
　アハハハとゆかいに笑っている俊輔さんは決して威張らない。あくまでも、親切だし、やさしい。母・愛子さんの性格や態度を受けついでいるかも。“正義”の押しつけを拒否するパワーを母からもらい、国家の“正義”にも対峙できたのだった。きっとね。<br />
　追伸。以上は1400字のデッサン。私の解釈。＜親問題＞は私自身が抱え込んでいる“何か”に名前をつけ、気づかせてくれたのだった（多いので引用書名は省略した）。<br />
（５月28日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2009-05-28T05:02:18+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>メディテーションはむずかしくない――気づきのワークショップとその後</title>
    <description>　「気づきのワークショップ」（2009年５月３日、論楽社）に参加し、よかった。
　さまざまなメディテーション（瞑想）を学ぶことができたからだ。

　Ａ．ウォーキング・メディテーション。歩いてする瞑想。歩禅である。経行（きんひん）とも言う。
　Ｂ．シッティング・メデ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　「気づきのワークショップ」（2009年５月３日、論楽社）に参加し、よかった。<br />
　さまざまなメディテーション（瞑想）を学ぶことができたからだ。<br />
<br />
　Ａ．ウォーキング・メディテーション。歩いてする瞑想。歩禅である。経行（きんひん）とも言う。<br />
　Ｂ．シッティング・メディテーション。座って丹田（たんでん）呼吸。座禅である。<br />
　Ｃ．イーティング・メディテーション。持ちよりの食による昼食を沈黙して、大根や大豆、天然酵母パンを味わった。“食禅”である。<br />
　Ｄ．レイイング・メディテーション。昼食後の30分間。体を横たえた。休みことを味わう“臥禅”である。２人の尼僧が歌をうたってくれる。それが子守り唄となって、いびきをかくお父さんもいた（笑）。<br />
　Ｅ．アップル・メディテーション。りんごの切片に、太陽光や雨の恵みを味わい、農民の労働の汗を感じ、口にくわえ、ゆっくりいただく“林檎禅”である。<br />
<br />
　Ａ〜Ｅを通して私が感じたことは、「メディテーションをむずかしく考えることは全くないな」である。<br />
　ポイントは、ティク・チャン・ファップ・ダンさん（ティク・ナット・ハンさんの仏弟子）がくりかえし言っていた“arrive”。「いまここのこの時間にすでにあなたは到着（arrive）しているのだ」。きのうでもなく、あすでもない、いまここに辿り着き（arrive）、いまここに立ち、生きてあることに生かされていることに目覚め（wake up）、はっきりとした心（awareness）で生を感受することである。いまここを味わうことによって、どんな苦しみが生成していたとしても、執着（attachment）には決して至らないのだ。<br />
　その肝要なポイントさえ保持すれば、たとえば、信号機の点滅、電話のリリリーン、地下鉄のドア開閉でさえ、気づき（mindfulness）が生まれることが可能となることがわかった。気づきをもって、いまここを味わってほほえむことができれば、いまある世界がより生々と見えはじめ、光に満ちてくる。しだいに人生をひとつのアートとして生きることができるようになるのだ。<br />
　単純な私は翌日から即実践している。近くの森を散歩するとき、初夏のいまは野鳥がしきりにさえずっているので、バード・メディテーションをすることにした。<br />
　岩倉具視（1825〜83）がつくったと言われてる権土（ごんど）池というため池が近所にある。いっぱいのカモがそこで泳いでいる。ツバメが急旋回しながら飛ぶ。セキレイがせわしく鳴き、遠くからキジの声も聞こえてくることもある。カッコウやホトトギスの声も早朝に聞いたことがある。それらの声を聞いて、深呼吸して、いまここのいのちを紡ぐのである。<br />
　池の岸に立って、私は思い出す。『知恵のカッコウ』というチベット仏教の偈（げ）を。<blockquote>　　世界の実相は二元論を超えており。<br />
　　個体は心がつくる概念構成から自由である。<br />
　　世界に確定したものなどはないが、<br />
　　すべての現象はそれ自体善である。<br />
　　存在は自ずと完成しているから、<br />
　　努力して何かを得ようとする病を絶って、<br />
　　無努力のままに止まるのが、わたしの教えである。</blockquote>　この7行詩、いいだろう？　いのちは「自ずと完成している」って、いいでしょう？<br />
　中沢新一さんの『鳥の仏教』（新潮社、2008年）に出てくる。<br />
　鳥の声に呼応し、私も呼吸する。すると無為自然にいのちを味わうことになってゆき、楽しい。<br />
　このワークショップは、次の６月21日（日）のプラ・ユキ・ナラテボーさんの「講座」につながっていくのを感じている。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2009-05-23T11:29:30+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第203回）戦争が自分に残した問題――鶴見俊輔さんにとっての親問題（その１）</title>
    <description>　「ある研究会に鶴見俊輔さんが来て、スピーチする」という情報を小耳にはさんだ。
　「えっ!?　退院かあ」。うれしくなり、５月10日（日）に研究会の会場へもぐりこんだ。
　主催は「『九条の会』に賛同する関西歴史研究者の会」。歴史学者が70人集まっており、そこには旧...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　「ある研究会に鶴見俊輔さんが来て、スピーチする」という情報を小耳にはさんだ。<br />
　「えっ!?　退院かあ」。うれしくなり、５月10日（日）に研究会の会場へもぐりこんだ。<br />
　主催は「『九条の会』に賛同する関西歴史研究者の会」。歴史学者が70人集まっており、そこには旧知の松尾尊允さんもいた。<br />
　待っていた。10分、15分と待っていた。すると、ほんとうに鶴見さんが来た。連れあいの横山貞子さん、息子の鶴見太郎さんに両腕を支えられながら、会場に入って来た。<br />
　主催者のひとたちとのあいさつなどが終了したのを見計らって、駆けつける。<br />
　「先生、心配していました……。いやあ、ほんとうに、ほんとうに心配しておりました」と私。思わず、手を軽く握る。やわらかい鶴見さんの手の感触が伝わってくる。<br />
　鶴見さんは少しやつれてはいるが、前よりもいっそう優しくなった表情で、こう言った。<br />
　「うんうん……。でもね、君のほうこそ、心配だ。『どうしているのか』と思っていたんだあ……」と。<br />
　なんていうこった。逆じゃないか。私が心配されるなんて。“泣き虫の虫賀”としては、涙を落とさないように、上を向くしかないではないか。<br />
　「先生、大丈夫ですよ。１人で元気にやっています。先生に言われたように『60代はないと思って』、（50代の）いま書いていますよ、書きのこしています」と返事し、席へ戻る。<br />
　鶴見さんは話しはじめた。「私の年表から」というタイトルだ。<br />
　1942年から３年間、鶴見さんは海軍の軍属として、インドネシアで新聞をつくっていた。<br />
　大本営発表はウソばかり。沈んだはずの敵艦がいつも就航しているので、腹を立てた海軍は鶴見さんに命じ、インド発のＢＢＣ放送を聞かせ、翻訳編集させ、オリジナルの将校用の回覧新聞を毎日発行させていた（ちなみにそのＢＢＣの短波放送をつくっていたのがジョージ・オーウェル。おもしろいでしょう？）。<br />
　「軍隊に入っても１人も殺さずに戦争の終わりを迎えることが、戦争の中での私の目的だった。」<br />
　ところが、ある日隣室の兵士に敵兵殺害命令が下る。「もし自分に命じられたらどうするか。戦後64年たったいまも忘れることはありません。」<br />
　結果として、１人も殺すことはなかった。でも、それは偶然でしかないんだ。<br />
　「これが、戦争が自分に残した問題です。」<br />
　最後に鶴見さんは、渡辺清さん（1925〜81）の『戦艦武蔵の最期』（朝日選書、1982年）を引用し、スピーチを終えた。<br />
　戦艦武蔵は1944年10月24日、沈んだ。７万２千トンの当時世界最大の軍艦の沈没を、19歳の水兵として、渡辺さんは味わった。<br />
　魚雷が５本命中し、音をたてて、武蔵は沈みはじめる。傾斜が42度、45度、49度。ついに55度、60度、68度。甲板はほとんど垂直に傾く。<br />
　短期促成教育で入隊した15、16歳の少年兵たちは、なんと泳法すら知らない。「お母さーん、お母さーん……」と斜めに傾いた旗竿にしがみ、叫ぶしかない少年兵たちであった。<br />
　「あの『お母さーん、お母さーん』という少年兵たちの声は、いま国会議員たちに届いているのか！　届いていないでしょう。それがほんとうに問題です。」<br />
　鶴見さんは心臓病で依然として入院中。入院先の医者の一時外出の許可の条件は、「20分のみのスピーチ」。でも、鶴見さんは50分にも及ぶ気迫の演説をおこなったのだった。<br />
（５月21日）<br />

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    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2009-05-21T06:42:49+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>緊急ニュース――沖縄茶会が延期</title>
    <description>　突然ですが、５月24日（日）の５月例会の沖縄茶会が延期になりました。
　理由は、新居万太さんの発熱、セキ……です。
　「インフルエンザではないと考えられますが、状況が状況であるゆえに、まことに申し訳ありませんが、延期させてください」ということです。５月20日...</description>
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　突然ですが、５月24日（日）の５月例会の沖縄茶会が延期になりました。<br />
　理由は、新居万太さんの発熱、セキ……です。<br />
　「インフルエンザではないと考えられますが、状況が状況であるゆえに、まことに申し訳ありませんが、延期させてください」ということです。５月20日（水）に決断いたしました。<br />
　まことに残念でありますが、延期せざるをえません。急なことでまことに申し訳ないのですが、どうかご理解くださいませんか。<br />
　新居万太さんと私、車の両輪となって、ＰＲしてまいりました。同じようにいまから「延期です！」と広報せねばなりません。全力をつくしますが、もしも「沖縄茶会へ行くんじゃ」という友人がいたら、引き止めてください（小さい笑い）。<br />
　仕切り直しの「沖縄茶会」の日程は、決定しだいお知らせいたします。そのときに、ぜひぜひ出会い直しましょう。<br />
　ちなみに私はピンピンしております。おかげさまで、絶好調であります（笑）。ハイ。<br />

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    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2009-05-20T21:20:20+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
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    <title>沖縄茶会――あなたがいて、私がいる</title>
    <description>　５月例会は、茶会。しかも、「沖縄茶会」という新しい試みにチャレンジだ。
　アイデアのすべては、新居万太さん（山猫軒茶の湯研究会代表；以下、師匠とする）。
　この２年間、師匠は縁あってしばしば沖縄へ旅した。
　すると、師匠の目に、耳に、心に、沖縄の土の下に眠...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　５月例会は、茶会。しかも、「沖縄茶会」という新しい試みにチャレンジだ。<br />
　アイデアのすべては、新居万太さん（山猫軒茶の湯研究会代表；以下、師匠とする）。<br />
　この２年間、師匠は縁あってしばしば沖縄へ旅した。<br />
　すると、師匠の目に、耳に、心に、沖縄の土の下に眠る骨の声がしだいに聞こえてくるようになったという。<br />
　「私はここにいる」という声である。<br />
　沖縄において、地面を掘り起こせば、戦死者の遺骨がいまなお出てくる。どこからでも、しかも、大量に。<br />
　その「声なき声」に、「聞いているよ、あなたを見ている」と師匠はやっとの思いで答えたという。<br />
　その師匠の思いに共感し、耳をすましてみないか。魂振（まぶ）いし、肝（ちむ）ぐるさ――わがいたみと感じる――してみようか。そんな試みが、この沖縄茶会である。<br />
　といっても、言うまでもなく、やってみないことにはどうなるかはわからない。<br />
　薄茶一服をともにいただく、通常の茶会であることに変わりはない。床の軸の言葉に守られ、釜の湯が立つ音を感じ、縁あって集ったひとびとのいのちのいまを互いに味わうことに変容はない。<br />
　ひととひとの間には、ディスコミュニケーションの川が流れている。政治の硬い言葉を使いすぎると、心が硬くなり、コミュニケーションは決定的に成立しえない。<br />
　ところが、「茶」にはいのちそのものを気づかせる、やわらかい精神性がある。初対面のひととも、ひょっこりと心がほぐれ、おだやかな一座建立の茶席が生まれるかもしれない。<br />
　ともにチャレンジし、新しい地平に立ってみないか。来てほしいな。<blockquote>　2009年５月例会。<br />
　2009年５月24日（日）の正午〜午後２時。あるいは、午後２時〜４時。<br />
　論楽社（左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334）。<br />
　山猫軒茶の湯研究会社中のみなさんと参加者全員による試み「沖縄茶会」。<br />
　参加費900円。<br />
　要・申し込み（正午か、午後2時かのどっちかを選んで必ずご連絡ください）。<br />
　なお、後片付け終了後、交流会（夕食会）をいつものように予定。</blockquote>　５月24日（日）、私個人は1年前に亡くなった岡部伊都子さんを偲びたい。ひとり法要をしたい。<br />
　岡部ちゃんは、こんなことを書いている。<br />
　「これまで『骨かなしむ沖縄』と言いつづけてきたが、この『骨かなしむ』は、生きている自分が『無念に殺された骨をかなしんでいる』という思いだった。<br />
　しかし、今回、はじめてその摩滅の骨から、こちらの方の、成り行きがかなしまれているのではないか、と思い当った。くだけゆく骨が、まだ生きている骨たちの行方がどうなるか心配されているという、かなしみの実感。」（『沖縄の骨』岩波書店、1997年）<br />
　もしそうならば、はやく安心してもらわねばならないね。沖縄の骨たちに。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2009-05-16T18:56:51+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第202回）精神の場所としての図書館――戸板１枚と本さえあれば（その２）</title>
    <description>　８年前からの縁あって、大阪産業大学の人間環境学部へ授業に行くことになった。私のような者に知人から声がかかったのは、どなたかの欠員の埋め合わせゆえである。つまり、代打によるデヴューだった。
　行ってみて、びっくり。狭いキャンパスに10階建てのビルが何本もニ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　８年前からの縁あって、大阪産業大学の人間環境学部へ授業に行くことになった。私のような者に知人から声がかかったのは、どなたかの欠員の埋め合わせゆえである。つまり、代打によるデヴューだった。<br />
　行ってみて、びっくり。狭いキャンパスに10階建てのビルが何本もニョキニョキと立っていて、まるでオフィス街なんだ。ビルのひとつの大教室に入り、授業してみると、思いのほか学生たちが聞いてくれるので、ちょっと気をよくし（笑）、それ以来、ちょこちょこ行かしていただいて、落語、いやあ、授業をさせていただいている。<br />
　ところが、遠いんだ。辿り着くのに、２時間もかかる。往復４時間もかけて移動すると、体が慣れてないせいか、妙にヘトヘトになる。<br />
　その日も、大阪産大のスクールバスに乗り、帰えろうとしていた。「移動ではなく、旅をしたい」という思いがふと湧いてきた。「そうだ。蒲生（がもう）図書館へ行ってみようか」と思った。才津原哲弘さんのレポート（201回のコラム参照）を思い出したのだ。「移動だ」と考えると疲れるのに、「旅だ」と内発的に願うと急に元気が出てくるから、ふしぎ（笑）。<br />
　大阪のＪＲ学研都市線の住道から京橋、大阪で乗りかえ、京都を素通りし、滋賀の近江八幡へ。近江鉄道に乗りかえ、無人駅「桜川」で下りる。<br />
　すると、青い麦畑が広がっている。ヒバリが見上げる空の中で鳴く。心がホッとする。<br />
　佐久良（さくら）川を越え、やっとこさ着く。旧蒲生町の町役場の１階部分を改築したのが、蒲生図書館だった。<br />
　役場の建てものなんだから、天井がたしかに高くない。でも、改装なんだから、それは最初からわかっていること。じゃあ、どうするか？　とにかく北面全体をガラス窓にして借景し、書架の高さを４段にして下げ、奥行きを形成。４段の本棚って、私のわきの下の高さだから、けっこう低い。６段ある壁面の書架も５、６段目には本を入れてないで統一感を醸し出している。本棚にも本を詰め込まないで、表紙を見せ、ゆったりと並べてある。テーブルには花が生けてあり、可憐だ。<br />
　天井が低いという限界を使い、本の収納冊数を犠牲にしてまで、「広いなあ」と思わせる工夫がそこにあった。感心した。現場に立って、初めてわかった。<br />
　といっても、５万冊が棚に置かれている。次のような見出し言葉を棚につけ、リードしてくれる。「からだをいたわる」「心の調子が悪いとき」「たんぼや畑で汗をかく」「庭ですごす」「スポーツをとことん楽しむ」「きれいになる」「みんないっしょに生きていく」……。それらはまるで登山道の案内サインのようでついつい本の森の奥へ誘われてゆく。実際、私も帯津良一さんの『死を生きる。』（朝日新聞）に初めて出会い、読み込んでしまっていた（この本、おもしろい！）。<br />
　あとはライブラリアンたちの登場。「あのテーマの、あの作者の本は……？」疑問がふくらんでいけば、能登川図書館から移ったチーフの西沢和江さんたちに聞けばよい。すぐ答えてくれるし、ない本は他館から取り寄せて、渡してくれる。<br />
　改築だから、費用は土地代が不要ゆえ、新築の場合の３分の１で済んだ。さまざまな制約限界の中で紡ぎ出された知恵に満ちた蒲生図書館だった。行ってよかった。<br />
　読書って、大切だ。本を読み込むっていう行為は、ひとの頭を使って、考えぬき、わがいのちを知ることである。あなたがいるからこそ、私がいることを悟る行為である。<br />
　１人の女子高生がちょっと思いつめ、蒲生図書館で本を読んでいた。「10代から、こういう“本の小さな森”に通えるのはうらやましい」と思った。その女の子も、自らの体にいま湧きあがる願いはいつか花咲くであろう。きっとね。<br />
（５月14日）<br />

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    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2009-05-14T07:18:53+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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