<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<rdf:RDF
    xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
    xmlns="http://purl.org/rss/1.0/"
    xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
    xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
    xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"
    xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
    xmlns:taxo="http://purl.org/rss/1.0/modules/taxonomy/"
    xml:lang="ja">

    <channel rdf:about="http://blog.rongakusha.com/index.rdf">
    <title>論楽社ほっとニュース</title>
    <link>http://blog.rongakusha.com/</link>
    <description>京都・岩倉の論楽社からお届けします</description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <admin:generatorAgent rdf:resource="http://lolipoblog.jp/?v=1.0"/>
    <items>
      <rdf:Seq>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=694828" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=693319" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=692215" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=690763" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=689430" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=689422" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=688098" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=687936" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=686719" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=686721" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=684642" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=683250" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=683235" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=681723" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=680350" />
      </rdf:Seq>
    </items>
    </channel>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=694828">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=694828</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第177回）初めての山・大峰山系（その１）――あなたは生きてきたではないか</title>
    <description>　奈良の大峰山系へ、行ってきた。
　53歳にして、初めての大峰山。ずっとあこがれてきた山岳である。
　11月11日（火）の論楽社ホームスクール（家庭学校）が、流れた。前日の10日に、風邪などの理由で参加者が休むことが判明したからだ。
　「いましか、ない」と即断。山行...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　奈良の大峰山系へ、行ってきた。<br />
　53歳にして、初めての大峰山。ずっとあこがれてきた山岳である。<br />
　11月11日（火）の論楽社ホームスクール（家庭学校）が、流れた。前日の10日に、風邪などの理由で参加者が休むことが判明したからだ。<br />
　「いましか、ない」と即断。山行を決定。リュックサックに登山道具を速攻で詰め込み、登山靴のひもをほとんど締めずに（笑）、出発。11月10日の午後２時半のことだ。<br />
　私はどうしても大峰山へ行きたかった。非日常の山岳へ、全身を晒（さら）したかったのだ。比良山系や丹波高地（北山）は私にとって、安心な日常の里山の世界。そうではない、未知の山岳の世界へ入っていきたくて、ウズウズしていたのだった。<br />
　最終バスになんとか飛び乗ることができ、洞川温泉（奈良県吉野郡天川村）へ７時10分に着き、安宿に泊る。<br />
　11月11日の朝５時半から、登りはじめる。暗いのでランプを点け、寒いので手袋をはめる。植林スギの急な登り。緊張しながら、ひと汗かくまで、ピッチを上げ、登る。真っ暗な森の中を、ただ１人で登っていると、「自灯明を頼りに生きよ」というブッダの死の直前の、弟子たちへの言葉が、思い出される。<br />
　７時に、法力峠に達する。展望が良くなったが、メチャ寒い。気合いを入れ、いっそうピッチを上げ、登る。<br />
　曇り空。残念ながら、日の出を見ることはできない。でも、雲の中に太陽の光を感じる。それだけでもありがたい。ランプを消し、ヤッケも脱ぐ。ヤマガラ、コゲラが鳴き出す。<br />
　８時、トウヒとブナの混交林の中へ入る。クマザサの下草が出現し始める。体は汗だく。しかし、風はきわめて冷たい。<br />
　そして、８時40分。ついに稲村ヶ岳（1726メートル）に初登頂。<br />
　雪である。間歇（けつ）的に吹雪（ふぶ）く。<br />
　たたきつける雪と風の中で、恥ずかしいことだが、私は泣いた。山頂で泣いたのは人生で２回目。16歳で笠ヶ岳に登ったとき以来である（注）。<br />
　実は登りながら、私の人生の中で最も苦しかった1997年から2003年までの６年間のさまざまな出来事が、どういうわけかしきりに想起されてきたのだった。白い蝶が飛んでいると、「あっ、上島（聖好）か」と思ったりしていた。私は湧きあがるままに、非暴力的にわが心に接し、３時間かけて登ってきた。頂上直前の岩場で、「よし、行くぞ」と気合いを入れなおしていると、雪が急に飛んでくる。体全体にエネルギー（気）がどんどん注入されるではないか。雪が天からのプレゼントのように私には体感され、とうとう感極まり、弾（はじ）けてしまった。<br />
　「オレは生きているぅ」「生きのびたぞぉ」「終わったぞぉ、ほんとうに終わったんだぁ」。<br />
　気がつくと、いままでの生涯の中で、きっと一番の大声を出して、叫んでいた。<br />
　そうなんだ。苦しみに満ちた前半生は確かに終わったのだ。そして、いま生きているんだ。<br />
　終わりはすでに始まりだ。あと何年生きることができるかわからないが、後半生がいまここにすでに始まっているのだ。あるがままに生きようではないか。<br />
　私は頂上で、ミッシェル・ド・モンテーニュ（1533〜92）の『エセー』の「経験について」（第３巻13章）を思い出していた。<br />
　「それにしてもわれわれは大変な愚か者なのである。だって、『彼は人生を無為にすごした』とか、『今日はなにもしなかった』などというではないか。とんでもないいいぐさだ。あなたは生きてきたではないか。それこそが、あなたの仕事の基本であるばかりか、もっとも輝かしい仕事なのに。」（宮下志朗・訳）<br />
　そうなんや。私は私で生きてきたではないか。「輝かしい仕事」として生きのびてきたではないか。そうやろう？<br />
　そう思うと、涙が止まらなくなってしまった50男の私であった。アハハ。<br />
（11月20日）<br />
（注）連載コラム「いまここを紡ぐ」（第116回）「<a href="http://blog.rongakusha.com/?day=20070920" target="_blank">山へ行こう（その１）</a>」2007年９月20日号を参照。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-11-20T13:32:21+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=1" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=693319">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=693319</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第176回）書――文字を通じて文字以前に出会う</title>
    <description>　「五十の手習い」を始めている。書を、2008年１月から習っている。
　月に１回でしかない。でも、毎回３〜４時間かけて、竹村千佳子さん（浄土宗の来迎院）から習っている。
　竹村さんは隣人。来迎院は、歩いて２〜３分である。「困ったときの来迎院」。20年来、何かとつ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　「五十の手習い」を始めている。書を、2008年１月から習っている。<br />
　月に１回でしかない。でも、毎回３〜４時間かけて、竹村千佳子さん（浄土宗の来迎院）から習っている。<br />
　竹村さんは隣人。来迎院は、歩いて２〜３分である。「困ったときの来迎院」。20年来、何かとつねに助けていただいている。暖かくしていただいている。<br />
　千佳子さんは書家。木製の論楽社の看板の字をすべて書いていただいている。<br />
　その竹村さんに次のようなコトバを、事前に伝え、お手本を書いていただき、それを基にして、指導を受けるのである。<br />
　　「いまここを生きる」。<br />
　　「いのちは活発発地なり」。<br />
　　「動けば、動く」。<br />
　　「自灯明法灯明を頼りに生きる」。<br />
　　「ほんとうのいのちに出会う」。<br />
　　「空の鳥を見よ」。<br />
　　「野の花を見よ」。<br />
　　「ありがとう」。<br />
　　「南無阿弥陀仏」。<br />
　習いはじめてわずか11か月だけど、いくつかのことに気づいた。ちょっと書いてみる。<br />
　その１。私の書き順が特異であることだ。すなわち、けっこう書き順が間違っているのだ（笑）。この発見、驚いてしまった。<br />
　チビのころ、漢字そのものに私は興味があった。書き順を無視して無手勝流で、広告紙のウラにエンピツで書きなぐっていた。そのときのクセが、どうも身についてしまったのだ。正しい書き順のほうが、たしかに書きやすい。いまから直してゆこう。アハハ。<br />
　その２。「いまここ」の身体感覚だ。<br />
　ある日のあるとき、その瞬時の筆の動きが、永遠の時の流れの中で「いまここ」だけをキャッチ。過去や未来はなく、「いま」しかないんだ。やっぱり、これはおもしろい。<br />
　竹村さんの指導で、あるとき大筆で「いのち」と書いた。ほとんど棟方志功になった気分で、「えいっ、やぁ」と書いた。書き終えると、「の」の字から、墨がひょろひょろと流れ出て、左右に伸び、“二葉”の芽が開いたようになった。墨が自分自身で“ふたば”と書いたのだ。ただ偶然そうなっただけなのだが、びっくり。自然（じねん）の妙味である。<br />
　即興。挨拶。滑稽（こっけい）。この３要素が活発に動いてこそ、俳句は味わい深くなる。私はそう判断している。書も、きっと同じ。<br />
　墨を含んだ筆が和紙をとらえたときの感覚って、スキー板が雪面をとらえたときの軽さと全くいっしょのスポーツ感覚だ。重要なのは、軽さ。からっぽなのに、つまってる。つまっているのに、からっぽ。そんな軽みが大切なのだ。そんな気がしている。<br />
　その３。書は、言語を表出するためだけでなく、言語以前の、つまり意味以前のリアリティに触れるという行為なのだ。すなわち、無意味（ノンセンス）を包みこんでいる世界につながるのだ。きっと。<br />
　私の書の究極の目標は、桝本うめ子さん（1892〜1992）の「みんなみんなみんなみんなよしよしよしよし　ばば　百才」。「みんな」「よし」は、くりかえし記号「く」で記されているため、全体としてコンパクト。流麗で、清澄、かつ温雅。一見解読不可能、なれども、言葉以前の言葉が、まるで赤ん坊の、「アブアブ、アアババ」のような世界がそこに存立。文字を通じて、文字以前に出会う。その手触りがある書だ。<br />
（11月13日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-11-13T10:33:15+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=1" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=692215">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=692215</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第175回）ある非宗教的な洗礼――一期一会の秋山の一日</title>
    <description>　10月27日の午後２時ごろ、風が吹いた。
　日差しは、暖かい。なのに、北風が突如として侵入。木枯らしの第１号の疾走である。前庭の柿、梅、木蓮の黄葉を飛ばし、吹きぬけていく。
　木枯らしは山風である。里で山風を感じて、「ああ、山へ行きたい」と思わぬ山屋（ヤマヤ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　10月27日の午後２時ごろ、風が吹いた。<br />
　日差しは、暖かい。なのに、北風が突如として侵入。木枯らしの第１号の疾走である。前庭の柿、梅、木蓮の黄葉を飛ばし、吹きぬけていく。<br />
　木枯らしは山風である。里で山風を感じて、「ああ、山へ行きたい」と思わぬ山屋（ヤマヤ、山岳部の連中を示す）は、いないだろう。もちろん私も「あ、山に帰りたい」と瞬時に思った。私の経験知は、次のとおり。「木枯らしが里に吹きはじめれば、比良山系の尾根（1000〜1200メートル）の紅葉がピーク」。<br />
　さあ、行こう。2008年の秋の山岳の旬（しゅん）の一期一会を味わいに行こうではないか。<br />
　そう思い立つと、私は居ても立ってもおられなくなる。とたん頭だけが山中へすっと飛んでいき、“空想スイッチ”が入ってしまう。私のクセだ。<br />
　以下、“空想”の内容をちょっとだけ公開。“空想”では、もうすでに芭蕉によく似た落語家に私はなっている（笑）。―――<blockquote>「取るもの手につかず、ももひきの破れをつづり、笠の緒をつけかえて、足三里に灸（きゅう）するより、にはかに私は旅人なり。人の杖にすがりて大津に出（いづ）る山路をこえて、湖水を眺望せり。湖西の連山を遠望せり。」<br />
　ここは大津でござる。道行くひとに「あのお山は何ですか」と私が聞くとですな、バカにしたような表情で「比叡山ですかな」。私は思わず、「ひええー」と答えますな。京都から見上げる比叡山とは姿形が違うからです。「で、比叡山の北に連なるあの山脈は？」そのおひとについでにお尋ねしますとな、「ありゃ、比良山でんがな」。私は思わず膝を打ち、「そりゃあ、ひらなんだ」。ハハハ。</blockquote>　―――という次第で（どういう次第か、わかりまへんが）、10月29日、比良山系へ行くことになった。以下は空想ではなく、現実の記述である。<br />
　同行してくれたのは、Ｒさん。茶道の新居万太師匠の縁で出会ったひとで、対話していて、とっても気分のいいひとだ。庭の赤松のせん定を手伝っていただいた10月19日に、「山に連れていってくれ」と言われたので、誘った。<br />
　10月29日。降水確率ゼロパーセント。すっきりとした晴天。<br />
　比良山系の八淵（やちの）滝を登る。――ここは論楽社のホームスクール（家庭学校）において、テントを張っての、登山のイロハを練習する“定番のコース”でもある。<br />
　魚止滝から障子滝へ入って、ハタと困った。渡ることができないのだ。水量が多いのだ。いままででも一番の水量かもしれない。丸太も、流されてしまっている。<br />
　でも、あわてることは、全くない。中枝や大枝を集め、補強し、“橋”のようなものを形成し、あとは「えい！」と水流に山靴を沈め、渡ればよいのだ。ただし、ロープを持ってきていないので、Ｒさんの手をとって、安全確保をしながら、登った（ちなみに、「通行禁止」の立て看板が現在あり、初心者のひとには危険と思われり、ハイ）。<br />
　唐戸滝、大摺鉢、小摺鉢、屏風滝、貴船滝と登り、七遍返し滝の手前で、ランチ。<br />
　イヌブナ、コナラ、カエデが紅葉し、黄葉し、香葉している。ハンノキ、ホウノキはすでに落葉している。シャクナゲ、ウラスギは緑葉を深めている。それぞれがためいきが出るほど美しい。<br />
　森の中ではそれぞれがそれぞれとして存在し、あるがままに実在している。これが重要だが、そのうえにそれぞれがおたがいに交響しあっている。いま時を得て、それぞれが光輝きながら、散っている。川の上へ、滝の上へと散ってゆく。これはもう、まるで浄土そのものではないか。<br />
　Ｒさんは「メルヘンの世界」と言っていた。首肯しながら、私は私でこんな言葉をふと思い出していた。「孤独な、秘かな全く非宗教的な洗礼」（串田孫一『山のパンセ』岩波文庫）という言葉である。水に身を沈めさせるヨハネのように、滝の水煙や水しぶきが、木々の落葉が、洗い清めてくれる気がしていたのである。私は全身で洗礼を受けていたのであった。<br />
（11月６日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-11-06T13:08:54+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=1" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=690763">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=690763</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第174回）海へ帰る――島田等さん、13年後に散骨</title>
    <description>　１本の電話が、かかってきた。９月の終わりのことだ。
　広島市の滝尾英二さん（77）からである。
　「10月20日が、島田等さん（1926〜95）の命日。そうそう、まる13年がたった。実は、私の机の上に、島田さんの右手の遺骨があるんじゃ。それをな、命日に、遺言どおりに、...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　１本の電話が、かかってきた。９月の終わりのことだ。<br />
　広島市の滝尾英二さん（77）からである。<br />
　「10月20日が、島田等さん（1926〜95）の命日。そうそう、まる13年がたった。実は、私の机の上に、島田さんの右手の遺骨があるんじゃ。それをな、命日に、遺言どおりに、故郷の三重県の海に流そうと思うんじゃ。糖尿病をはじめとして、薬を18個も私は飲んでおる。もう、体がボロボロや。人生の最後の旅にきっとなると思っておる。」<br />
　私は「島田等さんの遺骨はもうないもの」と思っていたので、びっくりした。<br />
　島田さんの遺言は３つ。１つめは、遺骨は故郷の海へ。２つめは、遺稿集『花』を編む。３つめは、遺産300万円を中村哲さんのペシャワール会へ送る。以上である。<br />
　後見人の宇佐美治さんは、もちろん実行するつもりでいた。ところが、想定外のことが起きた。実妹が愛生園に来て、「実家の墓に兄を納骨したい」と申し出たのだ。<br />
　宇佐美さんは迷いに迷って、「ハンセン病（らい）者で故郷の墓に入れるもんがいないのだから、やっぱりしあわせなこと、ありがたい話だ」と妹さんに遺骨を託したのであった。<br />
　それはそれで全くよいのだが、遺言に反したことはたしかである。私は気になっていた。<br />
　では、滝尾さんがなぜ遺骨を持っていたか。<br />
　３年前まで、火葬場が長島にあった。愛生園と邑久光明園で共同使用していた。13年前、島田さんも、伊奈教勝さんも、そこで火葬にされた。<br />
　火葬場の係の職員に「残りのお骨、どうせ捨てるんやし、よかったら、どうぞ」と言われ、滝尾さんは右手部分だけ持って帰ってきたという。私は知らなかった。<br />
　「13年間、机の上に、この遺骨を安置してきた。島田さんは私の恩人である。亡くなる１か月前に、『私の集めている資料も利用し、植民地下の朝鮮のハンセン病患者の実態究明をしてほしい』と依頼された。遺言じゃった。」<br />
　滝尾さんはその遺言を守り、韓国の小鹿島（ソロクト）へ40回通い、『朝鮮ハンセン病史――日本植民地下の小鹿島』（未来社、2001年、322ページ）にまとめあげている。<br />
　2008年10月20日。私は同行することになった。京都駅から私は乗車し、新幹線の中で、滝尾さんと再会。車イスであった。<br />
　名古屋で乗りかえ、三重県桑名市まで行く。ここが島田さんの故郷。19歳（1941年）のときに「らい」の診断を受け、出郷して以来、再び帰ることのなかった故郷である。<br />
　漁船をチャーターし、揖斐（いび）川の川口を下る。湾岸道路橋を出ると、伊勢湾である。海だ。手を入れると、思いのほか、あたたかい。<br />
　亡くなった午後５時35分には、まだ50分早いが、西の空は、茜色。海の上から見る夕日は、いちだんと大きい。でっかい。<br />
　念仏を唱えながら、白い遺骨を海へ流す。ゆらゆらとゆらぎながら沈んでいく。島田さんが好きだったイチジクと白菊を流す。白いカモメが１羽だけ飛んでいた。<br />
　小さな漁船の上で、私はしばらくボーッとしていた。海からの風が、やわらかい。<br />
　亡くなっていった安江良介さん、藤田省三さん、谷川雁さん、島田等さん……という師匠たちに囲まれて、支えられている私。そんな曼荼羅映像が瞬間的に浮かんできた。これらのひとたちは、この世にいようが、あの世にいようが、関係がない。すべてがいまここの私の中で生きているのだ。そんな満ち足りた映像であった。<br />
（10月30日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-30T10:49:53+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=1" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=689430">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=689430</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第173回）心の故郷としてのゴーバル（その２）――生きることは分かちあうこと</title>
    <description>　ゴーバルの居心地のよさは、石原潔さん・真木子さん、桝本進さん・尚子さんの対話力に依拠する。
　対話力は、私のように一方的にしゃべる力ではなく（笑）、相手の存在を受けとめ、認め、話をよく聴き分ちあう力である。
　その対話力はどのように形成されたのだろうか。
...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　ゴーバルの居心地のよさは、石原潔さん・真木子さん、桝本進さん・尚子さんの対話力に依拠する。<br />
　対話力は、私のように一方的にしゃべる力ではなく（笑）、相手の存在を受けとめ、認め、話をよく聴き分ちあう力である。<br />
　その対話力はどのように形成されたのだろうか。<br />
　もちろん資質が大きい。天賦の聴く力があるのだ。<br />
　では、それ以外はどこから来たのか。<br />
　私は次のように考えている。はずれているかもしれないが（笑）。<br />
　私もそうであるが、私たちひとりひとりの心性（メンタリティー）は、家族制度と教会（あるいは寺院、もしくは学校）制度の２つによって生成される。<br />
　父ちゃんと母ちゃんに上下関係があるか、ないか。姉妹と兄弟に上下関係があるか、ないか。長兄と次兄以下に上下関係があるか、ないか。――これら家庭内の日常は、人格形成に決定的な影響を与える。<br />
　ちなみに日本のような直系家族主義は、不平等を前提に運営されている。ゆえに差別が生じやすく、権威もたやすく生まれる。また不平等に異議申し立てするひとは「おとなげない」として逆に指弾を受けることが多い。よき伝統を継承するには適切であるけれども、抑圧のストレスが大きく（ゆえに反抗反発は急進的になる）、悪習悪弊をも無批判に継承するシステムであることは間違いない。<br />
　ゴーバルの石原さん夫婦も、桝本さん夫婦も、山形県の小国町のキリスト教独立学園高校の卒業生、同窓生である。<br />
　飯豊山（2105メートル）のふもとに1948年に創立された、小さな高校。１学年１クラスが25人、計75人。全日制の普通高校としては、全国最少。内村鑑三（1861〜1930）の教えを中心に据える。すなわち、「神を恐るるは学問の始め」である。「読むべきものは聖書、学ぶべきものは天然、為すべきものは労働」である。内村鑑三の無教会派ゆえに、神父・牧師に相当する宗教者は、存在しない。ただ神だけを恐れ、ただ神だけを頼りにし、地上の権威・権勢を頼らない“独立人”を育てようとする学園である。<br />
　学園では先生も生徒もいっしょに食事をし、いっしょに風呂に入り、牛や豚の世話もいっしょにやる。屋根や水道の修理も、先生でも生徒でも気づいたひとが、やるんだ。<br />
　私は1994年５月に１回だけ学園を訪問している。星寛治さん、齋藤たきちさん（ともに農民詩人）を訪ねる旅の途中に、わずか２時間だけ、寄ったのだった。出会う生徒がそれぞれあいさつしてくれ、とても気持ちがよかったのも忘れえない。<br />
　その学園で３年間学ぶ意義は大きい。対等な目線で学びあいながら対話をすることの大切さ、汗水を流しながらあい働き耕すことのかけがえのなさを身に沁みて知るからだ。<br />
　とくに桝本進さんは、この学園で育った。祖母のうめ子さん、父の忠雄さん（遺稿集『しもべ』はとってもあったかい）の生きてある後姿を心に刻むことができたのは、宝だ。<br />
　はだか電球の下、あたたかい気持ちに満ち、それぞれがにこにこしている。いのちを人生の中心に置くと、こんなにも生の質が深まることを示してくれる、生活わかちあい共同体が、ゴーバルである。<br />
（10月23日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-23T14:34:17+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=1" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=689422">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=689422</link>
    <title>２つの命日――いのちへ帰る日</title>
    <description>　11月例会は、11月１日（土）です。
　島田等さん（1926〜95）と上島聖好さん（1955〜2007）を偲びながら、自らのいのちを感じる生活が新しく開かれていくことを願いたいと思います。集いたいと思います。
　この２人を直接的に知らないひとも気楽に参加していただけたら、...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　11月例会は、11月１日（土）です。<br />
　島田等さん（1926〜95）と上島聖好さん（1955〜2007）を偲びながら、自らのいのちを感じる生活が新しく開かれていくことを願いたいと思います。集いたいと思います。<br />
　この２人を直接的に知らないひとも気楽に参加していただけたら、うれしいです。<br />
<blockquote>　　　2008年11月例会<br />
2008年11月１日（土）、午前12時〜午後３時。論楽社。<br />
Ａ．高原美都子さん（彦根の西覚寺の僧侶）による念仏。浄土真宗の「正信偈」を詠む。<br />
Ｂ．私のスピーチ「海へ帰る」。<br />
Ｃ．ちょっとおそめの昼食をいっしょにいただく（持ち寄り、うれしいなあ）。<br />
　参加費は1000円（昼食代含む）。要・申し込み（「正信偈」のコピー準備のため）。</blockquote>　正信偈（しょうしんげ）は、親鸞（1173〜1262）がつづった詩です。『教行信証』（岩波文庫）の「行巻」のラストのアリアです。<br />
　強制はひとつもありません（笑）。詠んでいいと思うひとのみ、唱和してください。<br />
　昨年10月29日に自死した上島さんについていま思うことを、高原さんをはじめとした参加者から、いろいろとうかがいたいと思っています。<br />
　詩集『次の冬』（論楽社ブックレット）の島田等さんは、13年前の10月20日にすい臓がんで長島愛生園で亡くなりました。<br />
　詳しくは後日に改めてレポートしますが、このたび遺骨を故郷の海に流すことができました。13年たって、やっと実行できました。<br />
　10月20日（月）の夕方、三重県桑名市の伊勢湾へ漁船をチャーターし出て、島田さんの好物のいちじく、白い菊とともに遺骨を流してまいりました。<br />
　夕焼けの空に、白いカモメが１羽だけ飛んでおりました。<br />
　ハンセン病の歴史と現在の問題点をふまえ、短いスピーチを私がいたします。<br />
　ご参加をお待ちします。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-23T13:46:40+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=1" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=688098">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=688098</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第172回）心の故郷としてのゴーバル（その１）――ありのままの私へ帰る</title>
    <description>　「なぜゴーバルはあんなにも居心地がよいのか。」
　１か月間、この問いを考えている。
　９月７日の入佐明美さんの「講座・言葉を紡ぐ」に、岐阜のゴーバルから石原潔さん・真木子さん夫婦と桝本進さん・尚子さん夫婦の４人が参加。
　入佐さんも、ゴーバルの４人も、ネパ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　「なぜゴーバルはあんなにも居心地がよいのか。」<br />
　１か月間、この問いを考えている。<br />
　９月７日の入佐明美さんの「講座・言葉を紡ぐ」に、岐阜のゴーバルから石原潔さん・真木子さん夫婦と桝本進さん・尚子さん夫婦の４人が参加。<br />
　入佐さんも、ゴーバルの４人も、ネパールで医療奉仕活動をしていた医師の岩村昇さん（1927〜2006）の弟子であったのだ。「講座」のあとの交流会で、私は気づいた。<br />
　交流会が盛りあがり、「ゴーバルに行きたい」というひと３人と、９月19日、20日と２日間うかがうことになった。私も仕事を休みにして、「小さな旅」に参加。<br />
　ゴーバルは、1980年に岐阜の恵那山（2190メートル）の近くの旧恵那郡串原村（現恵那市串原）に生まれたアジア生活農場である（http://homepage2.nifty.com/gobar/）。<br />
　ゴーバルは、ネパール語で“牛糞”。ネパールのひとびとは、牛糞を大切にしている。土間の床や壁を牛糞でつくるし、燃料にもなる。その牛糞を屋号にしたことでわかるように、「大地に根ざし、大地に立って、大地を慈しんでともに生きてゆきたい」という願いが、現在も満ちている生活共同体である。<br />
　知りあったきっかけは、松沢弘陽さん（当時・北海道大学法学部教授）。松沢さんは私の師匠の藤田省三さん（1927〜2003）の親友で、丸山真男の弟子仲間である。その松沢さんから1993年に、藤田省三さんの『私たちはどう生きるか？』（論楽社ブックレット創刊号）を「ゴーバルの石原潔さんに送ってほしい」という依頼ハガキがあった。送付したら、石原さんから返事が来て、交流が始まっていったのだ。<br />
　論楽社がゴーバルに“デヴュー”したのは、1994年９月。いまからちょうど14年前だ。論楽社のホームスクールの卒業生たちと恵那山登山をかねて、初訪問。富田譲治くん（当時・信州大学経済学部）が突如としてブルーハーツの「リンダリンダ……」を歌いだしたのが忘れがたい。熱唱だった。<br />
　あれから私は何回ゴーバルをおじゃましたか。しだいに私の中で、岐阜のゴーバル、鳥取の徳永進さんの「こぶし館」「野の花診療所」、岡山の長島愛生園の３か所が“心の故郷”になっていった。<br />
　いまは仮に、「心の故郷を素の自分に出会いなおすところ」と定義してみたい。<br />
　この16年間、私は自炊孤食の生活である。こういう生活を私が好んでいるのでない（笑）。気づいたら、そうなっていただけである。私は子どもが大好きだし、「大家族がええなあ」と心から思っていた。<br />
まあ、「人生すべてお与えもん」であるから、私は自分のいまの人生を受け入れているが。<br />
　でも、ゴーバルの長テーブルで20人くらいでごはんをなごやかにいただいたりすると、休んでいた素の自分自身の感覚が湧いてくるのがわかる。自分がありのままの私に帰っていくんだ。<br />
　うらやましいのではない。そうではなく、私が実現させられなかった道を“もうひとりの私”がしっかり歩いてくれるという喜びが湧いてくるのである。私の片思いかもしれないが（笑）、そういうどこか兄弟のような近しさをゴーバルの石原さん、桝本さんに感じる。<br />
　９月20日にお別れするときに、桝本進さんが「もう１泊していかないの？」とポロッと言ってくれた。こういう自然な言葉って、とってもうれしい。<br />
（10月16日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-16T10:42:27+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=1" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=687936">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=687936</link>
    <title>強制執行される『こうちゃんのはたけ』――まるで死刑執行のように</title>
    <description>　10月16日（木）の朝７時に、紙芝居『こうちゃんのはたけ』（注）の畑が、行政代執行されます。
　強制執行です。北巣本保育園の子どもたちが育ててきたサツマイモ、ピーナッツ、ナス、ピーマンは刈りとられます。何百年もの間、ひとびとを見守ってきたお地蔵さんも撤去さ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　10月16日（木）の朝７時に、紙芝居『こうちゃんのはたけ』（注）の畑が、行政代執行されます。<br />
　強制執行です。北巣本保育園の子どもたちが育ててきたサツマイモ、ピーナッツ、ナス、ピーマンは刈りとられます。何百年もの間、ひとびとを見守ってきたお地蔵さんも撤去されます。エノキの大木（ご神木）も、伐採されます。<br />
それぞれが死刑執行のように、殺されるのです。<br />
　大阪地裁は10月１日に、同地への強制執行停止の申し立てを却下しました。大阪高裁に松本剛一さんが即時抗告し、同高裁が「10月30日に決定を下す」と言っています。しかも、事業認定の取り消し、収用裁決の取り消しを求める訴訟が同地裁で審理中です。<br />
　それにもかかわらず、なぜ強制執行を大阪府（橋下徹知事）は急いで行うのでしょうか。<br />
　私には理解できません。そして、残念でなりません。<br />
　たとえ意見・主張が違っていても、同じ土俵の上に立ち、回しをとりあって、言論戦を展開する気風が日本社会はもっともっとあってもよいと思います。とくに権力者にその気風がほしいものです。<br />
　権力者のパワーの源泉は、言うまでもなく、民意です。しかも、民衆の多数派によって権力は形成されます。<br />
　いったん権力を取った多数派は、保持しているパワーの大きさゆえに、少数派や異端者、反対者の主張にギリギリまでもっともっと譲歩できるはずです。権力を乱用してはならんのであります。それが治者の責任というものであり、器量というものです。なぜ問答無用の強制執行なのか、私にはわかりかねます。<br />
　10月16日（木）は、朝７時に現場に駆けつけて、執行の具体的なありようを、しかと見届けようと私は思います。<br />
　（注）「<a href="http://blog.rongakusha.com/?day=20071025" target="_blank">ここでずっと生きていたい――紙芝居『こうちゃんのはたけ』の誕生</a>」（連載コラム121回、2007年10月25日）、ほっとニュース「<a href="http://blog.rongakusha.com/?day=20080124" target="_blank">最後まで失ってならないもの</a>」（2008年１月24日）をごらんくださいね。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-15T15:23:22+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=3" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=686719">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=686719</link>
    <title>丹波マンガン記念館への小さな旅――10月例会について</title>
    <description>　2008年10月例会は、丹波マンガン記念館を訪ねます。
　「小さな旅」をしましょう。
　10月12日（日）の正午に、地下鉄「国際会館」駅の宝ヶ池通出口付近に集合。
　１時間から１時間半かけて、車に分乗し、同館に到着。
　２時から、館長の李龍植（リ・リョンシク）さんの案...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　2008年10月例会は、丹波マンガン記念館を訪ねます。<br />
　「小さな旅」をしましょう。<br />
　10月12日（日）の正午に、地下鉄「国際会館」駅の宝ヶ池通出口付近に集合。<br />
　１時間から１時間半かけて、車に分乗し、同館に到着。<br />
　２時から、館長の李龍植（リ・リョンシク）さんの案内説明を受けながら、館内を見学。その間、自在に質疑応答をしてください。<br />
　５時には現地を出発し、再び１時間から１時間半かけて、戻ってきます。<br />
　龍植さんからたっぷりと話をうかがえることが、10月例会のポイントかと思います。<br />
　現在、車を２台確保。あと７人が乗車可能です。そんな訳ですから、参加されるかたは、必ず予約をとってくださいね。なお、神戸や舞?から直接車で行くひともご連絡はくだ<br />
さいね。<br />
　参加費は、入館料800円以外に、800円（龍植さんにお礼いたします）。<br />
　歩きやすい服装で参加ください。森の中は冷えるので、上着があったほうがよいかもしれません。<br />
　なお、参考図書として、『ワシらは鉱山（やま）で生きてきた――丹波マンガン記念館の精神史』（発行・同館、編集・虫賀宗博、1992年、109ページ）があります。800円（送料別）です。10月12日に、同館でお求めください。私あて注文していただいても、うれしいであります。<br />
　10月12日が無理なかた、雪が降るまえの年内のいつかに、友人たちと同館へぜひぜひ“遠足”してください（定休日は火曜）。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-09T10:03:58+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=3" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=686721">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=686721</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第171回）閉じられる丹波マンガン記念館――「後世への最大の遺物」を残したある親子</title>
    <description>　丹波マンガン記念館が、開館20周年の来年に、閉館されることになった。
　同館は、李貞鎬（リ・ジョンホ）さん（1933〜1995）が独力で建てた。
　といっても、貞鎬さんは重いじん肺を病んでいたので、実際にトンカンと建てあげていったのは、息子の李龍植（リ・リョンシク...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　丹波マンガン記念館が、開館20周年の来年に、閉館されることになった。<br />
　同館は、李貞鎬（リ・ジョンホ）さん（1933〜1995）が独力で建てた。<br />
　といっても、貞鎬さんは重いじん肺を病んでいたので、実際にトンカンと建てあげていったのは、息子の李龍植（リ・リョンシク）さんであった。<br />
　マンガンは、大砲や鉄道レール、乾電池をつくるのに欠かせない鉱石。鉄などを硬くする性質がある戦略的物質である。<br />
　京都の丹波高地の各地に、そのマンガンの鉱脈が発見され、戦争中には飛躍的に生産量が伸びた。兵器が増産されたからだ。<br />
　その掘り出しの重労働を担ったのが、強制連行された朝鮮人たちである。李貞鎬さんも、その１人である。<br />
　敗戦後もマンガンを掘りつづけたが、1977年に閉山に追い込まれる。輸入マンガンの安さゆえに、丹波マンガンは切り捨てられたのである。<br />
　でも、療養中の李貞鎬さんは、あきらめなかった。<br />
　ピンチに追い込まれて、逆に勝負に出た。<br />
　閉山鉱山を整備し、鉱山労働のテーマパーク記念館にすることを決意。<br />
　「連行されて、働いて、じん肺になって死んでいったワシら朝鮮人たちの姿を残すんや。ワシらの“肺塚”を建てるんや。」<br />
　５年間を費し、コツコツと記念館を手作りでつくりあげ、1989年に開館。<br />
　そのニュースを私は当初知らなかったが、岡部伊都子さん（1923〜2008）に、「いっしょに行かへんか」と誘ってもらい、開館の半年後にうかがうことができた。<br />
　出会った李貞鎬さんは光を放っていた。忘れ得ないひとだ。<br />
　「資金がないからこそ、できるんや。」そう言い切る気迫に満ちたひとだった。<br />
　「この人、ホンマにじん肺か」（笑）と思わせるほどの張りのある、大声で語っていた。<br />
　日本社会は貞鎬さんたちの居場所を認めなかった。なのに、過酷な待遇にもあきらめることなく、まっすぐ走りつづけ、格別の大声の風を送って、いまここの生の場所を自分自身の居場所に育てあげ、その生き方によって日本社会の冷酷さを乗りこえていった。貞鎬<br />
さんは、そんな勇敢に体をはりつづけた人生のFW（フォワード）だった。<br />
　しかし、力尽き、1995年に62歳で亡くなった。<br />
　龍植さんが２代目の館長になり、その後も奮闘しつづけたが、開館当初の年２万人の入館者数が4000人にまで、残念ながら落ち込んでしまったのだ。年に数百万円の赤字を、龍植さんはダンプに乗り、他の肉体労働し、土地を売却し、借金をし、補充し続けたが、それも限界を迎えたのだった。<br />
　「長い間、ご苦労さまでした」と私は電話を入れた。<br />
　「ご苦労さま、なんて初めて言われた」と龍植さんは電話口でしんみり。<br />
　しんみりとされると、「もっと私も支援できればよかった」という思いがコンコンと湧く。「李貞鎬さん、申しわけありませんでした」という思いもじわあと湧きあがる。<br />
 　せめてまだ行ったことのないひとに呼びかけ、ラスト・イヤーを黒字にして、ノーサイドを迎えられるようになれば……と思うのだ。<br />
　国道162号を京都市内から、車で北上して、１時間。北山杉の森の中に、丹波マンガン記念館（右京区京北下中町、Tel 0771-54-0046）がある。<br />
　行ってほしい。<br />
（10月９日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-09T10:03:08+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=1" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=684642">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=684642</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第170回）これからがほんとうの人生の始まり</title>
    <description>　「ほんとうの自分に出会うごとに、心に静けさが訪れる。」
　９月７日に入佐明美さんが「講座・言葉を紡ぐ」において、語った言葉である。
　もちろん入佐さんが紡いだ言葉だ。でも、「ほんとうの自分って、わからない。ウソの自分とほんとうの自分、正しい自分と正しくな...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　「ほんとうの自分に出会うごとに、心に静けさが訪れる。」<br />
　９月７日に入佐明美さんが「講座・言葉を紡ぐ」において、語った言葉である。<br />
　もちろん入佐さんが紡いだ言葉だ。でも、「ほんとうの自分って、わからない。ウソの自分とほんとうの自分、正しい自分と正しくない自分があるのか」という参加者の大学生の質問が引き出したのだ。いい質問だった。<br />
　入佐さんは「現在の私を動かしているのは大きな無意識である」と答えた。<br />
　その無意識の動きを感じ、味わい、発見し、出会っていくことが大切なんだが、その作業は、言うまでもなくなかなかハードである。頭から心へ至る山旅は、ちゃんとした地図やガイドがないと、遭難してしまうことだってあるほど厳しいものだ。しかし、いったん心まで到達すれば、心本位に、つまり自己本位に生きることができる。だって、私の心の97％、98％を占めるのが無意識である。その無意識を生かさずして、何の人生ぞ、である。<br />
　「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出てきました。」「どうしても、一つ自分の鶴嘴（つるはし）で掘り当てる所まで進んで行かなくなっては行けないでしょう。」「もし掘り中（あ）てることが出来なかったら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。」「ああここにおれの進むべき道があった！　ようやく掘り当てた！　こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなただかは始めて心を安んじる事が出来るでしょう。」（以上、夏目漱石「私の個人主義」）<br />
　自己本位に生きると、必ず生の居場所が見つかる。生きがいも同時に湧きあがってくる。そのときの喜びは、「よくも、まあ、気づかせてもらった、ありがたい」という感じで、実に落ち着いたものだ。これが入佐さんの言う「心に訪れる静けさ」である。きっと。<br />
　でも、これは出発点に立ったということでしかない。これからが、ほんとうの人生の始まりだ。<br />
　自己本位に生きてゆけば、当然ながら『それから』『門』『行人』『こころ』で展開されているようなトラブルにぶつかるであろう。しかれども、恐れずに、立ち向かってゆけばいいのさ。必ずやほんとうの人生が広がってゆく。<br />
　なぜならば、全体の中にある自己が見えてさえいれば、必ずや行くべき道があることも見えてくるからだ。だから、全体に吹く風におまかせしながら、もっと自分を輝かせ、もっと自分を大切にし、もっと自分のいのちを爆発させれば、いいのさ。自分の物語を生ききることなんだ。たとえ生ききることで修羅が生成したとて、相反相即しながら、泳ぎきればよいのだ。そういま思っている。<br />
　こんな夢を見た。「49歳であなたは死ぬ運命です」と私は上島聖好さんに言われる（夢の中の上島さんは現実の上島ではなく、もうひとりの私自身である）。夢の中の49歳の私は「そういうものか」と思ってベッドでじっと寝ている。だが、なかなか死なない（笑）。しかも、「死ぬ」っていう予感が体の中にない。「だまされている」と思って、「えぃ！」と起きあがってみると、私はピンピンとしていて元気なんだ。走って逃げ出すと、「バレたか」と上島さんやその仲間が追っかけてくる。猛スピードで逃げ、森の中へ隠れることができた。「やった！」……<br />
　おもしろい夢だろう？　自らのいのち、ほんとうの自分をだましたり、いためつけているのは、往々にして、もうひとりの自分、借りものの自分だったりするんだ。<br />
（10月２日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-10-02T12:46:47+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=1" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=683250">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=683250</link>
    <title>52歳のルーキーと51歳のルーキー――新しい旅立ちを祝いたい</title>
    <description>　２人の友人の新しい出発をお祝いしたいと思います。その合同のお祝い会を９月28日（日）に開きます。
　１人の友人は、朴才暎（パク・チェヨン）さん。
　ちょうど１か月前の８月30日に、エッセイ集『ふたつの故郷――津軽の空・星州の風』（藤原書店）を刊行しました。
　...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　２人の友人の新しい出発をお祝いしたいと思います。その合同のお祝い会を９月28日（日）に開きます。<br />
　１人の友人は、朴才暎（パク・チェヨン）さん。<br />
　ちょうど１か月前の８月30日に、エッセイ集『ふたつの故郷――津軽の空・星州の風』（藤原書店）を刊行しました。<br />
　故岡部伊都子さんの推挙で実現した朴さんのデヴュー作品です。<br />
　韓国・星州（ソンジュ）出身の両親のもと、青森の津軽に生まれ、縁あって、現在は奈良に暮らす朴さんの自叙伝的随筆集が本書です。<br />
　全体として、淡々とした文体であたたかくつづられていますが、時に津軽平野の地吹雪のようなウナリが入り、心が震えます。心が洗われます。<br />
　たとえば、結婚直後の朴さん。「私は病んでいたのだと思う。わずか三ヶ月の間に体重は七キロが落ち、私は毎日見上げて、天から降りてくる蜘蛛の糸をまっていた。しかしそれ以上に、この解せぬ不思議な選択をした『私という女』自身を訝しく思っていた。そして、死んでしまう代わりに、この不思議を、自ら解き明かしたいと希ったのである。」（本書P.196）――こうして、いわばいのちがけで、朴さんは女性問題心理カウンセラーになっていったのでした。<br />
　岡部ちゃんのおきみやげとしての『ふたつの故郷』です。52歳のルーキーの、初の作品集をお祝いしましょう。<br />
　もう１人の友人は、塩田敏夫さん。<br />
　毎日新聞大津支局長時代の「支局長からの手紙」の連載コラムによって、塩田さんは私（たち）にポジティヴ・ニュースの可能性を喚起し、方向づけをしてくれました（注）。<br />
　現在は、同新聞の企画開発部長ですが、志願して新聞の現場に復帰します。一記者に戻ります。来月10月から、同新聞舞?支局の峰山通信部記者です。日本海に突き出た奥丹後半島の付け根の中央部に位置する、小さな小っちゃな町の駐在記者です。<br />
　「丹後ちりめん」（絹織物）の衰退をはじめとした厳しい現場が実在していると思いますが、「よし、行くぞ」と困難な状況に立ち向かって、乗り越えようとしているひとびともきっと存在しているはずです。そんな時代の表層にはなかなか現出しない時代精神をキャッチしてほしいと願います。<br />
　ポジティヴ・ニュースを再発信してください。<br />
　塩田さんの現場復帰、51歳のルーキーの再デヴューをお祝いしましょう。<br />
<blockquote>朴才暎さんと塩田敏夫さんの新しい出発を祝う会（特別９月例会）<br />
2008年９月28日（日）の午後１時〜６時。論楽社。<br />
（第１部）午後１時〜３時半、スピーチと対話。<br />
（第２部）午後３時半〜６時、食事会。<br />
参加費は2000円（ただし、酒量によって、増減あり、アハハ）。申し込み不要。どなたでも、ご参加ください。</blockquote>　秋です。秋の白い光が満ちるとき、モズの「キーキー」という高鳴きが聞えてきます。私はその声が好きです。いまここでも鳴いてます。<br />
　秋は、いのちがしずかに満ちるときです。お元気でおすごしください。実りを祈ります。<br />
<br />
　（注）ほっとニュース　2005年10月24日号「<a href="http://blog.rongakusha.com/?day=20051024" target="_blank">ポジティヴ・ニュースの可能性</a>」などを見てね。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2008-09-25T13:39:45+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=1" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=683235">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=683235</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第169回）非武装で平和に生きる――追悼・伊藤和也さん（その２）</title>
    <description>　中村哲さんが編集した『丸腰のボランティア――すべて現場から学んだ』（石風社）を、再読した。ちょうど２年前の2006年９月に刊行された。
　哲さんは、「まえがき」を書いているだけで、本書ではエディター。ライターは、アフガニスタンやパキスタンの現地で汗を流して...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　中村哲さんが編集した『丸腰のボランティア――すべて現場から学んだ』（石風社）を、再読した。ちょうど２年前の2006年９月に刊行された。<br />
　哲さんは、「まえがき」を書いているだけで、本書ではエディター。ライターは、アフガニスタンやパキスタンの現地で汗を流してきた歴代の日本人ワーカーたち総勢43人。医療、井戸・用水路づくり、農業、事務・会計の現場労働を担ってきたボランティアたちのレポート集である。<br />
　初読のとき、伊藤和也さんの名前を私は認識し、記憶することができなかった。でも、初読の時、赤線を引いている箇所があった。伊藤さんの次のレポートである。引用してみる。<br />
　「近隣の農家の人たちと話をしたりして、個人的には大分打ちとけて来たのではないかと思いますが、中でも周辺の農家の子供たちに名前を覚えられ、よく名前を呼ぶ声以外に『イトー、アクスウバセ（イトー、写真をとって）』と声をかけられます。そのような時は休憩時間に写真を撮ることがあります（もちろん周辺にいる大人の許可を取っていますし、ある程度の年齢に達した女の子を撮らないよう注意しています）。」（2005年９月28日付：ちょうど３年前だ）<br />
　私が赤線を引いたのは、小さい子の写真１枚を撮るにも細心の気を使っているのがわかったからだ。<br />
　福元満治さんによると、伊藤さんは１万カットを超える写真を５年間で撮っているという。最初は、麦、茶（アフガニスタンでは緑茶を飲む）、さつまいも、菜の花、アルファルファなどの生育状況をレポートするために、撮り始めた。それがしだいに唯一の趣味のようになっていったという。――伊藤和也・写真展が計画されているらしい。私も見てみたい。その全貌を。<br />
　伊藤さんは、現地において結婚式や葬式にもきちっと出席していた。ペシャワール会から支給される月１万円の生活費から貯金した20万円を地元のモスクに寄進していたし、ラマダン（断食）も進んで実践しており、地元の長老から縁談を勧められたこともあったほどであった。<br />
　こんな伊藤さんがなぜ殺されるのか。<br />
　不条理である。不合理である。<br />
　その不条理を、不合理をどうやって受け入れていくのか。<br />
　侮辱され、侮蔑された世界を確かに私たちは生きている。生きざるをえない。<br />
　でも、投げ出すわけにはいかない。しかも空の青さを、天の星を、つまり世界を侮辱し、侮蔑するわけにはいかないし、そんな権利を誰も持っていない。そうだろう？　悲苦の泥水を吸いあげ、随喜の花を咲かせよう。<br />
　哲さんの弔辞である。<br />
　「寡黙で愚痴一つこぼさず、村人たちの生活を思いやり、必死で汗を流す姿は、多くの者に温かい励ましを与えました。<br />
　和也くんは、決して言葉ではなく、その平和な生き方によって、その一生を以って、困った人々の心に明るさを灯してきました。」<br />
　「平和とは戦争以上の力であります。戦争以上の忍耐と努力が要ります。和也くんはそれを愚直なまでに守りました。<br />
　彼は私に代わって、全ての平和を愛する人々に代わって、死んだのであります。」<br />
　「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓い、天にある和也くんの霊が安からんことを心から祈ります。」（2008年９月１日）<br />
　用水路の取水口から19キロメートルの地点に、畑を開拓し、石碑を建て、伊藤農園と名づける計画だ。<br />
（９月25日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-09-25T10:49:16+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=681723">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=681723</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第168回）非武装で平和に生きる――追悼・伊藤和也さん（その１）</title>
    <description>　2008年８月26日、アフガニスタンのダラエヌールにおいて、伊藤和也さんが殺された。
　その死が最終的に確認された８月28日は、早朝から、私のところへ電話が11本もかかってきた。遺族でも関係者でも私はないのにね（小さな笑い）。みんな、悲しみを共有したかったのだ。
...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　2008年８月26日、アフガニスタンのダラエヌールにおいて、伊藤和也さんが殺された。<br />
　その死が最終的に確認された８月28日は、早朝から、私のところへ電話が11本もかかってきた。遺族でも関係者でも私はないのにね（小さな笑い）。みんな、悲しみを共有したかったのだ。<br />
　９月14日、大阪において福元満治さん（ペシャワール会事務局長、石風社代表）に会うことができたので、その対話を通してわかったことといま思うことをつづってみる。<br />
　その１。犯人のことである。福元さんによると、伊藤さんの頭と足を銃撃して、死に至らしめた武装グループは、難民キャンプにおいて成長した青年たちということだ。世界から見捨てられたような日常の中で、彼らはニヒリズムを発酵させていったにちがいない。信じられるのは、金だけというニヒリズム。ゆえに、犯行目的も、ゼニ。イスラム原理主義うんぬんという宗教的思想的背景は、ゼロ。なし。<br />
　その２。セキュリティのことである。たしかに、伊藤さんたちは中村哲さんを含め、丸腰で現地で水路工事に従事していた。彼らは、いわば“憲法９条”の非武装非暴力思想を体現していたと言ってよいのである。現地は刀狩り以前の武装社会である。1980年代の対ソ連内戦を経て、現在の対アメリカ戦争を行わざるを得ない武装社会である。その社会で勇気をもって、５年10年20年と非武装で哲さんは生きてきたのである。では、ペシャワール会のワーカーたちは武装し、かつ、軍事訓練を経てから、井戸掘りや水路工事に参加すれば、よかったのか。否であろう。武器を持っていれば、必ずや、米軍ヘリに撃たれたり、もっとたびたび事件が多発していたはずだ。<br />
　論楽社においての中村哲さんは風呂上がりで夕涼みするお父さん、ひょうひょうとした野人哲学者というフンイキであるが、よく言われているとおり、現地の哲さんは厳しい表情に変化（げ）する。何百人かの現地のひとびとを統率する将軍の顔になる。ならざるを得ないのだ。日本人ワーカーに対しても、中村組の鬼の組長になったはずだ。でないと、現地社会で信頼は得られなかったはず。現地服の着用、禁酒などの現地の文化習慣、夜間行動や単独行動の厳禁などの戦地のおきてを遵守。セキュリティに落ち度はなかった。私はそう推測する。<br />
　それでも、伊藤さんは殺された。ということは、つまり、事故であったのだ。あってはならぬけど、おきてしまった事故ではなかったのか。もうこれ以上、哲さんや福元さんたちは自分自身を責めないほうがよいのではないか。<br />
　その３。状況について、である。2001年10月７日の空爆以来、英米軍はアフガニスタンを攻撃しつづけている。日本では、そのこと自体、忘れられてしまっているが、いまもアフガニスタンの何の罪もないおっちゃん、おばちゃんが殺されつづけているのである。しかも、日本軍は空爆機への給油行動に参加し、参軍している。「100年かけても、英米兵を祖国からたたきだす」と思っているアフガニスタンのフツーのひとびとにとって、日本はどう映っているか。助けてくれるどころか、敵に回っていっしょになって攻撃しているのが日本である。<br />
　つまり、弱きをくじき、強きを助けているのが、日本だ。これでよいのか。<br />
　言うまでもないことだが、日米関係はきわめて重要である。けれども、あまりにも追従型の２国間関係のみで、日本軍の動きを判断してよいのか。日本列島で暮らすひとびとを守り、かつ、アフガニスタンの荒野で生きるひとびとを守る方法は、他にいくつでも、なんぼでもあるではないか。軍事についてはもっと明晰にもっと現実的に判断すべきである。<br />
　「政治の不作為と不見識が伊藤さんを殺したのではないのか。」こう自問内省する政治家が日本にいるか。プロの政治家だったら、考えてほしい問いである。<br />
（９月18日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-09-18T10:42:41+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=3" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=680350">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=680350</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第167回）大野への小さな旅――ありふれた、でも特別にうまい水が湧く町</title>
    <description>　福井の大野へ行ってきた。日帰りの小さな旅である。
　５枚綴りの「青春18きっぷ」が１枚だけ残った。使用期限は９月10日までだ。
　９月９日を「えいっ、やぁっ」と休みにし、敦賀行きの新快速に乗った。
　福井で乗り換え、越美北線で大野へゴトンと着いたら、昼過ぎであ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　福井の大野へ行ってきた。日帰りの小さな旅である。<br />
　５枚綴りの「青春18きっぷ」が１枚だけ残った。使用期限は９月10日までだ。<br />
　９月９日を「えいっ、やぁっ」と休みにし、敦賀行きの新快速に乗った。<br />
　福井で乗り換え、越美北線で大野へゴトンと着いたら、昼過ぎであった。<br />
　越前大野駅を出て、寺町通りを下ると、あっという間に、本願清水（ほんがんしょうず）へ着いた。小さな街なので、目的地にすぐ歩いてゆくことができる。<br />
　湧き水である。コンコンと湧いている。<br />
　腹が減っていることもあって、ゴクゴクとひしゃくで５杯飲む。おとなしく、さっぱりとして、まろみのある水。きわめてうまい。<br />
　近所の小学生の男の子が３人来て、私の後に並ぶ。６杯目を飲むのをやめて、交代。すると、彼らは順々に、湧き水に直接口を入れ、ゴクンゴクンと飲んでいる。「世の中でいちばんうまいものを飲んでいる」という表情である。私と目が合う。彼らはほほえむ。私もほほえむ。私は６杯目を彼らのマネをして、湧き水に口をつけ飲んでみる。よりうまい気がした。「うまいっすね」と私が言うと、彼らはケラケラ笑って、私のマネをする。「うまいっすねぇ」。「ウマイッスネ」。<br />
　「こんなうまい水を毎日飲めるなんて、君たち、幸せやな」と私が言うと、三人組はそれには答えず、笑いながら「さようなら」とあいさつして、去っていった。<br />
　奥越前は豪雪地帯である。四方の山岳が蓄えた水が百年、二百年の時を経て、湧きあがっている。年を通して、15度Ｃ。ゆえに、天然記念物のイトヨが生息している。<br />
　私はその後、御清水（おしょうず）、芹川清水、水船清水、七間清水と５か所の湧水地を訪ねた。どの清水も、それぞれが生きており、うまかった。<br />
　大野はビルがない街である。高い建物がほとんどない。ゆえに空が広い。夏の終わりの風が吹いている。秋の始まりの白い光が輝いている。<br />
　大野市立図書館があったので入ってみたが、ふんいきや本の質と量が「無料の貸本屋である」というニオイを放っていた。本屋が２軒もつぶれているのを見つけた。さまざまな問題をかかげた小都市であることが、推測できる。<br />
　けれども、小さな八百屋の前に、とれたてのナツメリンゴがひと袋500円で売られ、太ったおばちゃんのお尻のようなどてカボチャが200円で売られている町である。たしかに人があまり歩いていない、からっぽの町である。でも、からっぽゆえ、何かが満ちている。湧水と農に支えられた、あたりまえの暮らしが満ちている町なんだ。そんな気がした。<br />
　七間清水の近くに、手打ちそば屋があった。うまい水で育った地元産そば粉に、七間清水の湧水を入れて、打つんだ。うまいにきまっているが、実際、うまかった。実にうまかった。<br />
　越前そばである。大根おろしに、ねぎ、かつおぶしをたっぷりかける。奇をてらわない、シンプルで深い味である。気がつくと、５皿いただいていた。「ああ、満腹。満足。感謝。」<br />
　ありふれた、でも、特別な町であった。ありふれた人間の中に必ずある、ありふれた、でも特別の物語を思うことができる町であった。<br />
（９月11日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2008-09-11T14:27:31+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
<taxo:topics>
<rdf:Bag>
<rdf:li rdf:resource="http://jugem.jp/contents/theme.php?theme=20" />
</rdf:Bag>
</taxo:topics>
  </item>

</rdf:RDF>