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    <title>論楽社ほっとニュース</title>
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    <description>京都・岩倉の論楽社からお届けします</description>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第265回）ある恋の夢の歌――そのときには君を</title>
    <description>　夢は、心のもっとも原初的なところから湧きおこる。どんな思考、思索にも妨げられず、心の感情の強さに応じ、立ちあがってくるのが、夢である。恥ずかしくなるほどに正直に、いま自分自身がほんとうに必要としているもの、心の根っこに触れさせてくれるのが夢だ。
　その...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　夢は、心のもっとも原初的なところから湧きおこる。どんな思考、思索にも妨げられず、心の感情の強さに応じ、立ちあがってくるのが、夢である。恥ずかしくなるほどに正直に、いま自分自身がほんとうに必要としているもの、心の根っこに触れさせてくれるのが夢だ。<br />
　そのような夢が示現していることに、もっと敬意を払わなければ、私の全体性が崩れてしまうではないか。<br />
　せっかく、いまここの心のねじれ、ゆがみ、こりを夢が教示してくれているのに、気づかないなんて、もったいないではないか。<br />
　たとえば、あの真夏の夜の夢。――私はＪＲに乗っている。寝すごす。下車のタイミングを失う。「摂津富田」「篠山口」と目覚めるたびに、駅名が変わってゆく。「さあ、もう戻ろう」。どこかの駅で、乗りかえる。夕陽に映（は）える川面を車窓から望むことができる。車中全体が茜色、黄金色に光輝くではないか。でも、気がつくと、自転車に乗っている（いままでＪＲに乗っていたのに！）。坂道を自転車で登っている。坂の向こうに町並が見える。自転車の荷台にネコがいて、私にしがみついている。「よし、よし」とネコの手をにぎると、ネコがなんと蒼井優に変化（げ）。うれしくて、ぐうっと抱き寄せるのであった――。<br />
　「アホか！」「あはれである」「情けない！」という感想をあなたはきっとお持ちになるであろう。でも、私は夢が放つメッセージを受けとめねばならない。私自身の感情に対し、非暴力的に価値判断しないで、テレないで受容しなければならない。自分自身の性的欲望に対しても、もっと深く受認し、もっと葛藤しながら、成長していかねばならないのだ。あたりまえのことなのだが、私が私の無意識の感情を大切にできなかったら、他にいったい誰が大切にしてくれるのか――。<br />
　「川」は私のエネルギーの流れである。いのちの営みである。「ネコ」「蒼井優」は、私の中の女性性であり、「抱き寄せ」て、一体化し、深く安心したいのだ。いのちとつながりたいのだ。――私は、自らの夢をこのように受けとめている。<br />
　考えてみれば、もう、かれこれ20年、私は独身。男盛りの20年間を独りもんとして過ごしてきたのだから、血の通う肉体が異性を求めるのは、全くのところ、自然なこと。<br />
　私は運命を受け入れている。過去をもっと受け入れ、明日への花を咲かせたい――。<br />
　もうひとつの真夏の夜の夢が、示してくれた歌をひとつ。「ある恋歌――そのときには」である。ひとつの夢歌（フィクション・ソング）だ。<br />
　20年間を振り返りながら、明日へとつながる恋歌である。愛する力こそが、すべての源だ。アハハ。<br />
<br />
　空を見上げる。<br />
　まっ青な空が広がっている。<br />
　赤桃色のネムノキが、朱色の朝日に映えている。<br />
　空の下に私は在る。<br />
　小さな存在として、いま、ここに在る。<br />
　長い歳月、空の下に私は在り、君とともに在った。<br />
　ひとは自分自身を大切にしないかぎり、好きなひとすら、大切にすることはできない。<br />
　誰かを自分以上に大切にしたときに、ひとは初めて自分自身をほんとうに大切にすることができる。<br />
　私は私を捨て、君の中で、私自身にほんとうになりたかった――。<br />
　なりたかった――。<br />
　ああ、もしも生まれ変わることができるならば、君といっしょに、歩きたい。<br />
　肩を並べて、茜色の夕日をながめて、生きてゆきたい。<br />
　生まれ変わったそのときには、君をまっさきに見つける。<br />
　そのときには、絶対に君を見つけてみせる。<br />
　ああ、そのときには――。<br />
　そのときには――。<br />
（７月29日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-29T09:21:11+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>ポジティヴ・ニュースの営み――塩田敏夫さんの７月例会へ、ようこそ、ようこそ（その２）</title>
    <description>　７月10日（土）の奥出雲における講演会（連載コラム第263回「社会的包み込み」）。
　その講演のあとに、いただいた御飯がうまかった。
　打ちたて、ゆでたてのそば（そば湯も妙なる味でっせ）！
　とりたての大豆。もぎたて、ゆでたてのとうもろこし。
　つみたてのブルー...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　７月10日（土）の奥出雲における講演会（連載コラム第263回「社会的包み込み」）。<br />
　その講演のあとに、いただいた御飯がうまかった。<br />
　打ちたて、ゆでたてのそば（そば湯も妙なる味でっせ）！<br />
　とりたての大豆。もぎたて、ゆでたてのとうもろこし。<br />
　つみたてのブルーベリー（疲れた目に効くのだ！　実際に、そういう薬効があるんだそうだ）。<br />
　それに、米粥が加わる（ひとつぶごとの米のうまさ！）。<br />
　実は、私、こういうメシがいちばん好きだ。<br />
　穀力（こくりょく）って在るんだ。私はそう思っている。<br />
　五穀のいのち、その野生の力が胃におさまり、おのがいのちを整え、目覚（ざ）めさせ、下支（したざさ）えしてくれる感じである。<br />
　私は、タイのターマファイン村のひとたちの顔を思い出していた。<br />
　たしかに講演に呼んでいただき、出雲に来たのだが、穀力の接待を受けていると、「托鉢に来たのではないか」と思うのだった。<br />
　７月11日（日）には、出雲の湯村温泉に宮森健次さんに連れていってもらった。<br />
　大きくはない湯船が、室内と露天の２か所あるのみ。鏡もシャワーもシャンプーも置いていない。いたってシンプルである。<br />
　無色無味無臭。さっぱりとして、かつ、滑らか。あったかい。包みこむような湯だ。<br />
　雨である。増水した斐伊（ひい）川が音をたて、流れている。<br />
　川の音をただ聞きながら、湯につかる。<br />
　穀力の恵みと同じような、川湯の恵み。シンプルで、ディープ。腰や肩の痛みが柔らいでゆくのを感じる。<br />
　ああ、ありがたい。<br />
　奥出雲の小盆地。出会った「ポケット」のひとびと。豊かな地力に育（はぐ）まれた、穏やかな心力。<br />
　「高校を出ても地元に勤め口がない」「農業では食えないどころか、“持ち出し”や」との声を私は聞いた。たしかに現実は厳しいのである。<br />
　しかし、厳しい状況に立ち向かうひとがいる。「相互扶助の情報センターとしての図書館をつくってゆこう」と思うひとたちがいるということがスゴイのだ。これこそがpositive newsなのである。私はそう思った。<br />
　塩田敏夫さん（毎日新聞記者）が、縁あって出会った丹後半島のひとびとも、きっと同じ。「丹後ちりめんはダメ」「農業はアカン」「林業なんてアホらしい」「漁業は不振や」という声々の中に、芽があるんだ。その芽をつぶしてはいけない。その芽が歴史の結び目。解決の糸口。その糸口は、隠れている。でも、必ず存在しているのだ。目の前に、足の下に。<br />
　維新は、外様（とざま）から始まった。「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから」（清水義晴）、生まれる。改革は「若者、バカ者、ヨソ者」がヨコに繋（つな）がったときに生じる。これが、歴史だ。そうだろう？<br />
　７月25日（日）、塩田敏夫さんの７月例会。楽しみだ。具体的に話しあおう。どうか、来てね――。<br />
　なお、８月例会は、８月29日（日）。前座として私が竹内好（よしみ）について話しながら、政治のありようについて、具体的な提言。そして、団野（だんの）光晴さんが夏目漱石の『こころ』について、新しい切り口で語る。<br />
　夏の終わりに、日本の100年、150年を振り返ってみようではないか――。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-22T11:15:09+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第264回）悼むことによって得る新しい生――『悼む人』が示していること</title>
    <description>　いつ聞いても、ふしぎな気分に陥らせる言葉で、ある。
　ジンシンジコ――。
　駅のホームにときどき流れる放送に登場する言葉だ。
　「ＪＲ琵琶湖線、ただいま、ジンシンジコの発生のため、ダイヤに大幅な遅れが生じている。お急ぎのところ、ご迷惑をかけ、まことに申し訳...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　いつ聞いても、ふしぎな気分に陥らせる言葉で、ある。<br />
　ジンシンジコ――。<br />
　駅のホームにときどき流れる放送に登場する言葉だ。<br />
　「ＪＲ琵琶湖線、ただいま、ジンシンジコの発生のため、ダイヤに大幅な遅れが生じている。お急ぎのところ、ご迷惑をかけ、まことに申し訳がない」と、早口で繰りかえされるアナウンス――。<br />
　人身事故とは、改めて言うまでもなく、投身自殺のことである。<br />
　昨年も自殺者が３万人を越えた。なんと12年連続し、３万人を越える、とてつもない数のひとが、自死したのである。「まるで内戦のような状況だ」と私は思っている。<br />
　《15分、20分の遅れという不利益（損失）を君に与えたことについては、詫（わ）びよう。でも、ジンシンジコの発生なんて不可抗力。当社に、責任は一切なく、当社だって被害者なのだ》――。ＪＲは、こう主張したいのかもしれない。<br />
　でもでも、ジンシンジコなんていう無機質な言葉を平気で使い、しかも、慣れてしまうと、どのひとの死も、フラットになってしまうのではないか。「無関係の、どうでもいい、テキトーな死」という想念に、それぞれのかけがえのないひとの生と死を溶け込ませてしまってよいのか。<br />
　やっぱ、ひとは悼（いた）むときには悼まなければならない。<br />
　その原則は、曲げてはならないのではないか。<br />
　でないと、わが心が傷つくのだ。それこそが、すでに、人心（！）事故の二次災害が発生しているのではないか――。<br />
　３か月前に、ある小説を読んだ。<br />
　天童（てんどう）荒太（あらた）さんの『悼む人』（文藝春秋、2008年）である。<br />
　編集者のＳさんから、天童さんと徳永進さん（野の花診療所）の対談（月刊誌『文藝春秋』2010年３月号）のコピーを送ってもらい、惹（ひ）かれたからである。<br />
　天童さんについて、予備知識はなかった。他作品を読んだこともなかった。でも、「これは何かある」という直観がはたらいたので、トライしてみた。<br />
　当たった。とっても、おもしろかった。<br />
　『悼む人』の主人公坂築（さかつき）静人は、無二の親友の命日を仕事の忙しさゆえに忘れてしまった。<br />
　そのことに、ショックを深く覚え、結局、退社し、なんと「悼む人」になっていったのだった。<br />
　見ず知らずのひとの亡くなった現場に立ち、その死者が「誰を愛したのか」「誰に愛されたのか」「どんなことをして感謝されてきたのか」という３点のみを取材し、悼むのである。<br />
　新聞記事を図書館で調べ、その現場に次々に立つのである。<br />
　「悼む人」は、「誰々を愛し、誰々から愛され、何々に感謝されていた○○さん」とつぶやきながら。左膝を地面につける。右手を頭上に挙げ、何かを捕らえるように空を掴（つか）み、胸に運ぶ。左手は地面すれすれに下ろし、大地のエネルギーを掬（すく）うかのようにして胸に運び、右手に重ねる。<br />
　それだけをする。それ以外はしない。でも、その行為を重ねながら、その死者を可能なかぎり記憶し、野宿しながら、全国の津々浦々を遍路行脚していくのだ――。<br />
　「ぼくは……自殺をする代わりに、他人の死を悼むようになったのかもしれないな」「自分の死ぬ代わりに、他人の死を経験することに溺れていったのかもしれないんです」（同書、P.380）。<br />
　悼むことによって、ひとは新しい生を得る。<br />
　そう思いながら、『悼む人』を読んだ。<br />
（７月22日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-22T09:24:04+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>ポジティヴ・ニュースの営み――塩田敏夫さんの７月例会へ、ようこそ、ようこそ（その１）</title>
    <description>　７月25日（日）は、塩田敏夫さん（毎日新聞記者）の７月例会。
　テーマは、「ポジティヴ・ニュースの営み」である。
　ポジティヴ・ニュースとは、私の造語である。
　塩田さんの大津支局長時代の県版週刊コラム「支局長からの手紙」を読んだときに、私の体の中に浮かんだ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　７月25日（日）は、塩田敏夫さん（毎日新聞記者）の７月例会。<br />
　テーマは、「ポジティヴ・ニュースの営み」である。<br />
　ポジティヴ・ニュースとは、私の造語である。<br />
　塩田さんの大津支局長時代の県版週刊コラム「支局長からの手紙」を読んだときに、私の体の中に浮かんだコトバが、positive newsであった。<br />
　農業や福祉、図書館の現場において、それぞれの厳しい状況に立ちむかい、乗り越えようと奮闘しているひとたちのレポートだったからである。<br />
　私にとってのnewsは、苦しみに満ちた日常の中に“人生”を見出していくひとたちの存在が放つ光である。「99％は苦しみなのだが、なんやかやと努力していると、ふしぎなことに１％の光明が与えられる」というのが、人生の持つ妙味である。「これこそが人生というものだ」という思いを深めてくれる「情愛のある報（しら）せ」（「情報」についての私の定義）が、私にとって、newsである。<br />
　塩田さんは１年10か月前に志願し、ひらの地方記者になった。京都の丹後半島の通信部記者として、現場に戻ったのだった。<br />
　「地域版（丹後版）を独占する勢いで、記事を書きまくっているらしい」というウワサを耳にしているが、具体的にわからない。丹後版を、京都市内でも読むことができないからだ。<br />
　それで、７月25日には10本の記事を自選して来てもらい、そのコピーを参加者のひとたちと味わいながら、ポジティヴ・ニュースの営みの現場を分かちあおうと思うのだった。<blockquote>　2010年７月例会。<br />
　2010年７月25日（日）の午後２時〜５時。<br />
　論楽社（京都市左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334）。<br />
　塩田敏夫さん（毎日新聞記者）の「ポジティヴ・ニュースの営み」。<br />
　参加費800円。<br />
　なお、交流会は５時半〜８時すぎ（参加費は実費カンパ）。</blockquote>　７月例会は、メディア論を交わすことが目的ではない。<br />
　織物業が衰退し、農業も厳しい丹後半島において、ひとびとは何を悲しみ、何に怒り、何を求めて、苦闘しているのか？――その日常の営みを知り、感じ、味わい、分かちあうことが、目的である。<br />
　みんなでわいわいとやっているうちに心がやわらかくなり、「そうか、もうちょっと、ワシもふんばるか」と思えたりすることが、目的じゃ（笑）。<br />
　いやあ。そして、農林水産業という自然に働きかける労働と、その労働によって得られた恵みを分かちあう現場に立ちあうことによって、すっかり元気になった塩田さん（タンゴのピンピン男!!）に出会うことが、目的かな……。アハハ。<br />
　来てね――。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-15T09:03:45+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第263回）社会的包み込み（ソーシャル・インクルージョン）――出雲への旅で改めて思ったこと</title>
    <description>　島根県の出雲へ７月10日（土）に行ってきた。
　３回目である。６年前の最初のときも、３年前の２回目のときも、そして、今回も、なつかしい気に満ちる奥出雲であった。
　斐伊（ひい）川の上流であり、船通（せんつう）山（1142メートル）の麓である奥出雲――。
　特別の...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　島根県の出雲へ７月10日（土）に行ってきた。<br />
　３回目である。６年前の最初のときも、３年前の２回目のときも、そして、今回も、なつかしい気に満ちる奥出雲であった。<br />
　斐伊（ひい）川の上流であり、船通（せんつう）山（1142メートル）の麓である奥出雲――。<br />
　特別の何かがあるわけでは、ない。でも、冬の１メートルを越える積雪の恵みなのだろうと私は思うのだが、深山幽谷を思わせるゆたかな植生が生成されており、私にはなつかしさを特別に感じさせる小盆地だ。<br />
　私と塩田敏夫さん（毎日新聞記者）の２人が、その地に呼ばれ、なんと対談講演をすることになったのである。タイトルが「いのちにカンパイ！」――。しかも、第１部が「タイ・スカトー森林寺の修行記」、第２部が「図書館づくり」と続く長丁場の舞台（？）。初体験の漫才（？）である。大丈夫か――。<br />
　心配することは、なかった。<br />
　企画してくれた友人の宮森健次さん、会場の妙厳寺の安部貴彦さんをはじめとした「ポケット」という名のサークルのひとびと（代表・岩沢彩子さん）のなつかしいやさしさによって、初舞台（？）をふむことができたのであった。<br />
　あのやさしさは、小盆地の小宇宙の自然空間に感じるのと同じように、包みこむものであると思った。したがって、第２部の「図書館づくり」において、私は思わず、「いま必要なのはsocial inclusion（ソーシャル・インクルージョン）だ」と言ってしまった。<br />
　「社会的包摂」と訳されるが、“社会的包み込み”としてもよいコトバなのではないか。<br />
　半年前に読んだ本の中に出てきたコトバを、私は対話をしながら、ふいに思い出したのだった。<br />
　いま、その箇所を探し出してきた。引用してみようか。<br />
<blockquote>　「人間は『あなたじゃなくって、誰でもいいんだよ』という代替可能性を突きつけられると、存在の根拠が揺らいでしまいます。自分が意味ある存在として社会の中に位置づけられているという実感がないと、私たちは『生きることの底』が抜けてしまいます。<br />
　だからこそ、人々の関係性が希薄化し、人々の承認の場が失われた流動的社会では、『社会的包摂』の機能を再構築する必要があります。人々の『居場所』や『人間交際の場』を作り出していく必要があります。」（中島岳志、『ガンディーからの〈問い〉――君は「欲望」を捨てられるか』ＮＨＫ出版、2009年、P.68）</blockquote>　「オレという存在は、１つのボルトなのだ。ヴァーツラフ・ハヴェルが言ったような《１本の抜け落ちたボルト》なのだ、きっと。」<br />
　そう思い込んでしまうのは、私という存在を承認する場がいつの間にか流失してしまい、のっぺらぼうの顔のない現代経済社会に直接的に晒されてしまっているからである。<br />
　ちょうどバラやユズのせん定を、ティーシャツに短パンの姿でしているようなもので、きわめて危険な状況なのだ。トゲが素肌に刺さりつづけるのは、自明のことだ。<br />
　崩壊してしまった村落共同体や半崩壊の家族共同体をリフォームするのは、困難な作業が伴うことは、言うまでもない。<br />
　でも、奥出雲の「ポケット」のひとびとは、すでに包み込みの器量を有しているではないか。スゴイことだ！<br />
　そのことに気づいて、そのままの姿で、もう少しだけ内発的に心を耕せば、よい。あせらなければ、必ずや泉が湧く。<br />
　滋賀県の図書館のイメージにふりまわされないようにね（笑）。あるがままに、それぞれの居場所の根を深め、新鮮な奥出雲・図書館モデルをつくってね。<br />
（７月15日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-15T08:56:21+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=855757">
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第262回）常田健――白い雪と紅いリンゴの下で、ただただ絵を描いていた</title>
    <description>　８年前のことだ。あるひとに、『土から生まれた』（平凡社、2002年）という詩画集を送っていただいた。
　作者は、常田健（つねだけん、1910〜2000）。画家だ。
　初めて目にする名前であり、初めて接する絵であった。
　次のような詩をつづってきたひとだったのだ。胸中に...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　８年前のことだ。あるひとに、『土から生まれた』（平凡社、2002年）という詩画集を送っていただいた。<br />
　作者は、常田健（つねだけん、1910〜2000）。画家だ。<br />
　初めて目にする名前であり、初めて接する絵であった。<br />
　次のような詩をつづってきたひとだったのだ。胸中に１本のローソクの灯が点（とも）される思いで、味読することができたのであった。<br />
<blockquote>　よき暇と<br />
　よき孤独をもち、<br />
　最低ではあるが、<br />
　食うにことかかぬ。<br />
　そうだとすれば、<br />
　申し分ないではないか。――申し分のない暮らし<br />
<br />
　冬、春、夏、秋<br />
　何回くりかえしてもいい季節だ。<br />
　ただ繰りかえしていてくれれば<br />
　それで満足だ。<br />
　ただこのくりかえしだけしかないように願う。――満足</blockquote>　「冬、春、夏、秋」と、まず冬がくるのが常田健（以下、常田とする）らしい。素の心のままにつづっているからだろう。<br />
　常田は、89年の生涯のほとんどをリンゴ農民として送っている。雪深い青森の津軽平野において、黙々とリンゴを育てていたのであった（実際、極端な無口だったらしい）。<br />
　一方、土蔵を改造したアトリエに、「よき暇」があったら、とにかく引きこもり、絵筆を持った。<br />
　絵を描くことは、常田にとって、生活そのものであった。<br />
　自己内対話をくりかえし、自己の根っこに戻っていく行為であった。<br />
　売り絵を描くつもりは端（はな）からなく、サインもなく、制作年も記されていない。「いつか、続きをやろうと思って……」と言いながら、一見完成したと思える絵もイーゼルに立てかけてあり、筆を加えつづけていた。<br />
<blockquote>　結局よい絵は生活に根ざしていること。<br />
　生活から芽ばえたものだということ。<br />
　うそ、いつわり、すけべなきこと。――よい絵<br />
<br />
　わが畏友（いゆう）<br />
　ピエテル・ブリューゲルは<br />
　きっとこうであったに<br />
　ちがいない<br />
　（略）<br />
　胸に悲しみをいだきながらも<br />
　重い荷を<br />
　陽気に運んだのだ――蟻</blockquote>　畏友ブリューゲルとあるが、常田の「水引人」（1940年）、「ひるね」（1939年）「飲む男」(1939年)「稲刈り」(1950年)という作品は、ブリューゲルよりもはるかに百姓労働の本質をとらえていると私には思えた。<br />
　その本質って、“汗の共同体”。<br />
　もちろん、常田は劇画のように汗を描いているわけではないが（笑）。百姓たちは腰を使って、田を掘りあげ、田に水を引く。大汗をかく。一升びんから水をゴックンゴックンと、らっぱ飲み――。<br />
　その汗は、どこか性交しあう男女の背中に流れるいのち水かのようでもある。エロスに満ちている。<br />
　機械化以前の農業は、たしかに厳しかった。しかし、ひとびとがヨコに確かにつながっていて、ともにいのちの汗をかいていたんだ。その共同性を、クローズアップさせているのが、常田のスゴサだ。<br />
　一転、「母子」（1939年、70年、72年と３枚描く）や「親子」（1950年）「肩車」（1945年）においては、いのちのタテへのつながりを感じさせる。<br />
　常田は、いのちの地下茎がよほど太いらしく、タテヨコにしっかりと張っていたのではないか。<br />
　その地下茎の張りの出発点のひとつが、1933年の検挙拘留である。軍事教練反対の農民青年の争議への支援が、その理由であった――。<br />
　それ以来、描きつづけてきた絵はほんの何点か以外は発表して来なかった。リンゴ畑とアトリエから、外出もしなかった。このまま、無名性に徹し、生涯を終わるかと思われた1999年に東京のある画廊主によって、“発見”され、突如としてフットライトを浴びたが、「やめよ」とばかりに2000年に常田は死去。<br />
　白い雪と紅いリンゴの下で、ただただ絵を描いていた常田健に、きょうもローソク１本献じるのだった。だって今年は没後10年、生誕100年なんだから。<br />
（７月８日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-08T08:26:06+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>苦しみは人生の庭を耕す――楢木祐司さんの６月例会レポート</title>
    <description>　６月例会について、ＦＡＸが２本入った。
　蒔田直子さんとご本人の楢木祐司さんからである。読んでほしい。
　まず、蒔田（まきた）さん。
　６月例会が始まる前、論楽社の土間でドキドキしながら楢木さんの登場を待っていた。まるで「尋ね人」が、カーテンのむこうから現...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　６月例会について、ＦＡＸが２本入った。<br />
　蒔田直子さんとご本人の楢木祐司さんからである。読んでほしい。<br />
　まず、蒔田（まきた）さん。<br />
<blockquote>　６月例会が始まる前、論楽社の土間でドキドキしながら楢木さんの登場を待っていた。まるで「尋ね人」が、カーテンのむこうから現れるのを待つように。<br />
　思えば楢木さんは、まるで「黒子（くろこ）」のように論楽社の時の歩みに寄り添っていた。全ての論楽社ブックレットも、私が愛する『ワシらは鉱山で生きてきた』（丹波マンガン記念館）も、みんな楢木さんの手を経て産声を上げている。産婆さんみたいなものだ。<br />
　そうしてこの５年！　木曜日、楽しみに“ほっとニュース”を開くたび、なんて奇特な人だろうと、楢木さんを思った。もとより一円のゼニとも無縁に、持続するエネルギー。<br />
　あっ！　楢木さんがガラガラと勝手口を開けた！　20数年ぶりの対面は照れくさい……。<br />
　「あの頃は虫賀さん、怖かった」<br />
　「そう、体育会系サヨク、寄らば切るぞ！の志士だもん」<br />
　「今はムッシ〜って頭ペンペンするの。地はこんなに陽性よ」<br />
　この５年間、ムッシ〜は毎週のほっとニュースで風を送りながら自分を解き放っていたんだな、楢木さんとの友愛の中で安心して。<br />
　思えば、静かなる黒子の楢木さんこそ「志士」にちがいない。送り届けるべき風のありかを嗅ぎ当てて、実際に送りつづけてきたのだ。<br />
　楢木さん、またナマでこの辺りにたびたび現れてね。</blockquote>　そうなんだ。ときどき言われる。「20代の虫賀さんって、厳しかった、コワかった」って。<br />
　いま思うと恥ずかしいくらいに、当時の私は「戦っていた」。私自身を肯定できず、自己変革しようと戦っていたし、社会も変革しようと志していた。「維新」をマジで考えていたのであった！<br />
　つまり、当時の私は自分自身に確（しか）と出会っていないゆえに、自分自身の駄目なことを時代や社会のせいにしていたのだった。<br />
　当然、しっぺ返しを受けた。<br />
　他者に向かっていた刃（やいば）が、その後20年間にわたって、自分自身の内面に向かったのであった。<br />
　苦しかった。<br />
　でも、その苦しみは私が受けなければならないものであったのだ。<br />
　苦しみは人生の庭を深く耕す。<br />
　あの苦しみがなければ、現在（いま）の武装解除もなかったのだった。<br />
　そして、いまや、「ムッシー、オツムペンペン」ですもんね（笑）。<br />
　さて、次は楢木さんから。<br />
<blockquote>　6月26日、27日は論楽社の６月例会（ブログ5周年のお祝い）に招いていただき、ありがとうございました。<br />
　久しぶりの京都、論楽社でしたが、変わらない佇まいにホッとするものがありました。<br />
　この5年の間に論楽社、そして虫賀さんにとって多くのことがありましたが、私にとっても多難な5年間でした。そんな中、このブログの記事を毎週「最初の読者」として読むことは、私には大きなエネルギー源の一つになっていました。<br />
　例会では懐かしい人との再会があり、お名前だけで会ったことのなかった方々との出会いもあり、さらにブログがどんな受けとめられ方をしているのかも聞くことができ、励みになりました。<br />
　例会後に行った琵琶湖畔の白雲山荘は、民宿というより親しい友人の家に泊まったようにくつろげて、ビールも水も透き通った味わいで最高でした。翌日は楊梅の滝を眺めた後、京都に戻り、法然院で新居万太師匠の「沖縄茶会」にも参加できました。気持ちのよい茶会で、ここに来て本当によかったと思いました。<br />
　ぜひ、そう遠くないうちに論楽社の講座か例会に一参加者として再び京都を訪れたいと思っています。果たせなかった比良山系ハイキングにも挑戦したいですね。京都、滋賀の皆さん、再びお会いする日まで、お元気で。</blockquote>　白雲山荘の荒野一夫さんも交え、高橋和巳（かずみ、1931〜71）の『邪宗門』について語ることができたのは、たしかな収穫であった。<br />
　35年前になぜあれほどに高橋和巳に耽溺（たんでき）したのか？　私は何を求め、何と戦おうとしていたのか？<br />
　高橋和巳は私にとって、新たな起点となるのであろう。いまいちど、社会や国家を見据え、見定めてゆこうと思う６月26日（土）の夜であった。<br />
　それに、楢木さんが言うとおり、高橋和己との出会いがなければ、『いま、人間として』（径書房）を私は手にしていないし、だったら、楢木さんとも出会っていないんだな。<br />
　新居万太師匠の沖縄茶会も、よかった。<br />
　不殺生（アヒンサー）の世界が、あった。自己（スワ）統制（ラージ）の感触に満ちていた。――こんなマハトマ・ガンジーの言葉がしきりに思い出される茶会であったのだった。シャーンティ（心の平穏）が建立されていた。とってもよかった！<br />
　楢木さん、５年間、ありがとうございます。これからも、よろしく。まずは、こんどこそ、比良山系へ行こうね。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-07T08:47:37+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第261回）「今ここにいる、ほかに何をのぞもうか」――鶴見俊輔の『もうろく帖』について</title>
    <description>　こととん。手作りの郵便箱に手紙が配達されたときの音が響く。
　その音を耳にすると、いまでも、うれしい。手紙が好きだからだ。
　６月24日（木）、１冊の本が、こととんと届いた。
　鶴見俊輔さんの『もうろく帖』（編集グループSure、税込2100円、2010年６月25日発行）...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　こととん。手作りの郵便箱に手紙が配達されたときの音が響く。<br />
　その音を耳にすると、いまでも、うれしい。手紙が好きだからだ。<br />
　６月24日（木）、１冊の本が、こととんと届いた。<br />
　鶴見俊輔さんの『もうろく帖』（編集グループSure、税込2100円、2010年６月25日発行）である。<br />
　Ａ６版の手帳サイズの、ちっちゃな本だ。<br />
　老いを感じ始めた鶴見さんがつづる覚え書きノートである。抜き書きメモ帳である。その原寸大の翻刻版だ。<br />
　「七十に近くなって、私は、自分のもうろくに気がついた。<br />
　これは、深まるばかりで、抜け出るときはない。せめて、自分の今のもうろく度を自分で知るおぼえをつけたいと思った。<br />
　『もうろく帖?』は、1992年２月３日にはじまる。私は69歳８か月だった。」（本書の「あとがき」）<br />
　具体的に引用してみよう。ドキッとしたのが、次の1994年９月のページだ。<blockquote>　９月３日　南病院に入院。<br />
　９月５日　ファイバー検査、癌発見。<br />
　９月７日　南病院退院。<br />
　９月13日　国立京都病院に入院。<br />
　９月29日　大腸癌手術。<br />
　　　　　　　　胆石摘出。　　　　　　　――同P.39</blockquote>　退院した10月25日には、次の２行がある。<br />
<blockquote>　今ここにいる。<br />
　ほかに何をのぞもうか。　　　　　　 ――同P.40</blockquote>　こういう書き込みを読むあたりから、私的な日記のプライヴァシーを覗（のぞ）き見するという感覚が消えてゆき、しだいにひとつの精神史的考察として読んでいる私に気づいてゆく。<br />
　鶴見さんの断章は、存在論におのずからなっている。それが、本書の特色だということに気づいてゆく。<br />
<blockquote>　自分という存在の形に<br />
　なじむか？<br />
　なじまないか。それが<br />
　哲学の問題。<br />
　少なくとも私の。　　　　　　　　　　――1998年７月10日（同P.137）<br />
<br />
　自分のなかに立つこと。　　　　　　　――1999年９月28日（同P.105）<br />
<br />
　しばらく人間になれて<br />
　おもしろかった。　　　　　　　　　　――1996年１月14日（同P.77）<br />
　<br />
　無は、得るということだ。<br />
　生を失うというのは、存在を得るということ。<br />
　Not to have is to gain.<br />
　けさがたの夢にあらわれた言葉。　　　――1997年９月12日（同P.118）</blockquote>　それぞれが鶴見さん自らを支えてくれる言葉である。ていねいに気づいて、ていねいにメモしている、すなわち、ていねいに生きているのが伝わってくる。<br />
　その姿は、極地冒険家が輪ゴムひとつさえていねいに扱って準備するが如くである。３回のうつ病の発症体験が鶴見さんには大きいのではないか。それをベースキャンプとして、老いという生の未体験の冒険領域に入っているのではないか。<br />
　「鶴見センセ、お元気ですか？」とあいさつしたら、いちど訂正されたことがある。「この年になると、どこかが痛くて、元気って、ありえないんだ」「そのあいさつ、コマルんだなあ、アハハ」と鶴見さんは笑っていた。<br />
　そうか。そういうものなのか。<br />
　老いは私のところへは、まだ、やってこない。でも、いずれ、ガチンコと出会うのだ！<br />
　そのときは、受け入れてゆこう。さみしいときはさみしいと言おう。あたたかい夕焼けの日差しにはあたたかいと言おう。<br />
　そう思わせる『もうろく帖』である。<br />
　鶴見さん、老境の内面を公刊してまで指導していただき、かつ、私まで送っていたただき、ありがとうございました！<br />
（７月１日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-07-01T08:33:18+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>透きとおった青い空――楢木祐司さんの６月例会へ、ようこそ、ようこそ（その２）</title>
    <description>　連載コラム「いまここを紡ぐ」が260回になった。５か年×52週＝260回である。
　まずは完走でき、ホッとしている。
　そして、「もう１年だけ、トライしてみるので、見守ってください」。
　もし途中で足がとまったら、そのときはどうか許してね。
　ではでは、再出発にあた...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　連載コラム「いまここを紡ぐ」が260回になった。５か年×52週＝260回である。<br />
　まずは完走でき、ホッとしている。<br />
　そして、「もう１年だけ、トライしてみるので、見守ってください」。<br />
　もし途中で足がとまったら、そのときはどうか許してね。<br />
　ではでは、再出発にあたり、短い手紙を書く――。読んでほしい。<br />
<br />
　――さん、その後、お元気ですか。お体はいかがでしょうか。<br />
　――さん、「ほっとニュース」をいつも読んでいただき、励ましていただき、ありがたかったです。<br />
　５年間、毎週毎週作文をつづってみて、「ひととひととの出会い、それが持つとてつもない意味の深さに気づいていった」と私は思っています。<br />
　――さん、改めて言うまでもなく、私は格別の能力に恵まれておりません。何かの才覚があるわけでも決してありません。<br />
　ただただ、ひとりの素人として、心がときめいたこと、前のめりになって惚れ込んでいったことを正直に紡いでいっただけです。ただし、素人の責任ということ、ちゃんと認識していることを、チラリと付言しておきますが……。<br />
　――さん、５年間にいろいろなことがありました。たくさんの出会いがあって、いっぱいの別れがありました。そのたびごとに机にむかって、ボールペンをにぎってきました。書くということは、その都度、「空の下に小さな存在として、いまここに在る」という開かれた感覚を自らの内部に紡ぐことでした。紡ぐことによって、出会ったひととも、別れたひととも、いっそう深くつながってゆくのを感じたのでした。そう気づくと、よりいっそう深く、伸びやかに、空とつながってゆくことに感じ入るのでした。<br />
　そうです。空です。<br />
　いま、思い出します。22年前のことです。楢木祐司さんと２人で、奥穂高岳から槍ヶ岳まで縦走しようとしておりました。せっかくやって来たのに、雨でした。風も吹きあげ、しだいに雨も強くなります。それでも奥穂高岳から北穂高岳までは、なんとか登りました。でも、それ以上は無理。中止し、小屋に泊って、下山。ところが、横尾（涸沢と槍沢の分岐点）まで下りてきたら、輝く青空がなんと広がってくるではありませんか。私はすでに松本のそば屋でいっぱいやるつもりモードでしたが、なんと楢木さんは大胆にも「いまから槍ヶ岳へ登ろう！」と主張。私は大反対。だって、大盛の生そばを食べたいし、ランニング登山しないことには、日のあるうちに頂上の槍ヶ岳山荘に着けないからです。でも、結局、楢木さんの“静かな強さ”に負け、山行再開。槍沢の雪渓を駆け足でホイホイと登っていったのでした――。<br />
　――さん、言うまでもなく、あのときも透（す）きとおった青空がかぎりなく広がっていました！<br />
　この５年間も、「パソコンを私が持たないのにブログをやる」という楢木さんの“静かな大胆さ”によって、導いてもらってきたと思っています。すべてが楢木さんのおかげです。<br />
　――さん、私には「いま、これから何かが始まる」という感覚が湧いています。自分自身が明るく感じる青空が少しずつ広がっていくのです。<br />
　――さん、お大切に。美しい心をすくすくと育てていってくださいね。では、また。<br />
<br />
　さて、７月例会は７月25日（日）に、塩田敏夫さん（毎日新聞記者）。<br />
　丹後半島へ赴任して、１年９か月。丹後のひとと水になじんで、記事を書きまくって、地域面を“独占”しているらしい（笑）。でも、いったいどんな記事を書いているのか。京都版にも載らないので、読めないのだ！<br />
　ベスト10の記事を自選してきてもらい、その取材生活の日常を語ってもらおう。楽しみだね――。<br />
　でも、その前に６月26日（土）の楢木さんをお忘れなく。わざわざ東京から来ていただく。どうか、よろしく。来てね――。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-24T15:37:12+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=854062">
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第260回）反権力の精神――中江兆民の『三酔人経綸問答』と『一年有半』について</title>
    <description>　中江兆民（1847〜1901）について、これまた少し、書く。
　前回の陸奥宗光（1844〜97）が権力者の精神の運動の記述者とするならば、中江兆民（以下、兆民とする）は反・権力者の精神の体現者と言ってよいであろう。
　けれども、兆民は単なる反・権力者では、ない。非・権...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　中江兆民（1847〜1901）について、これまた少し、書く。<br />
　前回の陸奥宗光（1844〜97）が権力者の精神の運動の記述者とするならば、中江兆民（以下、兆民とする）は反・権力者の精神の体現者と言ってよいであろう。<br />
　けれども、兆民は単なる反・権力者では、ない。非・権力、脱・権力、超・権力……と動くひとだ。まるで棟方志功のように、ポンと飛ぶんだ。ほんまにアナーキーである。もしも、兆民が単に反・権力者という存在だったら、息がつまるだけのひとだし、『三酔人経綸問答』（岩波文庫）という奥行きのある傑作――もっと現在においても読まれてもよい名著だ！――を、表出することもできなかったのではないか。<br />
　本箱の『三酔人……』を久しぶりに取り出してみる。求めて35年になるか。当然、紙が黄土色に変色している。漢和辞典を引いて、メモしているところが多々あり、気恥ずかしい。「けいこをつけてもらったのだ」という思いの文庫本である。<br />
　『三酔人……』の構造は、いたってシンプル。洋学紳士、豪傑君、南海先生の３人が「金斧」というブランデー（ヘネシー）を飲みながら、政治談話をするんだ。<br />
　対話をしているだけでは、現実の諸問題はひとつも解決しないけれども、何ともならない厳しい現実をよくよく見つめることができる。自らの内部の苦悩も、苦しむ私自身以上に、苦を見つめるもうひとりの私自身を育てることによって、消尽させるというブッダの技法がある。そのように、直面している現実の問題のありかを正確に見つめることによって、必要以上に苦悩しなくてもよくなる効果が、対話には確かにある。<br />
　洋学紳士は「民主家」。民主化徹底が軍備撤廃に結びついてゆく自説を滔滔と述べ立てる。<br />
　豪傑君は「侵伐家」。洋学紳士の軍備撤廃というところのみに反論。「戸締なしではないか」と論を飛躍させ、弱肉強食の世ならば、こちらから積極的に侵略すると主張。<br />
　南海先生は両者を批評。双方から反論を受けて、曰（いわ）く、「立憲制と上下議院を設け、外交においては友好を重じ、言論出版は漸次（ぜんじ）自由に、教育も産業も漸次発展させる」と。「もっとスルドイことを言うか」と思っていた２人は、「子どもだって知っていることじゃないか」。先生曰く、「邦家百年の大計を論ずるに至りては、豈（あに）専（もっぱ）ら奇を標し新を掲げて、以（もっ）て快いと為（な）すことを得んや」。<br />
　以上である。３人が３人とも内部に実在しているのが、兆民の器量。ゆえにリアリティがあったのだ。<br />
　でも、1887年に生まれた『三酔人……』の枠組みの中で、その後120年間、日本が苦闘してきていることに、あらためて私はびっくりしている。そう思わないか？<br />
　兆民は1847年、土佐藩のわずか４石高（当時の大人は年に１石＝10斗の米を食った！）の足軽の家に生まれる。藩留学生として、1865年に長崎へ。そこで坂本龍馬に出会っている。たちまち龍馬に魅せられ、「中江の兄さんタバコを買うてきておうせ」と言われると、「エラキ人なりと信」じていた兆民は喜んで買いに走ったのだった。<br />
　1871年、アポなしで大久保利通に直談判し、援助を受けることに成功。フランスに１年７か月留学。帰国後、元老院書記官になるが、上司の陸奥宗光とケンカし、退職。<br />
　1881年、『東洋自由新聞』を主筆として創刊（政府によって廃刊）。自由民権運動の理論的指導者として、1890年、第１回総選挙で当選。でも、自由党の内紛裏切り内輪もめにイヤ気がさし、衆議院議員を辞職。「小生こと、近日亜爾格児（アルコール）中毒病相発し、行歩艱難、なにぶん採決の数に列し難くよって辞職仕リ候」。<br />
　1901年４月、喉頭ガンを宣告。余命一年半と告知される。手術後、声が出なくなる。でも、悠々と酷暑の中、筆をふるい、『一年有半・続一年有半』（岩波文庫）を「生前の遺書」として、弟子の幸徳秋水（1871〜1911）に刊行してもらう。神の不在、霊魂の否認を闊達に、洒脱に論じながら、同年12月死去。まだ、55歳であった。<br />
　兆民。ここにも「もうひとりの生きのびた龍馬」がいて、日本に生まれた私自身というものを明るく感じさせる、何とも言えぬ柔らかな光を放っている。<br />
（６月24日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-24T11:48:40+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=853195">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=853195</link>
    <title>透きとおった青い空――楢木祐司さんの６月例会へ、ようこそ、ようこそ（その１）</title>
    <description>　梅雨に入り、岩倉川にホタルが舞っている。「舞う螢　芯から想う　君のこと」（宗博）。お元気ですか？
　６月例会は、６月25日（土）。
　珍しく土曜日なので、ご注意を。
　そして、ぜひご参加を。
　2010年６月例会。
　2010年６月26日（土）の午後２時〜５時。
　論楽社（...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　梅雨に入り、岩倉川にホタルが舞っている。「舞う螢　芯から想う　君のこと」（宗博）。お元気ですか？<br />
　６月例会は、６月25日（土）。<br />
　珍しく土曜日なので、ご注意を。<br />
　そして、ぜひご参加を。<br />
<blockquote>　2010年６月例会。<br />
　2010年６月26日（土）の午後２時〜５時。<br />
　論楽社（TEL 075-711-0334）。<br />
　楢木祐司さん（編集者）と私との対談「木立（こだち）の向こうに広がる、透きとおった青い空――論楽社ほっとニュースの５年間をふりかえって」。<br />
　参加費1500円（楢木さんへの交通費カンパなり、ご協力を）。<br />
　なお、いつもの交流会は、ない（理由は後述）。</blockquote>　何回も繰りかえして言っているように、私はパソコンもケータイも持っていない。なのに、いま、あなたがごらんになっている「ほっとニュース」が制作されているのは、ひとえに楢木さんのおかげである。<br />
　今月の６月末で、この共同作業がまる５か年になる。楢木さんを東京からお呼びし、感謝するひとときを持ちたい。<br />
　そう願う６月例会である。<br />
<br />
　楢木さんに私が出会ったのは、1982年。<br />
　楢木さんが径（こみち）書房の編集者だったときである。<br />
　その後、独立。論楽社ブックレットの版下制作もしていただいている。<br />
　６月26日（土）。ぜひ来てねー。<br />
　楢木さんに、出会ってください。<br />
　私としては、５年間毎週木曜日には1400字の作文をつづりつづけてきて、森の木立のむこうに広がっている、透きとおった高くて青い空が、やっと見えてきた……という思いの現在（いま）である。<br />
　楢木さん、ほんとうに、ありがとう――。感謝だ。<br />
<br />
　さて、以上までが、６月例会の「梅コース」（笑）。<br />
　以下が「竹コース」だ。比良山系の麓の「白雲山荘」へ、ＪＲ湖西線に乗って、移動。<br />
　荒野一夫さんが運営する非営利の民宿に向かう。<br />
　荒野さんの手作りの自ビール（非売品！）をいただこう。<br />
　アリガトー、楢木さん、カンパーイ。<br />
　ぐびぐび。うっぱー。アア、ア。ぷー。たまるか――。<br />
　宿泊するひとは5000円、宿泊せずに再び湖西線に乗って帰るひとは3000円だ。必ず私まで予約申し込みをしてね。<br />
　さて、ラストに、６月例会の「松コース」（笑）。<br />
　もし翌日６月27日（日）が晴天だったら、比良山系の堂満（どうまん）岳（1057メートル）に登ろう。登り３時間、下り３時間のハイキングだ。シャクナゲ、ホウノキの白い気品ある花に出会おう。青い空と琵琶湖の青さを味わおう。――これも準備があるので、要申し込み。<br />
　「松」「竹」「梅」の各コース料理を、それぞれお好みに応じて楽しんでね。フルコースのひと、楢木さんと私以外にいるかな。いないかな。<br />
　参加できないひと、よろしかったら、メッセージを寄せてくださいませんか（楢木さんに渡します）。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-17T14:35:02+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第259回）権力の精神――陸奥宗光の『蹇蹇録』について</title>
    <description>　陸奥宗光（1844〜97）について、少し書く。
　実は、やっと、念願だった『蹇蹇（けんけん）録』（岩波文庫）をいま読了したところである。
　陸奥宗光（以下、宗光とする）は、不幸にして、日清戦争が1894年に勃発したときの外務大臣であった。
　「東学党の乱」から三国干...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　陸奥宗光（1844〜97）について、少し書く。<br />
　実は、やっと、念願だった『蹇蹇（けんけん）録』（岩波文庫）をいま読了したところである。<br />
　陸奥宗光（以下、宗光とする）は、不幸にして、日清戦争が1894年に勃発したときの外務大臣であった。<br />
　「東学党の乱」から三国干渉へ至る１年間の外交戦略の軌跡を、当事者として口述した記録が『蹇蹇録』である。<br />
　蹇蹇匪躬（ひきゅう）トシテ君主ニ仕エル（『易経』）。すなわち、心身を労し、全力で忠誠を尽くすという意味だ。<br />
　この言葉をタイトルに付していることで明白なように、虚々実々が織りなす帝国主義外交ゲームにおいて、次々と手を打って、実際、勝利に導いていった、ひとりの日本の帝国主義者の精神の記録である。<br />
　政治とは、可能性の技術である。ラグビーと同じように、さまざまな可能性の中から、「いまここ、ただちに」の論理をまったなしで選択させ、優先させ、トライになんとしても持ち込んでいく技法である。しかも、結果責任のすべてを一身に負わねばならない。<br />
　マックス・ヴェーバーが定義したとおり、「情熱」「判断力」「責任感」の３つが揃（そろ）わないかぎり、政治家は務まらないと言ってもよいであろう。<br />
　宗光は、日清戦争を指揮しながらも、同時にイギリスとの不平等条約の改正交渉を進め、対等条約の調印に持ち込むことに成功している。その構想力には驚嘆する。「余は当時何人を以て此局に当たらしむるも亦決して他策なかりしを信ぜむと欲す」（『蹇蹇録』の結語）と言い切っちゃう自信むんむんさにも驚愕（がく）するが（笑）。<br />
　でも、その胆力にあふれる構想力はいかにして形成されたのであろうか。単なる個人的資質能力だったかもしれないが、宗光の前半生が育てあげた面があることは間違いがないのではないか。<br />
　どんな人生だったか？　私の考えるポイントは次の３点だ。<br />
　その１。宗光の父は宗広といい、紀州和歌山藩の重役であった。国学者でもあった。けれども、政治抗争に敗北し、幽閉される。宗光が９歳のときのことだ。<br />
　一家は困苦窮乏。宗光は若くして江戸出奔。そして、脱藩。<br />
　「政治とは何か」「人間とは何か」を宗光は全身で考えざるを得なかったはずである。<br />
　その２。宗光19歳のとき、同じく脱藩者の坂本龍馬（1835〜67）に出会っている。1863年のことだ。<br />
　脱藩とは亡命である。パスポートなしの異郷生活者である。11歳年上の龍馬を宗光は頼りにし、兄事していった。もちろん龍馬の闊達な気性、包容力、剽（ひょう）げ者（もん）ぶり、そして、何よりも亀山社中・海援隊を創設し、薩長同盟、大政奉還を実行させていく構想力――驚異すべき構築力！――に魅惑されていった。<br />
　宗光の絶筆「後藤伯」において、龍馬をこう評している。「坂本は近世史上の一大傑物にして、その融通変化の才に富める、その識見、議論の高き、その他人を誘説、感得するの能に富める、同時の人、能く彼の右に出るものあらざりき。（略）もって無血の革命を遂げんと企てぬ。彼もとより土佐藩の一浪士のみ（略）」。龍馬は宗光の唯一の師であった。<br />
　『蹇蹇録』は、私には、「生きのびた龍馬」の可能性を示してくれる気がしてならなかった――。<br />
　その３。宗光は1878年、逮捕されている。西南戦争時の土佐立志社系の政府転覆計画に加担したからである。４年４か月、獄中生活を送ることになったのだった。薩長藩閥独裁勢力にむかって、「もうひとつの維新」を企てようとした（「生きのびた龍馬」もそうしたであろうか。それとも、権力からはるかに離れて立っていたであろうか）。<br />
　宗光の抜群の才幹を惜しむ伊藤博文が恩赦出獄させ、１年９か月間、外遊留学させている。<br />
　帰国後、駐米公使、農商務大臣、そして、外務大臣へ。まるで自分自身の寿命を知っていたかのように、自己の能力だけを頼りにして、意識的に権力中枢に入り、自覚的に権力を行使し、日本史上初めての対外戦争を指導し、54歳で――ちょうど、いまの私の年齢だ！――、急死していったのだった。<br />
　宗光の出処進退に対し、在野勢力から《転向》《屈服》という批判があった。それに対し、宗光は「何を言うか。《屈服》したのは私ではなく、藩閥勢力だ」と言いきった。実際、伊藤博文は藩閥勢力のよって立つ理念の実行者としての宗光を欲したのであった。たしかにそうだったのだ。でも、そう言いきっちゃうところが、宗光であった。<br />
（６月17日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-17T12:07:44+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>苦を滅する技法――プラユキさんの「講座」のレポート（その２）</title>
    <description>　２週間が、過ぎる。「あっ！」という間である。
　ＦＡＸが３本、入ってきている。
　読んでほしい。
　まず１本目は、藤松奈美さん。
　そうか。「あの時怖くて苦しかった」のか……。
　先日、今年から始めた亀岡の畑に行ったら、一ヶ月ほど前に植えた種から小さな芽が出て...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　２週間が、過ぎる。「あっ！」という間である。<br />
　ＦＡＸが３本、入ってきている。<br />
　読んでほしい。<br />
　まず１本目は、藤松奈美さん。<br />
　そうか。「あの時怖くて苦しかった」のか……。<br />
<blockquote>　先日、今年から始めた亀岡の畑に行ったら、一ヶ月ほど前に植えた種から小さな芽が出ていました。びっくりするくらい、細く頼りない。色だって薄い薄い緑。でもまっすぐに空に向かってのびている姿に感動しました。<br />
　初めて訪れた論楽社は、窓がとても広く、新緑があふれていました。穏やかな空気の中で、表情豊かで心の奥にすっと入り込んでくるようなプラユキさんの講話に聞き入りました。だけど、実は私はあの時怖くて苦しかったのです。もうすでに渇愛のサイクルに入り込んでしまっていることに気づいたから。数年前に得てしまった喪失感が消えていないこと自覚させられました。見ないようにしてきたのに。<br />
　苦しみを見つめることから始まる。なんだ簡単なことだと思う人もいるかもしれないけれど、それが一番怖いことだと思ってきたので、ずっと知らないふりをしてきました。もうそろそろ限界ですよ、と、教えてもらった気がします。論楽社に出会ったのも、プラユキさんのお話を聞くことができたのも、不思議なご縁が重なってのこと。強がらずに、ご縁に身を任せ、自分を見つめてみようと思います。<br />
　畑に野菜ができるころには、何か少し変わっているでしょうか。畑作りも、自分を見つめることも、初心者だけれど、ちゃんと水をあげて、育ててみたいと思います。夏に、みなさんとおいしい野菜が食べられればいいなと思っています。</blockquote>　次の２本目は、田中愛子さん。<br />
　順観と逆観っていう把握のしかた、スゴイ。苦を内観しているんだ。<br />
<blockquote>　プラ・ユキさんの講座では「四締」と「十二縁起」について教えていただき有難かったです。無明、行、識、名色……と続く「十二縁起」とは、一番目の「無明」ゆえに、人は苦しみや悩みを自らつくり出し、それらに引きずられ、取り込まれ、固定化していくという過程を客観視（順観）するためのツールであり、その過程を逆観すると苦を滅することができるという教えは本当に明快でした。<br />
　大変不遜な発言ですが、私は、仏教的な修行はおろか瞑想さえろくにしたことがない人間ですが、「私はこれらの過程を少しは観てきた」と思えたのです。<br />
　プラ・ユキさんのような厳しい修行ができない人間でも、この「ままならない」人生の中で苦行をし、その「苦」を自らの無明に気づくための糧とする手立ては常にあるのではないかと感じました。</blockquote>　藤松さん、田中さん、ありがとう！　ホントにアリガトー。<br />
　３本目は、Ｓさん。厳しい病を得た44歳のかた。<br />
　８歳、４歳の子どものことを考えると、「お先まっ暗になりました」。「今朝もそうでした。午前３時ごろ、うなされて目覚め、ものすごい怖い気持ちで一杯になりました」。<br />
　Ｓさん、長文のＦＡＸ、ありがとうございます。<br />
　何回も読んで、かつ、いまも読んでいます。Ｓさん、いまのまま、ヨガを深められてゆかれるのがよいのでは……。あるがままに「いまここ」を呼吸されてゆかれるのがよいのでは……。そう私は感じます――。<br />
　Ｓさん、お問い合わせの、私のオススメ本は、ポー・オー・パユットー（タイのヤーナウェーサカワン寺住職）の『テーラワーダ仏教の実践――ブッダの教える自己開発』（サンガ、2007年、編訳・野中耕一）。<br />
　いちど図書館でリクエストしてみて（同じタイの高僧の訳書が、同じ出版社から『仏法――テーラワーダ仏教の叡智』『仏法の思考と実践――テーラワーダ仏教と社会』と出ていますが、前掲書がいちばん薄いので……）。<br />
<br />
　では、では。またお会いしましょうね。<br />
　Ｓさんも、田中さんも、藤松さんも、そして、プラユキさんも、ありがとう。感謝だ。<br />
　苦は人生の出発であっても、終着では決してない。抜苦が可能であり、その技法はすでに手の中にあるのだから。だいじょうぶ、だいじょうぶ。そうでしょう？<br />
　では、お大切にね。<br />
　お元気で！<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-14T17:34:37+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第258回）ある夢の促し――原生命の声をもっと聞いて、生きてゆかないか</title>
    <description>　こんな夢を、昨夜見た。
　《論楽社の近くの目無橋を渡ろうとしていた。
　橋の真ん中に棟方志功（板画家；以下志功とする）がいた。バスの窓から転（ころ）げ落ちてきたのであった。
　志功自身、「なぜ落ちたのか」が自覚できぬまま、茫然自失。佇（たたず）んでいる。
　...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　こんな夢を、昨夜見た。<br />
　《論楽社の近くの目無橋を渡ろうとしていた。<br />
　橋の真ん中に棟方志功（板画家；以下志功とする）がいた。バスの窓から転（ころ）げ落ちてきたのであった。<br />
　志功自身、「なぜ落ちたのか」が自覚できぬまま、茫然自失。佇（たたず）んでいる。<br />
　私は「うれしい」「生（なま）の志功に、やっと会えたね」と思った。なのになぜか鉄仮面の表情をつくって通り過ぎようとする……。<br />
　そのとき、女の子から声がかかった。<br />
　「志功が落ちていますよ」と。<br />
　「え!?」といま初めて気づくふりをし、甘い声のしたほうを見ると、長い髪の愛らしい女の子だったので、ドキドキ。フラフラと彼女に近づこうとした。<br />
　すると、志功が、突然、目の前でカエルに変化（へんげ）。<br />
　「世界へ帰る」とハスキーで荒々しい声で叫ぶやいなや、ぴょんぴょんと跳びまわりながら、手をパチパチとたたくのだった。<br />
　そして、岩倉川の中へ、橋の上から飛び込んでいった……。》<br />
　以上である。<br />
　夢の中でも、「世界へ帰る（カエル）」とダジャレているのには、苦笑。<br />
　目無（めなし）橋は、実相院のすぐ手前にいまもある。岩倉川にかかる朱塗りの橋だ。<br />
　目無橋を渡れば、曾（かつ）ては結界であり、異界であった。大雲寺の構内であった（現在、大雲寺は、ない）。1000年前から心や目を病んだひとびとが集（つど）い、治癒していった領域でもあったのだった――。<br />
　その橋の上から、志功がカエルとなって、岩倉川の中へ往還していったとき、思わず、「アッ！」と声を出しそうになった。<br />
　改めて言うまでもなく、夢の中の志功は、現実のアーティスト・棟方（むなかた）志功（1903〜75）では、ない。<br />
　私の中の何かだ。その投影である。<br />
　もちろん、その「何か」に、私は気づいている。<br />
　いつも、私が無理をしているときだ。きまって、夢に“志功”が出てくるからだ。<br />
　「何か」とは、ダイナミズムである。<br />
　原生命の躍動である。<br />
　その象徴が、“志功”なのだ。<br />
　私はそう思っている。<br />
　その原生命が、ダミ声で語ってくれるのだ。<br />
　《右顧（うこ）左眄（さべん）していて、どうする!?<br />
　何にそんなに気を使っているのか!?<br />
　なんも気にしないでいい。<br />
　ただただ彫（ほ）っていればいいんだ。<br />
　体ごと燃えて、体の芯から妙になって、ねじれて、酔って、体あたりして、彫っていくのだ。<br />
　ゴッホのひまわりのように、ムナカタの拈華（ねんげ）微笑（みしょう）のように、グルグルして目がまわるような世界をどうしてつくらないのか。<br />
　もっと、君、狂えるよ――。<br />
　人生という板業（ばんぎょう）は板行であって、からだごとぶつかる行（ぎょう）なので、もっとよろこんで行に入ろう。》<br />
　毎週毎週、このコラムで、わかったようなことを５年間にわたって、私はつづっている。でも、実はまだまだわかっていないのだ。口先だけなのだ（笑）。<br />
　「驚イテモ、オドロキ限（キ）レナイ、歓コンデモ、ヨロコビ限（キ）レナイ、哭（カナ）シンデモ、カナシミ限（キ）レナイ」（棟方志功「板哭韻（ばんこくいん）」――これこそが、生きることなんだ。<br />
　原生命の声をもっともっと聞いてゆこう。でないと、生ききれないぞ。<br />
（６月10日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-10T19:38:09+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=851977">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=851977</link>
    <title>苦を滅する技法――プラユキさんの「講座」のレポート（その１）</title>
    <description>　５月30日（日）の「講座・言葉を紡ぐ」の写真が届いた。
　カメラマンは、井上由理子さん。
　次の７枚を選ばしてもらった。見てほしい。

写真A

写真B

写真C
　まずは、参加者を待つ論楽社の風景（Ａ〜Ｃ）。
　座敷やトイレを２回、３回と拭（ふ）き、清める。張り紙の看板を...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　５月30日（日）の「講座・言葉を紡ぐ」の写真が届いた。<br />
　カメラマンは、井上由理子さん。<br />
　次の７枚を選ばしてもらった。見てほしい。<br />
<img src="images/purayuki_a.jpg" width="400" height="300" alt="写真A" class="pict" /><br />
写真A<br />
<img src="images/purayuki_b.jpg" width="400" height="300" alt="写真B" class="pict" /><br />
写真B<br />
<img src="images/purayuki_c.jpg" width="400" height="300" alt="写真C" class="pict" /><br />
写真C<br />
　まずは、参加者を待つ論楽社の風景（Ａ〜Ｃ）。<br />
　座敷やトイレを２回、３回と拭（ふ）き、清める。張り紙の看板を付ける。会計のつり銭をチェックし、交流会用の料理をつくっていると、古時計が12時を告げ、ボンボンボンと12回打つ。<br />
　さあ、いまいちど香を焚（た）いて、心を落ちつかせよう……。そんな３枚だ。<br />
<img src="images/purayuki_d.jpg" width="400" height="300" alt="写真D" class="pict" /><br />
写真D<br />
<img src="images/purayuki_e.jpg" width="400" height="300" alt="写真E" class="pict" /><br />
写真E<br />
<img src="images/purayuki_f.jpg" width="300" height="400" alt="写真F" class="pict" /><br />
写真F<br />
<img src="images/purayuki_g.jpg" width="300" height="400" alt="写真G" class="pict" /><br />
写真G<br />
　次の写真は、いよいよ本番の風景（Ｄ〜Ｇ）。<br />
　十二縁起（因縁）や四聖諦の言葉の札（カード）を参加者にもってもらい、参加してもらう。<br />
　５月30日の主題は、苦の生起のプロセスの明示と、苦の滅尽のプロセスの展開である。ブッダの教えの本質に切り込んでいくんだ。<br />
　「声は届いているだろうか？」「寒くないだろうか？」と気を配りながら、私は司会進行してゆく……。そんな４枚だ。<br />
　以上、わずか７枚の写真だが、当日の会場に流れる気が、少しは伝わっただろうか（井上さん、ありがとう！）。<br />
　アンケートが届いている。うれしいことに、好評だ。２本のみ、書き写す。<br />
　「虫賀さんの豪快で愉快な語り口にすっかり楽しい気持ちになりました。プラユキさんに初めてお目にかかれて、お話が聞けて、嬉しかったです。ブッダが苦を滅する方法をお説きになり、それをしっかりとやればすべての苦を滅することができるという話に希望を持ちました。」（江代ゆや子さん；岡山市からの参加、アリガトウ！）<br />
　「瞑想は初めての体験でした。全て興味津津で、３時間を越える時間があっという間に感じる程でした。これからは自分自身への縛りを少し緩めて生きてみようと思います。」（円城順子さん）<br />
　江代さん、円城さん、ありがとう。<br />
　ブッダの四聖諦（ししょうたい）の三つ目を忘れないようにしたい。<br />
　滅諦（めったい）だ。どんな苦しみも、必ずや消滅するという真理のことだ（「諦」は“あきらめる”ではなく、“あきらかにみる”）。<br />
　無明（ignorance, lack of knowledge）から発生する数々の妄念に、気づいていく。ただ、ただ気づいてゆく。気づきの苗に水をやって、太くしてゆく。すると、渇愛（craving）までに達しない。それが、コツ。<br />
　不放逸が、いけない。日々刻々と無明からガスが発生するからだ。無明の根っこに、否定的記憶のヘドロが付着していることが多いんだ。放逸しておくと、わがいのちが劣化しちゃうからだ。<br />
　無明ガスが湧いても、非暴力的に受けとめ、心の柄杓（ひしゃく）で汲みあげて、空のかなたに、ポイッと放り投げていこうね。すれば、しだいに苦、愁、悲、悩が滅し、しだいに信、悦、喜、楽が増えていくのだった。スゴイゾ。<br />
　プラユキさん。今回も、ありがとう。アリガトー。<br />
　ホントーに感謝だ。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-06-07T20:34:54+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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