<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>
<rdf:RDF
    xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
    xmlns="http://purl.org/rss/1.0/"
    xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
    xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
    xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"
    xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
    xmlns:taxo="http://purl.org/rss/1.0/modules/taxonomy/"
    xml:lang="ja">

    <channel rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?mode=rss">
    <title>論楽社ほっとニュース</title>
    <link>http://blog.rongakusha.com/</link>
    <description>京都・岩倉の論楽社からお届けします</description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <admin:generatorAgent rdf:resource="http://jugem.jp/?v=1.0"/>
    <cc:license rdf:resource="" />    <items>
      <rdf:Seq>
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878306" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878305" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878304" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878303" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878302" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878301" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878300" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878299" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878298" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878297" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878296" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878295" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878294" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878293" />
        <rdf:li rdf:resource="http://blog.rongakusha.com/?eid=878292" />
      </rdf:Seq>
    </items>
    </channel>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878306">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878306</link>
    <title>「らいになってよかった」「らいは天が与えた職」――桜井哲夫さん追悼ミサに</title>
    <description>　２月11日（土、祝）の13時〜15時に、イグナチオ教会聖マリア聖堂（ＪＲ四ツ谷駅すぐ）で、桜井哲夫さん（1924〜2011）の追悼ミサがある。　私は出席できない。「お好きな花１本ご持参を」とのことである。もしも出席できるひとがいたら、私の分も１本献花してください。...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　２月11日（土、祝）の13時〜15時に、イグナチオ教会聖マリア聖堂（ＪＲ四ツ谷駅すぐ）で、桜井哲夫さん（1924〜2011）の追悼ミサがある。</div><div>　私は出席できない。「お好きな花１本ご持参を」とのことである。もしも出席できるひとがいたら、私の分も１本献花してください。</div><div>　金正美（キム・チョンミ）さんへ２月７日（火）に手紙を出した。</div><div><br></div><div>　《桜井哲夫さん、直接的にお会いすることはできませんでした。しかし、金正美さんという稀有な媒体者を通じて、間接的にびんびん伝えられてきました。「らいになってよかった」「らいは天が与えた職」なんていう、自己受容の極北へ至ったひとつの精神を忘れることはありません。「偉大な人生だったね」と心から言いたいです。これからは肉体から解放され、ゆっくりとゆったりとお休みください。》</div><div><br></div><div>　２月11日の13時、私も京都で念仏する。庭のロウバイを献じる。</div><div>　そのとき、東京の四谷に哲ちゃんの好きな“しがまっこ（氷）”が、ざあっと降ったりして――。</div><div>　桜井さん、ありがとうございました。死んでも元気でいてくださいね――。</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2012-02-08T22:56:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878305">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878305</link>
    <title>時間（とき）がやさしく広がっていく――何我舎（ぬーがや）の夜のように（その２）</title>
    <description>　1987年のことである。　国体（国民体育大会）が沖縄にやってきた。　結局のところ、昭和天皇は沖縄に来ることができなかった。下血を繰り返し、１年半後にはこの世から去っていったからであった。　日の丸、君が代についての強制がすでに沖縄において始まっていた。　19...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　1987年のことである。</div><div>　国体（国民体育大会）が沖縄にやってきた。</div><div>　結局のところ、昭和天皇は沖縄に来ることができなかった。下血を繰り返し、１年半後にはこの世から去っていったからであった。</div><div>　日の丸、君が代についての強制がすでに沖縄において始まっていた。</div><div>　1986年３月の読谷（よみたん）高校の卒業式において、高校２年の女生徒が演壇に掲揚されようとする日の丸をはぎとってドブに捨てるということが起きている。</div><div>　知花昌一さんは、こう受けとる。</div><div>　「私たち大人がどう責任をとるのか。（略）日の丸は大変な旗だ、日の丸は戦争につながると言っていた大人たちが、これを認めるのかということが問われたと思う。」（知花昌一『燃える沖縄　揺らぐ安保』社会批評社、1996年）</div><div>　1945年４月２日に読谷村波平のチビチリガマで、84人の村びとが自殺している。84人のうち47人は子どもである。いわゆる「集団自決」が発生したのである。</div><div>　「一つには、二国の軍隊の存在、もう一つには、日本皇民をつくりだすための長年の教化・訓練という形での強制力。だから私は、『集団自決』は“compalusory group suicide”（強制的集団自殺）だと考えている。」（ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』みすず書房、1994年）</div><div>　「集団自殺」の前日の４月１日に、米軍が読谷村と嘉手納村の沿岸から上陸。米軍は「銃の暴風」と呼ばれる集中砲火。全軍をあげた、圧倒的な軍事力であった。</div><div>　ガマ（海岸の自然洞窟）の中で、母親たちが追いつめられていた。自分の生んだ子どもたちに手をかけていくのであった。</div><div>　ガマで「何が起きたのか」を調べていた知花さんは聞いてみる。「なぜか？」と。</div><div>　「『あんたたちには分からんだろうけど、当時はそういう教えだったんだよ』と。そういう教え、つまり日の丸・君が代・軍国主義教育、これがお母さんたちの持っていた人間性まで、愛の表現さえ変えてしまった。」（知花、前掲書）</div><div>　「鬼畜」の敵兵への恐怖。軍人勅諭の精神の刷り込み。</div><div>　そのために、目に入れてもいたくないわが子を母が自らの手で殺していったのであった。「当時はそういう教えだったんだよ」だ。なんということだ。</div><div>　《こういう悲劇を二度と起こしてはいけない。若い世代も戦っているじゃないか》と熟慮し、市民的不服従の行動を知花さんはやったのだ。スーパーマーケット経営者という立場ゆえに誰からもクビにされないと考えたのであった。</div><div>　その行動とは、日の丸を焼くことであった。</div><div>　その直後からの右翼がまるで総攻撃をかけたかのように、すごかった。</div><div>　スーパーマーケットには日夜支援者たちが警備に付いて放火や破壊から守った。８年間つづく裁判闘争にも警護に支援者たちが付いて、知花さんを守っていった。読谷村の村民のほとんどみんなが彼を支持し、彼を守りぬいたのである。</div><div>　ガマの「集団自決」を生きのびた知花カマドさんの裁判での証言を読んでほしい。読みながら、知花さんの不服従の行動の意味を感じていってほしいな――。</div><div>　「あんな高い所（ソフトボール会場のバックスクリーン）に登れたのは、チビチリガマや、沖縄の戦争で死んだ多くの人たちの魂が知花昌一に勇気を与えて、あそこに登らせたと思う。私たちみんなも昌一さんと同じ気持ちでいる。」</div><div>　「チビチリガマで犠牲者が出たのは日の丸のせいだと思っています。ですから見たくもありません。」（知花、前掲書）</div><div>　その知花さんに、２月26日（日）に会えるのである。</div><div>　「来てほしい」と願う。</div><div><blockquote>　　2012年２月例会<br>　2012年２月26日（日）午後１時〜４時。論楽社。<br>　知花昌一さん（僧侶、元沖縄県読谷村の村会議員）の三線と語り「時間（とき）がやさしく広がっていく――何我舎の夜のように」。<br>　参加費1000円。<br>　――４時にいったん終了。時間のあるかたは、７時までの交流会へ。参加費は酒量に応じた自由カンパ制。語り合おう。</blockquote></div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2012-02-07T22:49:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878304">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878304</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第344回）まだ残っているトラウマ――だから、お酒はちょっと注意して</title>
    <description>　「自我を拡大したくない」「自我を縮小してゆきたい」と思って、私は生きている。　私の内的なルールである。私だけに適用するルールだ。　お酒という薬物は、この内的なルールをときどきこわす。私の場合は、こわすことが、多いと思う。　「また、こわしてしまった」と...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　「自我を拡大したくない」「自我を縮小してゆきたい」と思って、私は生きている。</div><div>　私の内的なルールである。私だけに適用するルールだ。</div><div>　お酒という薬物は、この内的なルールをときどきこわす。私の場合は、こわすことが、多いと思う。</div><div>　「また、こわしてしまった」と気づくのは、つらい。誰も気にしていなくても、自分自身が気にするのである。</div><div>　もちろん、お酒に何か問題があるわけでない。良薬の面が多々あると思う。寒夜の燗（かん）酒なんて、とっても良い。でも、私については、お酒と適正な、適切な距離をとってゆきたいと思っている。</div><div>　理由は、自覚している。私が危ういところに立っているからである。心の傷が完治していないところが、あるのだ。</div><div>　縁あって楢木祐司さんと出会い、「ほっとニュース」を６年半も制作してもらっている。ありがたいことだ。</div><div>　その「ほっとニュース」において、ときどき私は何かを告白しているようなところがあると思う。「こんなつらいことがあったのだ」とか、「やっぱ、オレ、さみしい」とかを書くことがあったと思う。</div><div>　《不特定のひとが見ることができる場所でそんなことを書くなんて――。イヤだなあ、恥ずかしくないのかしら――。やっぱり、ヘンなひとなんだ――。》</div><div>　そう思ったひとがいるだろうし、直接私に語ったひともいる。</div><div>　でも、私はこう思っているんだ。</div><div>　「苦しみがあるならば、まずその苦しみにちゃんと気づき、解決をはかるためにまずは口にすることから始めてみよう、表現することから始まるのではないか」と――。</div><div>　たしかに恥ずかしいことだ。</div><div>　20代30代そして40代前半の私だったら、自らの恥になるようなことは、言わなかった。どんなに苦しくても、言わなかった。世話になった先生がたにも、口にしなかった。</div><div>　でも、〈問題〉はたしかに内部に在る。ひとつも解決に至っていないのである。とっても苦しいのである。</div><div>　きっと、もう、ガマンの限界だったのだ。</div><div>　ブッダの技法（これに出会ったのは、まことに幸いなことだ）を使い、夢の力を借り、苦しみのありかをめぐり、「ほっとニュース」でつづってきたのであった。まだ、その途中である。途上の危うい細道を歩いているところなのだ。前へ進めたいけど、注意して、コケないように歩かなければならない。</div><div>　お酒をのんでいないときは、少しでも〈問題〉が浮かんできたら、深呼吸し、「いまここ」に戻す。ちゃんと「いまここ」に帰っている。</div><div>　そのひとから愛されなくても、そのひとを愛することによって、生きていく充実を味わうことだってできる。朝日だって、夕日だって、星だって、美しい。世界は美しい。自我を少しずつ縮小していけていると思えてくる。</div><div>　ところが、お酒をのみすぎると（少しぐらいは大丈夫よ、のみすぎてしまうと）、〈問題〉が次々と襲ってくるような感じがあるのだ。〈問題〉を受けとめなきゃいいんだけど、心の中にトラウマのようなアクセプトがまだあり、受理してしまうのだ。連れ合いから受けた衝撃がまだしっかりと残っているんだ。きっとね。「もう大丈夫」と思っても、まだなのかもしれない。ちょうど虐待を受けた子どもがしきりに甘えるように、私も「オレのこと、わかってほしい」「誰かから愛されたい」「ヨコに居てほしい（ひとりはいやだ）」とどうしても思ってしまうのである。自我が拡大していく気持ち悪さを味わってしまうのだ。酔いから覚めると、ほんとーに、つらい。</div><div>　きっとお酒にも弱くなってきたのだろう。体もゆっくりと老いを迎えているのだろう。</div><div>　お酒とはいまのところ距離をとる。自我を縮小しながら、自我を拡大しないで社会につながっていく方法を見つけだしたい。あせらないことだ。ゆっくり、ゆっくり。ていねいに１日を生きたい。そして、新しい時を迎えてゆきたいといまは考えている。</div><div>（２月２日）</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2012-02-02T08:34:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878303">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878303</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第343回）詩をめぐる旅の日録――2012年１月編</title>
    <description>　凡夫であることを感じる１か月であった。　「いのちの力を信じます」。そのいのちの風を感じることを、忘れてしまったのか。いや、忘れてしまったわけではない。　でも、昨年12月18日の森崎和江さん＋才津原哲弘さんの「講座」が終わって、疲れがドドドと出たのか、どこ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　凡夫であることを感じる１か月であった。</div><div>　「いのちの力を信じます」。そのいのちの風を感じることを、忘れてしまったのか。いや、忘れてしまったわけではない。</div><div>　でも、昨年12月18日の森崎和江さん＋才津原哲弘さんの「講座」が終わって、疲れがドドドと出たのか、どこかしら忘れてしまったかの日々を送ってしまった。</div><div>　それは、端的に酒量に出ている。酒を飲まなかった日が昨年12月が16日、今月（いま書いている１月25日現在）が13日である。</div><div>　私は酒が好きだ。飲み始めたら、けっこう飲んでしまう。強くないので、３合も飲めば、酔っぱらう。そして、記憶を失ったり、訳のわからんことを言ったり、つまらないことをしゃべったりしているのだ。いのちは大切にしなければならない。</div><div>　１か月間来客が多かったのだ。楽しかったのだ。</div><div>　そんな１か月はもう終わる。</div><div>　さあ、再出発しよう。</div><div>　詩としか呼べない何かに支えられながらも、その「何か」をまるで忘れてしまったような１か月であったのだ。また、出発していこう。</div><div>　　１月―日</div><div>　大垣裕美さんが来る。屋久島での小学校司書の仕事をやめて、しばらくオーストラリアへ行くという。嘱託司書の扱いに限界を感じたという。４年間熱心に島の小学校を巡回して、子どもたちに読みきかせをしていたのに、ね。</div><div>　裕美ちゃん、君の能力の花が開くことを祈る。</div><div>　君に連れていってもらった屋久島の尾之間温泉（熱い湯だったね）、湯泊温泉（海辺の湯、空には満天星）が忘れられない。アリガトー。</div><div>　　１月―日</div><div>　「犬塚勉展――純粋なる静寂」を見る（京都高島屋）。</div><div>　私は知らなかった。こんなひとがいたのだ。</div><div>　犬塚勉（1949〜88）。</div><div>　山や自然への畏敬がしっかりと伝わってくる画家だ。</div><div>　風景画ではない。</div><div>　雪の中のブナ林。縦走路の石ころ。草原の葉っぱ。それらを伝わってくる風の音がリアルに感じられるんだ。山の気や森の精すら感じられてくる。自然の密度が伝えられる。</div><div>　「暗く深き渓谷の入口II」の制作過程で、「もういちど川を見てくる」と言い残して、谷川岳に向かい、1988年に遭難死。山へ帰ったのかもしれない。</div><div>　　１月―日</div><div>　『もう殺さない――ブッダとテロリスト』（バジリコ、2008年）を読み返す。３回目の再読。今回も救われる。</div><div>　サティシュ・クマール（Satish Kumar）さん（1936〜）の作品。励まされる。</div><div>　殺人鬼だった被差別民のアングリアーラ。その彼がブッダと出会って、剣を捨て、アヒムサーカ（非暴力のひと）になる。</div><div>　でも、愛するひとを殺されたひとは彼を許すことができない。どうしても許すことができないけども、ついにアングリアーラの暴力の放棄をみんなが認め、復讐の暴力の放棄もみんなが始めるという物語だ。</div><div>　「そうだ、ナンディーニ、すべての生命には、隣り合うすべての物事とエナジーが流れ込み、流し合っているのです」（同P.92）</div><div>　ブッダの発言である。今回、私はアングリアーラの立場で読んだ。すると、ブッダの言葉が身に沁みるのである。</div><div>　　１月―日</div><div>　第２京阪道路の大阪高裁での判決。</div><div>　棄却であった。</div><div>　松本剛一さん（北巣本保育園理事長）の司法上の敗北が決定する。</div><div>　畑のエノキの大木が切断されずに、移植されたことは、成果だ。</div><div>　エノキよ、移された地で、あと100年、200年と生きのびて、社会を見守ってほしい。</div><div>　松本さん、「裁判闘争」を書き残してください。あまり酒を飲まずに長生きして、この社会のありようを見届けていってくださいね。勝負はこれからですぞ。</div><div>（１月26日）</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2012-01-26T19:17:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878302">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878302</link>
    <title>時間（とき）がやさしく広がっていく――何我舎（ぬーがや）の夜のように（その１）</title>
    <description>　彌光庵（みこうあん）という場所が京都にある。左京区四条通寺町通下ルの駄菓子屋（ふなはし屋）の路地を下ったところにある。　私にとっては、ひとつの居場所である。　直近では１月９日（月、祝）の長島愛生園の帰りに寄っている。２か月ぶりに、ここでのんびりと生ビ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　彌光庵（みこうあん）という場所が京都にある。左京区四条通寺町通下ルの駄菓子屋（ふなはし屋）の路地を下ったところにある。</div><div>　私にとっては、ひとつの居場所である。</div><div>　直近では１月９日（月、祝）の長島愛生園の帰りに寄っている。２か月ぶりに、ここでのんびりと生ビールを飲んだ。「知花昌一さんからゴーヤ（にがうり）が届いているよ」と庵主の工藤美彌子さんから言われた。いただいて帰り、料理した。おいしかった。</div><div>　彌光庵は精進（ベジタリアン）料理の食堂であり、飲み屋でもあり、お寺でもある。工藤さんが浄土真宗の僧侶であり、店の中心には名号（みょうごう）が置かれている（名号って、「南無阿彌陀仏」のことよ）。だから、ここはほんとうにお寺なのだ。</div><div>　11月初めに工藤さんからこんな提案をうけた。</div><div>　「沖縄の知花昌一さんが僧侶になった。三線と語りの会をしてくれないか？」</div><div>　私は即座に「はい」と言った。「はい、はい」とふたつ返事だった。</div><div>　あの知花さんが僧侶になったのだ。知花さんは1987年の沖縄国体のソフトボール会場に掲げられた日の丸を焼いたひとである。</div><div>　実は私は知花さんに出会っている。私は沖縄へ12年前にいちど旅している。まだ１回こっきりの５日間だけの旅だった。</div><div>　その２泊目、知花さんの家に泊った。「何我舎」（ぬーがや）というすてきな名の民宿だった。</div><div>　知花さんから古酒（クース）をごちそうになり、星空を見上げながら屋上で知花さんの三線を聴いた。つれあいの洋子さんにも会ったし、おじぃにもおばーにも、たしか「障害」のある女の子（娘さん）にも、出会っている。</div><div>　知花さんもそうだが、みんながみんな、やさしい。ていねいで、やわらかい。その物腰のやわらかさは、きわだっていた。</div><div>　忘れられない「何我舎」であった。</div><div>　その知花さんが浄土真宗の僧侶になったという。１年間、京都の岡崎に籠（こも）って、修行しているという。３月には、もう沖縄に帰るという――。</div><div>　知花さんの新しい出発である。旅立ちである。</div><div>　きっと「もうひとりの親鸞」のような、新しい人生が始まるのである。</div><div>　知花さんの三線と語りに耳を傾けながら、私たちも新しい出発をしてゆこう。</div><div>　きっと「何我舎」の夜のように、時間（とき）がやさしく広がっていくのだ――。</div><div><blockquote>　　2012年２月例会<br>　2012年２月26日（日）午後１時〜４時。論楽社。<br>　知花昌一さん（僧侶、元沖縄県読谷村の村会議員）の三線と語り「時間（とき）がやさしく広がっていく――何我舎の夜のように」。<br>　参加費1000円。<br>　――４時にいったん終了。時間のあるかたは、７時までの交流会へ。参加費は酒量に応じた自由カンパ制。語り合おう。</blockquote></div><div>　知花昌一さん。</div><div>　めったに会えないひと。</div><div>　３月には京都を去るひと。</div><div>　２月26日の１時に、来てください。</div><div>　あたたかい服装で。</div><div>　ゆっくり三線を味わってください。</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2012-01-21T15:30:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878301">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878301</link>
    <title>トラブルは自然なこと――あるワークショップに参加して</title>
    <description>　京都市南区東九条に「希望の家」がある。　なぜか、いままでに、私は行く機会がなかった。　金在述（キム・ジェスル、在日大韓基督教京都教会名誉長老）さん（1907〜93）が苦労して建てた教会があったところだ。　１月14日（土）、15日（日）の両日にその「希望の家」に...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　京都市南区東九条に「希望の家」がある。</div><div>　なぜか、いままでに、私は行く機会がなかった。</div><div>　金在述（キム・ジェスル、在日大韓基督教京都教会名誉長老）さん（1907〜93）が苦労して建てた教会があったところだ。</div><div>　１月14日（土）、15日（日）の両日にその「希望の家」において、国際研究ワークショップがあった。</div><div>　やっとこさ、初めて訪ねることができた。</div><div>　韓国のソウルから共同体《スユノモ》の10人が来日。その「希望の家」で《スユノモ》のひとたちに会えるなんて、私にとっては、スゴイこと。</div><div>　《スユノモ》は私を２回もソウルに呼んでくれた研究空間。民間において、ひととひととが相出会い、共助しながら、育てあっていこう、学びあっていこうとしている共同体である。</div><div>　今回のワークショップは小規模で、全体として参加者は30人くらいだったので、《スユノモ》の10人の存在感は圧倒的であった。</div><div>　日本側の研究者がけっこうジジくさくて（笑）、細かいことをネチネチとコメントしていたのに対し、《スユノモ》のひとたちは大局に立って、いっしょうけんめいに生きるんだ、いっしょに戦っていこうというメッセージが込もっていた。気持ちがよかった。</div><div>　主題（テーマ）は「空間とガバナンス」であった。ガバナンスは協治と韓国では訳されるのもおもしろい。</div><div>　実のところ、「争うこと」をもっと、もっとワークショップの主題の中心に置けばよいのに――と私は思っていた。</div><div>　日本において、社会運動がぽしゃっちゃうには、理由がある。「内ゲバ」である。200人ものひとたちが隣人のようなヨコのセクトに殺されたのであった。</div><div>　ナイフとか銃で殺そうと思ったら殺せるのに、まるである儀式のように、なぶり殺しているのである。連合赤軍事件がその典型である。</div><div>　ひとが２人集まれば、争いやトラブルが生じる。</div><div>　３人集まれば、２つの派閥が生まれる。</div><div>　これは、ごくあたりまえのことだ。人間の自我というのは、そういうものなのだ。</div><div>　ただ、「内ゲバ」のように陰惨な争いを目指さないことだけを求めれば、いいのさ。ぬかるみには、藁（わら）を敷くのだ。自我の泥沼に入っていかないことさ。争い方の作法を学びあうことがとっても大切だ。</div><div>　争うこと、別れることは、決して悪ではない。つらいけど、マイナスでは決してない。太陽の光を求めて、枝別れすることは自然なことである。</div><div>　論楽社では８年半前に一回枝別れをしている。</div><div>　《スユノモ》でも、一回枝別れしている。</div><div>　そのことを李珍景（イ・ジンギョン）さんから今回話ができて、よかったと思っている。「内ゲバ」なんか韓国では「なかった」と聞けたし、よかった――。</div><div>　今政肇さん＋朴昭良（パク・ソリャン）さんファミリーにも、寒ーい論楽社に泊まっていただいた。ありがとー。</div><div>　みんな、ありがとう。</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2012-01-20T17:24:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878300">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878300</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第342回）核抑止政策の放棄を――加藤典洋さんの作品によって</title>
    <description>　正月休みに、加藤典洋さん（文芸評論、早大教員）の２冊を読んだ。　『さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて』と『3･11――死神に突き飛ばされる』（ともに岩波書店）である。おもしろかった。　「講座・言葉を紡ぐ」（1990年２月25日）に来てもらっている。『アメ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　正月休みに、加藤典洋さん（文芸評論、早大教員）の２冊を読んだ。</div><div>　『さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて』と『3･11――死神に突き飛ばされる』（ともに岩波書店）である。おもしろかった。</div><div>　「講座・言葉を紡ぐ」（1990年２月25日）に来てもらっている。『アメリカの影』（河出書房新社）、『君と世界の戦いでは、世界を支援せよ』（筑摩書房）は、いまでも好きだ。</div><div>　こんなことがあった。</div><div>　ある野良猫を加藤さんが拾った。「論楽社で飼ってくれないか」と埼玉県志木市の自宅から車で論楽社まで運んで来てくれたことがあった。</div><div>　当時論楽社に甘夏（あまなつ）という猫がいた。甘夏もちょっと前まで野良だったのに、「なんだ、この新入りめ」とその猫にやたら警戒した。ウーウーと鳴いた。加藤さんに電話し、「ちょっとムリか」と伝えた。１週間後に再び車で来て、引きとってくれた。</div><div>　その猫はクロと名づけられて、加藤さん宅で天寿を全うした。</div><div>　「この野良のために、加藤さん、京都と２往復か」と思ってながめた満開の桜がなぜか忘れられない――。</div><div>　その後、『敗戦後論』（講談社）があった。</div><div>　加藤さん、それこそ、なぜかトーン（tone）が高かった。「どうしたんだ」と思った。</div><div>　加藤さんの論に受け皿がない。そう思った。</div><div>　当時「護憲勢力」と言っても３人に１人いるか、いないか。「国民投票」という勝負に出られない状況だった。</div><div>　そして、私はどの「勢力」とも距離があった。左翼のどの「勢力」とも、縁がなかった。私は私を代表させる以外に方法がなかった。</div><div>　「誰も受け手のないところに打たれた千本ノックのようなものだった」（『さよなら、ゴジラたち』P.117）。</div><div>　痛切な思いで、いまここで、加藤さんの、この言葉を読む。</div><div>　戦後日本は「ねじれ」と「矛盾」に満ちている。その「ねじれ」と「矛盾」を生きる以外にないのさ。</div><div>　その「ねじれ」ゆえに、ときどき妙に正直な作品を残している。</div><div>　映画『ゴジラ』がそうである。南太平洋の海底で眠るゴジラの居場所から、なぜか正直に日本だけに向かってやってくる。核実験で目ざめた恐竜のようなゴジラ。放射能を持った亡霊である。</div><div>　その亡霊たちが、戦後自分たち戦死者を見捨てた日本社会（天皇も靖国神社も入る）に繰り返しやってきて、破壊していく――という加藤さんの見立てがよかった。</div><div><div>　その見立ては、戦後のワシらの風景をすっきりとさせる。</div><div>　私たちは戦死者にうしろめたさをどうしようもなく抱えて生きている。私もおじ（父の弟たち）にが２人戦死している。</div><div>　米軍はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下。国際法違反は明白。日本政府は正式に抗議することはなく、米政府の謝罪もいちどもない。何も言挙げすることなく、66年も過ぎている。それどころか「投下が戦争を終結させた」と米政府は言い、みんな、いまだにそのプロパガンダを信じている。</div><div>　被爆者は占領下でも占領後でも放置された。差別されていた。当時孤立していた被爆者たちが内発的に「死の核兵器」ではなく、「生の原子力発電」へと夢を積極的に託して祈念してきたことが、『３・11』で明らかになった。とても、つらい。</div><div>　「平和利用」なんていうのもプロパガンダ。合法的なプルトニウム製造工場でしかない原子炉であった。被爆者たちも、他の国民も、つけこまれて、だまされていった。その「ゆがみ」「ねじれ」「祈念」を抱え、フクシマの原発はついに2011年水素爆発していったのだった。</div><div>　原発の目的は発電ではない。プルトニウムによる核兵器である。</div><div>　現在のところは日本は核兵器は持っていない。しかし、50トンのプルトニウムを抱え、核兵器製造能力と持っている。いざとなれば、１日か半日かで製造できる技術能力があり、その準備もちゃんとあるのだ。</div><div>　戦後日本は米国の核の傘に入った。安保条約を結び、米軍を国内に置き、核兵器も持ち込まれた。まるで属国のようである。沖縄の米軍基地のひとつも減らすことも自主的にできない。自発的な外交力も失ってしまっている。</div><div>　でも、「いざとなったら、核兵器をもつぞ」という一点によって、属国の屈辱は支えられていたのだ。その一点において、米国に対し、ガマンしているのだ。</div><div>　でも、そんなガマンは、もう、それは妄想でしかない。空（むな）しいではないか。</div><div>　日本も米国も核兵器を使用することはできない。使ったら、すべてがオシマイ。廃業する以外に生きのびれないのだ。</div><div>　核抑止政策を日本は放棄すべきだ。生きのびる道を次の世代に残さねばならない。</div></div><div>（１月19日）</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2012-01-19T18:53:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878299">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878299</link>
    <title>人生の初冬――長島愛生園の長老たちのそれぞれのいま</title>
    <description>　１月８日（日）、９日（月、祝）に岡山県の長島愛生園へ小さな旅をしてきた。2012年１月例会を兼ねていた。　参加者は斉村康広さんと斉藤貞三郎さんの２人。私を入れて、男３人。ちょっとだけさみしい旅だった。　でも、ゆったりと交流できて、よかった。斉村さんの焼酎...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　１月８日（日）、９日（月、祝）に岡山県の長島愛生園へ小さな旅をしてきた。2012年１月例会を兼ねていた。</div><div>　参加者は斉村康広さんと斉藤貞三郎さんの２人。私を入れて、男３人。ちょっとだけさみしい旅だった。</div><div>　でも、ゆったりと交流できて、よかった。斉村さんの焼酎はうまかった。大学ラグビーの決勝戦を愛生園で見るなんて、スゴイ。これもラグビーファンの斉村さんのおかげである。</div><div>　愛生園の長老たちは“人生の初冬”をそれぞれ迎えている。</div><div>　こういう姿を見つめていると、「（61歳の）私なんか“ひよっ子”だあ（斉村さん）」。私も同感である。</div><div>　金泰九（キム・テグ）さん（84）は火傷をしていた。お湯をひっかぶって、重傷。６か月間の入院生活を経て、右手の指を２本切り落とす。「右手がダメだと、不便だよ」とちょっとさびしそう。</div><div>　『虎は眠らず』（40分）。金さんの人生についての記録映画だ。昨夏自主制作された。私はまだ見ていない。「見たい」と思っていた。でも、「好評で、金さんの手元にもないんだ」。また、いつか――。</div><div>　宇佐美治さん（84）の「認知症」について。10分間話していると、1分ごとに同じ話に戻っていく。10回繰り返されることになる。「ちょっとヤバイ」と思うけど、私があわてないことなんだ。これは病気なんだから。体は元気そうだった。</div><div>　阿部はじめさん（87）、北島かね子さん夫婦はすこやかであった。夫婦の持つやわらかな力に満ちていた。「今年、米寿になります。でも、気が若いというか、“べいじゅ”という気分になりませんな」と阿部さん。「若いのじゃなくて、幼いのよ（笑）」と北島さん。いいカップルだあー。</div><div>　さまざまなことのあった人生の“冬の始まり”である。見守っていこう。明日はわが身である。</div><div>　最後に「相愛海岸」に行くことができた。</div><div>　15年ぶりに行ってみた。</div><div>　旧少年舎の家畜小屋跡、棚田跡の小道を登っていく。道はササ、カヤに覆われ、塞がれている。刈られるところもある。</div><div>　峠を登り、下っていくと、白い砂の自然海外へ出る。</div><div>　長さは500〜600メートル。ひとが入っていない。波の音だけが響いている。きわめて、しずか。別天地のようなプライヴェート・ビーチ。</div><div>　「こんど４月末に来て、ササやカヤを刈り、海岸のゴミを拾おう」と斉村さんと話している。</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2012-01-15T01:43:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878298">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878298</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第341回）展開、接近、連続――大西鐵之祐ラグビー哲学</title>
    <description>　ＴＶはもう見ない。昨年末に粗大ゴミとして捨てた。　ただ「ラグビーの試合」と「バッハとモーツァルトのコンサート」（もうあんまりやらないけど）の２つは、まだ見てみたい。少しだけ心残りがある。　そう思っていたら、１月２日（月、祝）に大学ラグビーの準決勝の２...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　ＴＶはもう見ない。昨年末に粗大ゴミとして捨てた。</div><div>　ただ「ラグビーの試合」と「バッハとモーツァルトのコンサート」（もうあんまりやらないけど）の２つは、まだ見てみたい。少しだけ心残りがある。</div><div>　そう思っていたら、１月２日（月、祝）に大学ラグビーの準決勝の２試合を見ることができた。松岡由香子さん宅で塩田敏夫さんと見た。</div><div>　１月８日（日）には、なんと長島愛生園の宿で決勝の１試合を見ることになった。斉村康広さんと見た。</div><div>　そこで、帝京大学が勝ったのだけれども、ひとこと、言っておきたいと思う。</div><div>　ボンド（４番）、マニング（５番）というニュージーランドからの留学生と李（８番）のモール攻撃のみで勝った。ただそれだけであった。感動はなかった。凡戦だった。</div><div>　「したいラグビーとやれるラグビーは違う」（帝京・岩出監督）。その「やれるラグビー」をやって、勝ったのだが、拍手できない。</div><div>　こんな試合をして、何の意味があるのだろうか。国際試合でそのモール攻撃をやれるのか。</div><div>　昨秋のラグビーのワールドカップでもひとつも勝てなかった日本である。プロ化を図った世界との力の差がますます広がっている日本である。</div><div>　「歴史の創造者たれ」（大西鐵之祐）の気概をもって、戦ってほしかった。いままでの歴史を変革するプレーをしてほしかった。</div><div>　いま、藤島大さんの『知と熱』（文春文庫、2003年）を読んだところだ（注）。</div><div>　大西（おおにし）鐵之祐（てつのすけ）さん（1916〜95）の評伝である。</div><div>　1968年、ニュージーランドのオールブラックス・ジュニア（23歳以下のニュージーランド代表）を日本代表が23―19で破った。</div><div>　1971年、イングランドと日本代表が対戦し、19―27、３―６という大接戦を演じた。</div><div>　そのときの日本代表監督が大西さんである。</div><div>　オールブラックス・ジュニア戦は、いまだにニュージーランド側が試合のビデオを見せないそうだ。どこかにあるのだが、「見つからない」そうだ。「15人のSH（スクラム・ハーフ）のような東洋人のチームに敗けた」なんて、とっても恥ずかしいことなのかも。</div><div>　「タックル。タックル。またタックル。大男どもに、まるでひるまぬタックルは、一の矢が外れても、すかさず二の矢、三の矢が放たれ、もはや狂気じみてさえいた。／疲れを知らぬスタミナ。積極果敢な展開。はじめ、小さな小さな日本代表に『判官贔屓』の好感を抱いた本場の観衆は、しだいに大きな驚異と脅威を覚え、試合がとことんもつれると、ついには絶叫を始めたり、押し黙ったりした。」（同書P.78）</div><div>　「考えぬかれ、決断の末に実行された独自の方法、『展開、接近、連続』は、ひとりの指導者の信念によって命を帯び、実際に戦う者の想像をも超える成果を実らせたのである。」（同書P.80）</div><div>　大西さんの「展開、接近、連続」の理論である。</div><div>　体格に劣るフォワードのもみ合いを極力短縮。外へ球を素早く「展開」。相手防御に「接近」のバックスが動き出しのタイミングでタックルを外し、突破。スタミナの優位を駆って、「連続」攻撃を次々に仕掛けるのだ。</div><div>　ポイントは「接近」だ。接触ではない。当たるんだが、体勢は崩さない。必ずストレート・ラン。ためて、いくつかのサインですうっと抜き去る。あるいは、裏を取るんだ。</div><div>　きっと、「もうこれしかない」という理論である。</div><div>　そして、敢然とやりとげる15人が当時いたのだ。</div><div>　大西鐵之祐。「目の前に五億円を積まれても、本能的に拒否できる人間になれ」「戦争の狂気の中で死を賭して『狂気の沙汰』を回避せよ」と言いつづけたフェアネスと反戦のひとであった。</div><div>（１月12日）</div><div>（注）友人の清水澄子さん（文藝春秋社）から昨年12月に送ってもらった。ありがとう。おもしろかったよ。</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2012-01-12T19:08:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878297">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878297</link>
    <title>ある１枚の年賀状（その２）――伝えたいことはひとつ</title>
    <description>　2012年の新しい光を得る。　明けまして、おめでとう――。　新しい年を迎え、雪が降る。　アイゼン、ピッケルを出す。比良山系の堂満岳（1057メートル）に登ってきた。いちばんカンタンに登れる1000メートル。汗だくで、登った。雪はとてつもなく美しい。　２年ぶりの雪山...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　2012年の新しい光を得る。</div><div>　明けまして、おめでとう――。</div><div>　新しい年を迎え、雪が降る。</div><div>　アイゼン、ピッケルを出す。比良山系の堂満岳（1057メートル）に登ってきた。いちばんカンタンに登れる1000メートル。汗だくで、登った。雪はとてつもなく美しい。</div><div>　２年ぶりの雪山。２年前に屋久島の太忠（たちゅう）岳（1497メートル）を半分登って下山。積雪が70センチを超え、軽装備ゆえに断念。名前のとおり、登ったのは「途中（とちゅう）だけ」。</div><div>　こうして正月休みに単独行していると、誤解が生じる。</div><div>　「あのひと（私）はおひとりがいいのだ」と。</div><div>　「ずっとひとり暮らしやけど、やっぱりひとりがお好きなんだ」と。</div><div>　全くの誤りである。ちがう。</div><div>　ひとりぼっちなんか、だいきらいだ――。</div><div>　17年間ガマンして、ひとりでメシを食っているだけだあ――。</div><div>　失礼。ついつい、興奮してしまった。</div><div>　「好きなひとのために料理して、好きなひととおしゃべりして、好きなひととのんびりメシを食いたいよ」。</div><div>　オレだって。</div><div>　その食卓には敵がいない。</div><div>　平和そのもの。</div><div>　そんな関係（つながり）を切実に求めている――。</div><div><br></div><div>　　　言いたいことはいつもひとつ</div><div>　　　伝えたいことはいつもひとつ</div><div>　　　でも</div><div>　　　言葉はいつもひとつとはかぎらない</div><div>　　　君を前にすれば</div><div>　　　言葉がひとつひとつ流れていく</div><div>　　　散っていく</div><div>　　　それでも</div><div>　　　君に言いたいことはいつもひとつ</div><div>　　　君に伝えたいことはいつもひとつ</div><div><br></div><div>　こんな“妄想詩”をつくっていると、誤解されるかな。</div><div>　2012年をゆっくりと歩み出そう。</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2012-01-07T22:33:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878296">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878296</link>
    <title>ある１枚の年賀状――あるのは希望だ</title>
    <description>　新しい年の、新しい朝だ。　新しい光が満ちている。　2012年である。新しい日の光がやってきてくれた。　うれしいね。ありがたいね。　明けまして、おめでとう――。　ことしこそ、「小日本」（石橋湛山）をめざそう。　もっと生活の質を高め、生活の美を深めていこう。　...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　新しい年の、新しい朝だ。</div><div>　新しい光が満ちている。</div><div>　2012年である。新しい日の光がやってきてくれた。</div><div>　うれしいね。ありがたいね。</div><div>　明けまして、おめでとう――。</div><div><br></div><div>　ことしこそ、「小日本」（石橋湛山）をめざそう。</div><div>　もっと生活の質を高め、生活の美を深めていこう。</div><div>　生活の内実があたたかくなることによって、きっと「核兵器（原発）放棄宣言」をすることができるだろう。</div><div>　そんな新しい生活をつくっていこう。</div><div><br></div><div>　　絶望とは</div><div>　　何かを失ってしまうことではなかった</div><div>　　失うべきものを失えなかったことである</div><div>　　希望とは</div><div>　　どのようにしても裏切ることはできないものであった</div><div>　　決して失望に終わることのないものである</div><div><br></div><div>　あるのは希望の哲学だけだ。</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2012-01-05T23:15:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878295">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878295</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第340回）「らいになってよかった」と「らいは美しい」と――2012年の初めに</title>
    <description>　群馬県の栗生（くりう）楽泉園の桜井哲夫さんが肺炎で亡くなった。12月28日のことである。87歳であった。　金正美（キム・チョンミ）さんから、12月31日に電話があった。「皮膚ガンで痛みがあったけど、『痛い』という言葉を発することなく、亡くなっていった」。　「『...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　群馬県の栗生（くりう）楽泉園の桜井哲夫さんが肺炎で亡くなった。12月28日のことである。87歳であった。</div><div>　金正美（キム・チョンミ）さんから、12月31日に電話があった。「皮膚ガンで痛みがあったけど、『痛い』という言葉を発することなく、亡くなっていった」。</div><div>　「『らい』になって、よかった」と桜井さん。近藤宏一さん（1926〜2009）ともども、ハンセン病の終生強制隔離政策の本質を吹き飛ばしてしまったひとである。</div><div>　桜井さんの詩「おじぎ草」を書こう。</div><div>　こんなおだやかな境地にひとは、達することができるのだ。</div><div><br></div><div>　　夏空を震わせて</div><div>　　白樺の幹に鳴く蝉に</div><div>　　おじぎ草がおじぎする</div><div><br></div><div>　　包帯を巻いた指で</div><div>　　おじぎ草に触れると</div><div>　　おじぎ草がおじぎする</div><div><br></div><div>　　指を奪った「らい」に</div><div>　　指のない手を合わせ</div><div>　　おじぎ草のようにおじぎした</div><div><br></div><div>　桜井哲夫さんの魂に向かって、こんな言葉が体から湧く。</div><div><br></div><div>　　　　　　　　　行け――桜井哲夫さんに</div><div>　　私はとこから来て、どこへ行くのか</div><div>　　どこから来ないで、どこへ行かないのか</div><div>　　いまここに立て</div><div>　　いいか</div><div>　　夢の外では眠るな</div><div>　　夢の中で言葉を拾え</div><div>　　行け</div><div><br></div><div>　2012年１月１日の朝から、２冊の本を読んだ。</div><div>　伊波敏男さんの『ハンセン病を生きて』（岩波ジュニア新書、2007年）と『ゆうなの花の季と』（人文書館、2007年）である。発刊から４年がたっている。ひとが作りだした過ちはひとによってしか修正できない。このことが切々と伝わってくる作品だ。</div><div>　伊波（いは）さんは1943年、沖縄に生まれる。ハンセン病の回復者である。社会復帰を果し、東京コロニーと社団法人ゼンコロの常務理事だったひとだ。現在、信州の上田に住み、信州沖縄塾を開いている（http://kagiyade.com/）。</div><div>　14年前のことである。自伝『花に逢はん』（ＮＨＫ出版、1997年）が送られてきた。そのとき、私は伊波さんを知らなかった。</div><div>　『花に逢はん』を読了して、すぐわかった。中村哲さんと同じように、島田等さん（1926〜95）が結（ゆ）ってくれた縁であった。島田さんは伊波さんの師匠なんだ。</div><div>　伊波さんが沖縄からパスポートを持って「密航」までして入学した岡山県立邑久高校新良田教室。1961年のこと。当時その新良田（にいらだ）教室が、全国で唯一、ハンセン病者が学べる高校だった。長島愛生園にあったのだ。</div><div>　そこで、伊波さんは島田さんに出会っている。</div><div>　「伊波くん、『らい』は美しいんだ」と島田さんは語っていたという。</div><div>　桜井哲夫さん、近藤宏一さんの「『らい』になってよかった」と同じように、「『らい』は美しい」という境地のことをいま想う。浄穢（じょうえ）不二（ふに）である。</div><div>　弟子のような伊波さんの1971年の結婚式に島田さんが送った祝辞。ひとつの詩。</div><div>　「問いを決意に、孤立を灼熱に、私たちの生を変えてくれた人たち／変わることを用意してくれた人たち／なぜ生きていくの、なぜ生んでくれたの、の深い問いかけの淵から／生きてきたことへのよろこび、生きそだててくれたものへの／感謝と思いやりの熱さに／私たちと飛躍させた人たち／私たちの生の転機をささえて運行する千の太陽にこたえて、／いま、のびあがるコロナであろうとする私たちの／炎の高みを見とどけてくれ！／燃えつぐ覚悟への／あなた方の生の伝承を／注いでくれ！」。</div><div>　45歳の島田さんのメッセージ。</div><div>　「らいは美しい」と意識革命をやろうとしていた島田さん。まるでスティーヴ・ビーコ（1947〜77、南アの黒人意識運動家）のように。</div><div>（１月５日）</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2012-01-05T14:44:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878294">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878294</link>
    <title>いのちへの旅――森崎和江さん、才津原哲弘さん、友人たち、ありがとう、ありがとう（その３）</title>
    <description>　12月18日（日）のアンケートから。　「生命を循環させること、生命をつないでいくことがとっても大切であることを（略）呼びかけておられましたが、森崎さんは菩薩様のようでした。（略）自分を大切に、そして他人に優しく生きるぞと強く決意して家路に向いました。あり...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　12月18日（日）のアンケートから。</div><div><br></div><div>　「生命を循環させること、生命をつないでいくことがとっても大切であることを（略）呼びかけておられましたが、森崎さんは菩薩様のようでした。（略）自分を大切に、そして他人に優しく生きるぞと強く決意して家路に向いました。ありがとうございました。」（篠山市の長沢喜弘さん）</div><div>　「大学も終り、これからどう生きて行こうか、日々なやんでいますが、（略）気もちを強く表現しているような、森崎さんにたくさんの力をいただいた気がします。」（京都市の安藤春菜さん）</div><div>　「良かった。苦しいことをすこし涙まじりで止まることもありながら、淡々と語る森崎さん。感謝、感動をどうも。」（宇治市の北村信隆さん）</div><div>　以上、３本である。</div><div><br></div><div>　長沢さん、安藤さん、北村さん、ありがとうございます。</div><div>　それに会費、カンパ（歓波）も、志も、ありがたい。</div><div>　現在（いま）、ひとりひとりに礼状を書いている。励ましていただき、ありがとうございます。</div><div>　100回が終わった。ゆっくりと終わりながら、いま次の芽生えを待っているところである――。</div><div>　では、またね。</div><div>　みなさん、アリガトウ――。ほんとうに、ありがと――。</div><div><br></div><div>　１月例会は、長島愛生園への小さな旅である。</div><div>　１月８日（日）もと９日（月、祝）の両日。</div><div>　お金は9000円くらい。交通費の実費（青春18キップ、タクシー）に８日と９日の昼食代だ（９日はＢ級グルメの「かきおこ」である、かき10個入ったお好み焼きだ）。８日の夕食、９日の朝食は参加者の持ち寄りの食料を分かちあう。そんな合宿のような２日間だ。</div><div>　旅の宿は無料。男女別で相部屋。中風呂がある。</div><div>　旅の目的は、終生強制隔離政策の現場に立つことと、その政策の生存者たち（サバイバー）との交流歓談することの２つである。入園者のひとたちは50年も前にハンセン病は完治している。完治しても、「らい予防法」には退所規定がなかった。それに、底なしの差別が世間にあるので、退所したくても、できなかった。</div><div>　84、85歳の彼ら彼女らとともに新春を寿（ことほ）ごう。厳しかった入園者の人生に、やってくる新しい春を祝おうではないか――。</div><div><br></div><div>　栗生楽泉園の桜井哲夫さんが12月28日に肺炎で亡くなった。</div><div>　87歳だった。</div><div>　私は一度も会っていない。出会ってないままに、お別れしなければならない。</div><div>　でも、金正美（キム・チョンミ）さんを通じて、「『らい』になってよかった」という心境までに至っていった哲ちゃんを知っている。</div><div>　自らの生に降りてくる苛酷な現実をひとつひとつ乗りこえていった哲ちゃんだ。「偉大な人生だった」と思う。</div><div>　私は頭を下げる。「礼！」。</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2011-12-31T17:45:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878293">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878293</link>
    <title>いのちへの旅――森崎和江さん、才津原哲弘さん、友人たち、ありがとう、ありがとう（その２）</title>
    <description>　森崎和江さんから手紙が来た。　こんな言葉が身に沁みる。　「私にとりましては、この上ない再生の旅になりました。有難くてなりません。」　いのちへの旅は、再生の旅であったのだ――。　再び歩み出していこう――。　来て、見てごらん。　12月18日（日）の法然院における...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　森崎和江さんから手紙が来た。</div><div>　こんな言葉が身に沁みる。</div><div><br></div><div>　「私にとりましては、この上ない再生の旅になりました。有難くてなりません。」</div><div><br></div><div>　いのちへの旅は、再生の旅であったのだ――。</div><div>　再び歩み出していこう――。</div><div><br></div><div>　来て、見てごらん。</div><div>　12月18日（日）の法然院における友人たちの姿だ。泉谷龍さんのカメラに写ったひとびとの風景である。12月18日（日）の一期一会の出会いを記憶と記録に留めていこう。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635723.jpg" width="300" height="400" alt="写真１" class="pict"></div><div>　法然院の山門。しずかに冬を迎えている。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635724.jpg" width="300" height="400" alt="写真２" class="pict"></div><div>　法然院の庭。水の上にも、阿弥陀仏の前にも、菊が散華。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635725.jpg" width="300" height="400" alt="写真３" class="pict"></div><div>　受付は進士和恵さん。正確な計算力で、そろばんパチパチ。アリガト。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635726.jpg" width="300" height="400" alt="写真４" class="pict"></div><div>　服部史香さん。手紙のあて名書きも、荷物運びも、受付も。アリガト。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635727.jpg" width="300" height="400" alt="写真５" class="pict"></div><div>　東郷恵子さん。久しぶりね。インドはどうだったのかな？</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635729.jpg" width="300" height="400" alt="写真７" class="pict"></div><div>　高原美都子さん。元気になられましたね。よかった。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635730.jpg" width="300" height="400" alt="写真８" class="pict"></div><div>　本売りの蒔田直子さん（左）。「森崎和江さんのサイン本だよ。」</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635731.jpg" width="300" height="400" alt="写真９" class="pict"></div><div>　塩田敏夫さん。雪の丹後半島から４時間かけて、到着。アリガト。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635732.jpg" width="300" height="400" alt="写真１０" class="pict"></div><div>　斉村康広さん。「会場はこっちへ」と案内のために立っていてくれるんだ。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635733.jpg" width="300" height="400" alt="写真１１" class="pict"></div><div>　関口香奈恵さん（右端）。田中愛子さん（中央）。さあ、もうすぐに始まるよ。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635734.jpg" width="300" height="400" alt="写真１２" class="pict"></div><div>　朴才暎さん（右）。田中里佳さん（左）。まるで姉妹のよう。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635740.jpg" width="300" height="400" alt="写真１３" class="pict"></div><div>　阿弥陀仏（背後）の前に、森崎和江さん。「私には顔がなかった」。和江さんは語りはじめる。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635741.jpg" width="300" height="400" alt="写真１４" class="pict"></div><div>　才津原哲弘さん。「ひととひとが出会うことがどんなにか力を与えてくれることを論楽社で知った」。アリガトー。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635742.jpg" width="300" height="400" alt="写真１５" class="pict"></div><div>　森崎さん。「『甲羅干しさせてくれ』と弟が来た」「まさかお別れにやってきたとは思わなかった」といまも弟の自死を涙で語る。まるで昨日のことのように。</div><div><br></div><div><img src="http://img.blog.rongakusha.com/20111230_2635743.jpg" width="400" height="300" alt="写真１６" class="pict"></div><div>　森崎さん、才津原さんに、私。「（自死した）弟の思いが広がってしまっている。いのちは、生きつづけてほしい」（森崎さん）。　</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2011-12-30T11:13:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=878292">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=878292</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第339回）詩をめぐる旅の日録――2011年11月・12月編</title>
    <description>　尹東柱（ユン・ドンジュ、1917〜45）が前を歩む。　「星を歌う心で／すべての絶え入るものをいとおしまねば／そして私に与えられた道を／歩いていかねば」（「序詩」、金時鐘訳）　きょうも尹東柱に付いていこう。　「私に与えられた道」のいまここを歩もう。　詩としか...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div>　尹東柱（ユン・ドンジュ、1917〜45）が前を歩む。</div><div>　「星を歌う心で／すべての絶え入るものをいとおしまねば／そして私に与えられた道を／歩いていかねば」（「序詩」、金時鐘訳）</div><div>　きょうも尹東柱に付いていこう。</div><div>　「私に与えられた道」のいまここを歩もう。</div><div>　詩としか呼べない何かによって、日々を支えられながら。</div><div>　　11月―日</div><div>　冬が近づく。夜の空にむかって、きょうも深呼吸をする。</div><div>　constellationという言葉がある。星座だ。</div><div>　生きてきた過去のあのこと、このことを、それぞれをひとつずつの星にしてみる。星々を並べ、〈私だけの星座〉をつくってみる。</div><div>　相対化され、総合化され、天空に輝く、私の過去である。</div><div>　〈私だけの星座〉を教えてくれた女性は、もうこの世にいない。鳥取の「野の花診療所」で出会った。「死って、ちょっと楽しみ」と言っていた。いのちを愛しきり、使いきっていった彼女。</div><div>　「今夜も星が風にかすれて泣いている」（尹東柱「序詩」、金時鐘訳）</div><div>　　11月―日</div><div>　村上春樹を読む。『羊をめぐる冒険』を再読。29年ぶりである。</div><div>　物語という象徴の中とはいえ、「鼠が死んだ」。</div><div>　あれだけ「金持ちなんかキライ」と言っていた「鼠」である。ある意味で「左翼としての鼠」の死であった。</div><div>　日本社会全体に金利生活者が登場し、ふえていった30年である。</div><div>　働かなくても生活できるひとたち。けれども、働かないことによって、社会力の全体が低下していった。そのトドメの極北が３・11。</div><div>　再び働く時代が来るであろう。</div><div>　　11月―日</div><div>　凡夫の私にも少しずつ与えられてきている。「いのちの力を信じます」「いのちの力に託します」という思いが、少しずつ与えられ、少しずつ深くなっている。そんな気が確実にしている。</div><div>　もういのちの風によってしか、私は船は前へ進むことができない。</div><div>　　12月―日</div><div>　ある友人の誕生日。聖なる日。「よくぞ、この世に来てくれたね」。</div><div>　　12月―日</div><div>　中学校の前に立つ。ホームスクール（家庭学校）のチラシを配る。</div><div>　ふと横を見ると、４人の中学生がそのチラシを折って、紙ヒコーキにして飛ばしている。</div><div>　私と目が合って、互いに笑っている。</div><div>　夕日をあびて、飛ぶチラシ。アハハハ。</div><div>　　12月―日</div><div>　服部史香さん（大学生）に手伝ってもらい、３年４年……と手紙を出せなかったひとたちに手紙を出してみる。「講座が100回になるよ」と知らせる。でもでも、高齢者もふえ、退会するひと３人、「あてさき不明」で戻されるひと５人。それぞれ、長い間ありがとうございました。</div><div>　　12月―日</div><div>　大阪の釜ヶ崎の「ふるさとの家」の労働者のミサへ朝９時に行く。</div><div>　本田哲郎神父と久しぶりに話する。「いやあ、虫賀さん！」「順調ですか」といい声が響く。</div><div>　「かれらのためには、場所がなかったからである」（ルカ２−７）。</div><div>　イエスには、この世の居場所がなかった。親兄弟親類宿屋の村中のすべてからうとまれたイエスの誕生。「けがれ」にみちた罪の子であった。</div><div>　いまも、そのイエスの誕生を祝うことができるのは、貧しくて小さくされているひとたちだけである。</div><div><br></div><div>　その日の昼、京都の「メモリアル・キルト展」へ顔を出す。斎藤洋さんと《ファーザー・ダミヤン》の話をする。ハワイのダミヤン神父だ。「らいは美しいんだ」と言っていた島田等さん（1926〜95）のことを伝える。美醜不二。浄穢不二。</div><div>　「ああ、島田さんに会いたかった」（斎藤さん）。</div><div><br></div><div>　その日の午後、アーサー・ビナードさんに会う（キャンパスプラザ京都）。5か月ぶりの再会。</div><div>　「原発を賛成反対というレベルの話じゃない。いのちへの犯罪なのだ。１日でもはやく、54基を廃炉にしよう。」</div><div>　そのとおり。いのちの力を信じきって、歩み出してゆこう。</div><div>（12月29日）</div>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2011-12-29T09:45:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

</rdf:RDF>
