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    <title>論楽社ほっとニュース</title>
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    <description>京都・岩倉の論楽社からお届けします</description>
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    <title>中元悦子さん、ありがとう――２月例会の喜びを伝えたい</title>
    <description>　２月28日（日）の２月例会、中元悦子さん（農業）について、さっそく感想のＦＡＸが２本届いた。
　１本目は「ちょっと出しゃばりますが……」と笑いながら、塩田敏夫さん（毎日新聞記者）から。翌日の３月１日（月）に早や届いている。
　中元悦子さん。あなたの話を聞き...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　２月28日（日）の２月例会、中元悦子さん（農業）について、さっそく感想のＦＡＸが２本届いた。<br />
　１本目は「ちょっと出しゃばりますが……」と笑いながら、塩田敏夫さん（毎日新聞記者）から。翌日の３月１日（月）に早や届いている。<br />
<blockquote>　中元悦子さん。あなたの話を聞き、あなたが泣きながら学んできたことがよくわかった。長年続けた読書会、奈良から深夜バスで３年間も通った東京の勉強会。生きるため、生きぬくために憲法があり、教育基本法があり、図書館法があることを学んだ。「幸せだった」と言い切った言葉に、私は心揺さぶられた。やはり人生はどんな人と出会うかだ。<br />
　あなたは奈良・大淀町の梨農家に嫁いで最初の20年間はつらかったと語った。そこはまるで江戸時代のようだったと。村を走る近鉄電車に何年も乗ることができなかったと。家の外の世界に触れることができずに、子育て、義理の両親と一緒に農作業に追われる生活。夫は現金収入を得るため公務員に。農家の嫁として頑張り抜いてきたのだ。<br />
　ところが、10歳上の先生と出会うことで自分の人生を自分で切り開き始める。大淀町で私塾を開いている先生と聞き、私は漱石の『こころ』の先生を思い浮かべた。先生はあなたに滋養を与えていく。自分の言葉で語り、自分の知性をとことん信じて生きることを教えてくれたのだ。<br />
　私は滋賀・能登川図書館長だった才津原哲弘さんから豊かで有り難いものをたくさん授かった。そのひとつにこんな言葉がある。「図書館は天から降ってくるものではない。住民自らが欲してつかみ取るものだ」。あなたはそれを実践した。図書館は文化を基底から作り上げるものだと思う。人類が最初にアレクサンドリアで作った図書館から2000年たって大淀町で実現したという図書館作り。思いがたくさん詰まった図書館祭を見たいと思った。</blockquote>　２本目のＦＡＸが、３月３日（水）の夜に届いた。中嶋周さんからである。滋賀県の湖北の、福井県との県境（けんざかい）の山村に入り、ヤギを飼い、ヤギのチーズをつくっている。<blockquote>　「農家の嫁」の日々を、ようがんばってきはったなあ、まねできんなあ、ただただそう思いながら聞いていました。<br />
　でもそんななか、自分を耕し仲間を見つけていった読書会や考える種講座。人とつながり人生をきりひらいていくバイタリティと、農民ならこうありたいと思わせる自主独立の精神、その両方を中元さんはもってはって素敵やなと思いました。<br />
　町から農村に入った「よそもの」の一人としては、こういう縦のつながりも身近にあるとうれしいのになあと、家に帰って思ったのでした。<br />
　またお会いしたいです。</blockquote>　中元さん、ほんとうにありがとう――。<br />
　このうえない言葉が紡がれていったひとときだった。<br />
　一見平凡で、小さくて、弱くて、何もないところに、未来の根っこは必ず存在し、驚くべき感動があるんだ。<br />
　心を耕やし、いのちにやさしく出会ってゆきさえすれば、どんな闇のトンネルに入っていようが、明日への芽吹きは必ずやってきて、居場所という開墾地も切り開かれていくんだ。<br />
　そう、あらためて、思った。<br />
　中元さん、ホントに、ホンマに、アリガト――。<br />
　念仏のように、くりかえす、アリガト――だ<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-03-05T15:31:58+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=838837">
    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=838837</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第244回）いのちの実相を肯定する精神――そのとき、実存の重力すら軽く感じられるのだ</title>
    <description>　くりかえし言ったり書いたりしていることで恐縮だが、私は金子兜太（とうた）さんが好きだ。
　金子さんは1919年生まれの満90歳。現役の俳人である。
　私は一回会っている。2004年７月に、鳥取で会っている。徳永進さんのおかげで、６時間も、対話できた。忘れ得ぬひとと...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　くりかえし言ったり書いたりしていることで恐縮だが、私は金子兜太（とうた）さんが好きだ。<br />
　金子さんは1919年生まれの満90歳。現役の俳人である。<br />
　私は一回会っている。2004年７月に、鳥取で会っている。徳永進さんのおかげで、６時間も、対話できた。忘れ得ぬひとときであった。<br />
　そのときの金子さんが、満85歳。<br />
　でも、65歳、いや、60歳のように見えた。とっても若く、ツヤツヤしていた。<br />
　大きい鼻。大きな口。太い首。でっかい腰。太っとい声。<br />
　野（や）の人であり、野（の）の人だ。<br />
　地（じ）の人であり、“野生動物”のような人だった。<br />
　「しっかり生きていかないと、ゴキブリの前で、でかいツラができない」と言いきった金子さんを、いまでも尊敬している。これは、思想史に残る発言ではないか。<br />
　ゴキブリにも、蜩（ひぐらし）にも、雁（かり）にも、それぞれのいのちに精霊を感じるという態度の発言だ。アニミズムという思想である。<br />
　金子さんの場合、俳句という詩は、その思想を肉体化したものである。<br />
　もちろん、アニミズムの宣伝をしてゆくのではない。<br />
　いのちの「気」の流れ動きを感受したときの、わがいのちの即興の挨拶（あいさつ）が俳句である。<br />
<blockquote>　朝はじまる海へ突込む&#40407;の死</blockquote>　《&#40407;（かもめ）が何かを獲るために海へ突込んだ。それを「死」と受けとるオレ（金子）がいる。死は、死ではない。新生・再生へのプロセスが死である。ゆえに、新しい朝が始まってゆく……。実際、この句は「よし、俳句一本で生きるぞ」と胆（はら）を決めたときに生成されている。》<br />
<blockquote>　暗黒や関東平野に火事一つ</blockquote>　《関東平野の秩父に生まれ育ったオレ（金子）にとって「貧乏をなくすこと」は重要なテーマ。でも、高度経済成長、列島改造なんか、望まない。ああ、暗くて、むごい弱肉強食の時代になるぞ。ホラ、火事がひとつふたつ……。さあ、もう、いいかげんにして、生（なま）のいのちに帰ろうぜ……。そんな叫びが声が聞こえてきそうな句だ。》<br />
<br />
　いま、私の勝手な解説文を添えて、たった２句だけど、代表作をあげてみた。どうだろうか？<br />
　生きものにむかって、心をひらいてゆくんだ。あのいのちが「○」で、このいのちが「×」なんて、アニミズムではない。どのいのちもハナマルである。これこそが、アニミズムなんだ。<br />
　金子さんは俳句で食ってきている。芸術性を保ちながら、大衆性を大切にしないと、食えない。でも、アニミズムに立脚さえすれば、どうのこうの悩むことなく、たとえどんな変な句でも親しまれ、スルメのようにしゃぶられていくのに、金子さんは気づくのだった。それが、おもしろいんだなあ。<br />
　「下品」なことも、ウンコも、チンポも、これらは、すべてハナマルなんだ。もちろん、いのちのほんの一部分でしかないんだが、大切な部分として、あたたかく肯定している。アニミズムという理屈すらも、ひとつのダシとなって、いのちという寄せ鍋にとけあっているんだ。<br />
<blockquote>　猪が来て空気を食べる春の峠<br />
　谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな<br />
　最果ての赤鼻の赤魔羅（まら）の岩群<br />
　華麗な墓原女陰あらわに村眠り<br />
　夏落葉有髪（うはつ）も禿頭もゆくよ<br />
　夏の山国母いてわれを与太（よた）という<br />
　長寿の母うんこのようにわれを産む<br />
　冬眠の蝮（まむし）のほかは寝息なし<br />
　男根は落鮎（おちあゆ）のごと垂れにけり<br />
　犬の睾丸ぶらぶらつやつやと金木犀<br />
　梅咲いて庭中に青鮫が来ている<br />
　桐の花河口に眠りまた目覚めて<br />
　霧の村石を投（ほう）らば父母散らん</blockquote>　残念ながら、小林一茶も、フランソワ・ラブレーも、金子兜太も、まだまだ正当に評価されていない。「真理とは人間的なものであるという精神」（タゴール）の運動が展開されているのにね。「人間的なものであるという精神」に触れると、笑いが生成され、実存の重力すら軽く感じられるのにね。<br />
（３月４日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-03-04T09:54:48+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第243回）ある体認――故郷が産土（うぶすな）として体に入ってくる</title>
    <description>　２月21日（日）、岐阜へ帰った。
　あるひとの見舞いのためである。
　何度も書いているとおり、岐阜は私の故郷である。
　入院先の病院は、笠松（かさまつ）町にある。岐阜市と、私が生まれた羽島（はしま）市との中間に位置する町である。
　いまでこそ、笠松は小さな町。...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　２月21日（日）、岐阜へ帰った。<br />
　あるひとの見舞いのためである。<br />
　何度も書いているとおり、岐阜は私の故郷である。<br />
　入院先の病院は、笠松（かさまつ）町にある。岐阜市と、私が生まれた羽島（はしま）市との中間に位置する町である。<br />
　いまでこそ、笠松は小さな町。だが、江戸時代には木曽杉やヒノキの集積地として賑わい、陣屋も置かれていた。御一新（明治維新）の直後には、岐阜県庁も置かれた。でも、鉄道の駅の設置に失敗。駅設営に成功した岐阜市に県庁が移り、笠松町はゆっくりと100年かけて寂（さび）れていった。<br />
　25、6年ぶりに、私は笠松のなつかしい、古い町並みの道を歩く。<br />
　杉本家（材木商の旧家）が一般開放されていた。入ってみると、昔ながらの土間があり、奥座敷に雛（ひな）人形が並べてあった。<br />
　八幡神社に入り、クスノキ、イチョウの樹皮に手を触れてみた。<br />
　そのとき「八幡さんの縁日の賑わい」を思い出してきたのだった。さまざまな人間の風景が思い出されてゆくのだ。<br />
　実は子ども時代に、私の生家から、ときどき笠松の町に来ていた。チビのころの体力で、自転車で25〜30分、かかったのではないか。<br />
　42、3年前の私が顔を出していた本屋は廃業していたが、呉服屋や和菓子屋はそのまま残っており、びっくり。<br />
　「あ、夢によく出てくる町並みはココ」という思いが溢（あふ）れてくるのであった。<br />
　人生は、きっと年輪のよう。笠松を歩いていると、いままで潜んでいた年輪の「古層」が活発に動きはじめ、浮かびあがってくるのだ。<br />
　私にとって、「なつかしさ」は過去へのノスタルジアだけではない。もっと活発な、未来性に満ちた感情表現。<br />
　「いまここ」の線路に、「古層」のレールが連結してくるのだ。ガチャンと音をたてて連結し、笠松という小さな町のいまここに私は包まれていった。<br />
　木曽川の岸辺に出てみた。<br />
　堂々とした水量で、滔々（とうとう）と流れている。<br />
　ガキのころのホームグラウンドは、この木曽川である。魚をとり、秘密基地づくり、野球……と遊びに遊んだ。遊びまくった。そのころ、「クソ川」と悪口を言ったのが申し訳ないほどに、洋々と活々と南へ流れている。水、水、水である。命水が流れている。<br />
　堤から、東北のはるかかなたに御岳（おんたけ、3063メートル）が望める。まん西に伊吹山（1377メートル）が拝める。<br />
　それぞれ雪を冠している。心に沁み入る純白色である。まるでチベットのカイラス山のようだ。<br />
　初めてだ。54年の人生で、こんな感じは初めてだ。<br />
　故郷の山、川、町がありのまま、在るがままの姿で、つながりあったいのちの形で、私の中へ入ってくるのだ。「気」がぐうっと入ってくるのだ。<br />
　わが産土（うぶすな）、産水（うぶみず）、産山（うぶやま）という思いである。「オレがここに生まれ、ささやかな年輪を重ね、ここに還ってゆくのだ」と思うのだった。体認――、体でそう認識したのだった。<br />
　見舞いの約束の時刻来たので、急いで病院へ。そのひとは思いのほか、だいじょうぶそうだったので、安心。<br />
　病院の７階から、木曽川、御岳、伊吹山をたっぷりと見つめ、帰路についた。<br />
　岐阜市に寄る。全く偶然入ったうどん屋（さぬきや、岐阜市徹明通1-26）に熊谷守一さん（1880〜1977）の書「おかげさま」が掲げられてあるのにびっくり。そのうどん屋のお父さんが生前の守一さんを支えたという。<br />
　「96才　守一」とある。絶筆だった。<br />
　わが産土の地がますます好きになって、京都へ向かった。<br />
（２月25日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-02-25T09:32:48+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>雪――生前葬を営む心の友へ</title>
    <description>　Ａさん。
　２月13日の「生前葬」。めっちゃ、イヤでした。
　何かがちがう、こんなんじゃない――。
　そう思いながら、イライラしていました。
　恥ずかしいことに、酔いつぶれ、寝てしまいました。
　ああ。愚かなうえにまた愚かを重ね、「生き恥を晒して生きよ今日もまた...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　Ａさん。<br />
　２月13日の「生前葬」。めっちゃ、イヤでした。<br />
　何かがちがう、こんなんじゃない――。<br />
　そう思いながら、イライラしていました。<br />
　恥ずかしいことに、酔いつぶれ、寝てしまいました。<br />
　ああ。愚かなうえにまた愚かを重ね、「生き恥を晒して生きよ今日もまた」（宗博）の私であります。荒凡夫の愚者のオレであります。<br />
　Ａさん。<br />
　生きてください。人生、これからです。<br />
　再発、そして、転移。厳しい風が吹いていますが、いまこそ、前傾姿勢を保って、逆に浮力にして飛んでください。<br />
　生きてください。<br />
　Ａさん。<br />
　フラフラと立ちあがった私がほんとうに言いたかったこと、でも、言えなかったことは、次の“詩のような内的言語”です。<br />
　“詩がない男”の祈りです。よかったら、受けとめてください。<br />
<blockquote>　　　雪――生前葬を営む心の友へ<br />
<br />
　ひとは死を口にしてはならない<br />
　死を口にしたひとの上には<br />
　色ひとつ少ない虹がかかってしまうから<br />
<br />
　　　君は雪だ<br />
　　　私も雪だ<br />
　　　天を旅立つ<br />
　　　どの雪片も<br />
　　　落ちてゆく<br />
　　　大地に受けとめられるまで<br />
　　　落ちてゆく<br />
　　　たとえ吹雪のなか<br />
　　　そそり立つ岩場に叩きつけられようとも<br />
　　　たとえ無風のなか<br />
　　　湯気立つ鉱泉に吸いこまれようとも<br />
　　　どの雪片も<br />
　　　大地に救いとられるまで<br />
　　　落ちてゆく<br />
　　　大地<br />
　　　というもうひとつの天に<br />
　　　帰ってゆく<br />
<br />
　雪は死を口にしてはならない<br />
　死を口にした雪の下には<br />
　色ひとつ少ない虹がかかってしまうから</blockquote><br />
　Ａさん。<br />
　青紫色のスミレが庭に咲きはじめました。岡部伊都子ちゃんの庭から移植し、根づいたものです。岡部ちゃんと“再会”するような、喜び色のスミレです。<br />
　「菫（すみれ）ほどな小さき人に生れたし」（漱石）。<br />
　Ａさん。<br />
　新しい、小さなときの現在（いま）を生きてください。<br />
　日々刻々と生まれていってください。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-02-19T21:48:54+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第242回）「虹の国」をつくるために――ラグビーボールに託された夢</title>
    <description>　映画『インビクタス　Invictus』を見た。ラテン語Invictusは英語ならばInvincible（無敵、不屈、不敗）。
　ちゃんとしたラグビー映画だった。スクラムなどを地面の上にカメラを置くアングルで、試合の流れをていねいに撮り、事実をリアルに再現している。
　監督は、クリ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　映画『インビクタス　Invictus』を見た。ラテン語Invictusは英語ならばInvincible（無敵、不屈、不敗）。<br />
　ちゃんとしたラグビー映画だった。スクラムなどを地面の上にカメラを置くアングルで、試合の流れをていねいに撮り、事実をリアルに再現している。<br />
　監督は、クリント・イーストウッドである。<br />
　15年前の実話だ。1995年のこと。第３回目のラグビーのワールドカップ大会が、南アフリカ共和国で開催された。<br />
　主人公は、ネルソン・マンデラ（1918〜）である。<br />
　1962年から27年間を獄中で過ごし、1990年に釈放され、1994年にアパルトヘイトを撤廃。マンデラ政権を成立させた直後のラグビーの世界大会であった。<br />
　アパルトヘイトは、すさまじい暴力であった。<br />
　黒人に対して、徹底的に暴力行為を重ねていた白人たちは、当然ながら報復されると思い、1994年に毎月3000人の白人が国外に脱出。白人たちは恐怖していた。それだけの残虐行為を重ねてきたからだ。<br />
　なのに、報復はなかった。混乱もなかった。<br />
　マンデラ大統領は、「寛容」「人種和解」を強く訴え、さまざまな人種、民族と文化が光輝く「虹の国」創設を呼びかけるのである。<br />
　「マンデラが言うことだから……」と黒人たちはガマン。その姿を見て、「マンデラはウソを言っていない……」と白人たちは信頼しはじめ、「虹の国」づくりを受け入れた。出国する白人はやっと激減。<br />
　《皮膚の色で評価される社会》から《能力や努力で評価される社会》の実現に、マンデラは高齢にもかかわらず、寝る時間を惜しんで、邁（まい）進することになる。映画では、過労ゆえに倒れるマンデラのシーンも表出されている。<br />
　マンデラは、ラグビーに注目する。<br />
　南アフリカ共和国代表チームは「スプリングボクス」の名前で知られている。もともと強国として知られ、「ラッシュアップ・ディフェンス」という情け容赦のないタックルで有名。伝統的に“少々のパンチ”は許容され、「スプリングボクス」のラインナウトは“悪の巣窟（そうくつ）”とまで言われるほどであった（現在はルール自体が変更され、「スプリングボクス」得意のリフティングは合法化されるが、当時は反則）。<br />
　ところが、「スプリングボクス」はあくまでも、アパルトヘイトの旧体制の白人チームでしかない。黒人たちはジャージを見るのもおぞましい。<br />
　マンデラは、「スプリングボクス」のキャプテンとお茶を差（さし）でのんで、その心をつかみ、メンバーひとりひとりの名前を覚え、呼びかけ、鼓舞していく。それも、「スプリングボクス」のジャージ（多くの黒人にとっては「敵」のジャージ）を着て、ＴＶに登場し、励ます演出までしていく。和解融和に苦心し、ひとつの国につくりあげてゆく――。<br />
　「スプリングボクス」は土砂降りの雨の中の準決勝を19対15でフランスをディフェンス力で破る。２メートル、120キロのロムーという巨漢快足のウィングを有するニュージーランドとの決勝を延長戦の末、15対12でこれもディフェンス力で破り、なんと優勝するのであった。まるで「スポ根マンガ」のようであるが、事実である。<br />
　15年前の私はＴＶの前でただハラハラドキドキしていただけであったが、その背景が『インビクタス』によって、いま詳しく知ることができたのだった。<br />
　ちなみに、この南アフリカＷ杯は日本にとっても、ラグビー史に残る大会。予選プールで、日本はニュージーランドに、なんと17対145。壊滅的な敗北を喫している。失点145は空前絶後の記録だ。<br />
　「生き恥を　晒して生きよ　今日もまた」（宗博）である。屈辱は、忘れるが勝ち。2019年のＷ杯の日本開催に、いまから備えてほしい。あと９年だ。<br />
（２月18日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-02-18T18:04:36+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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  <item rdf:about="http://blog.rongakusha.com/?eid=835991">
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    <title>小さな町にて――奈良の大淀町からイタリアのボローニャまで</title>
    <description>　奈良の大淀町に、中元（なかもと）悦子さんがいる。
　大淀町――。正確に言うと、奈良県吉野郡大淀町。
　奈良県のどまん中に位置。吉野山のちょっと手前で、大峰山系や大台ヶ原という山脈への登山入口となる、山間のこじんまりとした住みやすそうな町である。
　ちょうど...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　奈良の大淀町に、中元（なかもと）悦子さんがいる。<br />
　大淀町――。正確に言うと、奈良県吉野郡大淀町。<br />
　奈良県のどまん中に位置。吉野山のちょっと手前で、大峰山系や大台ヶ原という山脈への登山入口となる、山間のこじんまりとした住みやすそうな町である。<br />
　ちょうど３年前の２月だ。私は初めて大淀町を訪れた。<br />
　中元さんが友人たちと14年間続けている「考える種（たね）講座」（主催・考える種を蒔こう会）に、呼んでいただいたからである。才津原哲弘さん（当時・能登川図書館長、いまは農民）といっしょに呼んでもらって。《図書館づくり》の話をしたのだった。<br />
　その日、町立図書館の会議室に集まった人たちは、とっても暖かく、感じがよかった。<br />
　窓の外は霧が吉野川から立ちあがっていた。春がゆっくり近づいている２月の山里だった。<br />
　その人たちの中心にいる中元さんは、農民である。梨農園を６反耕作栽培して暮らしている。他に自給用として、ぶどう、ブルーベリー、キウィ、レモン、はっさく、でこぽん……をつくっている。<br />
　梨畑でギター・コンサートをしたり、藁（わら）や野菜で巨大な「食の乱反射」オブジェをつくったり、ボローニャへ旅したりしている中元さんである。<br />
　ボローニャ……。そう、あのイタリアのボローニャである。<br />
　エラスムスが学んだ大学があり、職人企業が盛んで、さまざまな社会的協同組合を生み、街の中心部から車を追い出して劇場と映画館、図書館をつくっちゃう、ハムとワインがうまい創造都市ボローニャである（井上ひさし『ボローニャ紀行』文芸春秋、『創造都市への挑戦』岩波書店に詳しい）。<br />
　そんな中元さんに、「奈良の山里の小さな町で、感じている“いまここ”をのんびり語ってくださいませんか」とお願いした。すると、こんな返事がきた。<br />
　「夕方から今朝まで“私が行ってお話できるのだろうか？”と考えておりました。（略）でも、今年59歳になるまでのいろんな人との出会いや出来事が思い出され、一度くらい何やかやおしゃべりしても許していただけるかなと思いました。」<br />
　うれしい。その「一度」が、２月28日（日）に実現する。<br />
　来てくれないか。<blockquote>　2010年２月例会。<br />
　2010年２月28日（日）の午後２時〜５時。論楽社（TEL 075-711-0334）。<br />
　中元悦子さん（農業）の「小さな町にて暮らす――奈良の大淀町からイタリアのボローニャまで」。<br />
　参加費800円。<br />
　交流会は５時半〜８時。参加費は実費カンパ制。</blockquote>　タイ修行から戻ってきて以来、ＴＶを見なくなった。<br />
　ガマンしているのではない。欲さなくなったのだ。<br />
　ＴＶが欲求しているような「成功」物語から遠く離れて立つと、さまざまな気づきがある。<br />
　一見弱いところ、小さいところ、遠いところ、何もないところに、変革の根っこがあり、未来があるのではないか――。<br />
　「何を“禅問答”のようなことを言っちょるんや」と思われるかもしれないが、私にはそう思えてならないのだ。<br />
　詳しくは２月28日（日）に。中元さんを中心にして、おしゃべりしたい。生きてある中元さんに出会ってほしい。<br />
　ボローニャと大淀の写真もいっぱい見られるよ。来てね――。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-02-13T09:04:58+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第241回）その日、鳥取は雪だった（その２）――もしも人生が巡礼の旅ならば</title>
    <description>　「徳永進さんはどうも名医らしい」と思った。
　それまでに疑っていたわけじゃないが（笑）、上海のＴさんの父さんの表情を見ていると、進センセの腕の確かさが伝わってくるのだ。
　どのガンも末期はいたいんだろう？　肝臓ガンで「野の花診療所」に入院した彼はしみじみ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　「徳永進さんはどうも名医らしい」と思った。<br />
　それまでに疑っていたわけじゃないが（笑）、上海のＴさんの父さんの表情を見ていると、進センセの腕の確かさが伝わってくるのだ。<br />
　どのガンも末期はいたいんだろう？　肝臓ガンで「野の花診療所」に入院した彼はしみじみ語るんだ。<br />
　「自宅治療のときはいたくていたくて、畳をツメでひっかきながら、ねていたのが、いまはウソのよう。末期のいたみをとってもらって、ありがたい。ここ『野の花』は、天国のようだ。」<br />
　彼は風呂が好きだった。診療所の朝風呂にもよく入った。<br />
　その風呂の湯船に、ときどき水仙やバラ、ランが入れられた。「バラ湯なんか、初めてですよ」と喜んでいた。<br />
　「日の丸湯」という屋号だったっけ。鳥取駅前の銭湯なんだが、これが、なんと温泉だ。私もよく入ったが、彼もちょくちょく行ったようだ。雪見湯って、極楽だもんね。<br />
　彼は大きな犬（ゴールデンレトリーバー）が好きで、散歩中に仲よしになったようだ。ちなみに、その犬、「竜」という名前。<br />
　ところが、肺におびただしい転移が見つかった。肝破裂もおき、血性の腹水が増えた。<br />
　車イスになった。彼は「竜」に会いたがった。<br />
　進さん、飼主に「患者さん、大阪からのひとですけど、ワンちゃんに会いたいって……」と電話。<br />
　「そうですか。竜に会いたい？　参ります」。車イスで玄関に降りた彼は久しぶりに「竜」に会う。<br />
　「最高に幸せです。」<br />
　彼は80キロの体重。恰幅（かっぷく）がいい。実業家のようであったが、サラリーマンだった。生涯を銀行マンとして生きてきた。<br />
　私は「日本経済社会は再生しますか」と聞いてみた。<br />
　ゆっくりとした口調で、彼はこう答えた。<br />
　「必ず再生します。希望はあります。ただし、30年かけて、どの企業も、どの組織も、カネもうけのことしか考えない人物を重視し、重用してきました。その結果が、いまです。だから、これから30年かけて、社会全体のことや、人間社会のこれからのことを、考えることができる人物を大切にしていかねばなりません。もしそれができれば、必ず生きかえります。」<br />
　言い残した彼のこの言葉は、私の丹田（たんでん）に入った。腹のまん中へ、入ってきた。「死にもへその緒があるのか」と思えたくらいだった。<br />
　残念ながら、遺言として紡（つむ）いだ処方箋のように、日本経済は歩んでいない。「コストカッター男」が肩で風を切って歩いている。<br />
　でも、でも、離ればなれになってしまったひとびと、いのちといのちを再び結びつけ、結（ゆ）いなおし、織りなおしてゆく人物が必要なことは間違いない。そうだろう？<br />
　もしも人生が巡礼の旅であるならば、彼は最後の最後に鳥取の「野の花」という宿を選びとったのだ。<br />
　異郷の地の旅人として、巡礼の最後の祈りをし、満天星という地酒を味わい、「竜」という犬を抱擁し、“旅先案内人”の私に「日本社会再生論」を伝え、息を引きとっていった。<br />
　天を発（た）った雪片は、必ず大地に舞い降りる。<br />
　どの雪片も、早いか遅いかのちがいがあれども、等しく大地に迎えられる。<br />
　「救いの大地」にすっぽりと彼は迎えられていったではなかったのか。<br />
　そう思いながら、いまここに降る雪を、私は見上げている。<br />
（２月11日）
]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-02-11T14:58:33+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
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    <title>野生の島ツバルが君に伝えていること――１月例会をめぐって</title>
    <description>　１週間がたった。もんでん（門田）奈津代さんの１月例会から、１週間が過ぎた。
　私にとっては、多層的に面白かった。とってもよかった。
　いまＦＡＸが２本届いているので、「どこがおもしろかったのか」というポイントを、ともに分かちあいたいと思う。読んでもらえな...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　１週間がたった。もんでん（門田）奈津代さんの１月例会から、１週間が過ぎた。<br />
　私にとっては、多層的に面白かった。とってもよかった。<br />
　いまＦＡＸが２本届いているので、「どこがおもしろかったのか」というポイントを、ともに分かちあいたいと思う。読んでもらえないか。<br />
　まず１本目は、浜地弘子さん（染織家）。<blockquote>　お話のおわり、もんでんさんが島の手作業のときの歌を身振り手振り入りできかせてくれました。<br />
　ゆれる門田さんの目と指先が優雅にのびてふいにツバルという土地の声をきいた気がしました。彼女が小さな娘さんといっしょに島で体験した生きることの中身。その場所に住むって命のやりとりをそこですること。ずうっと日本で彼女が求めつづけていた、どれほど大きなものをツバルの人と自然からもらったかが伝わってきました。<br />
　いま島に急激に入りこんでいるという貨幣経済の力、遠い目をしてる若者……。でも案ずるよりまずは体がうごいてるのがイイナ！と活をいれてもらった集まりでした。<br />
　ひとつ気になってるのはキリスト教が入ってきて以来、プラリ行方不明らしい島の神様です。どこにいるのかしらん。</blockquote>　もんでんさんは、「ツバルの家族」と表現していた。<br />
　「ホームステイ先の家族」「家族同然の友人たち」という修飾語付きではなく、ひとこと「家族」だった。<br />
　その「家族」という言いきりかたに、「もんでんさんはツバルのひとと結婚しているのですか？」という質問が２回も出るほどであった。<br />
　しかも、そのツバルの「家族」を語るとき、目にうっすらと涙がにじむのであった。「いのちの恩人」を語る表情であった。<br />
　居場所がツバルにあったのだ。<br />
　求め、探しつづけた居場所がそこにあったのだ。<br />
　縁あって、南太平洋の小さな島の中に、もんでんさんは、心と体の居場所に出会ったのだった。<br />
　２本目は、塩田敏夫さん（毎日新聞記者）。ちょっと長いが、読んでほしい。驚くべき事実が知らされる。スクープである。<blockquote>　何という偶然か。南太平洋の島から成る国・ツバルを巡る物語が相次いでもたらされた。<br />
　ひとつは、論楽社の１月例会の案内。テーマがツバルと聞き、何度かテレビで見た沈みゆく島の世界をイメージした。<br />
　それから間もなく、京都府立久美浜高から取材依頼があった。元府立高教諭の椙谷（すぎたに）恵吾さんがツバルについて語ると。椙谷さんは先生を辞め、ツバルのサッカー代表チームのコーチになった人だ。<br />
　話を聞いてびっくり。地球温暖化による上昇はメディアが作り上げた虚像で、本当に深刻なのは人口の急増や都市化によって処理し切れないゴミ問題というのだ。<br />
　「繰り返しテレビで上映される海面上昇の映像は」と、椙谷さんは語った。「米軍が飛行場建設のため島と島の間を埋め立てた地で、元々波が洗う場所だった。人口が急増したため、沼地に立った建物は毎年決まって浸水する――。」<br />
　椙谷さんは、学術的に検証された海面上昇はわずかで、繰り返し虚像が上映されることで地球温暖化の被害者とされたツバルがひとり歩きしてしまったと指摘。メディアを現地で案内しているのは、自分をスタッフとしてツバルに派遣したＮＧＯで、「事実と違う上映をするな」とけんか別れしたと語った。<br />
　その直後の門田奈津代さんによる例会。しかも、椙谷さんが所属していたＮＧＯにまさにスタッフとして入ろうとしている学生も例会に参加。私は、椙谷さんの公演した内容を学生に伝えた。<br />
　門田さんの話は深く心に残った。とりわけ、亡くなった人のために女性たちがまっ白な石を拾い集めると聞き、何度も想像した。<br />
　安心して生きられる人間と人間の関係、社会。人間は本来、安心して暮らすために温もりを求めて集まり、村を作っていったのではないか。門田さんの話では、ツバルでも貨幣経済社会に急速になりつつあり、美しい習慣が失われないか心配だ。</blockquote>　虚偽の映像を、どうも私たちは見せられているようだ。<br />
　地球温暖化の問題はきわめて重要なテーマだが、ワアワアと騒いだ割には、悪意のＮＧＯや「エコ・カー」「エコ冷蔵庫」のメーカーだけが儲（もう）かって、事態は好転しなかった――なんて、あまりにもツライではないか。そうだろう？<br />
　さて、もんでんさんからも、ＦＡＸが入っているので、最後にお知らせする。<br />
<blockquote>　本当にみなさま、どうもありがとうございました。<br />
　今後、もんでんのツバル写真展・語り・ビデオを観る会などのご案内をさしあげてもよろしい方、また連絡をとってもよろしい方は、ぜひ下記までひとことお知らせ下さいませ。<br />
　ｐｕａｆｉｔｉｔｕｖａｌｕあっとマークｇｍａｉｌ．ｃｏｍ<br />
　（スペル左端のプアフィティはツバルで花冠にする香りのよい花です。）<br />
　（注）迷惑メール対策のためアドレスの表記を変えてあります。全角は半角に、「あっとマーク」は半角の＠に変えて入力してください。</blockquote><br />
<img src="images/monden.jpg" width="400" height="240" alt="もんでんさん" class="pict" /><br />
　この写真は、１月31日の１月例会の様子である。大西正彦さん（カメラマン）のビデオ記録映像である。<br />
　なお、２月例会は中元悦子さん（農業）。２月28日（日）だ。<br />
　では、またね。元気で――。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-02-08T16:05:23+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第240回）その日、鳥取は雪だった（その１）――上海からやってきたＴさん</title>
    <description>　びっくりした。ほんとうに、ちょうどＴさんのことを考えていたからである。
　１月26日（火）にＴさんからメールが入った（といっても、私はパソコンもケータイも持っていないので、私宛のメールを楢木祐司さんがわざわざＦＡＸしてくれるのであった）。
　《お久しぶりで...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　びっくりした。ほんとうに、ちょうどＴさんのことを考えていたからである。<br />
　１月26日（火）にＴさんからメールが入った（といっても、私はパソコンもケータイも持っていないので、私宛のメールを楢木祐司さんがわざわざＦＡＸしてくれるのであった）。<br />
　《お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか？　私はいま上海に住んでいます。2005年９月からです。》<br />
　《（上島）聖好さんの自死をいま知りました。すでに２年以上も前に……。なんだか強く殴られたような状態でいます。１月31日の１月例会に参加するために帰国することにしました。》<br />
　いま、Ｔさんは上海なのか。道理で手紙が届かなかったわけだった。<br />
　「そうか、そうか」と思って、返事のメールを送った（といっても、繰り返すが、私が手書きで「お待ちしております」と書いて、ＦＡＸし、楢木祐司さんに送ってもらうのだった）。<br />
　何を考えていたか。<br />
　あれは、2002年１月10日だった。ちょうど８年前のことである。<br />
　その日、汽車が中国山地を越え、鳥取に入ると、雪だった。<br />
　その日に初めて会うＴさんのお父さんは、末期の肝臓がんであった。<br />
　その彼を、開業して１か月後の「野の花診療所」に紹介案内するのが私の役まわりで、Ｔさんと３人で、やや緊張して、汽車に乗っているのであった。<br />
　Ｔさん父子は、大阪人だ。鳥取とは縁もゆかりもない。彼は「死ぬことは覚悟しているし、恐くもない。いたいのだけがかなわん」と話す。<br />
　《「人生のラストの舞台」を「野の花診療所」にしよう》と決意しているのだ、きっと。そう思いながら、車窓の外をながめると、まっ白な雪なのであった。<br />
　彼は、即入院。<br />
　忘れられないのは、次の会話である。<br />
　徳永進センセに「あの、センセ、酒はのんでもいいでしょうか？」と彼は聞く。<br />
　進さんは「いいですよ」。<br />
　「ワインは？」「もちろん、いいですよ」。「朝からのんでも？」「いいですよ」。<br />
　「満天星という地酒、いいです」と進さん。「そうですか」と彼。<br />
　いいでしょう？<br />
　３週間後に、私は見舞いに行った。もういちど顔を出してみた。その日も、雪だった。<br />
　彼は喜んでいた。「いたみをきちんととってくれる」と、安心しきっていた。<br />
　鳥取の地魚の料理も、診療所の食堂（「ターラ」という屋号、「ターラ」はネパール語で星）のおばちゃんに“特注”しているようで、身も心もすこやかそうだった。<br />
　でも、その日が彼に会った最後。<br />
　７週間の入院で２月末に70歳で亡くなっていった――。<br />
　それ以来である。<br />
　Ｔさんは、ほんとうに１月31日（日）に論楽社へ、上海からやってきた。<br />
　朋（とも）遠方より来たる、である。久闊（きゅうかつ）を叙し、ここ10年、20年のことを私は正直に述べ、語りあった。<br />
　その日は月例会が始まる前の１時間だけであったが、２月２日（火）の日も、昼食をはさんで４時間話した。気持ちのよい対話であった。亡くなったお父さんとのシビアな関係も、初めて聞いたのだった。<br />
　「八坂神社へ行きたい」とＴさんが別れぎわに言うので、行くことになった。<br />
　行ってみると、節分祭であった。<br />
　祇園・宮川町の舞妓が境内の舞殿で舞を奉納。そして、福豆をまいた。<br />
　「こっち、こっち」と手を伸ばしていたら、Ｔさんがダイレクト・キャッチ。私はどなたかの体にあたったのを拾って、ゲット。<br />
　「ことしはよいことがあるんだ。虫賀さんも、いいですか。女のひとのいるところに、積極的に顔を出して、積極的に動くんですよ。もう時間がないんだからね。」<br />
　年下のＴさんがしきりに姉さんのように語りかけてくれるのであった。<br />
（２月４日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-02-04T23:12:51+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>心に響く年賀状――「あ、空がわたしを抱いてくれた」（奈良のＮさん）</title>
    <description>　そういえば、このあいさつをしておりませんでした。
　《あけましておめでとうございます。2010年の新しい春お慶びを謹んで申しあげます。》
　多くのひとから年賀状をいただきました。ありがとうございます。
　心の底から、御（おん）礼を申し上げます。うれしいでありま...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　そういえば、このあいさつをしておりませんでした。<br />
　《あけましておめでとうございます。2010年の新しい春お慶びを謹んで申しあげます。》<br />
　多くのひとから年賀状をいただきました。ありがとうございます。<br />
　心の底から、御（おん）礼を申し上げます。うれしいであります。<br />
　晴れわたった元旦の10時過ぎに郵便箱の中へ、コトンと音をたてて届く年賀状はうれしいものであります。<br />
　あの「コトンッ」という澄んだ音によって、2010年も動き出したのでした。<br />
　心に響いた賀状の中から、思いつくまま、次の３本を紹介させてください。<br />
　「かねてより頼んでいた骨壺が届きました　〈足跡〉と命名されたこの贈り物を前に来し行く末を思い重ねています　できましたらみなさま　苦楽を共に　これからもよろしくお付き合いのほどを／溶けあい解（ほど）けゆく命かな」（京都のＳさん、染色家）<br />
　「今ここ、この瞬間を全きまで生きます。微笑んで。／暮らしにもだいぶん慣れ、少しおちついて、あー、今幸せだなあと思えます。よかった。」（長野のＭさん夫婦、農業）<br />
　「風が背中をさっとなでていく　見上げると　あ、空がわたしを抱いてくれた　あおい空　わたしもあなたを抱こう　空を抱いて　わたしも『景色の一粒』になろう」（奈良のＮさん、農業）<br />
　ステキでしょう？<br />
　分かちあっていただけるとうれしいです。<br />
　私は年賀状を出しません。やかましく手紙やＦＡＸをふだん送りつけているので、控えておるのであります。<br />
　１年かけて、ゆっくりと返事を出してゆきます。<br />
　2010年も、生老病死の苦しみはあるでありましょう。好きなひとと別れ、好きでもない人と出会う苦しみもあるでありましょう。でも、「災難に逢（あう）時節には災難に逢がよく候　死ぬ時節には死ぬがよく候　是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候」（良寛）であります。心して、気づいて、歩んでゆきたいものです。<br />
　いのちに出会ってゆきたいと思います。<br />
　「論楽社はいのちの共同体です」（京都のＯさん、編集者）。<br />
　ありがたい言葉をいただきました。この年賀状にあるような、いのちに出会ってゆく居場所、精神の原っぱをつくってゆけたら、と思っております。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-28T12:47:58+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第239回）自死遺族者の心情から（その２）――「枯れ涙」を流してもなお捨てきれない夢がある</title>
    <description>　自死遺族者にとって、逝ってしまったひとの命日、誕生日はもちろんのこと、クリスマスや正月という世間が華やぐ節目の日も、つらい。その人の非在を、思い知らしめるからである（若林一美『死別の悲しみを超えて』岩波現代文庫）。
　私も「そうや」と首肯する。でも、萎...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　自死遺族者にとって、逝ってしまったひとの命日、誕生日はもちろんのこと、クリスマスや正月という世間が華やぐ節目の日も、つらい。その人の非在を、思い知らしめるからである（若林一美『死別の悲しみを超えて』岩波現代文庫）。<br />
　私も「そうや」と首肯する。でも、萎（しお）れたヒマワリのように俯（うつむ）く首肯でしかない。<br />
　どういうことか？<br />
　私には、二つの側面があるからだ。「自殺遺族者」という側面に加え、「破婚者」という側面をも有しているのだ。<br />
　自殺という負（マイナス）のエネルギーが遺族の心情を複雑骨折させることは、前回指摘した。私の場合、その「自殺」に加えて、「破婚」「虐待」という負荷が伸（の）しかかるので、自分自身でもちょっと説明しにくい複雑骨折になるんだ。<br />
　「枯れ涙」って、わかる？<br />
　骨折のあまりのいたみに、外出血もすれば、内出血もする。でも、内奥の内出血のさいは、血も涙も外部へ流れて出てゆかない。内部にこもって、動かない。いたいのに、涙が出ない。<br />
　その「流れない涙」を「枯れ涙」と私は呼んでいる。<br />
　そんな「枯れ涙」の複雑骨折である。<br />
　ふしぎなことに、治癒したあとにも、そんな痛みが、間歇（かんけつ）泉のように、ときどき噴（ふ）きあがるような、ヘンテコな骨折なんだ。<br />
　これが私の人生である。骨折人生だね。<br />
　噴きあがるごとに、その感情を受認し、ていねいに放下（ほうげ）している。だいじょうぶだ。<br />
　そういう私を見ていて、言いにくそうに聞く友人がときどきいる。<br />
　「こうなる前に、はやめに別れるとか、どうして手をうたなかったのですか？　なんとか、ならんかったのですか？」<br />
　とても常識的な質問だ。とってもよい疑問である。<br />
　私の答えは、こうだ。聞いてくれないか？<br />
<br />
　――私には、夢が２つありました。いやいや、過去形じゃない（笑）。まだ、人生を捨てていません（笑）。<br />
　２つ、夢があります。この２つをつくりたいと、いまも思っています。<br />
　１つは「あったかい家庭」。もう１つは、「村のような、相互扶助の共同体」。<br />
　１つめの「家庭共同体」は、“死産”に終わりました。<br />
　パートナーとは、男と女ではなかったからです。<br />
　論楽社を創業した同志です。同じ志を抱いた親友です。男と男の友情だったのです。<br />
　そう考えれば、何も問題ないことを、ある局面から、私は気づきました。<br />
　でないと、2003年以降も、パートナーの部屋をそのままにしておくという私の行為の意味がわかってもらえないでしょう？<br />
　私は全力をつくしましたよ。ホントにベストをつくしましたよ。<br />
　でも、ダメだったのです。<br />
　人為を尽くしても尽くしてもダメだったとき、ついに「（弥陀の誓願に）不思議にたすけられまいらせて」（『歎異抄』）という思いに至ったことも、言いそえておきます。<br />
　たとえ“死産”と終わったとしても、無意味だったとは思っていません。悲苦の井戸水をのんでこそのいまが、ここにあるからです。<br />
　パートナーが悪いわけでもない。私が悪いわけでもない。そういう縁であったのです。<br />
パートナーに出会ってよかったと思っていますよ。<br />
　私も、良寛が最晩年に貞心尼に出会ったように、温（あたた）かい女人に、ひょんなことでめぐりあうかもしれないでしょう？　アハハハ。<br />
　１つめの夢も、２つめの夢も、捨てません。だって、捨ててしまったら、私が私でなくなってしまうからです。<br />
（1月28日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-28T12:21:22+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第238回）自死遺族者の心情から（その１）――いのちの風よ、もっと吹け</title>
    <description>　「記念日反応」「命日反応」というコトバを、昨年末に知った（高橋祥友『自殺予防』岩波新書、『自殺未遂』講談社）。
　自殺者の命日や誕生日のような節目の日に、収（おさ）まっていた悲苦が改めてコンコンと湧きあがってくる現象のことだ。
　事故死であろうとも、自然...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　「記念日反応」「命日反応」というコトバを、昨年末に知った（高橋祥友『自殺予防』岩波新書、『自殺未遂』講談社）。<br />
　自殺者の命日や誕生日のような節目の日に、収（おさ）まっていた悲苦が改めてコンコンと湧きあがってくる現象のことだ。<br />
　事故死であろうとも、自然死であろうとも、遺族の心に並（な）べて生起する人情であろう。<br />
　ところが、自殺者の遺族の心情は、ちょっと複雑だ。<br />
　それは、自殺という行為に、起因する。<br />
　自殺は、殺人である。ところが、殺人者と被殺人者が同一人物。しかも、両者とも、すでに非存在。<br />
　すさまじい暴力行為の結末としての死体を、遺族はただただ見つめる以外に為す術（すべ）がないのだ。<br />
　ゆえに、自殺という暴力が放つ負（マイナス）のエネルギーは、遺族の心に喪失感以外に、虚無感と自責感を刻みつける。殺人という加害性に立腹すら感じながらも、被殺人という被害性に涙がコンコンとあふれるのだ。引き裂かれながら、５年、10年、15年……と苦しみつづけなければならない。思いのほか、歳月・時間というものは解決してくれないのだ。もしも負（マイナス）の連鎖反応がはたらけば、遺児が再び……ということも少なくないのが、つらい現実である。<br />
　どうも私も自死者の遺族の１人のようで（小さな笑い）、その「命日反応」というのが、起きた。<br />
　昨年10月末の命日の直後から、１か月半にわたって、フラッシュ・バックした。1997年から2003年にかけての《地獄》の日々が思い出されてならなかった。「もう大丈夫や」と思っていたので、不意をつかれ、殴打されたようで、びっくりした。<br />
　でも、落ち着いて、対応できた。<br />
　解決はいのちに即して行うものであることを身に沁みて知っているので、次々と湧きあがってくる感情に敬意をもって接していった。「つらかったね」と非暴力的に受認していった。そして、秋山や雪山に入り、自らの野生を大切にし、「野生をますます太くする」というイメージを深めてゆき、対応していった。<br />
　こんなことに慣れてもしかたないんだけど（小さな笑い）、あわてずに対処できて、よかった。<br />
　“荒天の山行の修行”から下山してきた昨年末に、ひとりの友人が入院した。<br />
　抗ガン治療を受けるという。<br />
　それを聞いたとき、心の風車がグルグルと回りはじめ、こんな「詩」が湧いてきた。<br />
　あんまり上手だと友人の体にさわるので（笑）、ヘタのまま、素（す）のまま、届ける。<br />
　友のいのちへ。そして、ついでに私のいのちへ。届け――。<br />
<blockquote>　　　　　　風――入院した心の友へ<br />
　　　　　　１．<br />
　風が吹く<br />
　風がいのちを吹く<br />
　天上大風<br />
　天下に造化の風が吹く<br />
　　　タイの村の女の子の<br />
　　　今朝の祈りの声が<br />
　　　やっと訪れた今宵の<br />
　　　君のしばしの寝息を守り<br />
　　　霧雨にうたれしずむ<br />
　　　マヤの女たちの肩に<br />
　　　布をそっと掛ける<br />
　　　　　　２．<br />
　風が吹く<br />
　風がいのちに吹く<br />
　天上大風<br />
　天下に業報の風が吹く<br />
　　　きのうのことも<br />
　　　あしたのことも<br />
　　　よきことも<br />
　　　あしきことも<br />
　　　すべてを<br />
　　　風にまかせ<br />
　　　君はほほえむ<br />
　　　いまここを</blockquote>（1月21日）<br />
<br />
　以下、注釈３つ。（１）「天上大風」、良寛が子どもにせがまれ凧（たこ）に書く。（２）「造化（ぞうげ）」、芭蕉が芸術を生む源泉と考えた（「造化にしたがひ、造化にかへれとなり」『笈の小文』）。（３）「業報（ごうほう）」、親鸞は「業報」にすべてをさしだし、本願をたのんだ（「よきこともあしきことも、業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまいらすればこそ、他力にてはさふらへ」『歎異抄』）。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-21T09:14:30+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>野生を生きるツバルのひとたち――2010年のキックオフの１月例会へ、ようこそ</title>
    <description>　おもしろい女性に、出会った。
　ほんの１か月前のことだ。
　名前は、もんでん（門田）奈津代さん、という。
　縁あって、南太平洋のツバル（Tuvalu）に出会い、しばらく住みついちゃった女性である。
　いまは京都に戻ってきてるが、また、しばらくして、ツバルに「帰る」...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　おもしろい女性に、出会った。<br />
　ほんの１か月前のことだ。<br />
　名前は、もんでん（門田）奈津代さん、という。<br />
　縁あって、南太平洋のツバル（Tuvalu）に出会い、しばらく住みついちゃった女性である。<br />
　いまは京都に戻ってきてるが、また、しばらくして、ツバルに「帰る」そうだ。<br />
　世界地図を思い浮かべてみよう。<br />
　太平洋の南のかなたには、さまざまな島国がある。<br />
　パラオ、ナウルやソロモン、キリバス……という小さな独立国がいっぱい浮かんでいる。<br />
　そのひとつが、ツバル。<br />
　ツバルのすぐ南には、サモア、フィジー、トンガというラグビー強国がある。ニュージーランドに近いから、ラグビーが盛んになったのだろう。<br />
　ツバルの島のひとびとの相互扶助の暮らしぶりが、１月例会のテーマだ。<br />
　もんでんさんと話していて、おもしろかったのは、「（ツバルの暮らしは）いのちがこゆい」という言葉だ。<br />
　たとえば、鳥を獲（と）って、食べること。<br />
　島には「じぶんの木」というのがそれぞれ会って、その木に登る。木の上で、鳥の鳴き声をまねて、さえずる。<br />
　その声色（こわいろ）の腕を上げるために、何年も練習を重ねるそうだ。ちょっとした手作業中にも、みんなトレーニングをしているそうな。だって、そのものまねの出来しだいで、収穫が決まるのだから。必死だ。<br />
　木の上で、オス鳥がメス鳥を求めるかのように、島人（しまんちゅう）が鳴く。<br />
　もし、その声にリアリティがあれば、鳥たちは近づいてきてくれる……。<br />
　それを網で獲るのだ。サァッと。<br />
　そうして得た鳥の“焼き鳥”の味は、実に「いのちがこゆい」のだそうだ。<br />
　そりゃ、そうだろうなあ。<br />
　だって、鳥といういのちに人間が敬意をもっているもん。敬意をもって、立ちむかっている。真正面から勝負して、得た恵みだもん。いのちがピンピンしていて、パック詰めの「トリ肉」とは、全く違うだろう。<br />
　私は、一発で「おもろいッ！」と思った。<br />
　それで、初対面だったもんでんさんに、2010年の最初の１月例会へ来てもらうことになった。大寒の１月31日（日）に、常夏のツバルの離島に生きるひとたちのレポートを聞くことになった。楽しんでほしい。参加してほしい。<br />
<br />
<blockquote>　2010年１月例会<br />
　2010年１月31日（日）の午後０時〜５時。論楽社（TEL 075-711-0334）。参加申し込み不要。<br />
　もんでん（門田）奈津代さん（http://monden.daa.jp/tuvalu）の「野生を生きる島ツバル――いのちがこゆいのだ」。<br />
　　（第１部）<br />
　午後０時〜２時。参加無料（はやめに来て、楽しんでください。写真だけ見て、帰って、ＯＫ）。<br />
　ツバルの暮らしの写真とマンガ展。<br />
　ツバルの手工芸品（ござ、草スカート、ヤシの葉のイヤリング、貝の首飾りなど）の展示（販売）。<br />
　　（第２部）<br />
　午後２時〜５時。参加費800円（２時からは800円ね）。<br />
　もんでんさんが撮（と）ったビデオを見ながらの自在な対話のひととき。――映像は「食」（鳥、サカナを獲り、ブタの解体）、「死」（島のお葬式、土葬だ）、「祭」（正装して祭に集まる島の人たちの表情!!）の３部。<br />
　交流会は、５時半〜８時半。新年会でもあり。自由参加。自己申告カンパ制。</blockquote><br />
　そう、そう。もんでんさんを紹介し、引き合わせてくれたのは、食堂「キッチン　ハリーナ」の佐藤友子さん。交流会の「食」の重箱は、「ハリーナ」だ。<br />
　友子さん、ありがとう！<br />
　１月31日（日）、ツバルのひとびとのスッポンポンのいのちに出会ってください。ピンピンのいのちを感じてください。<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>ほっとニュース</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-20T13:02:34+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <link>http://blog.rongakusha.com/?eid=830951</link>
    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第237回）エリートは試験では生まれない――ありがとう、鶴見俊輔さん</title>
    <description>　ロウバイ（臘梅）が、ことしも庭に咲いた。
　もう20年続けている“年中行事”として、近所の鶴見俊輔さん宅へ、年末に届けた。
　正月の花として、生（い）けていただくためである。
　鶴見さんはメガネをかけず出てきて、私が見舞いの言葉をかけると、「うん、うん」とう...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　ロウバイ（臘梅）が、ことしも庭に咲いた。<br />
　もう20年続けている“年中行事”として、近所の鶴見俊輔さん宅へ、年末に届けた。<br />
　正月の花として、生（い）けていただくためである。<br />
　鶴見さんはメガネをかけず出てきて、私が見舞いの言葉をかけると、「うん、うん」とうなずいて、静かに笑っていた。<br />
　そして、おもむろに、「はい、これ」「書いておいたし……」と言いながら、本を１冊差し出す。<br />
　いただいて、帰宅し、その本をひらいてみて、ビックリ。<br />
　自著の『言い残しておくこと』（作品社、2009年12月30日発行）に、「虫賀宗博様　2009年12月30日　鶴見俊輔」とサインがあり、その横に、なんと「元気でいてください」と書き添えてあるではないか。<br />
　うーん。<br />
　涙がじんわりと沁み出てくる。<br />
　「しかし、まあ、また“返し面”を１本食（くら）ったなあ」と泣きながら、苦笑した。<br />
　“返し面”の“返し”を竹刀で打つかのようにして、師走の青空に放った即興の一句（ダジャレにご注目くださいね）。<br />
<br />
　　師を見舞い　見舞い返さる　ロウバイかな　　宗博<br />
<br />
　これで、気合が入ったのか。読書熱に火がついた。<br />
　ＴＶを全く見なくなったということも手伝い、年末年始の10日間で８冊読了。<br />
　2000ページをスイスイと読んだ。<br />
　もちろん『言い残しておくこと』をまっさきに読んだ。<br />
　いくつかのことに、心を耕された。<br />
　次の３点のみ、書き出してみる。<br />
　Ａ．「あの時代に、坂本（龍馬）、高杉（晋作）らをちゃんとリーダーの場所に置けたというのは、日本の大衆自身にその眼力があったということです。これは江戸時代三百年の力でしょう。」（同書P.39）<br />
　ホントに、そのとおり。リーダーは育てるもんじゃない。捜して、見つけ出すもんだ。<br />
　ラグビーの伝統国では、ゲームメイキングをするＳＯ（スタンドオフ）やキャプテンだけは、目を皿にして国中を捜しまくるという。<br />
　「ピンチをチャンスに変えてしまう」ような器量は、学校教育では絶対に身に付かないからだ。中村哲さんのようなリーダーを、九州大学医学部が育てたわけでないことを、改めて言うまでもないだろう。<br />
　坂本龍馬を見出していった郷土の連中や勝海舟たちのくもりのない眼力を忘れてはいかぬだろう。祖国のピンチを身を張ってチャンスに実際に変えていったのだから。<br />
　Ｂ．「ペリーの黒船が日本に開国を迫ったときに、幕府は大変狼狽して、なんの方向性も出せなかった。実際、将軍が各諸侯に開国を求めるアンケートを出したんだけど、『よろしいように』というのがそれに対する大名の答えだった。」（同書P.88）<br />
　その「答え」がスゴイ。「何も存じ付きこれなく候」「御上の御進退に従い申し候ほか、心底これなき旨」「別段存じ付きこれなし」である。<br />
　私は、知らなかった。ここまで心根がくさっていたとは、知らなかった。<br />
　坂本や高杉たちが動き出さなかったら、日本は一体どうなっていたことか。<br />
　Ｃ．「戦争になって、奉天会戦直後に極秘で帰国した参謀長の児玉（源太郎）は、いまが止めるときだと、講和を進言する。（略）それが日露戦争なんです。しかし、その後の十五年戦争では、そうした引き際を見定める人間がいなかった。これは、大衆の中から抜かれたエリートではなくて、試験で選んだエリートたちが指導者になったからだと思いますね。」（本書P.72〜73）<br />
　幕末を生きのびた人間たちは、大学なんか出ていない。ただ戦（いくさ）を終えることは、始めることの何倍ものエネルギーと判断力が必要だということを現場で、体で学んでいただけだったのだ。<br />
　ありがとうございました、鶴見先生！<br />
（1月14日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-14T08:57:51+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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    <title>連載コラム「いまここを紡ぐ」（第236回）イスひとつ分の居場所――あるコーヒー店と、あるアイルランド・パブへ</title>
    <description>　その店に入ると、音楽が流れていない。
　イノダ（猪田）コーヒーの本店である（京都市中京区三条通堺町通下ル、店名はどういうわけか「イノダコーヒ」のようだ、正式には）。
　いまやどのカフェもどの店も、音楽を流している。オリジナルな選曲であろうが、有線放送であ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　その店に入ると、音楽が流れていない。<br />
　イノダ（猪田）コーヒーの本店である（京都市中京区三条通堺町通下ル、店名はどういうわけか「イノダコーヒ」のようだ、正式には）。<br />
　いまやどのカフェもどの店も、音楽を流している。オリジナルな選曲であろうが、有線放送であろうが、いずれにせよ、どの店においても、音楽が流れている。<br />
　ところが、イノダには、そのサービスがない。無音楽カフェである。<br />
　無音楽であるが、もちろん無音ではない。白いコーヒーカップを置く音。店員が注文をとる声。トイレの前のかごのインコのさえずる音。庭の落葉が風に飛ばされる音。それらの音や声だけが聞こえている。<br />
　そんな“自然音”“生活音”だけが響いているイノダが好きだ。もう30年、通っているが、その雰囲気が不変なのが、うれしい。<br />
　私は音楽が好きだ。どの音楽ファンも自らの好みに偏りがちなのと同じように、私も私の好みに偏っている。<br />
　好みとは異なる音楽を聞かされるのは、私にとって苦痛だ。<br />
　コーヒー自体の味わいが、格別に良いわけではない。まあ、これも好みだが、イノダよりもうまいコーヒーは他にもあるであろう。<br />
　でも、ソファに深く腰を下し、高い天井に静かに反響する“自然生活音”だけを味わい、心とゆっくり対話できるのは、イノダだけである。<br />
　「つまり、ここには私の居場所が、ちっちゃくソファひとつ分存在しているんだ。」<br />
　そんなことを思いながら、イノダでコーヒーをのんでいると、ゆかいな気分になり、こんな詩が浮かんできた。いや、詩ではない。詩のような「ことば遊び歌」である。<br />
<blockquote>　　　初恋――ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール<br />
　　　　　　　１．<br />
　行くのだ　イノダ　千香（ちか）ちゃんと<br />
　ちゃりんこ乗って　行くのだよ<br />
　初めて会った　その日から<br />
　二人の仲は　いいのだよ<br />
　　　　　　　２．<br />
　行くのだ　イノダ　千香ちゃんと<br />
　地下鉄乗って　行くのだよ<br />
　いつか別れる　その日まで<br />
　二人の仲は　いいのだよ</blockquote>　本を半分まで読んだら、イノダを出ようか。<br />
　正月の西の空を見上げれば、茜色の夕焼け。「夕焼け小焼けこんがり焼けてキツネ色　うどんにのっけて食べちゃいたい」と“即興ざれ歌”を歌いながら歩けば、すぐに「タラの丘」（The Hill of Tarra）に着く（京都市中京区御池通河原町東入ル）。アイルランド・パブだ。<br />
　２階へ上がる。ベランダの手前のところにも、私の居場所がある。ここにもイスひとつ分の居場所がある。<br />
　なぜか？　そこにイエイツ（William Butler Yeats,1865〜1939）の肖像写真が１枚掲げてあるからだ。<br />
　ただそれだけである。なのに、いつもほっこりするのだ。<br />
　その席に腰を下ろすのは、２か月に１回。ステキなことが起きたときに行くから、私には２か月に１回しか、ステキなことに出会わないことになる。<br />
　そこで、私は黒ビールを１杯のむ。ひとりで、ただ１杯だけのむ。<br />
　心の中で、イエーツのこんな詩（Under Ben Bulben）を思い出せば、サイコーだ。<br />
<blockquote>　Cast a cold eye　　　　　生も、死も<br />
　On life, on death.　　　　冷たい目で見ろ。<br />
　Horseman, pass by!　　馬の者よ、行け！</blockquote>　頭の中で妖精たち（horsemanだぜ）が動き出すとき、ひょっとして、２杯目をたのむかもしれない（笑）。<br />
（1月7日）<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject>いまここを紡ぐ</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-07T22:17:54+09:00</dc:date>
    <dc:creator>虫賀宗博</dc:creator>
    <dc:rights>虫賀宗博</dc:rights>
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